私のお母さんは囲碁棋士
私の名前は佐藤梢子。
高校2年生だ。どこにでもいる普通の高校生と言いたいところだけど。
実はほんのちょっと違うところがある。
それは私の両親の事だ。
父は若い頃に将棋のプロを養成する奨励会というところに所属していた。
年齢制限で辞めることとなったが、将棋そのものは続けており、その影響で私も将棋に興味を持ったのだ。
そして私の母は現役の囲碁棋士である。
佐藤美晴、私の母の名である。
本人曰く若い頃はアイドル的な人気で結婚したお父さんは囲碁界ならびに囲碁ファンから恨まれていたようだ。
「なんで奨励会崩れが囲碁界の宝をかっさらうんだ」
や
「俺達の美晴ちゃんが将棋のプロにすらなれなかった奴に取られたーー」
などと、どこまで本当か疑わしい話を良く聞かされた。
うちの両親は将棋と囲碁の道場でそれぞれお客さんに指導しており、私もそこで将棋を指したりする。
ある時、学校帰りによくうちの道場に来て、囲碁を打っている人と偶然会って声をかけられた。
「こんにちは、梢子ちゃん、今学校から帰りかい?」
「はい、これから帰るところです」
その時、私は普段道場じゃあ、母もいるからなかなか聞けないけど、気になっていたことがあったので思わず聞いてみた。
「あの、うちのお母さんって本当に若い頃人気があったんですか?」
「おお、あったさあったさ。まあ今みたいにインターネットとかがあったわけじゃないから一々、新聞とかで大盤解説に来るかどうかを調べる熱心なファンが多かったよ」
「そうなんですね、じゃあお母さんの言ってたことも嘘じゃないんだ」
その話を聞いて私は家に帰ると今度は母から囲碁に関する話を聞かされることとなるのだ。
「あ、お帰り、梢子、ねえねえお母さん自慢したいことがあるの聞いてくれる?」
「何よ?まさかタイトル挑戦が決まったとかはないか、お母さん全盛期の頃でも挑戦にいけなかったから」
「それが親に対する態度、まあいいわ。なんとこの度お母さん、約5.6年ぶりにMHK杯の本戦出場が決まりました」
「ええ、MHKってあのMHK?」
MHK杯とは将棋でも同じ名前の棋戦があるが、数少ない、テレビで放映される囲碁の公式戦なのだ。
つまり最低でも1回は母の姿が全国放送で流れるという事なのだ。
子供の頃はお母さんがテレビに映っただけではしゃいでいたものだが、高校生となった今ではどちらかというと恥ずかしさが勝ってしまう。
しかし、母の発言で少し疑問があったので思わず尋ねてみた。
「ねえお母さん、そのMHK杯に出れるって事は、去年の成績って良かったの?」
「ええ、なに梢子、娘なのにお母さんの成績も知らないのーーー」
「いや、そもそもお母さんあんまり勝った負けたを言わないじゃない。まあなんとなく分かる時もあるけどさ」
「まあ、梢子が高校に進学してあんまり手がかからなくなった分、囲碁の勉強をする時間が増えたのもあってかな」
確かに中学3年の頃は私の受験で、色々忙しくお母さんも囲碁の勉強時間が減っていたのは確かだ。
だからといって大きな対局に出られるのは、年をくっても伸びることってあるんだなあと実感し、母の姿を私はまじまじ見ていた。
「ん、何?何か言いたそうね」
「別に、それで1回戦はいつ頃なの?」
「放送日の関係もあるから、たとえ家族でも言えません」
「えーーー、教えてくれたっていいじゃなーーい」
正直、恥ずかしい気持ちはあるが、やはり母にとっては晴れ舞台だし、勝って欲しい気持ちも大きい。
母は先日公式にトーナメント表が発表されるタイミングで私達家族に発表したのだ。
なんとも囲碁界に対して律儀なお人だろうか。
そして5月になり、ある程度囲碁トーナメントが消化された頃に再び母より発表があった。
「はい、皆さん発表があります。なんと私佐藤美晴が6月1週目の放送で囲碁トーナメント初登場となります」
「そうなの、ひょっとして……」
「もう収録済みよ。ところで梢子、6月最初の日曜日ってなにか用事ある?」
「ううん、別に」
次の瞬間、母は私に対して言い放った。
「じゃあ、お母さんの勇姿をお父さん、お母さんと一緒に見なさい」
「それはいいけど、じゃあ先に将棋トーナメントも見ていい?」
「珍しいわね、梢子はプロの将棋は難しいからって講座番組しか見なかったじゃない」
「6月1週目なら今年同じクラスになった長谷君が出ているの」
私の言う長谷君とは将棋のプロ棋士長谷一輝四段だ。
去年の秋にプロ入りし、活躍が期待されているのだ。
私と同じ学校でクラスメイトなのだ。長谷君の名前を出すと突如私をいじりだした。
「へえーーー、梢子もやっぱりお年頃の女の子ね、同じクラスの男子が気になるなんてねーー」
「いやいや、気になるのは将棋よ。そもそも学校でそんなに話したことないし」
「そうなの、サイン位もらえばいいのに」
「いや芸能人じゃあるまいし」
私と母がやり取りをしていると父が話に加わる。
「長谷四段は、赤翼名人以来の天才だという呼び声もあるな。しかし感慨深いな」
父の言葉を聞いて母が父に尋ねる。
「感慨深いって?」
「俺、赤翼さんと同い年なんだぞ。そして梢子が長谷四段と同い年。なんか人生いろいろって感じがしてくるな」
「何言ってんの、あなたも遅まきながら大学を出て、しっかり就職して、こんなかわいい奥さんとかわいい娘がいるのよ。中々いい人生だと思わない」
「別に今だって悪いとは思ってねえよ、ただ俺もプロになれていたらと思うことも時々あるってだけだ」
父がしんみり語ると母が元気よく言葉を放った。
「ま、次の私の対局でも見て家族で元気よく過ごしましょう」
私はこの時、母はきっと勝ったから自信満々に話している。そう思ったが母の真意は別にあったことをまだか知らなかった。
そして6月1週目の日曜日がやって来た。
まず私達家族は長谷君が出ている将棋トーナメントを見ており、いよいよ決着かという局面まできていた。
テレビから記録係の秒読みが聞こえる。
「20秒、1,2,3」
「負けました」
「まで111手で長谷四段の勝ちとなりました」
将棋トーナメントは長谷君の勝ち。囲碁講座の番組を挟めばいよいよ母の出番だ。
将棋トーナメントの間に母が用意してくれた昼食を食べながら開始を待つ。
そして母が出る囲碁トーナメントが開始される。
椅子対局という形だが母の姿が凛々しく見えた。
なんかふんわりした印象のある母だが盤の前に行くと凛々しさを増している。
私は幼い頃少しだけしか囲碁をしておらず、今となっては全くやっていない。
対局が始まると私には黒の石と白の石が交互に置かれいるようにしか見えず。
形勢が良く分からない。
ある程度進むと、解説の人の言葉を聞く感じ母が少し不利のようであることが伝わってきた。
「これは神田六段少し苦しくなりましたか」
母は旧姓で棋士としての名前を登録しており、そう呼ばれているが、今はそれを気にしている場合ではなく、母が不利のようだ。
だがきっと母はここから逆転勝利をつかんだ。私はそう信じて疑わなかった。しかし……
依然として母が苦しいようだ。しかし母はなんとか逆転のチャンスを見出そうとしている。テレビ越しだがそれは私にも伝わった。でも……。
「負けました」
「162手を持ちまして白番宮下五段の勝ちとなりました」
母の投了の言葉が私にも聞こえ、正直意外な展開だった。意外だったので私は思わず母に尋ねた。
「ねえ、お母さん、なんでわざわざ負けた姿なんて見せたの?私お母さんはてっきり勝ったから見るように言われたと思ったわ」
「別にお母さん、勝ったなんて一言も言ってないんだけど」
「確かにそうだけど、どうして?」
「そうね、これはお父さんと梢子2人に見て欲しかったの」
私と父に?そう思っていると母は語り始めた。
「梢子、この間からウイナビ女子に出たいって言ったじゃない」
「うん、言ったわよ。でもお父さんが反対して」
「確かあの時お父さんはどうせ負けるからでても無駄って言ったけど。だからこれを2人に見せたの」
ますます分からん。そう思いながらも母の言葉を私達は聞いていた。
「負けるのは確かに辛いわ。それでお父さんが梢子には将棋の楽しさを教えていた。負けてあげたりと、それ自体は間違いじゃないけど。それだけじゃダメなの」
「どういう意味?」
「将棋でも囲碁でもその奥深さを知るには負ける悔しさとそこからどう立ち上がるかが大事だと思うの。それはプロでもアマでも」
なんとなくだが、母の言いたいことが少しだが伝わってきた。
「梢子、ウイナビ女子には梢子より強い人も出る。だけど、そこから学べることだってあると思うわ」
母はあえて自分の負ける姿から私に何か学び取ってもらいたかったのだ。そしてそれを父にも見せることで私の出場したいという意志をサポートしている。
「ふ、全くお前がそんなことを言うんじゃ、俺が反対しづらいじゃねえか。梢子、ウイナビ女子に出てこい。お前の力をみせつけてやれ」
父が折れた。母に弱いから?それだけじゃない。母は母で長年勝負の世界に生きてきた。だから父も母の言葉に説得力を感じずにはいられないのだ。
このウイナビでどこまでいけるか分からないけど、お父さんが教えてくれた力強い将棋とお母さんが教えてくれた勝負の心得で私やるよ。 完