八話
それに正直――今のリージェとの話で、俺の中にあった王都への憧れは著しく減退した。基礎だと思っていた技術が希有だと言われるような場所、行く価値あるか?
俺は偉くなりたいわけでも、歴史に名を残したいわけでもない。そもそも魔物だし。
「どう思われようと、俺にその気はない」
「うぅ……。で――でも、王都には知識だって沢山あるわよ。その参考書とか、興味深げに読みふけってたんだから、知らないことが載っていたってことでしょ?」
「……」
それは確かに。しかし――
「王都のレベルを鑑みるに、試してみる必要がありそうだが」
「理屈は証明されていなくても、起こる現象は事実よ」
まあ、これだけ堂々と公衆に発信されてるんだ。嘘だったらすぐにばれて消されるか。俺が読んだ限りでも、可能だろうと納得できる内容だったしな。
「正しさはすぐに証明できるわ。やってみればいいんだもの」
「そうだな」
うなずき、俺は立ち上がる。
「――って、今から!?」
「正直に言って、気になっている」
これが法則として成立しているのなら、研究の幅が更に広がる。
もっともノーウィット近辺の素材にそこまで繊細な物は少ないので、しばらくは知っているだけの知識になりそうだが。
「じゃ、じゃあ! わたしも同席したい!」
「図々しいな」
調合中なんて神経を使う場に、他人を入れる趣味なんかないぞ。そもそもアトリエは俺が使いやすいよう、色々改造してしまっているし。
精度を上げるのに必須だったから、皆やっているのだろうと思ってきたが……リージェの話を聞くに、どうも怪しい。
「ぐっ……」
こちらも自覚はあったのか、苦しげにリージェは呻く。
リージェが求めているのは、自己の技術の向上だ。その気持ちは俺にもよく分かる。俺もそれぐらい図々しくいくかもしれない。
だがだからといってリージェをアトリエに入れるのは、面倒しか起こさない気が……いや? 待てよ。
「分かった。なら、交換条件といこう」
「な、何? わたしあんまり大したもの持ってないけど……」
「お前の知識だ」
これはなかなか名案ではないだろうか。
「俺は王都へ行きたくはない。しかしお前が言う通り、知識には興味がある。それを教えろ」
「い、いいわ。わたし、座学は得意よ。めちゃめちゃ頑張ったから!」
「期待している」
つまり、技術はないんだな? 俺に教わろうとしている時点でおして知るべし、か。
「その対価に、俺もお前に魔力操作を教えてやる」
「え!」
「教えろと言っていただろう?」
俺はリージェが持っている俺の知らない知識を全て頂くつもりだ。価値を揃えるなら、それぐらいはしてもいいだろう。
なのに、なぜ驚く。
「それって、教われるものなの? 出来る人に聞いても感覚的なもの、みたいな感じであまり参考にならなくて……」
「無理だと思ってたなら、どうして同席するとか言ったんだ?」
何の益もないだろうに。
「か、感覚、掴めたらいいな、とか?」
「それができる奴は初めからできるだろうな」
「ううぅぅう! これだから天才型は嫌なのよー!!」
どうやらリージェは物事を理屈で考える性質ではないらしい。
……錬金術士として、大丈夫か?
「で、どうする」
「もちろん受けるわ!」
反射かと思うほどの即答だった。
「――さて。作業に入る前に、まずお前の魔力を整えよう」
「魔力を? 整える……って?」
分からないか。まあ、魔力操作ができないぐらいなのだから、気付かなくても仕方ない。
「はっきり言うが。今のお前の体内魔力、酷い状態だぞ」
「え!?」
「経路が滅茶苦茶に混乱している。そんな状態では魔力を外に出すのも一苦労だろう」
おそらく外に干渉する時には大分目減りしているのではないだろうか。
「苦労……は、してないと思う……?」
「比べないと分からないか。しかし……どこから手を付けるか」
やはり末端から行くべきか。深部に触れて強引に整えたらまずいことになりそうだ。経路破壊とか。
「手を出せ」
「こ、こう?」
おずおずと差し出された手を取り、甲の側から指を撫でる。さすがにここら辺は矯正しやすい。
「う、うっ!?」
軽い痛みぐらいは感じるだろう。眉を寄せて苦痛の声を上げているが、気にしない。
「属性は……火が強いな。次いで光、風、闇。水と土は壊滅的か。お前、錬金術士に向いていないぞ」
ある程度、全属性に万遍なく適性を持っていないと干渉できないものが増え、作れる品が減るからな。
「うぅ……」
自分でも向いていないことは何となく察していたのか、リージェからの否定はなかった。
ただ少しだけ、苦しそうに呻く。軽い痛みに上げていた類の物とは異なる、本当に痛いものを堪える声で。
「……まあ、こんなところか。何でもいい。魔術を使ってみろ」
「えっと、じゃあ明かりを……あれ!?」
無害かつ簡単な、球体の明かりを生み出す術を発動させたリージェは目を見開く。
僅かな調整だから全体的には大して変わりないだろうが、最後に魔力を通す手への感覚だけは実感できるはず。
「それが本当の『魔力を使う感覚』というやつだ。無駄な魔力を垂れ流しにしていた状態であったことは分かったか?」
「言い方にもう少し手心が欲しいけど、分かったわ」
大気中にある魔力は源素――何物にも染まっていない『白い』状態で存在している。俺たちはその源素魔力を体内に取り込み、己の魔力として使っているのだ。
そして人の体に、というか物体に宿った魔力はそのものの色に染まる。
大体複数属性を持っていて、特に強い特色が出るのが普通だ。
そんな訳で、明かりの魔法を使いたいなら体内で光の魔力だけを構築すればいいんだが、経路も何もかも滅茶苦茶なリージェは己の体内魔力さえ属性操作ができていない。
結果、全属性を総動員させている。なんと非効率的な。
「じゃあ、その感覚を忘れないうちに、この葉に触れてみろ」
時空神呪を掛けたコンテナから、ごく一般的な薬草の一つ、エンドルフィアを取り出す。
「エンドルフィアの属性は何だ?」
「何って、水でしょう?」
「違う。きちんと探れ」
水は一番強く出ている優性属性にすぎない。
「えっと……」
リージェは素直だった。指先だけで葉に触れ、懸命に反応を確かめる。
「水と……闇? 光も感じる……?」
「正解だ」
「やった!」
瞳を輝かせ、リージェはじっと俺を見てきた。これは……あれだ。犬型の従魔が何らかの成果を上げたとき、主に褒めてもらうのを待っている時の顔だ。
……いや。俺はお前の主人じゃないぞ?
「だが今お前が感じた通り闇と光の属性値は低く、経路も細い。普通にやれば調合の過程で消失してしまう。正確には、残そうと無理をすると結局効能が落ちて使い物にならない、だな」
「ふんふん」
反応を黙殺したことに一瞬不満そうな顔をしたものの、リージェはすぐに真剣になって身を入れた。
「なので、先程の本にあった劣性形質の継承を試す」
本に書いてあったのは白の中和剤を使って分断すると残せる場合もある、という曖昧なものだったが、理屈は理解した。
作るのはヒールポーション。
このエンドルフィア、水属性には治癒促進形質が宿り、闇属性には魔力貯蔵が、光属性には闘神でもある光神ディスハラークの加護を持つ。
全てを有効属性として残せれば、体の傷を癒し、魔力を回復させ、身体能力を一時的に高めるヒールポーションが出来上がる、という訳だ。
初の試みなので、闇属性を残すことだけを試してみよう。
まずは最優性属性である水属性を定着させるための、青の中和剤をビーカーに注ぐ。それから仕切りのために属性のない白の中和剤を膜にして、エンドルフィアを置く。その上から再び白の中和剤を注ぎ、最後に闇属性の黒の中和剤を。
その比率は素材属性値を反転させたもの。劣勢側を多くするよう書かれていたから、とりあえずその辺りで試してみる。
そして劣勢の伝導率を高くするため、魔力干渉は劣勢属性から。
ビーカーを火にかけ、エンドルフィアの組織を脆くし、それぞれの特性を中和剤へと移行。まだエンドルフィアとして存在し、二つの属性に同一のものである繋がりが残るギリギリを狙い、時を待つ。
特性を高純度で抽出するための見極めである。――今か。
エンドルフィア崩壊一歩手前で、白の中和剤を俺の魔力でそれぞれ黒と青に染める。そしてこのままでは黒の量が多すぎて青を殺すので、ガラス管を通して白を投入。反転させていた比率をエンドルフィア本来の属性値に倣って調整。
元となった葉と同じ比率に戻したら、丁寧に青と黒を混ぜ合わせる。
……ふむ。綺麗に混ざった。劣化もないな。
あとは葉の屑を取り除くために濾過器にかけ、完成だ。
「おばあちゃん……」
は?
「……俺はお前の祖母ではないが」
「あ!」
あまりの不可解さに眉を寄せつつ訂正すると、リージェははっとしたように口を手で覆う。それで失言が消えることはないが。
「ええとあの、ごめんなさい。違うの。貴方の錬金術が、おばあちゃんみたいでとても綺麗だったから」
「有名な錬金術士だったらしいな?」
トリーシアと呼ばれていた、高慢そうな娘がそんなことを言っていた。
「うん。凄腕だったの。今でも歴代最高の錬金術士だって言われてる」
ほう。それは相当だ。
あらゆる分野は積み重ねによって発展していく。過去の偉人としてその名が消えることはないとしても、未だ技術において最高を冠しているというのなら、正に天才と称するべき人物である。
「おばあちゃんがどれぐらい力のある錬金術士だったのか、よく分かってない子どもの頃に手解きを受けたわ。今思うと、すっごく勿体ないことしてた!」
「それだけの人物に教えを請える機会は中々ないからな」
先達の教えは貴重だ。自分で正解に辿り着くまでの回り道をしなくていい。最短距離で答えを得られる。そしてそこから続けて歩み出す。そうして技術とは発展していくものだ。
逆に教師がいなければ、すべてを己で見付けていかなくてはならない。
俺はまあ、その過程も楽しめると言えば楽しめるが、無駄を感じて虚しくなる瞬間がないとは言えない。
「そうなの! 今のわたしならもっと身を入れて必死にやるのに! フォニアが遊びに来たぐらいで観賞して一日潰すとか、そんなことしないのに! あーッ、勿体ないことしてた!!」
「……フォニア?」
「え? うん、そう。フォニア。わたしがおばあちゃんに錬金術を習ってるとき、フォニアが一羽、ほとんど毎日来てたの。可愛かったあ」
「……」
もしかしなくても、それは、俺か?
リージェの話すその情景、もの凄く心当たりがあるぞ。
と、いうことは……リージェは俺に錬金術を見せてくれた恩人の孫、ということか。
向こうにそのつもりはなかっただろうが、俺は彼女の技を盗み見て学んだし、感謝もしている。
「お前の祖母は、今どうしている?」
「亡くなったわ。眠っているときにそのまま、安らかに。苦しまなかったのは徳のおかげなのかな」
「……そうか」
あの老女、もういないのか。
当然相手は俺を知らないし、どうも気軽に会える相手でもなさそうだから礼をする機会など元々存在していなかったかもしれないが……。完全に不可能になっている、ということだな。
言葉を交わしたことさえない。繋がりも皆無。だが……惜しい人物を亡くしたのだとは、思う。ほんの少し、心に刺さる何かがあって気分が沈んだ。