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74 前回と前世と乙女ゲーム 4

「スピネルの本当の名前はマティアーシュっていうのね?」


 私だけでなくセレンハート嬢まで固まっている状態の中、ひとり通常通りのファルナーゼ嬢が従者に振り返って言った。


「いえ、お嬢様。私はスピネルです。何度も言ったでしょう?」


「いや、確かにそう言ってたけどさ、本当の名前って言うか……」


「お嬢様、私の名前は未来永劫スピネルでございます。お嬢様が下さった名前が私の唯一の名前です」


 いや、今の問題はそこではないだろう。闇落ちするだの勇者に討伐されるかもしれないだのマリアに救われて恋に落ちるだの聞かされたのだ。今は名前以外にもっと気にするところがある筈だ。


「スピネル様は本当に竜種のマティアーシュ様ですの?」


「その名はもう私のものではありませんが、かつてマティアーシュと呼ばれていたのは本当です」


 え、闇落ちしないと物語はどうなるの?勇者は骨折り損のくたびれ儲けの無駄働きということ?とセレンハート嬢がブツブツと呟いている。

 確かに、この男が神託にあった闇落ち竜だとしたら、勇者の使命はどうなるんだろうか。


「レナ、スピネルはどうして闇落ちしちゃうの?」


 すっかり淑女の仮面が外れたファルナーゼ嬢が問いかける。確かに、今現在この男が正常な竜だったとしても、これから闇落ちするのかもしれない。その原因を取り除けば、暗黒竜による被害は無くなる。勇者はいい面の皮だとは思うが、人民の命には代えられない。


 セレンハート嬢はチラリと従者をみやり、話していいものかと問う。従者が頷くと、これはスピネル様の個人的事情ですので、あまり口外はしたくないのですが――と前置きして話し始めた。


 従者は竜王の第二子で、兄とは異母兄弟であるらしい。そして、彼の母は竜ではなく人間だった。異種類婚でうまれた彼は、純粋な竜種である兄よりも内包魔力が高く能力も上回っていた。嫉妬した兄に疎まれ、人間であった母は死に、父である竜王には顧みられず、しかし能力と魔力の高さゆえに彼を次期王とすべく一派が継承争いの火種を撒いた。


 彼は兄の手の者により誘拐され、証拠が残らぬようわが国で人間の手によって殺される筈だった。体を不自由にする薬を盛られボロボロになるまで嬲られ、放置しておけば人型をとれなくなるだろうという思惑の元、彼は捨てられる。発見されるのはこの国には無い色彩の弱った子供、或いはこの国に居るはずのない竜。

 どちらにせよ、己と違うものに対して非情な人間種に見つかれば、その場で殺されるか研究材料として弄り回されたのち殺されるか。


 だが、殺される寸前に彼の魔力が暴発し、彼はこの世とあの世との境目に落ちる。恨み骨髄に達した彼は、狭間で己の力を高め、この世界への復讐を誓う。


 それが闇落ちの理由だそうだ。


「全然乙女ゲームじゃない」


 ファルナーゼ嬢のつぶやきは、この部屋にいるすべての者に黙殺された。


「ゲームの中ですので時系列ははっきりしないのですが、本当ならスピネル様は狭間におられる時期かと……」


「途中まではその通りでした」


 従者が、その凄惨な過去に似つかわしくない誇らしげな笑顔でセレンハート嬢の言葉を肯定した。いや、喜色を浮かべられても反応に困るのだが。


「お嬢様が暴行を受けている私を助けて下さったのです。お嬢様があの時あの場所に来ることが無かったら、セレンハート嬢の仰る通りの道筋を辿ったかもしれません」


 ファルナーゼ家の敷地内にある「常世の森」。その森で従者は弱った体に複数の少年たちから暴力を振るわれているところに割って入ったのがファルナーゼ嬢だったという。


「お嬢様はそれはそれは凛々しく美しく華麗で強烈で容赦なく可憐で……」

「いや、スピネル、それはいいから」

「そうですか?まだ讃え足りませんが」

「話が進まないから」


 ファルナーゼ嬢に止められた従者は至極不満そうではあったが話を進めた。


「お嬢様に助けて頂いた私はファルナーゼ家で保護して頂き、そのままお嬢様にお仕えして今に至ります。よって、闇落ちだの暗黒竜だのと言う未来はやってきませんね。私の将来はお嬢様との幸せな生活一択であって、復讐だの意趣返しだのとはまったく無縁です」


「そ……そうか」

「そうなのです」


 これで暗黒竜による被害は考慮しなくて良くなった。

 なにせ、当の本竜が闇落ちどころか生き生きとして幸せな生活を送っているのだ。


 私にはまったく責任が無い事だと思うが、何故か勇者に対して申し訳ない気持ちを抱いてしまう。


「シシィ、あなた自分の死亡フラグだけじゃなくて、スピネル様の闇落ちフラグも、ついでにマリア様の対マティアーシュ様恋愛フラグも折っていたのね……」


「知らなかったけど、そうみたいね?」


 ファルナーゼ嬢は世界を破滅から救ったという自覚はあるのだろうか。いや、ないだろう。


 勇者が神により選定され神託を降ろしたという事は、通常は人の世に不干渉である神がそれをせねばならないほどの危機だったという事だ。


 それを、まるで植えて忘れていた種が勝手に綺麗な花を咲かせたとでもいうような軽さで”そうみたい”だと言い放つ。


 このような話を表立って言える訳もないのでここだけの話になるだろうが、すでに世界は救われたのだ。それの何が悪いのだ。


 立つ瀬の無い勇者の事は置いておいて、今は平和が約束されたことを喜ぼう。


 勇者にまみえる機会があったら、神の信託が新たに降ろせないか聞いてみることにして。



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