二十三話
一瞬迷ったようだったが、エイディは俺の足諸共、イルミナを斬ることを選択した。迷いで弱まった力が再び入り、振り抜かれる。
俺の体の強度では大した妨げにはならない。だが。
キュンッ!
空気を焼いて、光が駆ける。
「ぐッ……!」
存分に凝縮させたディスハラークの神力による光閃。こちらに注意を向けてくれたおかげで、背中は完全に無防備だった。少しは効いただろう。
だが……。
「これでも貫けないのか。恐ろしい抵抗力だな」
「貫くつもりだったのか……? 自分も無事では済まないだろうに。正気ではないな」
加減をして力が足りなかったらそれこそ目も当てられない。実際、エイディは倒れてない。正しかっただろう。
俺の呟きに応えつつ、エイディは剣を構え直す。ただ、攻めを仕切り直そうと言う気配ではない。こちらからの攻めに対応するための、防御に寄った構えだ。
そして――ヒュイ、と口笛を吹く。
魔力を含んだその合図は、戦場の隅々まで行き届いたようだ。空気が震え、戦場の空気が変わったのが分かる。
騎士たちと切り結んでいたダークエルフが、そして援護していた魔物たちがじりじりと後退し、前線を下げていく。
撤退するのか。
「エイディ!」
口笛を聞いてアシュレイとの戦いを切り上げたらしいステラが、空を飛ぶように翔けて来る。髪や衣服に多少の乱れはあるが、怪我らしい怪我は負っていないようだ。
禍根が残らないように手心を加えたか、単純に実力差かは俺には判断できん。アシュレイの神力は感じるから、それだけで充分だろう。
「どうしたの」
「消耗が激しすぎます。このままディスハラークの結界内で人間と戦い続け、ダンジョンマスターと交戦するのは危険かと」
「……そのようね」
周囲の状況を見て、ステラはエイディの言葉を認めた。
「いいわ、退きましょう。ここはどうやら面倒な様子。……焦ることはない。世界はいずれ、わたしたちのものになるのだから」
随分な自信だが……。目途は立っている、と考えるべきなんだろうな。
「全軍、撤退!」
口笛で意図は伝えているはずだが、エイディは改めて声を出して指示をする。これは人間側に聞かせるためでもあるんだろう。
「攻撃止め! 陣を整え、防衛せよ!」
応じてフレデリカ王女も追撃を止めさせた。すでに戦意のない相手を後ろから討つのは倫理にもとる、という考え方だ。
追撃がなくなり魔王軍は少し安堵した様子で、部隊ごとに撤退していく。ディスハラークの結界を抜けたあたりで、完全な撤退陣形へと切り替えた。
「やれやれ。凌いだか。しかし……」
防衛に成功したのだから、この戦いは人の勝利と言っていいだろう。だがフレデリカ王女の口調にいつもの覇気はない。
無理もなかった。相応に被害は出ている。人にも、魔物にもだ。
この光景を目の前にして勝利に湧き立てると言うなら、そいつはきっとどうかしている。
……争いなど無意味だ。少なくとも、地上種にとっては。なのに好んで殺し合う者たちもいる。
魔物側の被害はダンジョン産の魔物が多くを占めているし、敵対している人間の死などダークエルフたちは何とも思わないんだろう。
その共感性のなさが、想像力のなさが恐ろしく、腹立たしい。
「ニ……、フォルトルナー、大丈夫?」
名前を呼ぼうとして留まったイルミナが、以前通りの種族名で訊ねてくる。
戦いが終わって騒音が減り、周囲にも人がいる。誰に聞かれるとも分からない状況だ。無難な判断と言える。
「少し斬られたが、まあ問題はない」
繋がってはいるし。
「み、見せて! 治すから!」
そうは言われても、足だぞ? 少し難しい。
空中で一ヶ所に留まるのは中々労力がかかるし、斬られた足を地面に付けたくもない。間違いなく痛い。
などと思っていたら、手を延ばされて抱えられた。
地面に座ったイルミナの膝の上で横になる。これはこれで、体勢が不自然すぎて辛い。人間の体はこういったところでも器用だなと思う。
イルミナも分かっているからだろう。急ぎ患部にポーションを振りかけて傷を治す。魔法を使わないのは魔力が乏しくなっているせいか。
塞がると同時に、再び飛び上がった。
「あ……」
そしてイルミナから若干名残惜しそうな声が上がる。
お前といいリージェといい、俺の羽毛がそんなに好きか。
「また助けられたな、フォルトルナー」
一連の流れを見て、ひと段落着いたと判断したのだろう。見計らったフレデリカ王女がそう声を掛けてきた。
「お前はもしかして、地下にあるダンジョンの魔物なのか?」
「違う」
紛れもない事実を即答したが、証明できない。フレデリカ王女の判断次第では不利に働くか……と思ったが。
「違うと思います。わたしが彼と出会ったのも、ノーウィットの町ででしたから」
「ああ、そう言っていたな。別のダンジョンに所属しているような魔物が一体で別のダンジョンと戦うはずもないか」
どこかに所属している者の行いは、まま組織に跳ね返ってくる。ことが大きければ大きいほど、『個人がやったこと』では済まない。
「だが、俺以外の奴らはそうだ」
「……そうか」
フレデリカ王女は硬い声で肯定的とも否定的とも取れない言葉を発する。
お互い放置はできない存在だ。フレデリカ王女は外壁側へと向き直った。そちらからは丁度アシュレイが歩み寄ってきている。
「よう、フォルトルナー、片付いたぞ。で、この後俺たちはどうすればいい」
「いい所に来た。早速だが、今お前の目の前にいる赤毛の人間が今回人間側の軍を率いていた総大将だ。国の王女でもある」
身分を知っていれば、するべき話を選べるだけの知能がアシュレイにはあるだろう。なので、さっさと彼女の身分を説明しておく。
「あ、そうなのか」
理解はしても、人と違う社会に生きているアシュレイには必要以上に委縮する必要がない。受け入れ方もあっさりしたものだった。
「フレデリカ王女、こいつはアシュレイ。ダンジョンマスターではないが、それなりに近しい関係性の配下だ。とりあえず今はこいつをダンジョン側の代表だと思ってくれ」
なんと言っても名前付きだからな。相応の信頼があり、重用していないと与えられていないはず。
「分かった。では私も国の代表として問おう。一体どういうつもりで参戦した?」
「俺たちに人間と敵対する意思はない。まずはそれを信じてもらいたい」
この会話一つをするために、大変な労力をかけたものだ。
いざこの瞬間が来るとさすがに感慨深い。
「難しいな。基本的に魔物は敵だし、ダンジョンによって滅ぼされた町は数知れない。そう、ついこの間も町が一つ滅ぼされたばかりだ」
しかしまあ、二つ返事という訳にはいかないよな。
「事例が多いのはそちらだから、すぐに信じて受け入れろと言うのが難しいのは分かる。だがフレデリカ王女。一般論に縛られすぎるのは勧めない」
「と言うと?」
口を挟んだ俺に、フレデリカ王女は目を向けてくる。
アシュレイに対するよりも聞く耳を持ってくれている感じがあるな。やはり多少なりと交流があるからか。
関係性というやつは、何事においても侮れないようだ。
「お前たちが危惧しているように、ダンジョンマスターには魔王軍に降って完全に人と敵対する、という道もあるからだ。今、マスターはそれを良しとしていない。しかしお前たちがあくまで討伐に動くのなら、降らざるを得ないだろう」
敵を二つにして攻め滅ぼされたくはないだろうからな。
リーズロットとアストライトは、互いを敵にして良いことなど何一つないのだ。現状、敵も一致している。
彼らに必要なのは、信じることのみ。
フレデリカ王女はしばし黙考していたが、ややあってうなずいた。
「分かった。しかし私の一存では答えられない。この話は持ち帰らせてくれ」
「いいぜ。俺たちだってすぐにうなずいてもらえるとは思ってないし。ただし最低限、国として攻撃してくるのは止めてくれよ。そっちが攻めてきたら破談になったって判断する」
「いいだろう」
アシュレイは『国として』と前置きを付けた。大分配慮した形だ。逸って攻略に乗り出す個人は妥協する、ということだからな。
いかに国が禁止を定めても、守らない奴は必ず出る。相応の理由がある、なしに関わらず。
同時に個人か国かの判断はダンジョン側で勝手にするとも言い切った。個人のフリをして攻めてくるなという牽制だ。
フレデリカ王女も分かっていての返事だ。どちらも疑心暗鬼に満ちたやり取りである。
だがそれでも、話し合う機を得た。上々だろう。
そもそも本当に、敵ではない相手と戦っているような場合ではない。
魔王軍は神人の加護を得て、名実ともに魔王軍になったのだ。対抗するために聖神側の神人にも降りてきてもらいたいところである。
ただ、身勝手ではあるが条件付きで。
その時はどうか、アストライト以外で頼む。
どうも大勢力らしい帝国とやらの方で、勇者なり英雄なりを選んで世界を安定させてもらいたいものだ。




