25 取り戻した記憶
私、どうしたんだっけ……。
気が付いたら自分のベッドの中で、部屋の暗さから夜更けと思われる時間だという事は分かった。
鈍い頭痛のせいか、自分の状況が良く分からない。
「お嬢様、気が付かれましたか」
「アーノルド……」
声のした方を向けば、ベッド脇で椅子に座ったアーノルドがいた。
「どこか痛みはございませんか?お医師様は原因が分からないが重篤な病ではないから安静に――という事だったのですが」
「お医者様……?わたし、どうして――ああ」
思い出した。お茶会にお母様とお出かけし、王子様の顔を見たときに思い出したんだ。獅子井桜の事を。そして、自分が悪役令嬢だという事を知ったんだ。
「ごめんね、アーノルド。今は何時?お母様にも心配かけたことを謝らなきゃ」
「ええ、奥方様も大変心配なさっておりました。ですがもう深夜ですから、お話は明日の朝になさいませ」
「うん、そうする。それにしても何で家令のアーノルドが付き添ってるの?」
家令のお仕事からは随分隔たりがあると思う。それに、9歳といえど一応私は令嬢だから、父より年上とは言え男性のアーノルドが付き添うのはどうかと思う。
「私は治癒魔法が使えますから。まあ、怪我は治せても病気は治せない程度でございますが、万が一のことを考えましてお傍に付かせていただいておりました」
そういえば、最初に獅子井桜の記憶がよみがえって混乱していた時も、メイドのジェシーが呼んできたのはアーノルドだった。家令の仕事の上に救急隊員のような、範疇外のお仕事もさせられて大変だ。
「私はもう大丈夫だから、休んで、アーノルド」
「意識を取り戻されたら大丈夫だとは言われておりますが、念のために今夜は付き添いいたしますよ、お嬢様」
「ダメダメ、無理したらアーノルドが今度は倒れちゃうよ」
「おや、これでも鍛えておりますし、業務が過密になった際には一晩や二晩の徹夜をすることもございます。ご心配なさらずに」
公爵家の家令ってブラックなのかぁ……。まだ若いけど、そのうち無理が効かないお年頃になるよ?若い頃の無茶のツケが回って来てから後悔しても知らないよ?
「……ねえ、セバスチャン」
最初に悩みを打ち明けたときに勝手につけた名前で呼んでみる。
アーノルドは目を見張って私を見つめ、得心したように頷いた。
「思い出されたのですね」
「うん。頭痛も卒倒もそのせいだと思う」
「お医師様でも見つけられない病気ではなくてようございました」
なんでだろうね?脳のキャパの問題かとも考えたけど、シシィの脳って超優秀なんだよ。獅子井桜の脳は形状記憶かと思うくらいに脳のシワが時間経過で修復してつるっつるになったというのに、シシィの脳は一度見聞きしたことを忘れない。
お肌つるつるならいいけど、脳がつるっつるはいただけない、うん。
いやいや、前世の自分の脳をディスっている場合じゃない。今の脳みそは優秀なのでキャパオーバーってことはないんじゃないかなーって推察していたんだ。
けれど前世でも脳医学はまだ途上だった筈。脳の使用率は10%理論は覆されたという話だけど、なら何パーセントを使っているのかは不明だそうだ。
なので、今の脳がめちゃ有能だからといって、記憶の喪失や復帰でダメージを受けないとは限らないか。
まてよ?
記憶って脳に刻まれるよね?
なら、獅子井桜の記憶は何処に刻まれてたんだ?
―――――分からん。
メモリとして優秀な脳だからと言って、使っているのは獅子井桜の自我だ。(この言い回しはセバスチャンに教えてもらった)考えるのは得意じゃないし、考えても分からない事を投げ出すのは得意だ。
もやもやしたものを抱えたまま生きていくのは重労働だと思われるので、分からなかったら棚上げする。私の心の棚はそれはもう大きいからいくら棚上げしても平気だ。
「どうかなさいましたか、お嬢様。やはりお体の調子が……お休みになったほうが宜しゅうございます」
セバスチャンが心配そうに私を見ている。
そうだ。今は脳がどうこう考えている場合じゃない。
私は棚上げも得意だが脱線も実は得意だ。考えているうちに主題が何処かへ行ってしまってグネグネと回り道したり寄り道したりして、気が付いたら何をすべきかゴールはどこなのかが分からなくなってしまう質なのだ。
「大丈夫。色々と考えることがあって……」
確かに考え事をしていたが、今必要な事じゃなく思考が脱線事故を起こしていただけなのだ。しかし、いかにもそれっぽく答えると、セバスチャンがご尤もですとでも言うように沈痛な面持ちで頷いてくれる。
ゴメン、セバスチャン。
「セバスチャン、私に前世の記憶があることをお父様とお母様には……?」
「申し上げておりません」
「え?」
彼の家令という立場からすれば当然報告をしていると思っていた。
だって、主はお父様だもの。私が決心を付けられないからといって、黙っていてくれるとは思わなかった。
「家令アーノルドとしては拙いでしょうが、お話を伺ったのは執事のセバスチャンでしたからね」
お道化るようにウィンクまでしたセバスチャンに、私は頭を下げる。
「無理なお願いだったのにありがとう。ごめんなさい」
「いいのですよ。あの時のお嬢様はとても怖がっていらした。そんなお嬢様を追い込むような真似は出来ません」
「ありがとう。――ねぇ、アーノルド」
今度は執事のセバスチャンではなく、ちゃんとファルナーゼ家の家令であるアーノルドに話しかける。
「はい、シシィお嬢様」
「お父様とお母様にお話ししなきゃいけないの。前世の記憶があることと――」
死亡フラグの事……。




