十二話
「っ……」
欲情を含んだ主張に、ぞくりとした。
「……お前が触れたいなら、そうすればいい。いつでも」
「本当に?」
「ああ。お前ならいい」
もちろん、縁も所縁もないような奴に触れられるのは、今でもごめんだ。
だが、イルミナなら、リージェならいい。そう思っているのも事実だ。
俺が本気で言っているのを、おそらくイルミナは察した。首から解けた手が頬に移って肌を撫でる。
剣を扱うイルミナの手は、リージェよりも少し硬い。それでも彼女が持つ柔らかな温もりは何ら変わらなかった。
触れられるのは、好きではなかったはずなんだが。今は心地よく感じる。
導かれるままに唇を落とす。自分のものではない体温と混ざり合い、一体化して――離れた。
「……なるほど」
「何がなるほどなの?」
「直接触れると、より高揚するものだなと実感していたところだ」
「それはそう、かも」
証明のようにイルミナの声は少し震えている。熱も上がった気がする。そして多分、俺も同じだ。
「……俺もきっと、ずっとお前に触れたかったんだろうな」
イルミナが俺に触れたかった気持ちが分かった、と思う。
しかしだ。余計なことを知ってしまったという気がしなくもない。
「これから先、雑念になるか燃料になるか、微妙だ」
「ふふ。ニアさんでも雑念とかあるんだ?」
「そのようだ」
かつて俺は、錬金術が一番大切ではなくなる自分というものが想像できなかった。あり得もしないと思っていた。
だが今は、もう一番ではない。
錬金術は所詮学問であり、趣味であり、手段なのだ。この腕の中にある温もりと引き換えにするような価値などない。なくなった。少なくとも、俺にとっては。
「だが今は、そろそろ戻ろう」
「そうだね。何があるか分からないし」
何もなければそれでいいし、何かが起こったとき現場にいなくて対処が遅れたら、悔やむことになる。
「だから、あと少しだけ」
「……ああ」
イルミナの背を抱いて、互いの鼓動だけが重なる一時を過ごす。
月が天に昇りきるまでの、もう少しだけ。
翌日の朝、キャンプ内の目覚めは早かった。おそらく日常よりも多くの人間が活動を始めたことだろう。
無理もない。今日は定住先が決まった人々がキャンプを離れる日だからだ。
短い間とはいえ共同生活をして、苦楽を共にした相手と別れるのは、心細さと寂しさがあるだろう。
そこかしこで別れを惜しむ声、激励の声、再開を誓い合う約束などが聞こえる。
「さて、ニア。どうするんだ? このままだとユーリを残していくことになるけど」
「やはり動かないか」
「あれは無理だね」
俺がイルミナと会っている間に再度の接触を図っていたのだろうルーは、諦めきった口調で肩を竦めた。
「同行させる手段は考えている、みたいな言い方だったけど?」
「俺にも無関係ではないから協力するし、考えるのに否はない。だが人の提案に乗っかって考えを放棄するのはどうかと思うぞ」
「俺向かないんだよ、そういうの」
知っている。
溜め息を肯定の代わりに返して、一晩の寝床として借りた騎士たちの天幕を出る。
向かう先はキャンプ地の歓談所となっている開けた一角。そちらもやはり大賑わいで、ユーリもいた。よし。
そうして人が常より多く集まっているから、念のためだろう。騎士も少し離れて邪魔をしないようにしているものの、近くに待機している。役者は揃っているな。
「悪いが、確認を一ついいか」
「ん、どうした」
騎士に声をかけると、彼は嫌味なく応じてくれた。
イルミナと行動しているということは、それなりに騎士としての位を持っているはず。しかし彼には驕った気配やこちらを見下す感じがない。
話がしやすくて大変助かる。
「道中、移動には危険が伴うだろう。魔除けの熾火は持っていくのか?」
俺の問いに、近くにいた数人が振り向いた。仲間の反応に気づいた者が同じようにして、連鎖していく。
「いや、こちらの方が人数も多いし、残していくつもりだ。こちらなら人のいる空間をしっかり覆うこともできようが、移動となればどうやっても一部にしか行き渡らないだろうからな」
どちらがより効率的に運用できるかという話だ。騎士の話は間違っていない。
騎士の答えを聞いて、何人かは不安そうな顔をした。それに気付いた騎士が咳払いをする。
「だがまあ、心配は不要だ。護衛はしっかり付くし、魔除けの熾火も分火能力のある逸品だった。ここにいる全員が無事に目的を果たせることは保証する」
少しだけ声を大きくして、断言。
多くの者はまだ多少不安そうながらも、ほっとした顔をしていた。
どちらにしろ、いずれは動かなくてはならないのだ。覚悟の部分も後押しをしたかもしれない。
その中で表情を厳しくしたまま、ユーリはこちらを見る目を変えなかった。一度視線を合わせてから、騎士へと向き直る。
「妙なことを聞いて悪かった。だが、答えを聞けて安心もした。感謝する」
「ああ、任せてくれ」
騎士に礼を言って、その場を後にした。
皆を大切に想うからこそ、これでユーリの採る行動は誘導できる。
「さて、俺たちも支度をするぞ、ルー」
「支度って、なんの?」
「食事だ。移動する方と一緒に行くから、あまり時間はないぞ」
俺たちはどうしても必要というわけではないが、人に混ざるなら人らしく振舞っていた方がいいからな。
「え、行くのか? 俺はまだユーリから離れたくないんだけど」
「だから行くんだ。ユーリは同行するぞ」
より危険な方を選んで、護るために。
直接行くとも来いとも言っていないから、ルーには繋がりが読めないらしい。俺の断言に首を傾げる。
「人間って時々、よく分からないよな」
「気持ちは分かる」
ノーウィットに住む前の俺なら、きっとルーと同じように理解をしなかった。
「時々ならむしろ上等だ」
「んー。まあ、いいや。ユーリが行くなら確かにあんまり余裕はないし、行かないなら留まるだけだから問題ないし」
結局ルーは俺の言葉をあまり信じなかったが、どちらに転んでも不都合はないので選択は受け入れた。
そうして、支援物資の一つである食材を分けてもらって食事を済ませ、数十分後。
「――待ってくれ!」
いざ出発、という頃合いになって、ユーリが集まった人々の元に駆け込んできた。
「悪いが時間の余裕はない。諦めてくれ」
別れを惜しむ時間は充分あったので、騎士の対応は厳しい。予定している宿泊地にまで辿り着かなくてはならないから、実際、余計な道草は食いたくないんだろう。
安全のためにも騎士は正しい。
「俺も連れて行ってくれ。いや、勝手に村や町に住みつこうってつもりじゃないんだ。ただ一緒に行きたい」
「駄目だ。余分な物資は計算に入れていない。大人しく待っているんだ」
「何もいらない。自分の分は自分でどうにかする」
「いい加減に……」
食い下がるユーリを追い払うために、騎士が口調を強くしようとした、そのとき。
「頼む。こいつは俺の知人だ。いざとなれば俺が全面的に責任を負おう」
割って入る。
俺がイルミナの『友人』であることを知っている騎士は、少し迷ったようだった。
「む……」
「少なくとも、勝手にどこぞに住み着かせたりはしない」
「副隊長。彼らは知人を迎えに来たそうです。一緒に行かせてやってはどうでしょうか。その方が安全だとは思いますし……」
このキャンプに入るとき、一番初めにした言い訳を担当だった兵士が伝えてくれる。
「……そういう話は事前にするように」
「すみません」
苦い表情で忠告をした騎士に、ユーリは深く頭を下げる。
態度が殊勝であったことも、騎士の対応を軟化させるのに一役買った。
いきなり予定外の事態が舞い込んできたのは嫌だったろうが、こうして途中で人が増えるぐらいは想定していたはずだ。実のところ、物資にはいくらか余裕を持たせているはず。
さらに言うなら、実はユーリの同行は予定外ではないし。
騎士たちにしてみれば俺とルーも突発的に増えた人員に違いない。イルミナの手前、絶対に口に出せないだろうが。
「列に入りなさい。――出立する!」
ユーリの同行を認め、騎士は馬の手綱を軽く振って歩き出させる。その後ろを、ぞろぞろと人々が連なって進む。俺とルーもその中だ。
一定の間隔で、騎士が馬に乗って外側を護る。一人の騎士の腰にランタンが火のついた状態で吊るされているのを見かけた。
魔除けの熾火の本体は置いて行っているから、昼間であってもこうして一つは点けておかないと効果が維持できない。
分火能力も弱いので、火を移す度に効果は薄くなるだろう。それでもないよりはマシだ。
そうして、隊の中程でルーと並んで歩いていると、前にユーリの背中が見えた。意図的に歩く速度を落としているようだが……?
「――ありがとな」
俺に気付くと僅かな間立ち止まって待ち、隣に並んで礼を言ってきた。
「同行の件か?」
「そう」
まあ、ユーリだけだったらここにいることはできていないな。
「あと、迎えに来た知り合いとは会えたのか? 話の流れで俺の事みたいになっちゃったから悪いことしたなって」
「心配ない。迎えに来たのはお前だ」
俺じゃなくてルーがだが。
「ああ、やっぱりそうなんだ?」
ただの口実だと分かって、ユーリはほっとしたのか残念だったのか、微妙な割合の表情を浮かべる。
「誰か、行く当てが決まればいいなって思ってたんだけど」
「今回移住した者が上手くやれば、ノーウィットには受け入れるだけの余裕がある」
「そっか!」
もしかすれば想定より早く落ち着けるかもしれない。そんな期待にユーリの顔が輝く。
「だが、町単位で人が逃げたにしては随分少ないな? お前が住んでいた町は小さかったのか?」
「いや、逆、逆。結構大きかったよ。俺の国――ラズィーフ第二の心臓、なんて言われるぐらい。交通の便も良かったから、逃げるときは四方八方に散り散りになった」
こっちに来たのはその一部か。まあ、それはそうだろうな。
多くはやはり、自国での避難を目指したのだ。
「随分親しそうだったから、皆が顔見知りになるぐらいの規模かとも思った」
「逃げるときからずっと一緒だ。そりゃ顔見知りにもなるさ。町にいたときは言葉を交わすどころか、顔も見たことない人たちだけどなー」
その短期間で、あれだけ打ち解けられるか。
ユーリには人心を集める才覚があるんだろう。その辺りはさすが、神人が選定した勇者候補といえる。
「そんなわけで、手を貸してくれたのには感謝してる。でもまだ俺はこのキャンプから離れたくないんだ。悪いな、期待に沿えなくて」
「構わん。それに、遅かれ早かれお前は決断する」
「とっくにしてるさ。皆を安全なところに届けられたら、俺は魔物と戦う。戦って戦って、いずれ魔王を倒す。奪っていったものの重みを、思い知らせてやるんだ」
俺が言っているのはその目的を果たすための決断なんだが……まあ、今はいい。
事を起こすのは、町に近付いた、しかし一日二日かかるぐらいの頃がいいだろうな。ユーリも考える時間が欲しいだろうし。
辺境伯爵領、侯爵領を抜け、現在はカルティエラの直轄地になっているトリストーマ領まで戻ってきた。
飛べば一昼夜なのに、歩くとなると本当に時間がかかる。大勢での移動というのも拍車をかけているが。
ケセラ村まで、あと三日。つまり順調にいけば、ノーウィットまでは八日。移動速度を考えるともう少しかかるかもしれないが、誤差だろう。
「ニア、そろそろいいんじゃないか? これ以上近付くと、人の住処にも被害が出るかもしれないぞ」
「ああ。頃合いだろう」
俺がうなずくと同時に、何事もない顔をしつつ――ルーは人間の波長に偽装していた神力を、本来のものへと戻す。
途端、ざわりと空気が震えた。
オォー……ン。
少し離れた場所から、怯えた獣の遠吠えが発される。仲間へ、何より自分のボスへと警戒と伺いを立てたものだ。
すぐに来るぞ。




