1.
ヴィンセントと初めて顔合わせをしたのは、セレーネの十六歳の誕生日だった。サラサラの金髪に青空のような空色の瞳。端正な顔立ちを持つ同じ年のヴィンセントに、セレーネは一目で心を奪われた。
リンドベルムの国王は男子に恵まれず、王女が二人いるのだが、将来は嫡子であるセレーネが女王になる。女王には王配が必要だ。そこで選ばれたのが、ノルクシュタット公爵家の次男であるヴィンセントだった。
「顔がいいだけで、とんだクズ男だわ。男を見る目がないわね、セレーネ。って私か」
雷に打たれたはずだが、気がつけば自室のベッドで横になっていた。四阿で倒れていたセレーネを誰かが運んでくれたのだろうか?
雷の電圧はおよそ一億ボルトだ。人間に直撃した場合の致死率はおよそ九十パーセントで、まず助からない。助かったとしても火傷をしたり、身体が深刻な損傷を負ったりするはずだ。
「それにしてもよく助かったものよね。しかも全くダメージがなさそうだし。誰かが心肺蘇生でもしてくれたのかしら? 時々、雷に打たれても無傷だった人がいたって話を聞くけど、まさか自分が経験することになるとは思わなかったわ」
他人事のようにひとりごちると、身体を起こす。問題なく身体を動かせるし、痛むところはない。もちろん火傷もしていない。
ふと窓際に目をやると、カーテンの隙間から月の光が差している。つまり今は夜なのだと予想がつく。
「とりあえず、状況整理をしよう。ここは『エステルの戴冠』の世界よね? そして私はセレーネに転生したということでいいのかしら?」
転生前のセレーネは、日本という国で会社員をしている普通の三十代の女性だった。『エステルの戴冠』というのは好きだった小説のことだ。
「セレーネは好きなキャラだけど、このままだとまずいわ。だって悪役王女だもの」
『エステルの戴冠』のあらすじはざっとこんな感じだ。
主人公はリンドベルム王国の第二王女フローラ。ピンクブロンドの髪に青い瞳の彼女は可憐な容姿をしている。側妃の娘なのだが、誰からも愛されているという設定だ。
リンドベルム王国は女神エステルに守護されている国で、稀に女神の愛し子という存在が現れる。女神の愛し子は神託により、セカンドネームに「エステル」の名と女神の力が与えられるのだ。そして、その女神の愛し子がフローラだった。
ヴィンセントはフローラの幼なじみで、次代の女王の夫になることが決められている。将来はフローラと結婚するものだと誰もが思っていた。セレーネが現れるまでは……。
セレーネは国王の嫡子でフローラの異母姉だが、理由ありで市井で育った。十四歳の時に王宮から迎えが来るまで、平民の娘として暮らしていたのだ。
十六歳になるまでに王女としての教養を徹底的に叩き込まれ、いよいよ社交界へデビューする段階でヴィンセントと引き合わされた。この時点でセレーネが次期女王として指名されたからだ。
初対面でヴィンセントに一目ぼれしたセレーネは、彼と仲が良いフローラを敵視しけん制していた。それでもヴィンセントはセレーネに優しく問題なかったのだが、ある日自分はフローラが好きだと告白される。自分の心は偽れない。セレーネと結婚して王配としての役割は果たすが、自分の愛はフローラだけに捧げると……。
怒り狂ったセレーネはフローラを害そうとするが、ヴィンセントにことごとく阻まれ、ついには王位継承権を剥奪された挙句、放逐されてしまう。女神の愛し子を害そうとしたのに罰が甘すぎると、周りから反発を受けた国王は退位し、フローラに王座を譲った。
女王に即位したフローラはヴィンセントと結婚し、幸せに暮らしたというハッピーエンドな物語だ。
「ただ、放逐された後のセレーネの描写はないのよね。それに……」
セレーネにはもう一つ気がかりなことがあった。
それは『エステルの戴冠』では、フローラが十四歳の時に女神エステルの神託があり、セカンドネームにエステルの名前を授かったはずなのだ。
ところがフローラは現在十六歳だが、いまだにエステルの名前を授かってはいない。
「私がセレーネ以外の記憶を持って転生したとしても、異世界もののテンプレとして物語どおりに話が進むはずなのよね。物語の強制力だっけ?」
前世で日本人だったセレーネは、異世界の冒険ものや悪役令嬢が出てくる物語をたくさん読んできた。初めはあまり興味がなかったのだが、彼氏の影響で読むうちに、異世界ものが好きになったのだ。
「そういえば、あいつ元気にしてるかな? 毎日カップ麺ばかり食べてなければいいけど……」
ここでセレーネとして生きているということは、日本人だった頃の自分は何かしらの原因で死んだのだろう。死んだあたりのことは覚えていない。
彼氏は放っておくと、寝食を忘れて仕事に没頭する人だった。もう会えない彼氏のことを思ったら、目頭が熱くなる。
少し風に当たろうとバルコニーに出ると、いつの間にか空が白み始めていた。そろそろ夜明けなのだろう。随分長い間考え事に没頭していたようだ。
セレーネはバルコニーの手すりに肘をつき息を吐く。
夜明けの風が随分と冷たい。今の季節は夏だがまもなく秋へと移り変わるせいだろう。
「これからどうするかは考えることにして、お父様に会って話をしないといけないわね」
もちろんヴィンセントとの婚約破棄についてだ。
セレーネの物語はここから始まる。
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