第二章 とりあえず最低限の最低限の生活を!
さて、とりあえず手紙を信じてみようと決めた私たちは疲れに負けて寝室へ直行した。寝室は二つあり、男女で分かれて寝ることになった。ベッドは少し放置されていたはずなのに柔らかく、飛び込んだ態勢のまま眠りについてしまった。目が覚めて体を起こすと外は真っ暗だった。何時だろう、と思い、癖で袖を捲って左手首に視線を向けた。しっかりと腕時計はついているものの12時をさして針は止まっていた。秒針までも止まってしまっている。いつ止まったのかは分からないが、これだとほとんど時間が分からない。もう一度眠る気にもならず、寝ている優梨を起こさないように部屋から出て一階へ向かうと話し声が聞こえた。
「ファイアーボール!」
「…なんも出てないぞ」
「いや、もっと練習すれば!」
え、何してるの?香樹は壁に手をかざして「ファイアーボール!」と叫びまくって、その真横で遼が冷たい目をしている。
「ん、起きたか」
降りてきた私に遼が気がつく。できれば部屋に戻って見なかったことにしたかった。
「ファイアーボール!」
「香樹、優里寝てるから静かにして」
「え、まじ?さーせん」
そんな話をしていると階段の方から足音が聞こえ、優梨が降りてくる。
「んー…おはよ」
「あ、起こしちゃった?」
「大丈夫だよ〜。空良の声じゃなくて香樹の叫びで起きたから」
「え、ごめん」
「使えるようになったの?魔法」
優梨、それ聞いちゃだめだと思う。当の本人は何も気にしていない様子。香樹の方はというと…
「いやぁ、やっば難しいな」
けろっとしてらっしゃいます。暗かった室内が日の出と共に差し込んでくる日の光で明るくなる。どうやら時刻は明け方くらいだったようだ。
「ところで今日どうする?」
天然としか言えない二人を放置しつつ遼に聞く。
「食料を早めに手に入れておきたい」
「全員で行く?」
「いや、最大で二人だな。全員は悪目立ちがすぎる」
話している間に、優梨に応援されながら香樹がまた「ファイアーボール!」と叫び始めた。この感じだと、私と遼が行った方が早いかな。
「遼と私でいいよね?行くの」
「あの二人が自動的に使えないから必然的に俺らだな」
「りょーかい。二人とも、遼と私、食料調達行ってくる」
ひたすら練習らしきものをしてる二人に話しかけるとアホの子か、というレベルの答えが返ってくる。
「え、全員で行けば良くね?」
「香樹…話聞いてたか?全員で行くと目立つ、って言ってんだよ…」
「あーね。じゃあ頑張って」
「お前なぁ…」
珍しく遼が苦笑いを浮かべる。ローブはそれぞれの椅子にかけてあった。その一つをとり、羽織る。フードをかぶってみると目元くらいまでしっかりと隠れた。遼もローブを羽織り準備を整えている。
「それじゃあ行ってきます」
「気をつけてね〜!」
なんか、親子っぽい気がする。それはさておき、細道を降りていき、通りが見えて来たあたりで遠くから馬の蹄の音が聞こえてくる。
「遼、馬車来てない?」
「すぎるまで待つか」
念のため木の影に身を潜ませ、そこから通りを見る。馬車が軽快に通過して行く。こちらに気がついた様子もなく、通り去って行った。
「本当にこの道見えてないのかもね」
「そうだな」
フードをかぶって通りに出る。右にも左にも人の気配はない。
「右だよね?」
「あぁ」
元々、人と話す方ではない遼は黙って歩き始めた。私は私で周りの景色を見ながら歩く。言っても木しかないけれど。歩いていくと割とすぐに森を抜けることができ、少し先の方に集落のようなものが見えた。森から抜けたところは小高い丘のようになっていて、周りを一望できた。歩いてみるとそこまで距離はなかった。集落にかなり近づいてきた時、入口付近に門番のような人が立っているのが見えた。
「遼、なんか立ってるけど」
そう言うと遼は立ち止まり目を細めて先の方を見る。
「まぁ、大丈夫だろ」
「え?まじで言ってんの?」
「堂々としてればいい」
遼は再び歩き始める。入口に一歩近づくたびに緊張していく私をよそに遼は颯爽と歩いていた。入口の目の前までつき、足を止めそうになった私の腕を遼が引っ張る。その挙動に一瞬門番がこちらに目をやるが、遼が平然と歩き始めると視線を外し、軽く会釈をして普通に通してくれた。そのまま遼は私の腕を引いて手紙通り路地に入っていく。少し奥まで進んだところで遼が足を止める。
「お前なぁ、あんなおどおどしてたら逆に怪しいだろ?」
「いやそうだけどさぁ」
「迫害もそんな酷くないって書いてあっただろ。普通の顔して通れば何も思われねぇよ」
ため息をついて歩き始めるとすぐにそれらしき店は見つかった。表向きには普通の八百屋のようだった。躊躇なく店内に進んでいく量に慌ててついて行くと奥のカウンターらしきところに中年くらいの女性が立っていた。ローブを着た私たちの姿を目に留めると、すぐにカウンターから出てきて話しかけにきた。
「一旦奥に入りなさい」
女性に連れられて、カウンターの奥へと入る。奥には家のような間取りの空間が広がっていた。リビングのようなところに案内され、座るよう促される。女性は他の人にカウンターの仕事を頼み、私たちにお茶を淹れてくれた。
「随分長い道のりだったでしょう。少し休みなさい」
「あ、すいません。ありがとうございます」
「それであなたたち、あれかしら?あの森の小屋から来たの?」
「は、はい」
「そう。あなたたちは転生者ということね。このお店では迫害は決してしないから安心して頂戴」
随分と優しい人だ。遼は警戒しているのか、一言も話さない。
「ええと、どこからお話ししようかしら」
「なぜ小屋の存在を知っているんですか」
ずっと黙りこくっていた遼が挨拶もなしにそう聞く。女性は柔らかく微笑んで話し始める。
「そうね、そこからかしら。あなたたちの前にも転生者がいてね、今まで転生者はこの世界に来て、王都に向かって行方知らずになってしまうことがほとんどだったの。だけど、ある一人の子がね、命からがら逃げ出してきて、この町に逃げ込んできたの。この町で転生者の姿の人を見たことある人はいなかったからね。みんな無視していたんだけど、私はその子が見捨てられなくてね。ここに招いて手当をしてあげたんだよ。それで、その子は『これ以上被害を増やせない』と言って転生者が必ず通るであろう場所に小屋を立てて、あなたたちが見たような手紙とローブを残したの。それからどうなったのかしら……。小屋を立てた、という報告をして以来、見かけてないわね。その時に『このローブを着ている人がここに来たら私が立てた小屋から来ているはずだから、助けてあげてほしい』と言われてね。今に至る、というわけだよ」
「そう、なんですね…その子の安否は」
「残念ながら分からないわ。どこにいるかも、生きてるかすら」
「その子、どんな見た目でした?」
「ちょっと遼、お礼くらい言いなよ」
挨拶一つしない遼を軽く小突くと渋々、という感じで軽く会釈をする。
「ふふっ、そんな堅苦しくしなくて大丈夫ですよ。その子は、確か女の子で、見かけた当時は君たちより5歳ほど若かったはずだよ。髪をおさげに結っていて可愛らしい子だったね」
それを聞いた遼は少し考えるように口元に手を当てる。しばらくするとまさか、というように首を振って顔を上げた。
「最後に一つ。魔法、っていうのは存在するんですか」
「えぇ、もちろん。基本的には勉強さえすれば誰でも使えるものです。あぁ、そうだ。名乗り忘れていましたね。私、レイラと申します」
「レイラさん、これからよろしくお願いします」
「あ、そうそう。この世界ではあなた達の言語とは違う言語が使われているから。あなた達に翻訳魔法をかけておきましょう」
「ありがとございます!あ、あの、まだ小屋に二人いるんですけど…」
「あら、それなら野菜に魔法を込めて食べたときに習得できるようにしておきましょう」
「そんなことができるんですか!?」
「えぇ、それじゃあ食料持ってくるわね」
「本当に色々とありがとうございます」
レイラさんは立ち上がり店の方へ歩いていった。遼は結局質問以外はせずじまい。逆に私は挨拶しまくり。反抗期の子と親のようだ。
「あの人、すごいな」
「え、遼にもそんな感情あったの」
「人間だからな。あるに決まってるだろ」
「あ、そういえば、おさげの髪の子の話。どうかしたの?」
「……いや、少し思い当たるやつがいただけだ。勘違いだろうが」
「そんな子いたっけ。まぁいいや」
遼にしては珍しく歯切れの悪い答えだった。何かあるのだろうと放置し、家具を眺める。机や椅子などどの家庭にもあるような家具は私が知っているものとほとんど同じだった。ただ、ぶっちゃけ何かもさっぱり分からない置物がいくつか置いてある。魔法関連だろうかと想像を巡らせていると、レイラさんがぱんぱんの袋を二つも持って戻ってくる。
「これで1週間は足りるわよ」
「ありがとうございます!遼、一個持って…って何その顔」
遼は絶望したようにその袋を見つめていた。こんなもん持てるか、とでも言いたいのだろうか。
「そこにいる子が軽くなるようにしてくれたから大丈夫よ!」
レイラさんはそう言ってカウンターで勘定をしている女性を指す。至れり尽くせりだ。ここだけ切り取ると言わば「優しい世界」と勘違いしてしまいそうだ。そう言われたにも関わらずいまだ遼は渋い顔を変えない。軽く睨んで圧をかけると、ため息をついて袋を手に取る。その表情が驚きに変わる。
「え、こんな軽く…?」
遼は自分の手見つめ目をぱちくりとさせる。そこまで軽くなっているのだろうか。もう片方を持ち上げると野菜が大量に入っているとは思えないほどの軽さで持ち上がる。袋に綿を詰め込んだだけ、と言えるレベルで軽い。
「人もいないから、今のうちに行きなさい。食糧がなくなったらまた来てね」
言われた通り路地に出ていくと確かに人はいなかった。レイラさんは私達が路地から出るところまで見送ってくれた。「優しい世界」超えて「平和な世界」じゃないか。安心しきった私の耳にその安心を一気に壊してくる一言が飛び込んでくる。
「俺は転生者なんて匿ってない!!」
悲痛な叫び声。声の方向に視線だけを向ける。男性が一人、家の戸の前で兵に取り囲まれている。
「嘘をつくな!もうバレてるんだよ」
「本当なんだ!今調べてくれたっていい!」
何度も責め立てる兵に対して全く屈さずに男性は縋り続ける。しかしそれも虚しく半ば強制的に兵に連れられどこかへ歩き去ってしまった。
「おい空良、行くぞ」
あまりの出来事に足を止めてしまっていたのだろう。遼に肩を叩かれようやく我に帰る。ようやく得た安心もすぐに不安に変わってしまった。もし、レイラさんが私達に食料を渡していることを知られたら、同じ目に遭ってしまう。そう確信できてしまったから。帰りの道中、黙りこくっている私を心配してか遼が口を開く。
「迫害、本当にされてるってことは分かったよ。レイラさんがもしかしたらあの男と同じ目に合うかもしれない、ってことも分かる。でもレイラさん、明らかに慣れてる感じだっただろ。あの人は見つかるなんてヘマはしない」
「そっか、そう、だよね」
自分の中でも分かっていたけれど、人に言われると1番説得力がある。そんなこんなでまた小屋まで戻ってきた瞬間、ガッシャーン!と大音量で金属音が鳴り響く。
「え、大丈夫!?」
小屋の扉を慌てて開けてそう叫ぶと罰の悪そうな優梨と香樹がこちらを振り向く。二人の足元には大量の鍋。
「あ、おか、え、り……」
優梨が鍋を無理やり隅っこみ寄せながら言う。
「優梨、この鍋どっから出てきた?」
鍋は今後必須になってくる。戸棚に入っていたなら他にも何かあるかもしれない。
「えっと、あのですね。私が香樹の魔法の練習を見ててですね、私もやってみようかな、って思いまして。試しに『いでよ!鍋』って言ったらこうなりました」
「優梨魔法使えるの?!」
「そういうこと、だよね?」
「そうだよ!すっご!」
ちょっと羨ましいけど、なんでわざわざ鍋を出そうと思ったのかしら、この子。まさかとは思うけど他の食器とかも出せたりするんかな。できるんだったらだいぶ楽になるんだけど…。そんなことをしている間に遼は袋を机に置き、倒れ込むように椅子に座っていた。香樹は袋を興味津々に眺めている。私も荷物を下ろし、軽く伸びをする。座ろうと椅子を引くと、椅子の足が鍋に当たって鍋が転がっていく。パッと見ただけでも30個は超えている。この数の鍋をどうしろと?とりあえず椅子に座り、もらった野菜を見ていく。同じものかは分からないが大根やレタス、蓮根など日本で売ってるような普通の野菜が入っている。なんの肉かは分からないが既に下味がついているであろう肉も入っている。
「すごいね、これだけあったら1週間生きていけそう!」
素直に喜んでいる優梨。普通ならこの量で乗り切れるんだけど、ちょっとね。
「一般的には、な。ここには一人食べる量が人一倍多い奴がいることを忘れてはいけない」
そう遼の言う通り、香樹は食べる量が尋常じゃない。普段からいちいち動きが大きい香樹ならそれも納得がいく。本人曰く「運動してるだけ」らしいけど。それでも体型はスリムな状態をキープしているのだから羨ましい。
「いやお前らが食べなさすぎなだけだろ!」
「普通よりは少ないけどお前は食べすぎ」
食べる量少ない多い議論を流し聞きしつつ作れそうなものを考える。煮物とかいいかもしれない、そう思った時にふと思い出す。調味料もらい忘れた。調味料がなかったら煮物どころじゃない。作れてもせいぜいサラダ程度だ。
「遼、調味料がない」
「…あ、忘れてたな」
「うー…どうする?」
「塩くらいならキッチンの戸棚にあるんじゃないか?最悪優梨の魔法で出せそうだが…」
「ううーん、できるかなぁ」
「それもそうね、とりあえずキッチン見てくるわ」
キッチンは意外と道具が整っていた。壁にはお玉やフライ返しが掛けてあり、シンクの下の棚には鍋とフライパンが一式揃っていた。包丁も置いてある。錆びてないかと取り出してみると、錆びるどころか新品のように鋭く光っていた。目当ての調味料はというとあったのは塩、砂糖、コショウくらいで醤油やみりんはもちろんなかった。異世界だしないのも当然だ。ただ塩コショウがあれば野菜炒めくらいは作れる。油が欲しかったけど、多分なくても大丈夫。ただずっと野菜炒めを作るわけにもいかないから醤油に近いものも見つけないといけないだろう。食器は一つも置いてなかったが優梨の出した鍋でもはや代用できる気がする。なぜかコンロは整備されていてちゃんと火もついた。なんとも言えぬ所が充実している。念のため他の戸棚も探していると突然話しかけられる。
「優梨、一旦、退いて」
顔を上げると必死に水の入った桶を持った香樹が立っている。軽く道を開けると、香樹は桶を台の上に置き、脱力して座りこむ。
「水って重たいのな…」
発言がバカっぽい。実際そうかもしれないが。
「当たり前でしょ。戻るよ」
「へいへい」
元の部屋に戻ると二人は鍋を上手いこと隅に寄せて綺麗に片付けていた。鍋がない床はこんなに歩きやすいのか、となんともいえぬ感情を抱いてしまう。
「どうだった?」
「塩とコショウと砂糖はある。あと調理道具一式も揃ってる。ただ皿とかはないみたい」
「皿はこの鍋で代用できるな。フォークとかは欲しいが……」
「優梨、出せる?」
「んー、頑張ってみる!えっと、いでよフォーク!」
優梨が空中に手をかざしてそう叫んだ瞬間、優梨の手からコトンとフォークが落ちてくる。10本くらい。
「ちょっと多かった…?」
優梨は自分で出したフォークをまじまじと見つめつつそう言う。
「すげぇじゃん優梨!鍋の時より確実に良くなってる!」
「そうだね!頑張ればもっと上手くなるよね!」
「特訓だぁぁぁぁぁ!」
「うん!」
温度差が違うのに雰囲気が全く崩れていないんだが。しかもなんか外出ていっちゃったし。まぁ、野菜炒めでも作って待っとくか。
「空良」
「ん?」
「しぐれ、って名前、記憶にあるか?」
「しぐれ?うーん、時雨煮くらいしか出てこないけど…」
「そうか、ならいい」
「ん」
遼が一度話を区切ったらその後に何を言ったところで教えてくれない。時間が経って本人が納得した頃に聞くのがベスト。とりあえず野菜炒め作ろ。キャベツとにんじんとか入れとけばなんとかなる気がする。適当に野菜をいくつか取り出し、水で軽く洗い流す。包丁で適当に切り刻んで、にんじんをフライパンに放り込み、キャベツも放り込み、適当に炒めて、塩コショウ。はい完成。鍋をとってきて四人分盛り付けていると外から優梨と香樹の完成が聞こえてくる。すぐに扉が開く音がし、優梨がビンを持ってこちらに向かってくる。
「どうしたの?」
「醤油が出てきたの!」
「え!?」
試しに瓶の蓋を開け匂いを嗅ぐ。醤油の匂いがするし、色味も醤油。指につけて軽く舐めてみると、本当に醤油の味がする。
「『いでよ醤油!』って言ったら醤油だけ出てきちゃって、香樹が転がってたビン洗って入れてくれたの」
「もう、なんか、すごいわ、うん」
「私もびっくりだよ」
「他にも材料手に入ったら煮物とかも作るか」
「ほんと?空良が作ると美味しいから楽しみ」
異世界にきてなぜ料理の話をしているんだ。これじゃあスローライフじゃないか。ただキャンプみたいで楽しいという思いがないわけではない。優梨の魔法があったらもはや普通に暮らせる気がしてしまう。醤油を戸棚にしまい盛り付けを済ませる。顔を上げるとまだ優梨がキッチンに立っていた。
「私達さ、元の世界に帰れるのかな」
不安げに優梨が言う。優梨なりに明るく振る舞っていたのだろう。優梨に近づいて抱き締める。
「大丈夫だよ」
優梨は私の肩に顔を埋め泣き始めてしまった。それも当然だろう。訳のわからない場所に連れてこられ、自分の手から醤油が出てくるようになり、なんてことがあったら不安どころじゃない。少し経つと優梨が顔を上げて恥ずかしそうに笑う。
「みんないつもみたいに過ごしてて、私も頑張らなきゃ、って思って。でも空回りしちゃった」
「優梨は十分頑張ってるよ。普通にこんな状況受け入れるだけすごいんだから。冷めちゃうし早く食べよ」
「そうだね!運ぶの手伝うよ」
「ありがと」
なんやかんやで食べた野菜炒めは我ながら悪くない出来だったと思う。個人的には米かパンが欲しいけど、食事が取れるだけ進歩だ。香樹は食べ足りない、というような顔をしていたが香樹なりに食料事情は理解しているのか特に何も言ってはこなかった。元の世界と同じように暮らせることはないと思うが、もう少し生活水準は上げたい。まだまだやることは山積みだ。
それからというもの、時間はあっという間に過ぎていき、はや2、3ヶ月それなりの生活水準にはなった。どんどん魔法が上達している優梨は基本的な調味料、例えばみりんや料理酒といったものは出せるようになり、食器ももちろん出すことができるようになった。そのおかげで料理のレパートリーも広がり食事をそれなりに楽しめている。しかし米は存在しないらしく、基本的に主食はパンかパスタだった。レイラさんにも聞いたが「コメ」という名前は聞いたことがない、とのことだった。何より進歩したのがガスに近いものが利用できるようになったことだ。どうやらこの世界の動力源は基本的に魔力で構成されているらしく、魔力さえ流し込めば大体のものは作れるらしい。レイラさんは私達に魔力の流し方を教えてくれ、小屋を探せば流し込める場所があるはずだとも言ってくれた。練習をしたものの私は魔力が少ないのかなかなかできなかった。遼はというと教わったその日に習得し、早速小屋周りを探索して魔力を流し込んでいた。香樹と優梨にも軽く教えると、二人ともすぐに習得し交代で魔力を補充するようになった。蓋がしてあったので気がつかなかったがキッチンにはシンクがあり、蛇口をひねると水が出てきた。魔力が扱える今では温水も出すことができる。冷蔵庫に近いものも使えるようになり、肉類を貰ってきやすくなった。なかなかに便利な世界に転生したなぁ、と思いつつほぼスローライフになっている状態を楽しんでいた。
「ほんと便利になったよね」
「ねー!日本の文化とか持ち込んだらすごいお金になりそう」
異世界に来て不安げだった優梨の表情も今はかなり明るくなり、軽口を言えるくらいに落ち着いてきた。
「…あくまで迫害されてることは忘れるなよ」
冷たく遼が言い放ってくる。最近ずっとこんな調子だ。迫害やこの異世界から帰る方法に執着している感じがする。生活ができているのだからそれだけでも喜んだら良いのにと思ってしまう。香樹も近づき難いのか、食料調達の時以外、遼が一人になることが増えた。最初は心配して話しかけたりしていたものの、素直に喜ばない姿に不満が溜まり、思いやることも減ってしまった。こんな形で亀裂が入るのも癪だが、合わせようともしない遼も悪いと心の奥底で思ってしまう。ため息をつきそうになるが我慢して立ち上がる。
「ご飯作ってくるね」
「あ、手伝う!」
冷蔵庫を除き玉ねぎとにんじん、じゃがいも、肉を手に取る。久々に肉じゃがでも作って一息つこう。レイラさんに作ってあげた時にはベタ褒めされたので個人的には最も得意な料理だと思っている。手早く下拵えを仕上げ、適度に煮込み味付け、からの盛り付け。慣れたものだった。皿に盛り付けて机に運ぶ。ついでにレタスを適当にちぎってサラダも作る。
「お、良い匂い。肉じゃがじゃん」
机に置いた側から香樹が食べ始める。
「いただきます」
ぼそっとつぶやく声がし黙々と食べる遼。私と優梨も座って食べ始める。
「あー米食いてー!」
「食べたいね。元の世界、って戻れるのかな」
優梨からこの話題を出すのは珍しい。気持ちも落ち着いてきたからこそだろうが、優梨自身も成長したなぁ、と思う。すごく保護者目線になってるけど。
「うーん、異世界転生とかの話だと戻れないパターン多いけど…」
「空良は戻りたい?」
「もちろん戻りたいよ!私らならどうにかできるでしょ!」
大丈夫、大丈夫、などと言って明るく振る舞っていると遼が突然、ダンッと机を叩き立ち上がる。突然のことに会話が止まる。
「何?」
思ったより冷たい声を出してしまい、少し反省する。遼は少し傷ついたような表情をした後、苛立った口調で話し始める。
「お前らさぁ、いつまでそんな生ぬるいこと言ってんだよ。生活できたら終わりじゃないだろ。調べることだってあるのになんでそんな…」
そこで遼が言葉に詰まる。言おうとしてきたことがなんとなく予想でき感情的に話してしまう。
「ぼーっとしてる、って?」
「そ、空良、落ち着いて。ほら遼も、ね?」
優梨に宥められ、少し我に帰る。ため息がこぼれ落ちる。遼は鋭くこちらを見つめている。その側から香樹が勢いよく立ち上がる。
「あのなぁ、遼。俺だって、お前と話そうとしたよ。だけど突っぱねてたのはお前だろ」
「は?」
「調べてくれんのはありがたいけどさ、今生活できてることを全く喜ばないってのはちげーだろ」
「喜ばない、って。十分感謝してるし、便利だと思ってるよ。でもそれより大事なことだろ」
「全部それに割く必要ないだろ、って」
「お前らのためにも俺のためにも、あんだけ調べて邪魔者扱いかよ」
その言葉で明らかに雰囲気が変わった香樹を慌てて押さえ込む。遼は突然立ち上がり、鼻息荒く遼を睨みつける香樹の真横を通り過ぎてドアの方へと歩いていく。
「悪いけど付き合えない」
そのままバタンと扉は閉められる。誰一人身動きを取らないまま、1秒、2秒と時間が経っていく。
「言いすぎた、よな…」
香樹は半ば崩れ落ちるように座り込む。遼がここまで感情的になっているのは見たことがない。言ってくれれば手伝ったのに、という不満と言いすぎたという後悔がまざってえも言われぬ感情になる。
「ごめんね、止められなくて」
「優梨は悪くないよ。感情的になっちゃった私達の責任でもあるし」
「俺、外見てくる」
香樹はローブを手に取り、羽織りながらドタバタと出ていった。このまま関係が崩れてしまうのが怖い。もし仮に遼がいなくなったら私達は生活を成り立たせて元の世界に帰る、なんてことができない。本気でそう思ってしまう。考えれば考えるほどマイナスの方向にしか考えが及ばなかった。
それから何分経っただろうか、勢いよく扉が開き息を切らした香樹が飛び込んでくる。肩で息をする香樹の表情は不安で満ちていた。
「街まで行ったけどレイラさんのところにも、途中の道にもいなかった。他は行けてないけど…」
「たまたま入れ違っただけじゃないかな!ね!」
優梨が励まそうとしてくれている。それはわかるのに私はそれを受け止めきれない。
「もういいよ。どうせ帰ってくるでしょ」
痺れを切らして私は寝室へ向かった。ベッドに寝転がってもいつものようには眠れなかった。うつらうつらとしてきた瞬間にまた目が覚める。暮らせる場所はここしかない。遼が帰ってこないわけがない。そう何度も言い聞かせたのに、どこか嫌な予感がした。