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 聞こえる。何かが爆ぜている。


 伝わる。空気の膨張。


 感じる。誰かの叫び声。


 誰?誰かいるの?母さんなの?


 振り向いた先のガラス障子の向こうで、何かがゆらゆらと紅黒く揺れている。

 全てはこの障子の向こうで起きているようだ。

 めらめらと熱の波が押し寄せてくる。

 熱い。

 何人たりとも近づけないという強固な意志を持った痛いほどの熱さに圧されて障子に手を伸ばせない。


「死にたくない!誰かっ!」


 部屋の中からの必死の叫び声は頭蓋を通りぬけて直接脳に突き刺さるようにして聞こえた。


 母さん。

 母さんなの?


 着ていたトレーナーを脱いで手に巻き付け、障子に向かって伸ばす。

 熱さを堪えて懸命に力を込めるとゆっくり障子が開いた。


 中は炎の巣だった。

 障子が開いたことで新鮮な空気を得、火の塊は瞬間的に爆発的な膨張を見せた。

 柱、天井、カーテン。

 這うようにして縦横無尽に燃え広がる紅蓮の炎は爬虫類の動きを連想させる。


 部屋の奥から吹き付けてくる熱風に髪がちりちりと音を立てた。


「誰かいるの?母さんなの?」


 顔に吹きかかる熱波を掌で遮りつつ精一杯声を張り上げる。


 僕の呼びかけに反応したのだろうか。

 指の間から垣間見た部屋の中で、紅く包まれた何かが蠢いたようだ。

 にゅっとこちらに突き出されたのは人間の掌だった。

 赤黒い世界の中で、はっと息を呑むほど美しく白い掌。

 誰かが鬼のように目を吊り上げた形相で何かを訴えかけてくる。


 白い肌が印象的な若い女性。

 彼女は炎に巻かれながら声を限りに生を求めている。


「生きたいの!死にたくないのぉ!」


 しかし見る見るうちに彼女の皮膚は焼け爛れ内側から黒く溶け出し始めた。

 皮膚の奥からせり上がる体液は瞬く間に蒸発し、その下に覗く肉はぶしゅぶしゅと不吉な音を発してあっという間に炭化していく。


 そのとき炎の塊が弾け飛んできた。

 避けきれず倒れこむと猛り狂った紅い一団があっという間に脇腹から肩に掛けてを覆いつくしてしまう。


 熱い。

 痛い。

 怖い。

 誰か、助けて。


「イタッ。ちょ、ちょっと。痛い。痛いなぁ」


 顎の下あたりから女性の不機嫌な声が聞こえてくる。「やめて、お兄ちゃん。やめてったら」


 少しずつ意識が覚醒していく。

 全身に張り巡らされているニューロンが働きを取り戻し、徐々に身体の末端から脳への情報伝達が始まった。


 透はどうやら自分が何かを強く握り締めているらしいことに気付き、慌てて両手の力を抜いた。

 首筋や背中、膝の下あたりが冷たく湿っている。

 目を閉じたまま額に手をやるとべっとりと粘度の強い汗が付着したのが感じられた。

 頭の奥がずーんと鈍く痺れている。

 咽喉が異常に乾いていた。

 唾を飲み込もうとして口の中が干上がっていることに気付く。


 透の腕の中で横たわっていた何かが逃げるようにして離れていった。

 急に胸のあたりがスースーと寒くなる。

 頬の辺りがこそばゆい。

 くすくすと人間の笑い声が聞こえた気がして、透はびっちりと貼りついて言うことをきかない瞼をこじ開けるようにして細く開けた。


 霞がかかったようなぼんやりとした視界に白い物が浮かんで見えた。

 すぐにそれが人間の顔だと分かった。


「ヒッ!誰?」


 見知らぬ女性が透の寝ているベッドの横で膝立ちになって、こちらを見下ろしていた。

 頬の感触は彼女がその長い髪の先をつまんで、透の顔を刷いているからだった。

 

 驚いた透は、その女から少しでも距離をとろうと慌てて身を引き、ベッド脇の壁に強かに後頭部をぶつけた。


「がっ」


 一瞬目の前が真っ暗になり、その中をチカチカと火花のようなものが飛んだ。

 平衡感覚を失い透はゆっくりと再びベッドに突っ伏した。


「大丈夫?」


 頭を撫でる優しい感触を払いのけ、ロッキーのようにゆらゆらと上体をもたげると、世界がぐらんぐらんと揺れて、吐き気がこみ上げてくる。

 あまりの不快感に言葉が出てこない。

 不用意に口を開けば途端に胃から何かが逆流してきそうだった。


 透は懸命に片目をこじ開け、周囲を見回した。

 そこは間違いなく自分の部屋だった。

 世界で唯一の自分だけの空間に知らないうちに他人が入り込んでいる。

 そして、おそらく透の隣で寝ていた。


「あけましておめでと。お兄ちゃん」


 何がめでたいものか。

 こんな不快で不吉な目覚めはない。

 とにかく話しかけてくるな。

 一人にしておいてくれ。大体、さっきから何で俺を兄呼ばわりするんだ。


「……君、誰?」


 精一杯何とかそれだけは口にした。

 それは胸の気持ち悪さや身体の気だるさ、そしてこの状況に対する不安感、不信感、嫌悪感などを凝縮して出来上がった結晶だった。

 出て行ってくれ、と言外に滲ませたつもりなのだが、女は透の意図を全く理解していない様子で平然と疑問に対する答えを示した。


「私は千春よ。河本千春。昨日言ったでしょ?」


 教師が児童に言って聞かすような口調なのが、こちらの気分をますます逆撫でる。


「そんなこと、……そんなこと訊いてるんじゃない。俺が知りたいのは、君がどうしてここに寝てて、何で俺に新年の挨拶をしてるのかってこと。大体、何で俺が君の兄なんだよ」


 疑問を口にして初めて透は記憶の糸を辿り始めた。

 そもそもどうしてこんな風に寝ているのか。

 頭と足の向きがいつもと百八十度逆さになっている。


 突然の和馬の訪問は容易に思い出せた。

 その後、半ば強引に居酒屋に連れ出されて和馬の携帯電話でどこかの女性と会話をしたことまでは覚えている。

 それは確か二度あった。

 しかしその後があやふやだった。

 どうやら店を出た辺りからの記憶が欠落しているようだ。

 何とかして思い出そうとしても、こみ上げてくるのは吐き気ばかりだった。


「どうしてって、この部屋で寝るところってここしかないじゃない」


 女はさも当然とばかりに反駁する。


「これは俺のベッドだ」


「知ってるわよ。ここはお兄ちゃんの部屋だし、この布団はお兄ちゃんの体臭がするもん。お兄ちゃんのにおいは嫌いじゃないけど、このシーツ、長い間取り替えてないでしょ?」


 痛いところをつかれて、ぐうの音も出ない。ご指摘どおりここ数週間シーツは取り替えていないし、この一年布団や毛布を干した記憶もない。


「この枕カバーなんて洗ったことあるの?こんなに黄ばんじゃって」


 呆れたような表情で彼女はゆっくりと立ち上がった。

 勝手にクローゼットから取り出したのか、彼女が着ているのは透のトレーナーにスウェットのズボンだった。

 ぶかぶかの袖から手を伸ばし、栗毛色の髪を掻き上げカーテンを開く。


 太陽に照らされて浮かび上がった彼女の横顔に透はハッと息を詰めた。


 肌が驚くほど白い。

 うっすらと頬のあたりが朱を帯びていて皮膚の薄さを物語っている。

 透明感のある肌とはこういうものを言うのだろう。

 肌理が細かく張りがある。

 まるでフランス人形のような長い睫毛と僅かに青みがかって見える瞳。

 彫りが深いというわけではないが、目鼻立ちにどことなく東洋人らしからぬつくりの大きさがある。

 混血の人間に特有の良いとこ取りの謎めいた美しさが備わっていて、透は目を逸らすことができなくなっていた。

 そう言えばどことなく先ほどの夢に出てきた女性に似ている気がする。


「昨日私が、『あなたって私の兄に似てるんです』って言ったら、『じゃあ、お兄ちゃんって呼んで』って、お兄ちゃんが言ったのよ」


 お兄ちゃんが、と石膏のような美しく長い指を透に向ける。


 どれだけ記憶を辿ってもそんなことを口走った覚えはないが、彼女と会ったことさえ覚えていないのだから反論のしようがない。

 思わず透の目が宙を彷徨う。


 突然千春がガラガラと窓を開けた。


 柔らかい太陽の光が直接千春を包み込む。

 陽光を背に立っている彼女を改めて見上げると、その華麗さはむさくるしいだけのこの部屋での生活とあまりに乖離していた。

 まるで彼女が今そこに天空から降り立った神の使いであるような気がしてくる。

 新春の清澄で冷たく張り詰めた風が千春の脇を吹きぬけてきた。


「うー、さぶっ。……うわっ!」


 冷気に襲われ全身を自分の腕で抱え込んだときに、透は初めて自分の格好に目をやった。

 上は半袖のTシャツ一枚だった。

 寒さに二の腕に鳥肌が立っている。

 腰のあたりだけ毛布に隠れているが、膝から下も素足だ。

 この毛布の下はどうなっている?

 その疑問が脳を貫き、慌てて両手を毛布の下に滑らせ、下半身をまさぐった。

 身震いがして歯がガチガチと鳴る。

 指先で確認できたのは薄っぺらな布切れ一枚だけだった。

 夏でも長袖を着て寝る俺が真冬にこんな格好で眠っていたなんて……。


「空気が冷たくって気持ちいいわ。……あれ?青い顔してどうしたの?」


「どうして俺は……パンイチなんだ?」


 透は震える声で、おそらくこの世でただ一人答えを握る重要参考人に恐る恐る問いかけた。


「いやだぁ。そんなこと私の口から言えないわ」


 透は、窓を閉じ恥かしそうにカーテンを弄びながらその陰に隠れる千春を目で追いかけた。

 まさかとは思うがカーテンの端から覗く彼女の目元にはあながち冗談とも言い切れない恥らいの色が浮かんでいる。

 しかしそんな初心な表情を見せられても、こればかりはあいまいに済ませるわけにはいかなかった。

 幾ら酔っ払っていたとは言え、自分がそんな軽はずみな行動に出るはずがない。

 透は毛布で身体を包んだままベッドの端ににじり寄って千春の顔を見上げた。


 何を考えているか分からない大きな青い瞳がそこにあった。


「頼む。本当のことを言ってくれ。な?頼む。何があった?本当は何もなかったんだろ?」


 透の言葉に千春は顔から笑みを消し、カーテンを手放して一歩透に近づいた。


「男と女が一晩一つのベッドに寝たのよ。何もなかったはずないでしょ」


 エキゾチックな顔立ちの千春にはツンと澄ました表情が似合っていた。

 しかし透は見惚れている場合ではなかった。


「そんなはずはない。君と俺との間に何かがあったはずはないんだ!」


 透は声が上ずるのを抑えられなかった。

 嘘の尻尾を見つけてやる。

 透は眦を決して千春の顔を睨みつけた。


 しかし千春も敢然と透の視線を正面に受け止め、対決姿勢を崩そうとしない。


「どうしてそんな風に断言できるの?何も覚えてないんでしょ?」


「何も覚えてなくても分かるんだよ。たとえ酔っ払ってても俺がそんなことするはずがないっ!」


「そんなことない。絶対に、絶対に、そんなことない。明かりを点けるな、とか、俺に触るなとか何とか喚いてたけど、最終的にはお兄ちゃんは私とセックスした。そこで、そのベッドで裸で……。私とお兄ちゃんにはもう切っても切れない関係があるのよ!」


 途中から千春は目に涙を浮かべていた。

 ベッドを指差し、自分の胸に手を当てまさに透に訴えかけていた。

 強く言い放つとすぐさま千春は流し台の方へ駆けて行った。

 それは涙顔を隠すというよりも透に抗弁させる隙を与えないようにしているかに思えた。

 蛇口が捻られバシャバシャと顔を洗う音が聞こえてきた。


 透は床に昨日着ていたネルシャツを見つけた。

 ベッドから手をぎりぎりに伸ばして何とか拾い上げる。

 興奮状態から少し落ち着きを取り戻すと、こめかみがズキズキと痛んだ。

 ジーパンはネルシャツよりもさらに遠いところに落ちていた。

 ため息をつくしかなかった。


 二日酔いで繰り返し吐き気がこみ上げてくる。

 両のこめかみに太い杭を捻り込まれているような頭痛がする。

 見知らぬ女がわけの分からないことを言って頭が混乱する。

 裸で抱き合ったなどと不吉なことを言っている。


「ったく、何て朝だ」


「もう昼回ってるよ」


 耳聡い千春に指摘されてベッド脇の目覚まし時計を見ると確かに午後一時を示している。


 ここのところ目覚まし機能を使ったことがなく時計はうっすらと埃に覆われていた。

 何となく怠惰さを責められている気がして、透は時計の表面を指で拭った。


 そのとき部屋のどこかで電話が鳴り出した。

 誰かが電話の持ち主である千春を呼んでいる。

 この部屋で前回電話が鳴ったのはいつのことだっただろう。

 ネルシャツを羽織りながら痛む頭でぼんやりそんなことを考える。

 昨日の和馬との会話はいったい何日ぶりの人間との会話だったのだろうか。

 人間、誰とも喋らないでも生きていられるものだ。


 当然のことだが千春には彼女と電話で話をしたい誰かが存在している。

 今回の電話はさしずめ彼女の親か彼氏あたりが、昨夜帰宅しなかったことを心配して掛けてきたというところか。

 何はともあれこれで千春が帰るべきところへ帰れば良い。

 それで取りあえずこの部屋に昨日までの日常が戻ってくる。


「出ないの?」


 タオルで顔を拭いながら、彼女は台所に立って床のジーパンを指差していた。

 目が少し赤い。


「え?」


「携帯。そのジーパンのポケットでしょ」


 言われてみれば確かに音は床に佇んでいるジーパンから聞こえてくる。

 鳴っているのは千春ではなく透の携帯電話だったのだ。

 久しく自分の携帯が鳴ったことがないので、どんな着信音だったかすっかり記憶から欠如していた。

 

 毛布に包まりながらジーパンに手を伸ばし携帯電話を手繰り寄せる。

 二人の間に着信音が響く。

 迷惑な話だが今日の俺は人気者だな。

 起きてからまだ十五分も経たないうちに二人の人間と喋ることになるとは。

 さっさと切れてしまえば良いのに、と思いながら悠長に電話を取り出したが、相手も相当気の長い人間のようだ。

 追い詰められたような気分で液晶画面を見ると兄の名前が出ていた。


「透か。お前、水臭いぞ。彼女ができたんなら早く言えよ。俺が心配することなんか何もなかったんじゃねぇか。千春ちゃんだっけ?可愛いし、いい子そうだな。あんまり彼女に冷たくするなよ。仲良く正月過ごせよな。もしかして今、彼女そこにいるのか?いるんだろ?ちょっと代われよ」


 通話ボタンを押すなり機関銃のように大声で喋る和馬に、透は相槌を打つことさえままならなかった。

 和馬の大きな声が透の脳を揺さぶる。

 少しでも電話を遠ざけたくて透は千春を呼んだ。


「何?」


「ほら。早く出て。ほら、ほら」


 理由も言わず急かすようにして強引に電話を手渡す。

 昨夜こんな風に透は無理やり電話を持たされた。


 はい。……あー、どうも、千春です。昨日はありがとね。……うん。……うん。そだね。こっちは大丈夫。……うんうん。代わるね。じゃねー。


「代わってくれって」


「いいよ、もう。切っといて」


 千春から遠ざかるようにしてベッドになだれこむ。

 頭痛はますますひどくなる一方だった。

 ドクンドクンと一定のリズムで鈍痛がこめかみから全身に広がる。


「そうはいかないでしょ」


 耳に冷たいものが当たった。

 すぐ近くで和馬の声がする。

 千春が電話を透の耳に当てているのだ。


「なんだよ、もう」


 千春に言ったつもりが、和馬への宣戦布告になってしまっていた。


「なんだよとは挨拶だな。お前が昨日どれだけ俺と千春ちゃんに迷惑掛けたのか分かってるのか?」


 昨晩のことを引合いに出されると何も言えなくなってしまう。

 何せ何も覚えていないのだから。「まぁ、いいや。今度、春美と様子見に行くからよ」


「……春美さん?誰だっけ?」


「お前なぁ」


 怒りを通り越して呆れたような和馬の声がする。「とにかくまた様子見に行くから。それまで千春ちゃんと仲良くやってねぇと速攻で兄弟の縁切って、この前事故ったときに面倒見てやった九十万円その場で払ってもらうからな。じゃあな」

 

 また痛いところをつかれてしまった。


 一年ほど前、透は確かに和馬に九十万円世話になっている。

 原付を運転して近くのゲームショップに行く途中、ぼんやりしていて路駐していたレクサスのバンパーをほんの少し擦ってしまったのだ。

 車から降りてきたドライバーはどう見てもその筋の人間だった。

 視線が合っただけで完全にびびってしまった透は請求されるままに否応なく百万円支払うことを了承してしまった。

 しかし、その翌日、久しぶりに和馬が透の前に現れ、「何か困っていることがあるだろう」と切り出してきたのだ。

 透としては他の誰に頼んでも和馬にだけは頭を下げるつもりはなかったのだが、和馬は頼まれてもいないのに先方と連絡を取りつけ、どういう手を使ったのか要求額の十分の一の十万円で話をつけてしまった。


 透は大きなお世話だという顔をしていたが、実際のところはあれでどれだけ救われたか分からないぐらいだった。

 当時は引きこもり生活を始めた頃で、収入のあてがなく今後どうやって心を休ませながら生活水準の維持を図っていくかということばかりを考えていた。

 あのとき百万円を失っていたら今はもっと苦しい生活をしていることは疑いないし、それどころか投げやりになって自分がどうなっていたか想像もつかない。

 

 それにしてもどいつもこいつも一体俺にどうしろって言うんだ。


 透は携帯電話を床に放り投げ、目覚ましの横の薬袋から手探りで錠剤を三粒取り出した。

 手の感触だけで分かる。

 抗不安剤、睡眠導入剤、睡眠薬。

 昨日は飲まずに済ましてしまったこれらの薬を水も使わずにそのまま強引に嚥下してベッドに横たわる。

 毛布に包まり布団を頭から被る。咽喉に痞えた感触が次第に消えると、やがて期待通り意識の強制終了が始まり視界も感情も聞こえてくる音も、何もかもがぼんやりし始める。

 吸った空気が滑らかに肺の奥の奥にまで広がる。

 全身を使っての呼吸が透にリラックスした気分をもたらす。

 頭痛も幾分和らいできた。

 意識が少しずつ遠のき四肢に心地良い痺れが回る。

 何も考えられなくなってきた。

 眠るというよりも落ちる感覚に近い。

 遠くで千春が呼んでいるがもう手遅れだ。

 透は既に千春の手の届かない遠くの世界へ飛び立っていた。


「ごはんつくるね。パスタでいい?ここってガスコンロじゃないの?この電気のプレートってさ、どうやって……」


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