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 三月十五日金曜日。透は一年と数か月ぶりに学校に出勤した。

 今日一日の疲れを考えて、翌日が休みとなる金曜日を最初の出勤日に選んだのも景山教頭の配慮だった。透は電話を握りならが何度も景山教頭に対して頭を下げた。

 三年生はすでに卒業式を終えており、通学してくる生徒は三分の二になっているが、それでも通勤通学の時間帯ははずしたかった。早朝七時三十分。この時刻ならほとんど学校関係者の誰にも顔を合わせることなく出勤することができた。

 さすがに学校の敷地内に足を踏み入れたときには息ができないほど心臓が高鳴った。不法侵入をしているようなやましさに似た気後れから思わず早足になったが、誰もいない職員室に入ってしまうと少しずつ落ち着きを取り戻すことができた。

 職員室の様子は変わっていなかった。透の机も以前あった場所にそのまま置いてあった。引き出しの中も拍子抜けするほど休職前と変化はなかった。透はスーツの上着を脱ぎ、バケツに水を汲んで掃除を始めた。全員の机を拭いてまわり、窓を磨いて床を掃いた。

 そうこうしているうちに一人ずつ同僚たちが出勤してくる。誰もが透の存在を発見すると一様に驚きと困惑をない交ぜにしたような強張った笑顔で挨拶なり無言の会釈なりをしてくれた。茶を淹れて「また、よろしくお願いします」と差し出すと、ある人は「あ、どうも」と透の顔を見ることもなく小さな声で返事をするだけで、またある人は「一緒に頑張ろう!よく戻ってきたな!」と大きな手で透の華奢な背中を何度も叩いた。やがて出勤した景山教頭は透のことを見つけると小さく頷いて見せただけで教頭席に座った。透が湯気の立った湯飲みを持っていくと少し頬を緩めて「おはよう」と声を掛けてくれた。

「ちょっといいかな」

 促されるままに応接セットに向かい合って座ると、教頭の目に浮かんでいる厳しい威厳に透は思わず身を縮めた。「急なことなんだが、今月いっぱいで片桐先生が退職されることになってね」

 片桐とは透の一つ上の先輩女性教諭のことだ。

「え?」

「ご結婚ということでね。生徒には内緒だけど、おめでたなんだ」

「ああ」

 なるほど。結婚で退職というのは少し違和感を覚えたが、いわゆるできちゃった結婚ということになると仕方ないと思えた。私立中学校はイメージを大切にする。教師ができちゃった結婚というのは誉められることではない。

「神谷先生」

「はい」

「初日からこんなこと言ってプレッシャーを与えるようで申し訳ないが、ゆっくりはしていられなくなったんだ。今から片桐先生の代役を見つけることは難しい。四月からは神谷先生に新一年生のクラス担任になってもらうのでよろしく頼む」

 深々と頭を下げる上司の姿に透は全身にゾクゾクと寒気が走るのを感じた。鳥肌が立ち冷たい汗が脇から腰へ伝っていった。しかし、それは一瞬のことだった。すぐさま千春の笑顔が脳裏に浮かび身体から震えを取り除いてくれた。根拠はないが何とかなるような気がしていた。椅子から腰を上げると透は軽い立ちくらみを覚えたが、すぐさま席に戻ると教材を取り出し新年度の準備に取りかかった。


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