26 多方面にご心配をおかけしまして
お茶会の翌朝、お母様は部屋に入ってくるなり泣きだした。
「シシィ。あなたが倒れたのはこれで二度目。どこか悪いのではないかしら。お医師様は体に異常はないというけれど、母様はとても心配なの」
「お母様、心配かけてごめんなさい。それで、あの、お父様とお母様に話があるんだけど」
一年の間に二度も人事不省に陥った娘を心配するお母様の気持ちはわかるけど、アーネストに言ったように記憶の蘇りによる負荷のせいだったと思うから、これからは同じような事は起こらない。と思いたい。
8歳までのシシィの自我が蘇ることはあるんだろうか?シシィ・ファルナーゼとしての記憶失ってはいないんだけど――と、そこまで考えて答えが出るはずもないと思い返す。
よし、これも”未決”として棚上げだ。
「ええ、アーノルドから聞いているわ。お父様のお仕事の都合で時間がとれるのは明後日になってしまうから、それまではゆっくり養生してちょうだい」
「え?いやいやいや、お母様、私はもう大丈夫だから」
明後日までベッドの住人になるのは嫌。ただでさえ昨日は鍛錬していないんだし、体を動かしたい。
そう主張しようと思ったんだけど、涙目のお母様には逆らえなかった。
仕方がない。お父様とお母様にどうやって説明するかを考える時間にしよう。
ゆっくりと休むようにと言い残してお母様が部屋を出ると、入れ替わりにスピネルが入ってきた。こちらも涙目だ。
「お嬢様……」
涙がこぼれないように堪えているのだろう。眉間にぎゅっと力を入れて皺をよせているし、口元が震えている。
「ごめんね、スピネル。心配させて。もう大丈夫だから」
「な……にが大丈夫、ですかっ。お医師様が悪いところはないって言ってたそうです――けど、何も、悪くなくて倒れたり……しません。悪いところがない、のでは、なくて――見つけられない、だけ、じゃないですか」
なるほど。原因が無いのではなく不明、かぁ。そりゃ、そう考えるよね。私としては記憶が戻ったせいで脳に負荷がかかったんだろうなー位にしか思っていないし、体に悪いところがあるとは思えない。
けど、それを知っているのは私とアーノルドだけ。
知らなければそりゃ不安になるだろう。
「僕を拾ってくれる前にも高熱を出して……でも、原因不明って……」
「スピネル、おいで」
ベッドの上に起き上がって、まだドアから一歩入った場所で立ちすくんでいる大事な友人に声を掛ける。
スピネルはへの字にした口をまだ震わせているけど、ゆっくりと一歩一歩ベッドに近づいてきてくれた。
獅子井桜の記憶を取り戻した私は、9歳ではなく17歳のお姉さんだ。小さな子にあんな悲しい顔をさせたままでいる訳にはいかない。そう、私はお姉さんなのだ!
傍まで来たスピネルを抱きしめて背中を撫でる。だいじょーぶだよー。心配かけてごめんねー。という気持ちで。
驚いたスピネルが逃げようとするがそれは許さん。黙って抱きしめられていなさい。
前世では筋肉ダルマの兄が二人いただけで弟はいなかったけど、弟ってこんな感じかなぁと思いつつ細身ながら引き締まったスピネルの筋肉も堪能する。
うんうん。一年前は痩せっぽちだったけど、いい感じの細マッチョに育ちそうな良い体だ。
いや、まだ分からないけどね。兄貴たちだって子どもの頃からゴリラだったわけではないし。
拾った時のやせ細っていたスピネルは同じ年くらいに思ったけど、こうして元気になった姿を見るとシシィより少し年上かもしれない。
それを弟なんて思っちゃいかんかな?でもさー、私の精神は17才だからさ。どうしてもお姉さん目線になっちゃうのだよ、うん。
背中を撫でているうちに落ち着いたスピネルは、まるで発する言葉が罪ででもあるかのように小さな声で言う。
「いなくならないで下さい。お嬢様がいなくなってしまったら、僕にはもう何も残らない。僕にはお嬢様しかいないんです。僕なんかがお傍にいられるような方じゃないのは分かっているけど、お嬢様がいなくなったら僕はまた一人ぼっちになってしまう」
そう言っているスピネルの方が今にも消えてしまいそうに儚く思う。
「いなくならないよ。いなくならないし、スピネルには私だけじゃない。お父様もお母様もいるし、アーノルドやジェシーだってスピネルの事は気に掛けてくれている。庭師のおじいちゃんも厨房の料理人たちもスピネルを可愛がってくれているじゃない」
私がそう言ってもスピネルは力なく首を横に振るだけ。
胸に抱えるようにしているから、見えなくても仕草は伝わってくる。かーなーり、凹んでいるようだ。どう言ったらスピネルの気持ちを前向きにすることが出来るだろうか?
これで私に豊かな胸でもあれば彼の気をマイナー思考から照れ照れ思考へと逸らす事も出来るんじゃないかと思うんだけど、9歳なのでそんなものは持ち合わせていない。
ちなみに、17才だったときにも豊かな胸とはご縁が無かったが。
「それでも……僕は、お嬢様がいないと……。この怖くて特別な、匂い――」
「え!?魔法で匂いを嗅がないようにしてるんじゃないの!?」
「してません。この匂いを嗅いでいると、怖いけどお嬢様が確かにここにいるって実感できます」
ちょっと病んでるのか、君は。
可愛い弟 (のようなもの)が闇属性とは困ったもんだ。まぁ、今は私といっちゃん・そうちゃんしか友達がいなくて視野が狭くなってるんだろうな。これから世界を広げていけば、お姉ちゃんに依存している状態から立ち直れるよ、きっと。
「大丈夫、スピネルが一人立ちできるまでずっとそばにいるから」
それまで長い目で……ああぁぁぁああああ!
「……あ、無理かも。私、最悪の場合17歳で死ぬんだった……」
私、死亡フラグ持ちじゃんかっ。




