11.
カーネ川の堤防が決壊しそうな地域に到着すると、川の水位は堤防ギリギリまで水位が上がっていた。しかし、この地域の住民であろう男たちはいまだに避難をせず、懸命に土嚢を積み上げている。
「貴方たち、何をしているの? 早く高台に避難しなさい!」
叱責するセレーネに一人の男がぎろりと睨む。土に塗れて顔が汚れてはいるが、声の若さから推測すると二十代くらいの青年のようだ。
「あん? お嬢ちゃん誰だよ? あんたこそ危ないから、とっとと高台に避難しな!」
「もうすぐ堤防が決壊するわ! 今ならまだ間に合うから、早く逃げなさい!」
男の怒号に負けず、なおもセレーネは言い募る。しかし、男も負けてはいない。
「冗談じゃない! ここには穀倉があるんだぞ。俺たちが逃げたら、水に浸かっちまって米がダメになるだろうが!」
「穀倉は私たちが守るわ。だから貴方たちは早く非難しなさい! 騎士たち、ここよ! 彼らを力ずくでも避難させなさい!」
駆けつけた離宮の騎士たちに住民たちを避難させるよう、セレーネは命令する。カーネ川の轟音が響く中でもセレーネの声はよく通るのだ。
「殿下! 堤防が決壊します!」
ローラントが大規模な結界壁を展開させる。溢れ出した水は結界壁で食い止められた。間一髪で浸水は免れたが、ローラントの魔力は無尽蔵ではない。
「魔法使いか!?」
「助かった!」
住民たちは安堵の表情を浮かべ、ローラントを見やる。そして、離宮の騎士たちに促され、高台へと避難を始めた。
「いやいやいや! お嬢ちゃん、殿下って? もしかして今視察に来ている王太女殿下か?」
最初にセレーネに怒鳴った男だけが青い顔をしている。
「そうよ。それが何か?」
「ひえええええ! 王太女殿下とは知らずご無礼を!」
男は慌ててセレーネの前で跪く。
「こんな状況で変に謝らなくていいから、早く逃げなさい! どうしても謝罪がしたいのであれば、おにぎりを離宮に持ってきなさい」
「へ? おにぎり? 米を塩で握ったあれですか?」
「そう! それよ! あるのね? おにぎり」
「ありますが……」
この非常時に呑気な会話をセレーネと男がしていると、ローラントの結界壁が展開されていない場所から水が溢れ出し、セレーネと男がいる場所に迫ってきた。
「王太女殿下!」
ミレーヌの叫び声とともに、突如目の前に土の壁が現れる。ミレーヌが土魔法で作った壁だ。
「ご無事ですか? 殿下。わたくしが押さえているうちに穀倉へ向かわれてください」
「助かったわ、ミレーヌ。ありがとう」
周りに目をやれば、土嚢を積み上げていた住民たちはセレーネの命令どおり、騎士たちが全員高台へ避難させたようだ。
セレーネと一緒にいる住民の男は一人で避難させるより、自分と一緒にいた方が安全だろうと考える。
「そこの貴方、私と一緒にきなさい!」
男を強引に引っ張り、穀倉へ向かって走り出す。
「お嬢……じゃなくて! 王太女殿下。穀倉をどうやって守るんです?」
「こうするのよ!」
魔力を体内に巡らせるとセレーネは一気に魔法で土台ごと穀倉を上空へ上げる。しかもいくつもある穀倉を全てだ。ついでに男も穀倉の屋根の上に放り投げる。
「うおっ!?」
「しっかり屋根に捕まっていなさい!」
生活魔法の中には物を持ち上げる魔法があるのだが、その応用だ。ただ誰でもできるというわけではない。魔力が無尽蔵にあるセレーネだからこそ可能なのだ。
しかし、男には神の御業に見えたことだろう。驚愕で口をパクパクさせている。
「さて、穀倉はどこに移そうかしら?」
ローラントとミレーヌが浸水を防いでいてはくれるが、長い時間は難しいだろう。雨はまだやみそうにない。近場に穀倉を移したところでローラントたちの魔力が切れた場合、瞬く間に水が穀倉に押し寄せてしまうことは容易に想像できる。なるべく高台に穀倉を移すことが得策だ。
ここまで馬を走らせている途中、少し高台になっている丘陵地帯を抜けてきた。一時的にそこに穀倉を移し、あらためて移動させればいいとセレーネは考える。
「迷っている暇はなさそうね。ライト!」
「ライト」は生活魔法の一種で暗い場所を照らす際に使う魔法だ。普通の光度はろうそくの明かり程度だが、セレーネの魔法は辺り一帯を昼のように明るく照らし、目的の丘陵地帯まで範囲が及ぶ。
「あの辺りかしら?」
穀倉を移そうとしている丘陵地帯を見つけると、セレーネは方向を転換する。
「うおりゃあああああ!」
およそ王女らしくない掛け声とともに穀倉を丘陵地帯まで飛ばす。穀倉は丘陵地帯まで一直線に飛び、着地する際はゆっくりと鳥が舞い降りるように静かに着地した。
穀倉とともに飛ばされた男は落とされないように必死に屋根に捕まって、声にならない悲鳴をあげていたが、はっと我に返る。
「何てむちゃくちゃな魔法を使いやがるんだ! あの王女様は!」
激しい雨音に男の声はかき消されて、セレーネには届かなかった。
「よし! これで穀倉は大丈夫ね」
ひと仕事を終えたというように額の汗を拭うと、浸水を防いでいるローラントとミレーヌに向かって声を張り上げる。
「ローラント! ミレーヌ! 撤収するわよ!」
「殿下! 素晴らしい魔法でした!」
ミレーヌが振り向いた瞬間、土の壁が決壊して水がミレーヌに襲いかかる。
「きゃあああああ!」
「ミレーヌ!」
しかし、水がミレーヌに覆いかぶさる瞬間、彼女の周りを結界壁が囲む。ローラントの魔法だ。
「ローラント! グッジョブ!」
「長くは持ちません! 殿下、誰か水魔法か結界魔法を使える者を呼んできてください!」
離宮の騎士の中にも水魔法が使える者がいたはずだ。しかし、ローラントもミレーヌもそろそろ限界だ。騎士たちを呼びに行っている暇はない。セレーネは必死で考えるが、打開策を思いつかない。万策尽きたとはこのことだ。
「ローラント! ミレーヌ! ああ、もう! 神様、仏様。本当にいるなら、私の大切な人たちを助けてよ!」
困ったときの神頼みとはよく言ったもので、無意識にセレーネは叫んでいた。すると、セレーネの周りが金色の光に包まれ、女性の美しい声が聞こえる。
『わたくしの愛し子よ。其方にエステルの名と力を授けましょう』
直後金色の光がセレーネの体内に収束されたかと思うと、辺り一体が眩い光に包まれた。
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