ep1 婚約者をまた奪われた!?
「なんでだよ……? なんで、あんな事がまかり通るんだよッ」
婚約者だった貴族令嬢の屋敷からの帰り道。
その途中にある公園のベンチに座るなり俺は頭を抱えた。
つい先ほど、元婚約者から信じられない事を告げられたから。
いつか、こうなるかも……そんな予感こそ小さい頃からしていたけれど。
貴族である身で、俺の家族がまさかあそこまで常識外れな事をするとは思ってもみなかったから。
※
数十分前。
俺は婚約者であるシンシアの屋敷のお茶会に呼ばれた。
シンシアは、この国の貴族が通う学院の中等部で出会った令嬢で。
俺とは、一緒のクラスだったり同じサークルに入ったりなどの縁があって。
そして高等部に進学して暫くして。
俺が家族絡みの問題のせいで悩んで、学院の中庭のベンチで項垂れていた時に、優しく声をかけてくれて、慰めてくれて。
そしてそんな彼女を俺は好きになって。
だからこそ、俺は元気になってから改めて彼女に告白して……婚約までした。
「ごめんなさい、ロニー様」
なのに、そんな彼女は申し訳なさそうな顔で、婚約をしてから数日後……つまり今日、俺にそんな事を告げてきた。
その謝罪の意味を、俺は理解できなかった。
けれど数瞬経って、俺の頭は最悪の可能性を予感して――。
「私、レニー様を好きになってしまったの!」
――その最悪の予感が、見事に的中した。
※
レニーとは、俺の兄。
それも、同じ日に生まれた唯一の兄弟だ。
そしてこのレニーというのが……俺の、家族絡みの問題の中心人物でもある。
小さい頃からレニーは愛想や要領が良くて。
人に取り入るのがうまく……その才能を活かして、今まで俺からいろんなモノを奪いまくってきた。
おもちゃに、筆記用具……それくらいならまだいい。
兄弟なんだから、それくらい奪われたりするものだろう。
寧ろ、可愛気さえある。
同じような場面――平民の小さい兄弟がおもちゃの取り合いをしているのを見た事があるから、なおさらその可愛さは分かる。
だけどレニーの搾取癖は、その程度で止まるようなものじゃなかった。
あろう事かレニーは、両親や使用人をその愛想の良さで虜にして。
そのせいで両親や使用人は、俺がレニーから何かを奪われる度に、その事を告発しても……レニーに洗脳でもされているのか、俺の言葉を軽く受け流して、レニーばかりを可愛がり。
逆にレニーが何かをしても、それがなぜか俺の仕業であると思い叱ってくるようになった。
最初は、長男というのはそういうものかと思い諦めていた。
だけど学院の教師や、その学院で出来た友人……さらにはその親までもが、いつからかレニーの虜となってて。
ついには、俺が次男であるが故に婿入りをする予定だった貴族の家の同級生……すなわち、俺の婚約者であったネーナをレニーが寝取ったという、貴族が起こすにしては大変スキャンダラスな事が判明した時。
そのネーナの両親、つまり俺の義理の両親になるハズだった人達が、レニーや実の娘に激怒をしたり、俺の実家を潰そうとしてきたりなどの報復をまったくせず、それどころかネーナを俺の家に、兄の婚約者として送り出すのを見て……さすがに何かがおかしいと思い始めた。
俺が、今になってようやく気付いた事も含めて。
まさか俺も、レニーに群がる人達(レニーの虜になった人は、たとえ両親だろうが名称でいちいち……できれば呼びたくないから、正直これで一括りにしたい)と同じように、洗脳じみた何かを受けていたのだろうか。
とにかくレニーは、貴族としてはマズい事をしでかした。
下手をすれば、貴族社会で後ろ指を差されかねない事態だ。
なのに、なんでそんな彼は未だに罰せられないのか。
なんでマズい事をしでかしたのに、そんな彼を許容する人ばかりなんだ。
ワケが分からなかった。
俺以外の人間がレニーの味方なんじゃないかと。
俺の味方は一人もいないんじゃないかと。
そんな事まで思い、悩むようになって。
そしてそんな俺を救ってくれたのがシンシア…………のハズだった。
※
「は? ちょ……待てよ、オイ」
俺は動揺しつつ、シンシアに問いかける。
「レニーにはもう、妻子がいるんだぞ!?」
その事実を告げると、ネーナを寝取られた時に負った心の傷が開く。
言っていなかったが、妊娠期間からして……なんとレニーはネーナを一発で妊娠させたらしい。
そして責任を取るべくネーナはすぐにウチに嫁入りし、そしてネーナの実家は、親族を養子にすると決めたらしいが……。
いや、そんな事をいちいち思い返している時間すら惜しい。
とにかく、その事実を告げる事で心が痛むが、その痛みを引き替えにしてでも、この事実を改めて告げて……彼女を心変わりさせなければ、また俺は非常識な家族に振り回される!!
「というか、シンシア。俺がレニーに何をされたのか聞いた上で、俺と婚約をしてくれたよな? 婚約者だった人をレニーに奪われたって、知ってるよな? なのになんでそんなレニーを!?」
「そうカッカするなよ、弟よ」
すると、その時だった。
シンシアの背後の屋敷の陰から……なんと元凶であるレニーが、ニヤつきながら姿を現した。
コイツ……ッ!!!!
「レニー、お前もお前だ!!」
途端に怒りが湧いてきて、俺はレニーに言った。
「お前、ネーナやその子供がいるのに何を……いやそれ以前に俺達は貴族だろ!? 社会の模範にならなきゃいけない人間が好き勝手に何やってるんだ!!?」
正直に言えば、考え付くばかりの罵詈雑言を浴びせつつ殴ってやりたいが。
しかしそんな事をするのは……貴族の在り方としては正しくないと。貴族としての仕事はちゃんとこなしている、父を始めとする貴族を見ていて思うから……それだけは絶対にしない。
「そんなの、シンシアも俺の嫁にすればいいだけの話だろ」
「…………は?」
そして次の瞬間。
一瞬だけ、耳を疑った。
いったいウチのレニーは何を言っているんだ????
「というかお前さ、真面目過ぎるんだよ」
そしてさらに告げられたその言葉を聞くと……俺の思考はまたしても止まった。
「そんなだからネーナにも、シンシアにも面白味のない男だって思われるんだよ」
「あなたには申し訳ないと思っているわ、ロニー様」
次の瞬間。
俺はネーナに言われた事をふと思い出した。
周りに愛想を振り撒いて、人心を操る。
そんなレニーとは違う道を歩みたくて、自分なりに精一杯、シンシアと同じように愛したハズのネーナから言われた事を。
「『ロニー様は優しいけど、刺激というか、面白味が全然感じられないの。だけどレニー様は違う。彼、私と会う度に違う形で楽しませてくれるの♪』」
次の瞬間。
俺は絶句した。
そう言うと同時に、シンシアがレニーに。
恍惚とした表情をしながらしなだれかかったのも、確かに衝撃を受けたけれど、それ以上に。
その台詞は、元婚約者ネーナに言われたモノと……まったく同じだったから。
とてつもない衝撃が、俺を襲った。
そして、その衝撃のあまり俺はもう何も考える事はできず…………何も言わずにその場を立ち去った。




