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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

どうか、幸せでありますように

作者: 千野パズル



 『未解決事件また犯人逮捕』

 ニュースアプリに流れてくる文字を読む。記事の詳細までは気にならないので、見出しだけでスライドさせるが、俺が気になる情報は特になかった。

 ここ数年、未解決と言われた事件が解決することが増えた。警察の調査能力の向上を賛美する報道が多い。それとは別におそらく同一犯によると思われる無差別殺人が世間を賑わしていた。これでは治安が良くなったのか悪くなったのか分からない。


「なぁ、最近になって未解決事件が解決する事が増えたが、お前何か知ってるか?」


 居酒屋で一緒に飲んでいる高校の同級生である自称ジャーナリストの飯島に問いかける。すると飯島は得意げな笑みを浮かべた。


「転生者の情報提供だよ」

「転生?って、最近アニメかとかで流行している転生のことか?」

「そう、それだ」


 殺人事件の被害者が転生して、警察に情報提供を行っている。それが犯人逮捕に繋がっている。最近になって未解決事件の犯人逮捕が増えている理由がそれだとうそぶいた。

 この男の言うことは本気か冗談かいまいち分からないのが悪いところだ。

 「知らなかっただろう?」という問いかけに、この場を穏便にやり過ごすために「そうなのか」と適当に相槌をうった。質問したのは俺である。

 飯島がふと気が付いたように汚れた眼鏡を神経質に磨いている姿を横目に、コップに残っていた酒を煽る。


「飯島、転生って都市伝説のようなものだろう。どうしてそんなに自信たっぷりなんだ」

「人生二週目かよって子どもはたまにいるが、俺もそういう感じの転生者ってやつに会ったんだよ」

「噂だけでなくて、自分の目で見たからそういう人間がいるって信じたってことか」

「そうだな。気持ちの悪いガキだった」


 昔から都市伝説めいた転生の話はあったが、現代はネットでなんでも調べられる。自分の記憶を自分で調べて確信しやすいのか、はたまた話しやすい土壌ができたのか。

 多くは小学生になる頃には自分が前世の話をしていたことすら忘れるらしいが。

 親戚の子どもが「地震による火事で亡くなった記憶を話していた」などという話程度なら、俺が子どもの頃でも親族間で囁かれているのを聞いたことがある。


「殺人事件の被害者か。自分が殺されたときの記憶を持って転生だなんて可哀想だな」


 もし自分の子どもにそんな記憶があったならどうすればいいだろうか。飯島のように気持ち悪いと吐き捨てるより哀れに思ってしまう。


「まぁ、そうだな。殺された記憶をもってもう一度生きるとか俺も嫌だな」


 俺の言葉を聞いてから想像したのか、飯島も少し同情の色をみせた。

 しんみりとした気持ちになれば飲み会を続ける雰囲気もなくなって、そのまま解散になった。





「ただいま」


 飯島との飲みを終えて帰宅すると、既にパジャマ姿の妻、広海が「おかえり」とリビングで出迎える。テーブルの上には電卓と家計簿が広げられていた。

 これからの貯蓄を考えると、安い居酒屋とはいえ飲みも控えるべきかなと頭の片隅に過る。


「なずなは?」

「もうとっくに寝たよ。明日はちゃんと遊んであげてね、パパ」


 そのことに返事をしつつ、それほど飲んだわけではないが自分が酒臭いことを自覚し、作業の邪魔をしないようにシャワーでも浴びようと思い、声をかける。


「シャワーを浴びてくる」

「はーい。あ、靴下を丸めるのはやめてよ」


 いつもの小言を聞き流し、脱いだ時に丸まった靴下をきちんとのばして洗い物を入れる籠の中に放り込む。

 明日は日曜日なので俺が洗濯をしよう。それから、娘のなずなを天気が良ければ公園に連れて行って。

 シャンプーをしながら明日の計画をたてる。

 節水のボタンを押してシャワーを止めてから、身体を洗っているとゾワッとした奇妙な感覚を覚えた。浴室を見回すが特に何もない。気のせいかと息を吐き出して、それでもいつもより急いでシャワーを終えた。

 シャワーを終えると広海は家計簿を片付けていた。時刻を見れば十一時だったので、そろそろ寝るかと話をする。その前に少しだけ様子を見ようと娘の部屋のドアを少しだけ開く。六歳になる娘は自分の部屋で穏やかに寝ていた。


「パパを待ってるって言ってたけど、限界だったみたい」


 広海の言葉に幼い娘を待ちぼうけさせた罪悪感が湧く。


「やっぱり飲みは控えるかなぁ」

「なずなの存在は偉大ね」


 ぼやいた言葉に嬉しそうに反応した広海とともに寝室に向かった。


「今日さ、最近になって未解決事件が解決するのは殺人事件の被害者が転生しているからだ、なんて飯島が言ったんだ」

「飯島さんが?本当だとしたらなんとも言えないわねぇ」

「殺された記憶を持つ子どもがいるなんてどう接していいか分からないよなぁ」



 ベッドに転がって話をすれば、教師をしている広海は「でも」と小さく零した。


「転生しているとか、まるで人生二回目とか、笑い飛ばせない子がいるのも事実かも。その子の両親は息子が死ぬことに怯えるのをどうすればいいか悩んでいるもの。病院に連れて行ってもその子に原因につながる出来事がないから、薬を使うよりとにかく安心させてあげてくださいと言われたって」

「……まぁ、安易に薬に頼らないのはいいことに感じるが」


 思ったよりも身近な話に驚いてでてきた言葉は自分でも論点からズレていると思うものだった。けれど、他に適切な言葉も思いつかないので流すように会話をまとめて電気を消す。

 お互いに「おやすみ」と挨拶をして目をとじた。





「パパおはよう!」


 朝から元気な娘に元気をもらいつつ歯磨きに行く。ひげをそりながら広海は友人と昼食を食べに行くと行っていたなと思い出す。俺も昨日飲みに行ったので特に文句もない。


「なずな、きょうはお昼は何食べたい?」

「うどん!」

「うどんかぁ」


 元気な返答に笑いながら、インスタントコーヒーを入れる。

 なずなは椅子に座って朝のアニメが始まるのを楽しそうに待っていた。日曜日の子どもの楽しみといえばこれだろう。


「あのねパパ、へんなゆめ見たの」

「変な夢?」

「うん。パパを見つけて話しかけたのに、しらないふりされたの」


 不安そうななずなの頭を撫でて「なずなを無視するわけがない」と告げる。

 知らないフリをされた。その言葉に嫌な記憶が頭を過る。俺の心のなかに落とせない汚れのようにこびりついている事件がある。

 当時大学生の俺は「助けて」と助けを求めてきた女性を面倒事に関わりたくないという理由で無視した。けれど、その女性が後日、殺人事件の被害者として報道されたのだ。

 考えるだけ無駄な「もしも」ではあったが、もしも俺が薄情な人間でなければ「助けられたかも」という考えが拭えない。心にしこりとなって残ったその事件は、犯人が死亡したことでスッキリすることもない気持ちの悪い終わり方をしていた。

 そしてあの事件以降、俺は「助けて」を無視できない人間になっている。


「パパはなずながいくつになっても無視しないよ」

「ほんとう?」

「本当」


 安心したように笑う娘は親馬鹿と言われようと世界一可愛い。





 公園でなずなが遊んでいる姿を見守っていると、ベンチの上で体育座りをしている少年を見つけた。年の頃は小学校高学年あたりだろうか。そのあまりに陰鬱な空気に頭の中に「虐待か?」という考えが過る。

 すべり台で遊んでいるなずなを呼び寄せて、二人で並んでその少年に近づいた。

 俺一人で近づくよりも警戒心が薄れるだろうという考えだったが、誰かが近づいてきたことに気が付いて顔をあげた少年の顔色が蒼白だったことで、俺は話しかける決心がついた。


「おにいちゃん、具合悪いの?病院行く?」


 俺と同じように少年の異変に気が付いたなずなが気遣う姿を見て、娘の優しい心根に感動してしまう。なずなの声掛けに少年は「大丈夫」と明らかに大丈夫そうではないふるえた声で答えた。


「大丈夫じゃなさそうだが」

「大丈夫、です」


 大丈夫と言い張られてしまっては自分にできることはない。下手に刺激することもできなくて、引き下がることにした。


「もし大丈夫じゃなくなったら、大人を頼るんだぞ」

「……頼っていい大人ってどんな人?」


 難しい質問だった。教師と答えてもその教師が昔の俺のように面倒事を嫌うなら親身になってくれるとも限らない。誰に話せばいいかを見分けるのは子どもにはとても困難だろう。


「親は?教師もだめか?警察は?」


 俺の質問に少年は首を横に振る。どれも駄目らしい。あとはもう相談内容がどんなものによるかで誰を頼るか決まる。なるほど、身近な誰かに頼れないと子どもは途端に孤立してしまうのだ。


「パパを頼ればいいよ!ね!」


 なずなが全幅の信頼を寄せて満面の笑みを浮かべる。娘にとって頼れる父親であるのは喜ばしいことだろう。

 財布の中に入っていたレシートの裏に名前と電話番号を書いて少年に渡す。


「森、翔吾さん?」

「ああ。もし、誰も頼れなくて、でも誰かに話したくなったらおじさんに電話すればいい。君の名前を教えてくれるか?」

「僕は伊藤大輝、です」

「わたしは、なずなだよ!」


 元気のいいなずなを見て大輝君は小さいけれどようやく笑顔を浮かべてくれた。

 これ以上彼に絡んで不審者に思われるのも嫌なので、なずなの手を引いて公園から離れる。そろそろ昼時であることに気が付いた。


「なずな、昼ごはんのうどんは食べに行くか?」

「やったぁ!」


 節約しようと思っていたが、今日くらいは自分を許そう。繋いだ手をブンブンと振るなずなと並んで歩きながら近所のうどん店に足を運んだ。





「無差別殺人、うちの近所でも起きたのか」


 朝のニュース番組を見て呆然と呟く。日曜日の昼過ぎに発見された被害者の身元を確認中とのことだ。犯人が被害者の眼球をえぐり出すという猟奇性のある共通点があるため、同一犯の犯行と思われていた。

 男性の被害者が多く、子どもは標的にされたことがないため今のところは安全だが、それも犯人の気分次第かもしれない。広海やなずなの安全を考えたら心配になってきた。学校も事件を受けて生徒たちは休みになっているが、留守番をさせるのも心配だ。


「広海、事件が近所で起きたし、会社に説明して今日はできるだけ早く帰るよ」

「ありがとう。色々とやることが増えそう」


 事件の余波を受けて頭を抱える。なずなが起きてきたのを確認して残虐なニュースを見せないようにテレビの電源を落とした。



 なんとか仕事を切り上げて、足早に家路を急ぐ。

 一人で留守番をさせることも不安だ。治安が良くなったのか悪くなったのかと呑気なことを考えていたが、無差別殺人が行われていて治安が良くなったはずもない。


「なずなー、パパが帰ったぞ」


 玄関のドアの鍵を開けて声をかけるが、なんの返答もないことに心臓の音が嫌に大きく聞こえ始めた。浅い息を繰り返しながら、ゆっくりとした動作でリビングを見るが、そこに娘の姿はない。

 震える手で、娘の部屋の扉を開くと、床に座り込んだ小さな背中があった。

 その無事な様子にほっと息を吐き出す。俺が神経質になっていただけらしいと安堵して声を出した。


「なずな、パパが早く帰ってきたぞ」


 もう一度声をかけたのに反応のない姿が不安になって部屋の中にズカズカと入り込む。

 床には、人形が散らばっていた。

 女の子が大好きな着せ替え人形で、去年のクリスマスにプレゼントしたなずなの宝物だ。その人形が、散らばっていた。


 頭と、右腕、左腕、胴体、右脚、左脚とバラバラになっていた。


 息を飲み込んで、なずなの顔を覗き込む。

 そこに昨日までの笑顔はなくて、能面のような無表情があった。


「あ、パパ。おかえりなさい」


 どこか抑揚のない声に、かろうじて「ただいま」と返す。何を聞けばいい、どうすればいいと考えるが、どうすればいいのかさっぱり分からない。正解なんて何もない。


「なずな、お人形さんは宝物だっただろう?どうしたんだ?」


 俺の質問に娘は長い沈黙を貫く。それが数秒だったか数分だったか分からないほどで、自分の心臓の音だけが耳に大きく響いた。


「あのね、パパ。なずなは生まれる前、ばらばらにされたの」


 ほんの数日前の飯島との話が思い浮かぶ。

 転生、そんなものがこんなに身近に降りかかるのか?本当なのか?もしも本当なのだとしたら、なんてものを記憶しているのだろう。

 どうして全てを忘れたままでいられなかったのだろう。


「どうして人形を壊したんだ?」

「どんな気持ちかなって考えてたの。全然わからなかったけど」



 転生なんて、呪いだ。






 転生なんて都市伝説で、あり得ない妄想の一つだ。

 何を飲むか聞いたら「サイダー」と答えたので、素直に用意したが、炭酸が苦手だったはずの娘は、嫌な顔をせずに炭酸飲料を飲みはじめた。

 生まれ変わる前の名前を「大迫優子」と答えた彼女は、信じたくないことに俺が無視したあの女性と同名だった。バラバラにされたという方法まで同じだ。

 もしかして、罰なのだろうか、俺が彼女を自己保身から無視した因果がこういう結果になってしまったのか。俺のせいで娘を苦しめることになったのか。

 俺の娘は目の前にいるのに、俺の娘はいない。

 自分がしっかりしなければとギリギリで意識を保った。


「優子さん、俺の娘はどこにいるんですか」

「わたしはわたしです。でも、パパにはわたしはなずなじゃないですか」


 消え入りそうな声で、大人のように返した彼女に、自分の頭を抱える。


「違う、なずなだ。なずなだけど」

「いえ。信じてくれるだけで有り難いことなのに、わたしの方こそごめんなさい」


 彼女に頭を下げられてますます混乱してしまう。あれだけ考えたというのに何一つ落ち着いていなかった。

 六歳児に謝罪させる俺はあまりに情けない。


「優子さん。俺は昔、あなたの助けてという言葉に応えられなかった。そのせいなんですか」


 胸を手で抑えながら自分を奮い立たせて問えば、彼女はただ首を横に振った。


「わたしにもどうしてか分からないんです。わたしはなずなでもあるんです。だから、恨んでいるとかそういう感情もありません」


 涙をこらえている彼女は、嘘をついているようには見えなかった。

 それ以上に会話することもできなくなり、お互いに向かい合って黙り込む。ポツリと犯人が死亡していることを伝えれば、彼女は気のない返事をした。

 電気もつけずに塞ぎ込んでいる俺たちを見て、帰宅した広海が声をあげる。


「ちょっと、何してるの!」

「ママぁ」


 広海の顔を見て安堵したなずなが泣き出し、色々な説明を終えるまで結構な時間がかかった。


「つまり、なずなが前世の記憶を思い出したってこと?それも、殺人事件、翔吾のトラウマのあの事件の被害者?」


 広海の確認に頷く。

 大学生の俺が無視した女性の名前は「大迫優子」だ。彼女はそれから一週間後にバラバラにされた遺体となって発見された。テレビ報道の被害者の顔写真を見て、あのとき助けを求めていた女性が殺人事件の被害者になったと知ったのだ。

 犯人逮捕につながるよう警察に自分の罪を告白するように情報提供を行ったが、犯人は逮捕されることなく死亡していた。


「馬鹿ね、パパ」


 なずなを膝の上にのせて抱きしめた広海は、俺を見て笑顔を浮かべた。


「この子が私達の可愛い娘だってことは変わらないじゃない」

「ママ」


 当たり前のことを言われて、俺はようやく前向きな気持ちになれて顔をあげた。


「そうだな、優子さんの記憶があっても、なずなは俺たちの可愛い娘だ」


 当時、精神を病んだ俺は病院に通うのではなく、実家と繋がりのある寺の住職と何回か話をしていたことを思い出す。

 輪廻転生とはもとは仏教用語だ。何かしら、解決にはならなくても、昔のように為になる話をしてくれるかもしれない。


「なずな、やりたいことがあったら何でも言ってくれ。行きたいところでも食べたいものでもなんでも。パパとママはなんでも叶えるから」

「うん。あのね、おなかすいたな」


 恥ずかしそうに笑う娘を見ながら、ようやく食事も忘れていたことを思い出した。




 ベッドの中で混乱して泣いている広海を抱きしめる。娘の手前明るく振る舞ったが、同じような悩みを抱える親を見ていた広海は、俺よりもずっとこの先のなずなのことを心配していた。

 殺された記憶なんてあの幼い精神で耐えられるものなのか。


「無差別殺人だけでも手一杯なのに転生?転生ってそんなに簡単にするもの?どうしてこんなに身近にゴロゴロしているの?」


 もっともな疑問である。飯島の話が本当なら俺が思うよりもっと多くの転生者がいるのかもしれない。殺された記憶をもつ悲しい人たちが。

 そんなこと、あるのだろうか。


「俺の実家と縁のある寺の住職と話ができないか相談してみる」

「お寺」

「正直、こういうのは宗教の話かもしれない。俺だってそう信心深い訳では無いが、良い話をしてくれる事が多い。変な新興宗教よりは信頼できるし」

「そうね、たしかに仏教用語だものね」


 そうして数日間、無差別殺人の犯人を警戒しつつ、実家に帰省する日取りを相談しながら過ごした。連絡をした住職は「力になれないかもしれない」と言ってはいたが、話を聞いてくれると答えてくれた。





 金曜日の夜のことだった、知らない番号から電話がかかってきたのは。プライベート用の番号にしては珍しい出来事だ。疑問に思いながらも通話を開始すると、子どもの声が聞こえてきた。


『森さんの、電話ですか?』

「ああ。もしかして、大輝くんかい?」


 その声に心当たりを思い出して問えば、少しだけ大きくなった声で肯定される。


『あの、僕、やっぱり誰かに話さなきゃって』

「うん。今からじゃ遅いから明日がいいかな?」

『今日じゃなきゃだめです!』


 どうにか明日時間を作ろうと考えていたら、切羽詰まった声で叫ばれた。

 その焦ったような声にただ事ではないと落ち着いて聞くために家の外に出る。


『また、誰かが死んじゃう』


 大輝くんが告げたのは、確かに緊迫した事情だった。


 曰く、大輝くんは彼の兄が無差別殺人の犯人であると知ってしまったのだという。

 大輝くんにバレたことに気がついた兄は誰にも言わないことを約束させて、その約束に従って黙っていた。しかし今日の夜、兄が再び家族に内緒で出かけたことで「また殺人が起きるかも」という恐怖に耐えられなくなって、俺に電話をしてきたということのようだ。


『兄ちゃんは「俺はいいことをしているんだ」って僕にいうんだけど。でも、人を殺すことがいい事なわけないよね。おじさん』

「ああ」


 泣きながら、小さい少年に抱えきれないような大きな悩みを告白してくれたことに報いないといけない。何か犯行のヒントになるものはないかと詳しく聞いていると、狙いはたぶん「オオマルタカシ」という人物ということが分かった。

 もしものときのために直接ではなく飯島からのタレコミという形で警察に情報を流すために通話を切る。信じてもらえるかどうかは分からないが、なにもしないよりはマシだろう。


『森、どこから手に入れたんだ、そんな情報』


 伝言役をしてくれた飯島に名前は出さずに大輝くんの話を伝える。

 嘘か真実か分からない情報ではあったが、もし情報が真実だとして、本当に犠牲者が出たときの大輝くんの負担を考えたら、彼の訴えは真実と思って行動しない訳にはいかなかった。

 俺はもう、出来ることを何もしないで、あのときのような後悔はしたくない。


『オオマルタカシは犠牲者候補に挙がっていた。多分、その情報は間違ってないだろうな』

「飯島こそ、なんで知っているんだ」


 電話越しだろうと、何やら事情に通じている様子で頷いているのが分かる。高校の同級生である自称ジャーナリストは、もしかしたら俺が思うより凄い人物なのかもしれない。


『無差別って世間では言われているが、実のところ犯行が増えるほど被害者に共通点が見えてきていた』

「共通点?」


 思わせぶりな飯島の言葉を待つと、重い溜め息とともに言葉が吐かれた。


『被害者は全員、殺人を犯した人間だ。短い刑期だったり、心神喪失による無罪だったり、当時未成年だったり、事情は様々だが、殺人を犯したあと、社会に戻っていたやつらだ』

「ああ、なるほど。いいことをしているって主張はまさか」

『そうだな、俺たちや警察が描く犯人像にとても近い。だから正直、お前の情報は信憑性がかなり高い』


 飯島の言葉に俺は何も言えなくなった。

 こんなに大きな秘密を子どもが抱えていたなんて。


「犯人が、逮捕されれば」


 そうすれば大輝くんの心にも安寧が戻るだろうか。そうであって欲しくて、祈るように呟いた。





 翌朝のニュースは犯人逮捕でも、事件発生でもなかった。平和な朝のニュースが続いていた。

 大輝くんが心配になった俺は昨日の電話番号にリダイヤルするが応答がない。


「大丈夫だったと思いたいが」


 呟いてみても答えが分からない。もともと今日は、なずなの希望で隣県の大迫優子さんの墓に行くことになっていた。彼女が大迫家の墓の場所は分かるというので、俺も広海もやりたいようにやらせるために協力しようと決めていた。


「今日のお昼はなにが食べたい?」


 なずなに聞けばいつだって「うどん」と返ってきた質問をする。


「オムライスが食べたい」


 いつもとは違う答えが返ってきて、俺は少しだけ寂しい気持ちになった。

 俺が「娘を返してくれ」と懇願したところで彼女を困らせるだけだ。彼女にだってこんな事になっている理由なんて分からないし、そもそも彼女は非業の死を遂げた人物だ。追い詰めるようなことはしたくない。

 なにも言わないが、なずなが大人びた動作で自分で髪の毛を二つに結ぶ姿に、広海が寂しそうにしているのが見えた。




「わたしの名前がある」


 大迫家の墓の横にある墓誌に刻まれた名前に、彼女は感慨深そうに頷く。墓誌には法名まで刻まれている。名前と没年が書いてあるものしか知らなかった俺にすれば地域文化の違いのようなものを感じた。

 俺たちは持ってきた線香に火をつけると、手を合わせる。

 ここに彼女がいるとはいえ、大迫優子さんの魂の安らかな眠りを望む。悲しい前世の記憶は、せめて殺されたときの記憶はなくなってほしい。

 墓地は休日だというのに、人とすれ違うこともなく寂しいものだ。

 「そろそろここを離れよう」といい墓を離れると、ヒュウと、冷たく感じる風が吹いた。


「あ」


 年老いた夫婦が歩いてくるのをなずなは目を見開いて見つめる。その夫妻が向かう先は、前世の彼女の家の墓だ。火の付いた線香に首を傾げる二人は、呆然と見つめる彼女と俺たち夫婦に気がつく。


「まぁ、可愛らしいお嬢さん。もしかして優子の友人だったのかしら」

「ええ、はい。ちょうど近くに来たので線香だけでもと。すみません」


 問いかけられた広海が不審に思われないように誤魔化して頭を下げると、大迫夫妻は広海と手を繋ぐなずなを見て、愛おしそうなものを見るように目を細めた。


「謝る必要なんてないわ。こちらこそありがとう」


 その言葉に、彼女が広海の手をさらに強く握ったように見えた。


「あなたの人生が、素晴らしいものになりますよう」


 少し不自然にそう願った夫婦は、なにかに気が付いたのか気が付かなかったのか。俺には確認する術などなかったし、知ったところでどうしようもなかった。

 頭を下げて挨拶をすませる。

 悪いことなど何もしていないというのに、まるで子どもの頃、親に隠し事をしていたときのような心地悪さを感じた。





「おじさん!」


 翌日、連絡の付かない大輝くんが心配で公園に様子を見に行くと、俺に気が付いた大輝くんが走って近づいてきた。


「どうしよう、兄ちゃんが帰ってこない」


 なるほど、被害者候補を警察が絞っていただけあって実行しようとした犯人が逮捕されたのかと考える。

 犯人が未成年、猟奇的、被害者数、報道規制されている被害者が殺人犯という共通点。そういったもろもろの事情で情報が流れていないのかもしれない。

 けれど、それにしては大輝くんの様子はなんだか不自然に感じる。

 まるで服を何日も着替えていないような、そういう違和感があった。


「帰ってこない?逮捕ではなくて?」

「うん。警察が兄ちゃんの部屋を調べて、逃亡しそうな場所はってお父さんとお母さんに詰め寄ってる。おじさん、どうしよう。きっと兄ちゃん怒ってる。俺が話したのバレたんだよね」


 腰を落として大輝くんと視線を合わせると、俺は安心させるように肩を叩く。

 家を調査したのなら、一度身元を確認したものの逃亡されたのか。それならば警察の失態だろう。


「大丈夫だ。大輝くんに何かするのはお兄ちゃんにとっては「悪いこと」のはずだから、何も心配はいらない」

「そうかな」

「ああ」


 慰めるような言葉に、大輝くんは安心したように肩の力を抜いた。


「じゃ、じゃあおじさん。兄ちゃんの説得についてきて」

「説得?」


 大輝くんに手を引かれるままについていく。

 歩きながら居場所を知っているのにどうして警察に話さなかったのだろうと疑問を抱く。

 それでも、相手は小学校高学年くらいの少年だ。人見知りでもしたのだろうかと、そう思って大人しくついて歩いた。

 案内されたのは建設途中で数年放置されているマンションの工事現場だった。

 不法侵入に戸惑いつつ、大人しく手を引かれる。片手で、ボイスレコーダー機能を起動し、スマートフォンを握りしめる。

 ベニヤ板で封鎖された部屋の中には毛布や印刷されたコピー用紙、古い新聞が溢れていた。その中は無人である。

 肩透かしを食らったが、安堵して落ちている紙を拾う。手書きのメモも多く、事件についてよく調べられていた。

 転生者相談というSNSを使ったグループもあるようだ。


「ねぇ、翔吾さん!見てよ!凄いでしょこれ!」


 明るくはしゃいだような声が聞こえてきた。振り返れば、タブレットを手にした大輝くんが、とあるスレッドを見せつけてくる。

 まるで別人になった表情に、嫌な予感がする。


『執行者の偉業まとめ』


 そう書かれたタイトルの内容を素直に読んでみると、それはネット上で無差別殺人犯――大輝くんの言うところの「兄ちゃん」の犯行を賛美するものだった。

 どれほど隠そうとしても、警察やジャーナリスト以外でも被害者の共通点を理解する人がいたのだろう。

 人々が理性でもってやらない犯行を、司法の判断を無視し、私刑に処したことを多くの人間が賛美する内容に頭が痛くなる。


「俺のやったこと、皆が褒めてくれるんだ!大輝は悪いことだって言うけど、やっぱりいいことに決まってる!」


 満面の笑みで語る彼はやはり「大輝くん」ではないのだろう。


「心神喪失で無罪とか、未成年だからで許されるのとか、ホント意味分からないよね!でもさ、こうやって執行すれば、法に許された悪人にこんなに簡単に罪を償ってもらえるんだよ」

「君は、兄ちゃんなんだろう。どうして大輝くんの人生を棒に振るような行動が出来るんだ」


 未成年だからでどうにかなる犯行件数ではない。スレッドの内容を見るに彼への間接的な支援者も多くいるようだ。ここまで被害者が増えたのは彼だけの罪ではないだろう。


「いいじゃん別に。どうせ殺しても生まれ変わるんだ。我慢なんてする必要ある?それに殺してもいいような奴を狙えば皆が喜ぶんだ。だから、俺は前世みたいに誰でもいいから殺したいなんて思ってないよ。その代わり、死んだほうがいい人間を狙って世の中のためになる事をしている。ね、翔吾さんも褒めてくれるでしょう?こんなに悪い人たちを裁いているんだよ。俺、頑張ってるんだ!」


 当たり前に次があると思わせる前世の記憶は、人として生きる上で大切なものを損なわせている。

 なにより前世を覚えていることで犯罪に手を染める人間がいるのなら。

 

 転生はやっぱり、呪いだ。


「君は誰?」

「セイジだよ!」


 俺は大輝くんの願いを無視するわけにはいかない。

 完全に別個の人格として、同じ肉体に同居している様は多重人格のようなものに近いのだろうか。そういう専門の知識があるわけではないから詳しくは分からないが。


「セイジくん、君と大輝くんは別人格なんだ。君は君の身勝手で現世で好き放題して、大輝くんを苦しめている。君が目覚めなければ大輝くんは人殺しなんて望まなかっただろう」

「そうかもだけど。でも、俺は思い出したし、それが俺だし」


 いいことをしたい。人に認められたい。褒められたい。

 それは誰だって持つ願望だ。

 けれど彼の正義は、どれほどの賛同者がいても認めてはいけない類のものだ。

 目の前にいるのは殺人鬼と分かりながらも、彼の信念を信じて、手を握って説得を続ける。


「君は子どもだ。君の行いは考えが足りていない」

「違う、俺はもう前世を合わせたら三十歳前の大人だ!」

「……その計算こそ、君が子どもの証だろう」


 人は、年齢ごとに経験することが違う。人生にはそれぞれステージというものがある。十代を二度経験した人物が三十歳と同じ精神性を手に入れられるかと言えば否だ。

 年齢は年を重ねればいい。精神年齢は、その年齢に見合った経験を積まなければならない。


「君は死んだときの年から、成長なんてできていない。十五、六歳だったのだと言うのならその年齢をこえて初めて君は大人になれる」

「じゃあ、俺の何が間違っているの」


 素直な問いかけに、俺は頷いた。


「悪人を殺したって殺された人は戻らないからだ。それで気持ちがいいのは生きている人間だけで、殺された誰かの苦しみは何一つ報われない」


 俺の言葉に、少し驚いた顔をしたセイジくんは違う言葉を予想していたのかもしれない。世の中が乱れるとか、理屈っぽい理由はいくらでもあるのだから。

 それでも俺は理屈ではない言葉を選んだ。狙い通り反論し辛いのか、受け入れて考え込む様子を見せる。

 

「じゃあ、俺は、いいことをしていた訳じゃなくて、自分が気持ちがいいから人を殺していたの?」

「そうだな。君の行いは、君のための快楽殺人だ」


 彼が求めるダークヒーロー性、誰かにとっての「いいこと」を否定してしまう。

 セイジくんが自分の行いに誇りを持っていれば持っているほど、前提条件の否定は効果があるはずだ。

 ワナワナと震えて、頭を抱えた彼は苦悶の表情を浮かべる。

 倒れ込んだ彼を支えると、レコーダー機能を停止する。それからすぐに警察へ通報した。

 多くの資料が積み重なるこの部屋を見回す。きっと彼は本気で「いいこと」をしたいと願っていたのだろう。





 無差別殺人の犯人が幼い少年であり、彼の犯行を支援している大人がいたことで、事件は大きな騒ぎになった。安易な資金援助や資料提供だったのかもしれないが、その情報で人が死んだのだから大人として責任を取るべきだろう。

 彼らの叫ぶ「正義」は世間に様々な議論を巻き起こした。

 いつの間にか犯人は大人に利用された存在として話がすり替わっていた。そのあたりは色々な事情が絡んでいるのだろう。


「パパ、疲れてる?」

「なずな。大丈夫だ」


 心配そうに顔を覗き込む娘の頭を撫でる。優子さんのような顔つきのときと、ただのなずなと、人格の入れ替わりのようなものを見せている。俺たちはそんな娘を受け入れようとしていた。


「なずな、明日はなにを食べたい?」

「うどん!」


 元気ないつもの答えに笑顔を浮かべる。

 俺と広海の娘は、無類のうどん好きなのだ。

 転生問題は解決しなくても殺人事件は解決し、街に平和が訪れた。

 俺に出来ることなんてなにもなくて、ただ日々を過ごしていくしかない。


『兄ちゃんを説得してくれて、ありがとうございました。次はきっと、いいひとになれるように頑張ります』


 貰った手紙は、事件を記した新聞の中に挟み込んだ。

 俺には誰も救えないことを自覚して。

 次があると無邪気に信じてしている少年を悼む。

 それが呪いだと分かっていても、それでも俺は願う。

 どうか、どうか来世は。

 何も思い出したりせず、君がただ幸せでありますように、と。



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― 新着の感想 ―
[一言] まあ確かに十代を二回繰り返しただけのガキだわなあ、これが本当に三十代なら 「自分が正義じゃないことくらい分かってるよ、じゃあ逆に聞きたいけど。君はどんな理由があれ人を殺せる、それこそ理由な…
[一言] ある意味呪い・・・確かに。
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