「これからジン様の事を『旦那様』と呼んでもよろしいでしょうか……?」
「分かりました。私、もう行きますね……」
ナックリン様は何も言いません。私はそんな彼女の元を去りながら、自分の考えを改めていました。
そう、これはきっと、みんなそれぞれが勘違いをしているんです。
真相はこうです。私と結婚の約束をしてデイリー討伐に出て行ったレーハム様は、高難易度のクエストを受けたんです。
しかしそのクエストで大量の魔物に襲われてパーティーは壊滅。ソーダ―様とスピアラン様が死に、最後に守り切れなかったレーハム様がやられてしまったんです。
ナックリン様が新参者三人が殺されたと言ったのは、きっと自分達が負けた事がショックだったからだと思うんです。自分達が負けた事実を認めたくないがゆえに、戦力が乏しい状態で負けたと事実を歪めているんです。
私のお隣さんが、レーハム様を見たと言ったのは見間違いでしょう。私の代わりに知らない子を連れていたというのがその証拠です。これは完全に人違いですね!
そう。だから私は裏切られてなんていないし、愛されて無くもない。レーハム様は私の待つ家に帰ろうと必死になって抗ったけれど、志半ばでやられてしまい、そして私もナックリン様と同時にこの世界に戻されたんです。間違いありません!
私は未亡人で、私の心にはやっぱりレーハム様がいる。お互いに愛し合っているこの事実は変わらないんです。
「あ~クナだ~。ねぇねぇ、今日はお茶会に参加しない? 今日の話題は『こんな主様は嫌だ! 許せない裏切り行為ベスト10』だよ!」
その子は時々私をお茶会に誘ってくれるガチャ娘です。
けれど私は冷静に返します。
「行きませんよ。だって私には夫がいるんですから」
もうこれ以上私の気持ちをかき乱さないでほしい。
私の思い出を歪めないでほしい。
私の認識を書き換えないでほしい。
私の価値観を塗りつぶさないでほしい……
だから、もうそんな話は何も聞きたくない……
そうして私は心を守りながら、今日もまたレーハム様との思い出を守り続けるのでした。
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「それにクナさんには旦那さんがいるんですよね? 記憶を消したらその人の事まで忘れてしまうんですよ?」
そう言われて、私は胸が張り裂けそうな気持ちになりました。
胸が痛くて、涙が止まらなくて、何もかもが限界だったのです……
「ち、違うんです……ほ、本当はいないんです……私に……夫なんていないんです……」
だから全部吐き出します。この人になら言えるような気がしたから。
この人なら受け止めてくれそうな気がしたから……
「全部私の勝手な解釈だったんです……いいように使われて……あしらわれて……でもそんな事実を認めたくなかった……」
ぶちまけます。もうこれで終わっても構いません。そんな気持ちで全てをさらけ出してしまいます。
「生きていく糧が欲しかったんです……自分にも誇れる想いが欲しかったんです……グスッ……本当はただ騙されただけだって気付いていたのに……それを認めたくなかったんです……全部全部……私にとって都合がいい部分だけを拾い集めたデマカセだったんです……」
泣いて泣いて、それで許されるのかは分かりません。でも事実を認め、口に出すのが怖くって、私はただただ泣いていました。
するといつの間にか起き上がっていたジン様が、ポンと私の頭に手を置いてくれました。
「クナさんも辛かったんですね。でもいつかきっと、そんな事さえ思い出話にできる日か来るはずです。いえ、僕がそうなるようにクナさんの思い出を増やし続けます。心を満たしてみせます! だから、もう泣かないでください」
そう言って頭を撫でてくれました。
私にとってはそれが嬉しくて、心に染みて、また涙が溢れてきてしまいます。
私はついに我慢できず、ジン様の腰にしがみ付いてワンワン泣いてしまいました。
「わ、私……これからはジン様のためだけに頑張ります……なんでもするつもりです……そのセリフを忘れないようにするために記憶も消したくありません……グスッ……けど……今まで人の役に立ったことがないから不安で……ジン様にだけは嫌われたくないです……うぅぅ……」
「その気持ちはよく分かりますよ。僕も仕事をしていた時はどう動いていいのか分かりませんでした。なのでクナさんは、僕の指示通りに動いてくれればいいですよ」
ジン様が優しくそう提案してくれました。確かにそれくらいなら私にもできそうです。
「僕も働いていた頃はよく言われましたよ。『言われた事をやってるだけじゃダメだ。ちゃんと自分の判断で動けるようになれ』ってね。けどそれって決して悪い事じゃないと思うんですよ。言われた事だけでもしっかりとこなせるのは一つの長所だと思いますし、そういう人の性格を考慮して指示を出すのは大事だと思っています。だから僕がクナさんの性質を見極めながら指示を出して、クナさんはそれに従いながら自分の出来る事を増やしていく。まずはそんな感じでいいんじゃないですかね? 僕達は二人一緒で一人前というスタイルでいきましょう!」
嬉しかった。私の事をちゃんと考えてくれることが。
嬉しくて嬉しくて、もう心臓がバクバク鳴りっぱなしです。それにジン様の発言はなんと言うか……夫婦としての告白のようで顔が熱くなってしまいます。
「あ、でも、僕の指示が嫌だったらそう言ってくれて構いませんよ。別に強制するつもりは――」
「いえ! 私はジン様の言いつけは全て守ります! それが私の唯一の取り柄ですし、ジン様の事は信じていますから!」
そうして見つめ合う私達。胸の鼓動が高まっていき、頭がのぼせるような感覚になっていきます。
そんな状態なので、私はつい先走って自分の気持ちを口にしてしまいました……
「あの、ジン様。これからジン様の事を『旦那様』と呼んでもよろしいでしょうか……?」
するとジン様は目を見開いて驚いていました。私同様に顔がどんどん赤くなっていき、目も回しちゃって明らかに動揺しています。
私は結婚をするのが夢でした。素敵な主様と出会い、共に歩んでいけたらそれが幸せだと思っています。そして今、ジン様とならその夢が叶うと本気で信じられるんです!
――しかしその時でした。
「ちょぉぉぉっと待ったああああああ!!」
扉が勢いよく開け放たれて、ルミル様が中へ入ってきました。
「な、ななな、何が旦那様よ! ご主人が目を覚ました途端に誘惑しちゃってさ! なんなの!? 娼婦なの!?」
「ご、誤解を招く事を言わないでください! ジン様は私に、『キミの心を満たしてあげるよ』とか『二人で共に歩んでいこう』とか言ってくれました。それってなんだか、夫婦になるための文言のようじゃありませんか?」
「クナさん……僕のセリフ若干変わってませんか……?」
この際、細かい事はどうでもいいんです!
「ご主人は優しいから誰にでもそう言う事を言っちゃうの! 仲間という意味で言ったに決まってるでしょう!」
「それは私だって分かっています。今の私では到底ジン様の妻にはふさわしくありません。それは認めます。だから未来の旦那様という意味で呼びたいんです。ねぇジン様、ダメでしょうか……?」
私がそう懇願すると、ジン様は困ったように頭をわしゃわしゃと搔き回しました。
落ち着かない様子ですが、どこかまんざらでもないように見えます。
「……マスター。鼻の下が伸びてるわよ。何デレデレしてるの!」
アリシア様も一歩引いた所で、ジン様をジト目で射抜いていました。
「ゴホン! ま、まぁ別に今すぐ結婚する訳でもないですし、呼び方くらい好きにしてもいいんじゃないですか? 僕は構いませんよ?」
「あ~、そうやってすぐ甘やかす! ってか普通にそう呼ばれて浮かれてるんでしょ! この変態駄主人!」
皆様がわいのわいのと騒ぎ始めます。なんだかそんな談笑に初めて加わった気がして、私の心はポカポカしていました。
疎外感はありません。私は初めてパーティーの一員になれた気がしたのです。そんなテンションのまま、私はジン様の耳元に近付いて囁きました。
「私、あなたにふさわしい妻になれるように頑張りますね。よろしくお願いします。旦那様♪」
そう言うとジン様はまた照れたように顔を赤くして俯いてしまいます。そんな彼が可愛くて、愛おしくて、私は知らず知らずのうちに笑顔になっているのでした。




