その日以降、フードを被った男は姿を消した。
遅刻して教室に足を踏み入れた時、視界に入るのは苦笑いをしている担任だった。
「お前、どうしてずぶ濡れなんだ?」
「ははっ、水たまりのところで転びました……」
教室中にクラスメイトの笑い声が響く。オレの笑っている声がかき消されるくらいに。
今日は水たまりだったからいいものの、普段はこんなに軽いものではないのだ。一体何が、というと、オレは所謂“不幸体質”らしい。これは生まれつきだ。何かしら1日に1回、ついてないなぁ、運が悪いなぁ……と思う経験をする。
「俺、ジャージ持ってるぞ! 貸そうか?」
「マジ? ありがとう」
自分の席である窓際の1番端にリュックを置き、クラスメイトからジャージを貸してもらう。今日は体育の授業がないからどうしようかと思っていたところだ。ありがたい。俺が着ている白のシャツはもう泥まみれで茶色になっている。
「せんせー! 急いで着替えてきます!」
「おい、そんなに走ると危な___」
急ぐと危ない、走ると危ない、というのは昔からわかっていたことじゃないか。経験者は語るってな。
「ぐへっ!?」
そう。思いきり転んでしまった。自分の足が絡まって、顔から。鼻は潰れたようにじんじんして痛いし、頭は大丈夫か。病院に行くほどではない痛みけど頭は大事だ。
「いってぇえええ!?」
「ぷっ。あははは! 大丈夫かー?」
「今日はますますついてねぇな!」
「保健室に行った方がいいだろ」
ゆっくりと立ち上がっても、足はふらふらしている。そして頭もぼーっとする。転ぶとろくなことがないのだ。
クラスメイト、さらに担任も、オレのおもしろおかしな不幸体質を笑って見ている。心配はしてくれているようだけど他人事だから軽い気持ちで見ているだけ。
あーあ、今日もついていない。
「今日の朝、何があったんだよ」
昼休みになって、友達が教室でパンを食べているオレに話しかけてきた。いつもの不幸体質だよ、とぼそりと呟くものの、友達は納得していない様子だ。
「お前、なんつーか……オーラが違うっていうか」
「え。そういうのわかるんだ……」
「んや、雰囲気? 感覚で」
「へ、へぇ」
食欲がなくなってきたな。水たまりで濡れてきたせいか、怖いことを聞いたせいか、ぞくりと鳥肌が増す。半分しか食べていないメロンパンを一旦机の上に置く。
正直なことを言うしかないようだ。
「オレってさ、家から学校まで徒歩で来てるじゃん?」
「あぁ。めっちゃ近いよな」
「そそ。で、今日もいつも通り同じ道を通ってたんだけど……」
ごくりと唾を飲み込む。
「フードを被った男の人が立っていたんだ」
「ほう」
「びっくりして、よそ見をしていたら水たまりに……って怖くないか!?」
「……いや、別に」
「え!?」
実を言うと、最近オレが歩いている道にフードを被った男が立っている。いやいや、立っているだけじゃないか、と思うかもしれないが、朝も夕方もだ。特に帰り道は薄暗くて気味が悪い。また、その男は同じ体勢でずっと棒立ち。フードを深く被っているせいで顔は見れない。
今日は驚いて前を見ずに水たまりにどぼん、だ。
「帰りもだぞ!?」
「えぇ……。あそこ、明かり全然なくて危なくないか?」
「だろ!? マジで怖ぇんだよ……」
登下校だけでも一苦労だ。今日も帰り道に立っているのだろう。そう考えると頭が痛くなる。
「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「うぅ、寒気が……」
今日は本当についていない日だ。不運なことがあったら、その分幸運があったらいいのになと昔から思っている。オレの場合はほぼ全部マイナスなことばかり。人生ってそんなにうまくいかないよなと考えてはいるけど……。
「メロンパン、食わねぇの?」
「あぁ、今日はもういいや」
結局パンは残してしまった。フードの男のせいか、不幸体質のせいか、食べる量も減ってきてしまった。あぁ、オレってもうそろそろ死ぬんじゃね、とか思い始めている。
◆◆◆
「やっぱり……いる」
今日も帰り道にはフードを被った男が立っている。パーカーもズボンも靴も、すべて黒色だ。不審者で間違いないだろう。
オレは、娯楽はほとんどない田舎に住んでいる。学校の周りにはコンビニが1つだけ。帰りにどこか寄って行こうとする場所はなく、木々や田んぼ、畑だらけだ。だからこの道を通る人は少なく、学校が終わってからの夕方の時間に歩いているのはオレくらいだろう。
「……早く、帰るか」
逆に足を止め、じっと男の人に体を向けて視線を送っていては怪しまれる。
話しかける? いや、一体何を話すんだ。どうしてここにいるんですか、ずっといるんですか、って聞けるか。
悩んでいてもしょうがない、と思ったオレは気をつけながら走り始める。
「はぁ……っ、はぁっ」
朝みたいに転ばないように。
フードの男から逃げるように。
この場から早く去りたい一心で、走っていった。
この時思ったのだ。そういえば、あの男を見始めてからオレの不幸体質は酷くなっていないか、と。この前刺身を食べたらあたって1日中お腹を壊すし、外食をしたら虫が入っていたり……これらはつい最近起きたことで、男を見つけた時期と重なっている。
しかし、道を変えるにしても無理な話で普段通るこの道しかないのだ。
いつかはいなくなってくれるだろうと信じながらも、明日からも頑張ってみるか。
それからフードを被った男を見ない日はなくなって、毎日必ず視界に入るようになった。
他にもみんなにこのことを相談してみたけど、不幸体質のせいじゃん、と真剣に話を聞いてもらえなかった。オレは本気で悩んでいるのに。
親にも相談した。父さんが早朝に見に行ってくれた日は誰もいなかったらしいけど、オレが登校するときにはいた。タイミングを見計らっているのか、と思うくらいに。
「その男、幽霊なんじゃね? お前だけにしか見えない幽霊」
最終的に友達からはこのような言葉をもらってしまった。
「不幸体質な上に幽霊に好かれるなんてな……ぷっ」
馬鹿にされるわ、笑われるわ、最悪だわ!
◆◆◆
「今日もいる。……走るか」
毎日走っているせいか、足は鍛えられている気がする。ポジティブに考えてみた。いやいや、無理無理。マイナスなことが多すぎてすぐ落ち込んでしまう。メンタルも鍛えた方がいいかもしれない。
__ドンッ!!
「えっ!?」
そのとき。オレが走っていると、すぐ後ろの方で大きな音が耳に入ってきた。突然の大きな音に驚いて地面にあった石につまずいてしまった。
「いてて……」
長ズボンだけど、膝や手が痛いのに変わりない。走っていた途中で息は上がっている。立つのに時間がかかりそうだから地面に尻もちをつく。
「なんだ……これ」
歩いてきた道を見てみると、近くにあった大きな木がオレに向かって倒れていた。1本だけではなくほとんどの木々が倒れている。
「うっ……」
風が吹いて葉や枝が激しく揺れ、挙げ句の果てには1本の大きな木が抑えきれない勢いで地面に向かって倒れていく。
もしも、歩いていたら?
ふと頭の中でもしものことを思い浮かべる。
オレは、死んでいた。必ず。木の下敷きになっていた。
「お、男の人は!?」
たくさんの木が倒れていた場所はちょうどフードを被った男が立っていた場所と同じ。ついさっきまでいたのだ。逃げるのには時間が足りない。
「大丈夫ですか!? 聞こえますか!?」
姿はまだ見えない。大きな声で、必死になって探していく。まだこの場所が危ないというのはわかっているけど、助けるのが先だ。
「あれ……いない……」
しかしどうだ。いくら探しても男の姿はない。ギリギリ逃げ切れたのか、無事だったのかはオレにはわからなかった。
“その日以降、フードを被った男は姿を消した。”
【解説】
フードを被った男がいたからこそ、普段から走って帰っていた。
いなかったら、主人公は……。
フードの男は主人公にしか見えない。幽霊に近い存在だが、危ない場所だということを普段から警告していた。
ありがとうございました。