八話
だが一体、何が起こっている?
マリーエルザは現状、家ぐるみ、もしかしたら派閥ぐるみの報復よりも自分の功績、名誉を傷付けない方向の選択をしている。妙な動きをする理由はないはずだ。
まずは領主館へ行き、外に出ているなら確実にマリーエルザの姿を見ているだろう門衛に話を聞く。
予定なく戻ってきて事情を説明する俺に、衛兵はまず驚いた声を出した。
「えっ、いいえ――。マリーエルザ様自身には、変わったところはありませんでしたよ。いつも通り、迎えに来た馬車で帰られました。ああ、けれど……」
「……馬車か」
しかもいつも通りと来たか。そういえば、俺と屋敷に戻ったときも馬車だった。
だが屋敷で勤めている使用人たちではない。町の馬車屋を利用しているのか?
「どこの馬車を利用しているか分かるか?」
「ああ、それはもう。二件あるうちの新しい方ですよ。『亀と頂き』ですね。時間厳守、安定走行を売りにした人気店です」
「なるほど、行ってみよう。ところで、馬車の行先は分かるか?」
望み薄とは思いつつ、念のために確認しておく。
この前の問いでいつも通りと答えた衛兵は、その通りに首を横に振る。
「お屋敷に向けての路地を走って行ったので、その先は分かりません」
だろうな。そこからどこへ移動したのやら、だが。視界から外れれば彼らに知られることはない。
「そうか。ところで、さっき言いかけた『けれど』の先は何だ?」
「連絡に行き違いがあったのか、マリーエルザ様が帰られた後、もう一台馬車が迎えに来たのです。……ああ、いや。今考えると、一台目の馬車は少し早かったような気もする……」
ただの行き違いなら、そういうこともあるだろうで済む。まして今日は俺と移動するために別の連絡を入れた。どこかで妙な伝わり方をした可能性はある。
だから、不思議に思っても異常とは思わなかったのだろう。
「助かった。感謝する」
「いえ」
外門の警備をしている門衛もそうだが、彼らは本当に通り行く人をよく見て、覚えているな。
俺ももう少し注意して、見習うべきかもしれない。
店の場所を聞くのを忘れたのを途中で思い出したが、通りかかる人々に尋ねながらどうにか辿り着いた。
店構えは新しい。開業して間もないことがこれだけで窺える。しかも改修などではない辺り、資金力も垣間見えるな。
一仕事終えて調整中らしい一台の他は、皆出払っているようだ。
「ご予約ですか?」
従業員らしい、制服を身に着けた男が丁重に、しかし訝しむ調子で声をかけてきた。
悪意ではない。単純に俺の格好が貴族街に馴染まないから不思議がっているだけだ。
「いや、客のことを聞きたい。マリーエルザ・アンスチェアーという娘が貴社を利用していると思うが、常なら帰宅しているのにまだ戻っていないと言う。彼女が今日、どこに向かったかを教えてほしい」
「ああ、アンスチェアー家の方ですか」
昼間一緒に移動したときに使ったのも、おそらくこの店。俺とマリーエルザが知り合いであることは証明できる。
赤の他人には教えないだろうが、知人であれば口も軽くなろう。
「ええ、アンスチェアー様にはご贔屓にしていただいてますが、今日は昼間にご利用いただいた後、領主館へ引き返したので最後ですよ」
「……何」
不審には感じていたんだろう。応対してくれている従業員は戸惑いと共に眉間にしわを寄せた。
「迎えに来るようにご依頼されているので、いつも通り向かったのですが。もう帰られたということで行き違いになりまして。少々いい加減な話ですが、まあ中にはそういったお客様もいらっしゃいますから」
ほぼ、衛兵が言っていたのと同じ内容を答える。
呼んでおいてその場にいないと言うのは、相当悪質だ。しかしマリーエルザはすでに数回利用していて、客としての実績があるから営業妨害とは見做していないらしい。
いい加減なことを平気でする横柄な客、と札を付けられただけで済んでいる。
だが奇妙だ。わざわざ別の馬車を使って、一方の悪感情を買うような理由はマリーエルザにはないはず。そうしなくてはならない何かが起こった、というのでなければ。
――いや、違うな。門衛の話では、マリーエルザの様子そのものはいつも通りだったとのことだ。あえて馬車を変えて屋敷に連絡も入れず、常ならしない日が落ちた後の外出をする理由がない。しない人物だから、屋敷の使用人は戸惑っているのだ。
それよりは、偽の馬車を仕立てて彼女をさらったという方が無難な推測だろう。
何のために、という部分はやはり分からないんだが。
「助かった。仕事中に悪かったな」
「いえ、またどうぞ」
言葉通り、然程面倒がってもいない従業員に送り出されて、亀の頂を後にする。
しかし、マリーエルザはどこへ行ったのか。
闇雲に、片手間に探して見付かる気がしない。本気で探せば何とかはなると思うが……。
そこまでするべき相手か?
現状あいつはただの敵だ。自らの意思でこちらに不利益な画策をしているのなら、知ることに一定の価値はある。
だがそうではなく、意に沿わぬ何事かに巻き込まれているのなら。いっそ俺たちにとっては有益に働くかもしれない。
「……」
立ち止まってしばし考えて。舌打ちをしてから歩き出す。
立場上味方ではないというだけで、マリーエルザは悪人ではない。別に善人でもないが。
少なくともいない方が世のため人のためと言い切れるほどの悪行を俺は見ていない。
であれば、その命は、尊厳は、護られるべきだろう。
足を速めてとにかく人気のない場所を探す。周囲に雑音がなくて、集中できるならどこでもいい。
ややあってここならばと腰を落ち着けたのは、町はずれの隅。しばらく前にサラが人気を避けて夜に歌を歌いに来た辺りだ。
こうして考えると、初めて訪れた町でいい場所を見つけたものだな。
サラの嗅覚に感心してから、かつて彼女が座っていた崩れた外壁の残骸に同じように座った。
魔力や神力に頼って探すことも考えたが、あいにく対象であるマリーエルザがそう強い力を宿しているわけではない。町では埋もれる。
それよりはと、目も閉じて聴覚に神経を集中させた。
目的の声を拾い上げる前に、吹き抜ける風の音に違和感を覚えて目を開ける。背後を振り返って確認した。
おそらく町の建立時のままなのだろう外壁は、傷んでいる箇所が少なくない。だが少ないなりに魔物はどこにでもいるので、一応レベルの補修ぐらいはするものだ。
だから壁に子どもが這ってなら抜けられそうな穴を見付けて、首を傾げる。
この穴、前からあったか……?
記憶にない。そもそも気にも留めていなかったので、意識に残ってもいないのだ。
ともかく、見付けてしまった以上放置はない。手頃な瓦礫を見繕って埋めておく。
そうして穴を塞ぐだけ塞いだそのとき、市民街の中心部から複数人の悲鳴が響き渡った。
「!?」
主成分は恐怖と動揺。何があった。
声の発生地点へと全力で走る。どうやら商業区画で、これから客入りが盛んになる、酒を提供する店がある通りだ。
現場から逃げてきたのだろう人の波に逆らいつつ進む。と、一軒の酒場の扉に骸骨が数体、張り付いて引っ掻いていた。
一見人や動物の骨に邪念が魔力を媒介に憑り付いて動き出す、スケルトンという魔物のように見える。人が余計に恐怖を掻き立てられたのはこの姿形のせいだろう。
ただ、魔力で分かる。こいつらは人の骨の形に生成されただけのゴーレムだ。
とはいえ魔物の類には違いない。なぜ町中に、とかその酒場に何があるのか、などの疑問も浮かぶが、まずは倒すべきだろう。
「聖命の浄光」
光属性の神力で、絡まる魔力を強引に断ち切る。
動力を失ったゴーレムスケルトンはまず動かなくなって崩れ落ち、それから残った骨もすぐに塵となって消えた。
魔力による浸食が高かったせいだ。普通の素材ですらない。
低級ゴーレムに思考能力を持つ者はほぼいないので、捕らえたところで目的を問うことも不可能。
一体、この酒場の何を目的にしていたのか。中に心当たりがある奴がいてくれるとありがたいんだが。
「終わったぞ。開けてくれ」
がっちりと閉じられた扉を叩きつつ、声を掛ける。
周囲に骨が立てる不気味な音が消えたのを探る間を空けてから、そっと窓越しに人影が写る。
それから僅かに隙間を作り、伝えた通りの状況であると納得してから大きく窓を開いた。
「なん――、何だ、ニアか。スケルトンどもはどうした」
俺の顔を見て、ともかく知っている相手ということで少し緊張が取れたらしく、老年の男が声を震わせつつも訊ねてくる。
名前をベック・ターナーというこの男は、同じくノーウィットで錬金術士を生業にしている。面識はあるが、ほぼそれだけの間柄だ。
「浄化した。なぜこの酒場が襲われていたんだ」
「浄化……した?」
こちらの問いには答えず、どうも納得がいっていない様子でベックは外を見回す。
「……お前がか。またお前か。一体どういうことなのだ。お前は一体何者だ」
「錬金術士だが」
「嘘を付け!」
振るえる指を突き付け、ベックは叫ぶ。
「錬金術は万能だ。だがそれは理論上に過ぎん。実際に万物を操るなど不可能。人間にはそれだけの力はないのだ。なのにお前は、お前は何だ。万象を解き新たなものを創造するのは、最早神の所業ではないか!」
……ベックの声から、彼が俺を羨み、そしてそれ以上に恐れていることが読み取れた。
彼の恐れはある意味正しい。リージェのマナ経路を整え、力を使いやすくすることで干渉できる領域を増やす手伝いをしている俺だが、それでも半ば確信している。
この先リージェが完全に自分のマナを使いこなし、魔力、神力を鍛えようとも。彼女は俺の技量に追いつかないだろう。種としての適性ゆえに。
神には到底及ばないが、人ではない俺を異端に感じるベックは正しい。
「それでも俺は錬金術士だ。そしてお前もだろう」
「そうだ。だが――、だがお前が錬金術士だと言うのなら、わしは。わしなどは……」
続きは尻すぼみになって消えていく。口にして、音という形にするだけの気力がなくなったのだ。
肩を落として項垂れて、ベックは一度窓から離れた。そして酔いもすっかり冷めた様子で扉を開ける。
「ともあれ、助かった。……わしはお前が錬金術士などとは認めんがな」
「そうか」
言い捨て、そのまま去って行く。
ベックに認められようが認められまいが、俺が錬金術士であることは変わらない。ただの妬心に付き合ってやる義理もない。向こうも別に望んでいないようだし。
……だが、気分がいいものでもなかった。釣られたわけでもないと思うが、俺も気持ちが沈んでいる気がする。
「か弱いこと。これまで他者の才能に打ちのめされたことがなかったのでしょうね。幸福だったと喜ぶべきか、今になって辛酸を味わう苦を嘆くべきか。難しいですわね」
「――マリーエルザ」
まさかいるとは思っていなかったので、本気で驚いた。
そしてやり取りをすべて見ていたらしく、マリーエルザはそんなことを言ってから緩く首を横に振る。
「生きていれば、ままならないことばかりですもの。――ふふ。でもニア様には無縁ですかしら。希少な錬金術士としての才のみならず、魔導士としても優秀でいらっしゃるなんて。貴方様なら、どこへ行っても歓迎され、重用されますわ」
どうだろうな。人間ならばそうかもしれないが、魔物だし。
この一点に関しては一生変えられん。
「魔法はマナの修練のために修めただけだ。称賛されるほどの腕じゃない。……それより、お前はここで何をしている。家人が心配していたぞ」
「いきなりスケルトンに襲われて、無我夢中で明かりの点いている建物に逃げ込みましたの。家の者には悪いことをしたけれど、動きようがなかったのですもの。お許しになって?」
見たところマリーエルザに武術の心得はない。戦う術を持たない者が魔物に襲われれば、それはもう逃げるしかないだろう。
建物の中に避難する、という発想も自然だ。
だがマリーエルザの場合、それ以前の行動がすでにおかしい。
「貴族街で襲われたのか? ずいぶん遠くまで逃げたものだな。乗っていた馬車はどうした。それに、靴が随分汚れている」
「……ええと。わたくし。わたくしは――」
矢継ぎ早に質問をしてしまった俺に答えようとして、しかしマリーエルザは紡ぐべき言葉に迷った。
どう答えようかと誤魔化そうという迷い方ではない。まるで問いの答えを知らないかのような戸惑いだ。
勿論、分からないはずはない。自分の行動で経験だ。
だがもし、真実彼女の中に答えがないのなら。
「気分が。……そう、気分を変えようとして、少し寄り道をしましたわ」
「呼んだ馬車を置いてか」
「ええ。気分変えのためですもの」
気紛れ、その時の気分、と言われればそんなはずがないとは言えない。マリーエルザがそういうことをする人間かしない人間かも、付き合いの浅い俺には分からない。
ただ間違いないのは、マリーエルザは本気で言っている。
……自分の意思で行動していたのなら、これ以上言うことはないんだが。
「ですが、後悔しています。まあ、本当に酷い汚れ方」
靴の全体のみならず、足首辺りまで土埃で汚れた後がくっきりと残っている。
街中でさえ馬車を使って、自らの足で歩くことのないマリーエルザには滅多にないことだろう。心底嫌そうに眉を寄せている。
「もう遅い。屋敷まで送ろう。馬車はないがな」
「運んでくださっても構いませんのよ?」
「冗談はよせ」
「ふふ」
今のは本当に冗談だった。それぐらいは言っても大丈夫だと、距離を測れつつあると言うことでもある。
そしてそんな意味のないささやかなやり取りを、マリーエルザは小気味よさそうに笑った。
何の意味もないやり取りが許される空気こそが、気分を軽くすることもある。
意味を求められることばかりをしていると特に、だろうな。




