六話
準備不足が否めないうっかり屋だが、資格が実力を保証している。
そんな風に考えていると、タイミングよく、扉を開けてイルミナが入ってきた。
「こんにちは、グラージェスから荷物が届いたって聞いて――あら?」
「あ、い、イルミナさん!」
「リージェちゃん。久しぶり」
リージェは頬を赤くして緊張気味に、イルミナはほんわかと微笑んで互いの名を呼ぶ。知り合いか。
「ダンジョン討伐の支援錬金術士、リージェちゃんが来てくれたの?」
「ち、違います。わたし、ただの有志です。二級錬金術士だし……」
「そっか。命令じゃないのに来てくれたんだね。ありがとう」
リージェはばつが悪そうだが、イルミナの微笑みは崩れない。
「うぅ……。でも、お役に立てないかも、です。道具一式を持ってきてなくて……」
「え? あ、そっか。王都で暮らしてると、お店でも買えないものがあること忘れがちになるよね」
リージェの失敗をすぐさま見抜き、イルミナはうなずく。
「うーん。だとすると、確かにちょっと時間かかるかも。派遣されたのがリージェちゃんじゃないなら、もう一人来るんだよね? グラージェスにもそんなに在庫ないだろうし……」
「もっとかかりますか!?」
むしろ一月二月待つのは当然だと思っていた。俺の常識と王都は大分かけ離れていそうだ。
……羨ましい気持ちが湧くな。
リージェよりは王都外の事情に詳しいらしいイルミナは、困ったような微笑みで答えを返す。リージェはがっくりと肩を落とした。
「うぅん……だけど、リージェちゃんに手伝ってもらえたら、きっと皆もっと助かるんだよねえ……」
思い付きを探してギルド内を巡るイルミナの視線が、俺で止まる。
「あ、ニアさん。もしかして、待っててくれたの?」
「いいや。納品をしに来ただけだ」
そうしたらリージェに絡まれ、続いてイルミナが来たから用を済ませてしまおうと待っていたのはそうだが、待つ目的で訪れたわけじゃない。
「そうなんだ。ありがとう」
そちらもイルミナからの依頼といえば言えなくもないからだろう。彼女は律義に礼を言ってきた。
「別に構わない。金になるし」
暗黙のノルマでもあるし。
「でも強引に付き合ってもらったから。届いた分の材料を引き受けてくるから、もう少し待っててもらっていいかな」
「ああ」
そのつもりでここに居る。
「ええと、それで、リージェちゃん……」
「いっ、いいんですいいんです! お気遣いなく! わたしはっ、きゃあああっ!」
正面――イルミナに意識を集中させつつ後ずさっていたリージェは、出入り口のマットに引っかかって盛大にこけた。
「あっ、だ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫ですから!」
情けない笑みを浮かべ、よろよろと立ち上がった所に、背後から人が。
「きゃあ!?」
「わっ」
結果、さらに後ずさろうとしたリージェと、新たに入ってきた人物がぶつかった。……一体何をしてるんだ。
「すみませんすみませんっ。――あッ」
「まったく、何をしていらっしゃるの!? 注意散漫にもほどがある――……あら?」
謝り倒すリージェと、文句を付けるぶつかられた人物はほぼ同時に言葉を切る。
ぶつかられた相手は……また、豪奢だな。女性にしてはやや背が高い。
年は二十歳を少し超えたあたりか。冷ややかな印象を与える銀髪は、癖があるのかウェーブがかっている。しかしそれすら上手く組み込んで整えられた髪には、手間と技術が感じられた。青の瞳は冷淡にリージェを見下ろしている。
着ている服も真新しく、上質の生地がふんだんに使われているのが見て分かった。
「トリーシア……様」
「リージェ。貴女、どうしてここに? 派遣されたのはわたくしよ?」
「し、知っています。でも……」
「まあ、有志の協力は制限されていないものね。でもこのわたくしがいるのだから、腕の劣る貴女など不必要よ? さっさと帰って別の仕事を受けていた方が効率的じゃなくて?」
すぱすぱと容赦のない言葉を投げつけるトリーシアに、リージェは縮こまって俯いた。
「う……。そう、ですけど……」
「実力では昇れないから実績を作ろうとでもいうつもり? そんなこ狡いことを考えていないで、真っ当に努力した方がよろしくてよ」
「そんな……っ。し、失礼します」
否定しようとして一旦は顔を上げたものの、リージェはすぐに続きを飲み込み、頭を下げて去っていく。
「大錬金術士モリス様の弟子にして孫があんな調子じゃあ、モリス様もさぞ残念に思っていらっしゃるでしょうね」
不愉快そうにリージェの去った後の扉を睨みつけていたトリーシアは、ふんと鼻で笑って視線を剥がした。
「失礼いたしましたわ、イルミナ様。ごきげんよう」
「こんにちは、トリーシアさん。来てくれてありがとう」
「ダンジョン討伐ですもの。急ぐ以外の選択はございませんわ」
イルミナの口調はいつも通り。互いへの話しぶりからして、イルミナとトリーシアの地位は同格か、もしくはイルミナが少し上だ。
「討伐のために増員の打診も一緒に送ったんだけど、トリーシアさんが出るときにどうだったか分かる?」
「第三騎士団の中から選抜されるという話を聞きましたわ」
「そっか。ありがとう」
ダンジョン内は複雑な構成をしていて、大軍の運用に向かない。そのためダンジョン討伐には数より質の精鋭が必要になるのだ。
……腕利きが増えていく。逃げ損ねたのは本格的にマズかったか……。
「何にしても、物資は多くて悪いことはありませんわね。どんどん作っていきますわよ」
「うん、お願い。これが今日届いた材料のリストなんだけど、トリーシアさん、十日で消費するのってどれぐらい?」
十日と区切ったのは、そこでまたグラージェスから資材が届くのを計算してだろう。
「これは……凄い量ですわね。二割分程を錬成するので精一杯かと。これならリージェに手伝ってもらってもよかったかしら」
「じゃあ、残り分をちょっと他の人に回しても大丈夫だね」
「はい。この町の錬金術士の方々とリージェですわね?」
「うーん。リージェちゃんは……。工房がまだ揃ってないから様子を見ながら、かな」
揃っていないどころか、当てもない状況だが。
「そうなのですか? まさかあの子、何の準備もせずにここに……?」
訊ねたトリーシアに、イルミナは曖昧な微笑みで答えを返す。
「なんて迂闊な……」
それに対し、トリーシアは心底呆れた、というため息をつく。
「本当に仕方ないこと。あれでモリス様の血族だと言うのだから、同じ錬金術士として恥ずかしいわ」
そこまでか。
「リージェちゃんはずっと王都暮らしだから、他の地域について疎いところがあるんだよ。それに、親でも子でも孫でも別人だよ? リージェちゃんはリージェちゃんとして見るべきなんじゃないかな」
「そうですわね。リージェが無能だからといって、モリス様の栄光には何ら陰りなど落とさないのですから」
おそらくイルミナはリージェのフォローのつもりで彼女自身を見るべき、と言ったんだろうが、トリーシアはやはりリージェの一切を認めていない。ついでに血筋に拘っている部分も変化なしだ。
「そしてわたくしもわたくしの役目を全うしなくてはいけませんわね。では、イルミナ様。わたくしは手続きをしてきますので、失礼いたします」
「うん。頼りにしています。よろしくね」
「お任せくださいませ」
優雅に微笑んで一礼すると、トリーシアは受付へと向かう。そして別れたイルミナは再び俺の方へと戻ってきた。
「待たせてごめんなさい。それで、ニアさん。材料の――」
「任せる。適当に手配してくれ。じゃあ」
ここで錬金術士だとバレるとトリーシアに絡まれそうな予感がしたので、イルミナに丸投げすることを伝えると、俺はそそくさとギルドを後にした。
俺はただ、錬金術の研究をしたいだけだ。そのために便利な人間の町に住み付いたに過ぎない。
……ほんの少し前までは、実に理想通りの生活だったというのに。
まったくもって、世の中とはままならない。
憂鬱な気分で大通りを歩いていると、おそらく俺以上に不景気な顔をしたリージェが、目の前の建物から出てくるところにかち合った。
彼女が出てきた建物は、宿屋兼食事処だ。
食事を済ませて出てきたというには、ずいぶん絶望感が漂っている。……まさか、宿も取っていない、とか?
冗談だろう。ダンジョン討伐の話が出れば冒険者が集まるのは常識だ。事実、ノーウィットも一気に冒険者が増えた。
はっきり言って町のキャパシティを超えている。
その証拠に城門の外で本格的な野営を始めているパーティーもあり、治安も少し悪くなった。
「うぅ……。宿さえ取れないなんて……嘘でしょ……」
まさかだった。
王都に住む人間とは、こうも物知らずになるものなのか。
半ば感心さえする気持ちで眺めていたのがまずかった。呆然と佇んでいたリージェがふと顔を上げ、こちらに気付いてしまう。
「う!」
ギルドでのあれこれに続いて、また恥ずかしい所を見られたためだろう。リージェは赤くなりながら表情を引きつらせる。
おそらく彼女は今、予定がことごとく狂って途方に暮れているだろう。なので必要だろう情報を教えてやる。
「王都行きの馬車は向こうだぞ。乗るなら急いだ方がいい」
「帰らないッ!!」
なぜだ。見通しが甘くて現状が詰んでいるのなら、もう引き返すしかないだろうに。
まったくもって、理解不能だ。まあ、錬金術を追及するのに理解する必要のない分野だから、別に構わないんだが。
「そうか」
そもそも俺には関わりのないことだった。なぜ声をかけたのかも、正直なところ不思議ですらある。
「ま――、待って!」
うなずき己の家に戻ろうとする俺を、なぜかリージェが引きとめた。しかもローブを掴むという物理的な方法で。
「ッ」
とっさにフードを押さえ、事なきを得た。こんな所で耳の位置にある翼がバレたら大騒ぎになる。
まして今、ノーウィットは魔物狩りを生業にしている連中が集まっているのだ。
「……何をする」
「あ、え、えっと。ごめんなさい……」
俺から怒気を感じてか、リージェは素直に謝った。
……悪意はないんだろうが、ヒヤヒヤする。良識的な行動とも言えない。それぐらい慌てているってことかもしれないが、そっちの事情は俺には関係ない。
「あの、貴方この町に住んでるのよね? どこか泊まれそうな穴場とか知らない? もしくは泊めてくれそうな知り合いとか……」
ギルドと市場と家しか歩かない俺に、紹介できる相手など皆無だ。
「悪いが、心当たりはな――」
「おい、そこのお前!」
リージェへ否定の言葉を返す途中で、今度は肩を掴まれた。何なんだ今日は。厄日か。
首を捻って見てみれば、軽装の革鎧に長剣で武装した、おそらく冒険者だろう三十手前の男がいた。
「お前、錬金術士なんだろう。町の奴に聞いたぜ。ちょっくら薬を都合してくれ」
「個人依頼は受け付けていない」
「急いでるんだ。とっととダンジョンに入って稼ぎたいんだよ。分かるだろう?」
まったく分からない。ついでに、なぜ俺が見も知らぬ相手の都合に合わせなくてはならないのか理解もできない。
「ちょっと! 強引な路上依頼は法律で禁止されてるでしょう!」
「硬いこと言うなって。こんな田舎だ、大した兵士もいないんだろ? いいから言うこと聞いとけって」
罰を受けなければ、法など守らない、か。
俺は人間が創り上げた、集団がまとまって生活するための『ルール』というものには感心していた。
魔物の中で――というか生物の中で容赦なく弱者に分類されるフォニアであった俺は、常に生命の危機に怯えていたからだ。
人間の世界のルールでは、弱者が生きていくうえでありがたい保証がいくつもある。
……この男も、法の恩恵を受けているのだろうに。その枠の中で権利を主張しつつ義務を履行しないこういう手合いは、一体何なんだろうな。