七話
俺はそれほど直接的な力が強い訳じゃないが……。
軽く息を吸い、声に魔力を乗せる。
「失せろ。呪い殺すぞ」
告げた言葉を真実だと脳が判断するよう、送り込む。
「!」
瞬間、男は見事に動きを止めた。感覚的に自信はあったが、やはり男の抵抗力は俺の魔力に逆らうだけの高さはなかったな。
次に男はぎこちなく唇を引きつらせる。笑おうとしたのかもしれない。
「じ、冗談だ。いや、悪かったって、本当に。じゃあな」
言うだけ言って、逃げるようにそそくさと離れていく。
上手くいった。まあ、弾き語りをすれば神の耳さえ惹き付けて離さない俺たちフォルトルナーの、魔力と神気が乗る声が告げた内容だ。そこらの人間に響かないはずがない。
一方、俺が難なく撃退したのが意外だったのか、リージェはパチリと目を見開いて固まっていた。手は腰のポシェットに伸びている。
ポシェットからは闇神の気配が僅かながら感じられた。空間拡張の神具だな。
「ええと、もしかして貴方、強い?」
「そうでもない」
正面切ってイルミナと戦ったら間違いなく負ける。その程度だ。逆に言うなら正面からの戦いでなければ勝機はあるが。
しかしあの程度の輩を追い払ったぐらいで「強いのか」と聞いてくるリージェは……弱そうだな。
「……泊まる当てすらないんだったか」
「……うん」
ふと周囲の光量が落ちてきた気がして顔を上げれば、はっきり分かる程度には太陽が西に傾いでいる。
「イルミナなりもう一人の知り合いなりに事情を話して、急いで今夜の宿を確保した方がいいと思うが」
格好がつかないとか言っていられる状況じゃないだろう。今のノーウィットの状況では、リージェが一人でいたら襲われる危険がある。
「泊まってる場所とか、知らない」
そうか。そう言えばそんな話は全くしてなかったな。
自分の置かれた事態にようやく危機感が生まれてきたのか、リージェは少し青ざめた。
「おい……」
「だ、大丈夫っ。護身用の道具とか、いっぱい持って来てるから!」
野宿する気か。
いや、別に構わないだろう。俺には何の関係もない。たとえ翌日こいつが身ぐるみはがされて死体になっていたって、イルミナがそれに悲しもうと、俺には関係ない。
なのになぜかすぐには立ち去れなくて。さらには。
「――一晩、泊まるか?」
そんな問いかけまでする始末。俺は一体何を言ってるんだ。
驚いたのだろう。リージェは固まった。
当然だ。リージェから見れば俺だって、先ほど絡んできた奴と大差ない相手。これでほいほい乗ってくる方がおかしい。
「いや、何でもない。じゃあ――」
「あのっ」
明日の朝には帰れ。そう続けようとした言葉を遮って、リージェは覚悟を決めた瞳で俺を見上げてきた。
……おい、まさか……
「一晩、泊めてくださいっ」
……いいのか、それで。
自分から言い出した手前、やはりなしで、とは言えない。リージェを伴い、俺は自宅へと戻ってきた。扉を開き、まず自分が入ってから。
「どうぞ」
「お、お邪魔します」
招き入れた。
俺が住んでいる家は、入り口からすぐ先にダイニング。右手側に伸びる通路の先に、アトリエ、私室、資料室、客室――という名の空室がある。
長らく使っていないし、掃除すらいつしたか覚えていないが、今日はそこを使ってもらう他ない。他の、俺が日常使いしている部屋には見られたくないものが色々とあるのだ。
リージェを連れ、件の空室の扉を開ける。
「ここを使え」
「使われている気配が全然ないんだけど、部屋を余らせてるの?」
「意外と使わなかったな」
「ふぅん」
納得したような、していないような声を上げ、リージェはぐるっと部屋を見回した。
「軽く掃除してもいい?」
「構わない」
埃っぽいなとは俺も思う。寝る前に少しでも改善したいという気持ちは分かる。
「水回りはダイニングの左手側だ。野宿の用意があるなら、寝具の心配はないな?」
「ええ、大丈夫よ」
そこは強がりではなかったらしい。
「少ししたら夕食にしよう。できたら呼びに来る」
「えっと。お世話になるんだし、わたしが作ってもいいけど」
「勝手が分からないだろう。説明するのは面倒くさい」
どの器具はそこだ、調味料はそれだ、みたいなやり取りを一々したくない。
「でも……」
それでも気が引けるのか、リージェは渋った。
「一泊二食付きの宿に泊まったと思って、金銭で支払ってくれればそれでいい」
「分かった。……って、二食?」
「朝。食べないで行くつもりか?」
「えっと……」
どうもそのつもりだったらしいリージェは、しばしためらいを見せた。しかしここで固辞しても大した違いはないと気付いたらしく、おずおずとうなずく。
「じゃあ、あの。よろしく……」
「ああ」
リージェと別れ、俺も自室に戻る。一息つきたかったのだ。
疲れた……。
俺の日常は平坦だ。日々は研究と研究と仕事と買い出しで構成されている。
他人と関わり合うことなどほぼ皆無だ。今日だけで軽く二月分ぐらいの気力を持っていかれた気がする。
早く日常に戻りたいものだ。
ダンジョン討伐がさっさと終わるよう、願わずにいられない。
少し休んでから軽い夕食を用意して、俺はリージェに貸した部屋の扉を叩いた。
「夕食ができたぞ。冷めないうちに来い」
「すぐ行くわ」
答えの通り、リージェは扉を開けた。部屋は――この短時間でずいぶん綺麗になっている。部屋の中でせっせと働いている雑巾が主力なのだろうか。
埃っぽさが失せて、むしろ爽やかな花の香りがほのかに――っまずい。
ブレンドされた香料の中に、魔除けの効果のあるレビナの存在が感じ取れた。体が反応し、不快感が込み上がってくる。早く離れよう。
踵を返し、ダイニングへと戻る。俺が皿によそっている間にリージェは手洗いを済ませ、席に着く。
メニューはパンとスープとサラダ。リージェにどう映るかは知らないが、これが俺の日常である。
「いただきます。――って、あの……」
「何だ。足りないものでもあったか?」
「……じゃなくて。コート。着たままなの?」
顔の半分まで影で覆うほど目深に被ったフード付きコートは、家の中では更に奇妙さが際立つだろう。だが。
「ああ」
首肯した言葉に嘘はない。一応ここは工房で、俺はギルドに所属している。急な来訪者がないとは言い切れないのだ。
そのため、普段からローブは脱がない。リージェは一切無関係だ。
「そ、そう」
とはいえ、それを相手が信じるかはまた別の話だが。
疑わしく思っているのは声で分かった。だが同時に、追及しようともしていない。どうせ一晩限りの関わりだ。深く突っ込む意味もない。
特に会話もなく、黙々とスプーンを口に運ぶ。
「――ごちそうさまでした」
「いや。口にできるものを提供できたのなら何よりだ」
屋台などで軽食を買うこともあるし、その経験から、味覚が大幅に人間とずれているわけではない……と思う。少し濃く感じはするが。
俺としてはわりと真剣な問題だったのだが、きょとん、としたあとリージェは噴き出した。
「変な言い方ね。普通においしかったわよ。ちょっとヘルシーな感じだったけど」
「悪いな。濃い味は苦手なんだ」
「そうなんだ。――ねえ、参考書とか持ってない?」
「一応あるが……王都の方が品揃えもいいだろう」
「見たことない本が掘り出し物的にあるかもしれないわ」
ないと思うぞ。俺が持っているのは本当に有名な基礎参考書だけだから。
……それに、私的な空間に踏み込まれるのはあまり好きじゃない。
俺が乗り気ではないのを見て取ったのか、リージェはむうと頬を膨らませ――名案を思い付いた様子で手を叩く。
「じゃあ、交換ならどう? 今わたしが持っている本を見せるわ。その中に貴方が気に入った本があったら貸すから、その代わりで資料室を見せて?」
「む……」
俺が持っている参考書をリージェが知らない可能性は無きに等しいが、その逆、俺が知らない本はごまんとあることだろう。
王都に――というか、大都市に近付けない身としては、もの凄く気になる。
俺の反応が悪いものではないと見抜いたリージェは、にこーっと愛想笑いをしてポシェットに手を伸ばす。そしてどんどんとテーブルに本を積み上げていった。
「さあさあ! どうぞご覧あれ!」
プライベートに踏み込まれたくない気持ちと知識への欲求は、数秒で後者に傾いた。
仕方ないだろう。この機を逃したら、次に高度な専門書と出会えるのはいつになることか……!
一番上の本に手を伸ばし、ページを捲る。
「交渉成立ね? ねえ、見てきてもいい?」
「好きにしろ。苦情は受け付けないが」
「言いませんよーだ」
皿を流しに片付け、リージェは足取り軽く資料室へと向かう。
……ふむ。なるほど。劣勢になりがちな素材の性質を引き継ぐには……。
読み進めて少しした頃、ばたばたっ、と慌ただしくリージェが戻ってきた。
「ちょ――、ちょっと! あ、貴方、これ!」
「ん?」
何事かと顔を上げてみれば、リージェの手には一冊のノート。……しまった。研究ノートを置いたままだったか。
「……見たな?」
「見たわ」
研究途中の物だから体裁は悪いし、記している情報も半端だ。加えて低ランク品の研究だから、リージェにしてみれば何の価値もないものだろう。
だが俺にとっては曲がりなりにも数十日をかけて記録していった時間の結晶。見られて嬉しいものではない。
しかしまあ、置き忘れていたのは俺の失敗。リージェに然程の罪はあるまい。
然程に留まるのは、それが明らかに市販の本ではないと分かるからだ。
「俺の管理が杜撰だったのは間違いないから、見たことについては文句をつける気はないが……。いい趣味とは言えないぞ」
「うっ……。ごめんなさい」
罪悪感はあったのか、リージェは怯み、謝った。
「で? それがどうした」
「どうしたも何も! これがどういうことよ!?」
「研究過程だが」
「それは分かるけど! そうじゃなくて貴方――属性の構成を操作できる、の?」
「……当たり前だろう?」
それができなくて錬金術など行使できないだろうが。
「っ……!」
眉をしかめつつ肯定した俺を、リージェは絶句して凝視して。
「わ――、わたしに、教えて!」
はあ?
……こいつは一体、何を言っている?
「王都でしっかり学んだお前に、俺が教えることなどないと思うが」
むしろ俺が教わりたいぐらいだ。
「王都の王宮錬金術士だって、そんなことできる人少ないわよ! ……というか貴方、どうして王都に来ないの? 構成操作ができるほどの才能なら、すぐ王宮に呼ばれるわよ。一級の待遇が受けられるのに」
「別に……栄達を求めるだけが全てじゃないだろう。俺はここで自分の研究ができれば満足だ」
「もったいないッ」
そう言われても。