15.
国王がセレーネのために急ぎで仕立てたドレスは、白地で胸元や裾に金糸で刺繍が施されたものだった。白は神聖を表す色であり、シンプルではあるが高貴さが漂う上品なドレスだ。
朝からミレーヌの手によって徹底的に磨かれたセレーネは、身支度の手伝いを頼んでおいた侍女たちがいつまで経っても姿を現さないので首を傾げる。
「ミレーヌ。他の侍女たちがまだ来ないようだけれど?」
「それが……」
言いにくそうにミレーヌは口ごもる。その様子で何となくセレーネは察した。
「フローラね」
「……はい」
ミレーヌは手伝いを頼んだ侍女たちと打ち合わせをしようと彼女たちに声をかけたのだが、フローラの支度が終わってからと断られてしまったのだ。
「いつものことよ」
王宮で開催されるイベントや主だった式典の際、侍女たちは大抵フローラの支度に呼び出され手間取る。もちろん、フローラがわざとやっているのだ。時間をたっぷりとかけてセレーネに手をかけさせないようにしている。
「えっ! いつもこうなのですか? それでは、お支度はどうされていたのですか?」
「ある程度のことは自分でできるから、最後の仕上げだけ手伝ってもらっているのよ」
セレーネは着用する際、あまり手間のかからないタイプのドレスを好んで着ている。ちなみにフローラが好んで着ているドレスは一人では着られないタイプだ。
「お一人でドレスの着付けや髪を結っていたのですか?」
ミレーヌは信じられないというような顔をしている。それはそうだろう。国で一番高貴な女性が自分で支度をしているという事実を知ってしまったのだ。
「そうよ。慣れているから、あまり困らないの」
前世では服を着ることはもちろん髪を結ったり、化粧も自分でやっていたから記憶はなくとも何となく体が覚えていたのだろう。
「王太女殿下に自ら支度をさせるなど言語道断です! 抗議させていただきます!」
「無駄よ。王宮の侍女たちはほとんどフローラの派閥の人間だから」
フローラの母アンジェラは自国のハルヴィオン侯爵家の出身だ。母を亡くしてもフローラにはハルヴィオン侯爵家の後ろ盾がある。貴族には派閥があるのだが、現在王宮に務めている侍女のほとんどがハルヴィオン侯爵家の派閥である貴族家出身なのだ。
対してセレーネの母クリステアは海向こうの大陸にある大国ソンウォーレン帝国の皇女だ。友好の証として嫁いできたのだが、政略としては珍しく国王とは互いに一目惚れ同士だったらしい。母親が存命であれば大きな後ろ盾がセレーネにもあった。母親の生国ソンウォーレン帝国は皇女が亡くなっても友好国としての国交がある。だが、十四年もの間、行方不明だったセレーネの後ろ盾になるということは、かの国から表明があるわけではない。
リンドベルム王国にはセレーネの派閥と呼べる貴族家はなく、中立派の貴族がいざという時に味方になるか否かといった感じだ。ちなみにミレーヌの生家であるアルムグレン伯爵家は中立派である。
「それでは国王陛下からご注意いただくというのはいかがでしょうか?」
「姉妹のいざこざにお父様を巻き込むつもりはないわ」
それに気に入らなければ王宮の侍女たちを総入れ替えすることもできるのだ。セレーネにはその権限がある。今までそうしなかったのは、特に実害があるわけではないからだ。
「今は貴女一人だけで構わないわ。頼りにしているわよ、ミレーヌ」
「お任せください! 殿下のお世話はわたくし一人だけでも十分でございます」
「あまり無理はしないようにね」
張り切っているミレーヌによって、セレーネの支度は整った。支度が終わった頃にタイミング良く扉がノックされたので、ミレーヌが応対するため扉へ向かう。
「お父様かしら? まだ早いと思うけれど……」
今日、神殿までのエスコートは国王がしてくれるはずだ。だが、出発するまでにはまだ時間がある。
「殿下。ドレンフォード卿がいらっしゃいました」
「ローラント? 何か急な案件が……」
入室してきたローラントは白い礼服に身を包んでいる。いつにも増して美しいローラントにセレーネは目を奪われる。普通は男女逆の反応だと思うが……。
(推しが美しすぎる! 白が似合って神々しい! 尊い!)
セレーネの現在の推しはローラントだ。心の中でローラントを称賛しまくって黙っているセレーネに、ローラントは訝し気な視線を送る。
「またろくでもないことを考えていらっしゃるのですか? 殿下」
「あ、あら、ごめんなさい! ごきげんよう、ローラント。おめかししてどこかに出かけるのかしら?」
ろくでもないことを考えていたのは事実なので、慌てて挨拶を返すセレーネをジト目でローラントは見る。
「本日は国王陛下より殿下のエスコートをするよう、仰せつかりましたのでお迎えに参りました」
「貴方がエスコートをしてくれるの?」
王侯貴族の未婚の娘が公の行事に参加する場合、エスコート役は婚約者の役目だ。婚約者がいない場合は父親が務める。ヴィンセントとの婚約を解消した今、エスコートをしてくれるのは国王だと思っていたセレーネは意外に思う。
「僭越ながら、エスコート役を務めさせていただきます」
「そう。では今日はよろしくね、ローラント」
「かしこまりました。出発の準備は整っておりますが、まだお時間がございます。お掛けになっていてはいかがですか?」
ローラントはあらためてセレーネに礼をすると、座って待っていることをすすめてくる。
「ええ。貴方も座りなさい、ローラント。ミレーヌ、お茶をお願いできる?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ミレーヌがお茶の準備のため退室するのを見送ると、ローラントに視線を向ける。白い礼服を着用しているということは、エスコート役として服装を合わせてくれたのだろう。
「ローラントの礼服姿は初めて見る気がするわ」
「何を仰っていらっしゃるのですか? 式典の際には着用していましたよ」
公の催しでローラントは礼服を着用していたのだが、しっかりと見ていなかったのはセレーネだ。例によってヴィンセントしか目に映っていなかったのである。
「そうよね。ごめんなさい」
しおらしく謝るセレーネだが、「すいっませんでした! こんなに美しい姿を見逃していたなんて、私のバカ!」と心の中で暴れているのを知ってか知らずかローラントは苦笑する。
「構いませんよ。今は私に目を向けて下さっているだけで満足です」
「これからはしっかりと目に焼き付けておくわ」
この世界には写真というものがない。映像を記録する魔道具はあるようなので、今度取り寄せしようとセレーネは決心したのだった。
「殿下。そのドレスとてもよくお似合いです」
「ありがとう。貴方もよく似合っているわ」
ふいにローラントが褒めてくれたので、セレーネも照れくさそうに返した。
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