五話
「――……」
イルミナはなぜか、愕然とした様子で沈黙する。それに不安感を覚えた。
まさか、人間の常識と違うのか? そんな馬鹿な。俺を魅了した錬金術――その使い手であった老女は、間違いなく人間だった。そして彼女は素材の属性調整を見事にこなしていた。
「貴方……」
眉を寄せ、口調を詰問するときのようなものにしたイルミナの言葉は、大量の鳥の羽ばたきによって遮られる。
「!」
それから一秒もせず飛び出してきたのはウルフ系中級種族の一つ、シャドウウルフ。気配遮断の能力に長けた進化先だ。
不意打ちの一撃を、イルミナは瞬時に抜いた剣で弾く。同時に浅くない斬撃を受けたシャドウウルフは悲鳴を上げて飛びずさり、姿を消した。
退いたわけではない。獣の気配は周囲に満ちている。囲まれている。
彼らに俺は――何もしない。イルミナの前で戦えば、正体が魔物だと感付かれる可能性がある。ついでに、そもそもする必要がない。
「エアスラスト」
反撃の魔法を放ったイルミナが、それだけでシャドウウルフを制圧したので。
イルミナを中心にして風の刃が放たれる。シャドウウルフを狙うのに障害物となっていた樹木もろとも、無軌道な風の刃がすべてを刈り取った。
後に残ったのは開けた視界と、無惨に散らされた草花。そしてシャドウウルフ六体とゴブリンメイジ二体の亡骸だった。
「炎を使うよりはマシ、だったよね」
景観が悪くなったのは間違いないが、これぐらいで環境の変化は起こらないだろう。問題ない。
イルミナは息をつきつつ、倒れた魔物たちの魔石を回収する。核を失った魔物の骸は魔力を失い、そう時間をかけずに大地へ還っていくだろう。
話通り、獣系とゴブリン系か。ダンジョンに巣くっていたのもゴブリン系が多かった気がする。
ゴブリン種は生まれたての下級種こそ、知能も低く肉体もそう強くない。しかし成長を重ねるごとに厄介さが跳ね上がるので有名だ。何しろゴブリン種は道具を使う。
「やっぱり、増えてる。いくらダンジョンができたからって、この数は異常……」
眉を寄せ、イルミナが険しい声で呟くと、まるでその声を聞きつけたかのように重い足音が近付いてくる。実際のところ聴き付けられたのは、先程の戦闘音だろうが。
「お……?」
現れたのは二メートル近い巨体の、やはりゴブリン種。しかしこいつはどう見ても中級種ではない。その厚い肉体も、重装備に耐えうる力も、上級種と見た方がいいだろう。
「ゴブリンジェネラルが、外に……!?」
「なんで、魔物、死んだ? 力、付けさせろ、命令された。守れなかった。お叱り、受ける。――お前ら、殺す!」
殺気をみなぎらせるのと同時に、ゴブリンジェネラルは自身に強化魔法を発動させた。これだけでゴブリン種の危険度は跳ね上がると言っていい。
「ニアさん、下がって!」
背中の大剣を引き抜いたゴブリンジェネラルは、力任せにイルミナへと振り下ろす。イルミナはそれを左腕の盾で受けた。激しい金属音が響いたものの、彼女は微動だにしない。
「はッ!」
盾で大剣を逸らし、右手の剣を振り抜く。
しかし防御の見事さと比べて、その一撃は精彩を欠いた。技術が乏しいという意味ではなく、単純に力が足りないのだ。
イルミナの剣はゴブリンジェネラルの左腕を正確に捉えたが、奴の素肌に弾かれて終わった。より正確には、浅い切り傷を付けて終わった。
「おい……っ?」
嫌な想像をさせるのに充分なやり取りに思わず声を上げると、イルミナからすぐに答えが返ってきた。
「大丈夫。向こうの攻撃も通さないから」
それは大丈夫だと言えるのか?
いや、いずれは何とかなるのだろう。時間をかけ、ゴブリンジェネラルに魔力消費を促せば、そのうち身体強化が解けてイルミナの剣も通るようになるはず。それには俺も同意する。
だが、そんな無駄な時間を待つ理由はない。
こういったときのために持って来ていた道具の一つ、サレメの毒を取り出す。発案者は主婦だったそうだ。主に害虫駆除に使われる微毒だが、改良を加えてもう少し強くしてある。
「コールウィンド」
毒を撒き、ある程度の操作性がある風を生み出す。
「ぶっ!?」
いきなり顔に叩きつけられたやや強めの風を、ゴブリンジェネラルは無防備に受けた。キョトンとしたその顔が、一拍後、見る間に苦悶のそれへと変わる。
「グッ、ア。アァァッ!!」
喉を掻きむしり、悲鳴を上げ――仰向けに倒れる。しばし細かな痙攣を起こしていたが、数分後には静かになった。
「な……何をしたの?」
「毒だ。頑丈な奴を倒すにはこれに限る」
最上級種にもなると内側も頑丈になるやつが増えるし、知能も増す。しかしとりあえず、今のゴブリンジェネラルには効いたので問題ない。
「ゴブリンジェネラルを瞬殺するような、毒……!?」
「サレメの毒だぞ? 別に驚かれるような品じゃないだろう。多少アレンジを加えてあるが」
その結果、取扱注意の品になってしまったので、害虫駆除薬としては失敗作だ。
「アレンジ加えたってレベルじゃないと思うけど……。ねえ、ニアさん。さっきも思ったんだけど、貴方――」
「話は後でいいだろう。サレメの毒はもうないぞ。もう一体現れたら面倒なことになる」
「あ……そうだね」
うなずき、イルミナは抜身のままだった剣を鞘に納める。
「昨日より更に魔物が多くなってるし、急いで終わらせた方がよさそう」
イルミナも理解してくれたところで、採集作業に戻った。
しかし、急激な魔物の増加か。
……嫌な予感がするな。
俺が近辺で採取してきた素材は、組み合わせ次第でヒールポーション、毒消し、鎮痛薬、毒薬が作れる。
大量の素材を前に研究心が疼いたが、内訳をイルミナも知っている以上、下手なことはできない。失敗する方が珍しい簡単な調合で、納品できないものを量産するわけにはいかないのだ。
だが少しぐらい――少しぐらいはいいだろう。
そう己に言い聞かせ、常識の範囲内で耐えきった俺は偉いと思う。
籠一杯の薬草を使って調合した品々は、それなりの量になった。そんなものを一度に運ぶのは無理なので、複数回に分けて納品している。
そして、これが最後だ。もちろん品質もD、Eに揃えた。完璧である。
品質確認で待っている間に、外が騒がしくなったのに気付く。ずいぶん重い馬車が止まったような音と、それを囲む人の声だ。
……ああ、例の材料の到着か。
ややあって商人らしき男と、魔術士らしき少女が入ってきた。商人と護衛だろうか。
大口注文にも慣れている様子で男は引き渡しを淀みなく行い、商業ギルドを出ていく。だが少女の方は動かない。護衛ではなかったのだろうか?
「一般的な錬金道具って、隣でも取り扱いはありますか? なければ取り扱ってる店を教えていただきたいのですが……」
「え? いえ、調合道具は置いてありませんよ。注文をいただいてからのお取り寄せとなります」
「え!?」
少女の問いに面食らいつつ答えた受付職員に、少女は驚きの声を上げた。
懐かしい。俺も器材を揃えるときには注文して、届くのを今か今かと待っていたものだ。
……ん? ということは、彼女は錬金術士か? 魔術士の服装は旅用だからだったのか。
少女の年頃は十六、七。艶のあるピンクブロンドを頭の後ろで結い、リボンで飾っている。瞳は緑。改めて注意を向けると、少女の魔力質と容姿に既視感を感じた。
俺に人間の知り合いなどいないんだが……なぜだ?
「ど、どうして置いてないのですか!? あ、と、取り扱いが別の専門店だということですね!?」
「いえ。ノーウィットに錬金道具を常備している店はないと思いますよ。かさ張りますし、使うのもお二人だけですし……。個人の道具屋さんの在庫を把握しているわけではないですが、まず取り扱っていないでしょう」
大抵の町はそうじゃないだろうか。それこそ、あらゆる文化の中心地、王都とかなら別だろうが。
「ち、注文したらいつ届きますか?」
「グラージュスに在庫があれば、十日と少しぐらいで届きますが、なければさらに遠方からの取り寄せ、もしくは製造待ちになりますので、はっきりとは申し上げられません」
「そ、そういうものなの……?」
絶望した呟きを零し、少女は項垂れる。そんな彼女を横目に、俺の納品した薬を鑑定していた別の職員がこちらに歩み寄ってきた。
「お待たせしました。ヒールポーション、毒消し、鎮痛薬、毒薬、各十個ずつ買取で、二千五百セムになります」
鑑定結果から出た金額も、想定通り。同意の証に一つうなずく。
「今回はありがとうございました。本当に助かりました」
ギルドカードで精算を済ませて、終了だ。これでイルミナから受けた依頼も本当の意味で完遂だし、ギルド依頼もかなり超過してこなした。一安心だ。
後は今日届いた素材をイルミナが買い取って俺に渡してきたのを、失敗してみせれば完璧だ。
イルミナは「失敗した」の報告だけで納得してくれるだろうか。それとも調合から見せなくてはいけないのか?
……面倒くさいな。
どう無難にやり過ごそうかと悩んでいた俺だが、ふと強い視線を感じて知覚を周囲に広げる。これでも魔物なので、気配にはそれなりに敏感だ。
一瞬後には食い殺される弱小種族だから身に付いた、というのが正しいのかもしれないが。
視線の主は、先程から受付で騒がしい少女からだった。
そしてこちらと視線が合ったと認識するなり、足早に向かってくる。
避けたい。しかしこれはおそらく避けても追いかけてくる手合いだ。言葉が通じるなら、断った方が早く済む。
「先ほど納入されたという品物を聞いてしまったのですが――貴方も錬金術士なのですね」
「そうだが」
「不躾で申し訳ないのですが、どうか、貴方の工房をダンジョン討伐期間中、昼間の数時間、貸していただけないでしょうか」
「断る」
受付と交わしていたやり取りから、この系統の要求だと分かっていたので即座に断る。
「もちろん、その期間の賃貸料はお支払いします。ご無理を言ってのことですので、金額の設定はお任せします。その後の設備の買い替え費用もこちらで持ちますから……」
「いや、断る」
正直、少女の言い値にグラッと来ないわけではなかったが、工房には人に見られたくないものも沢山ある。調合道具の多くも細工してあるので、やはり人に貸すのはなしだ。
第一、彼女に工房を貸して金を得るよりも、一時でも長く研究をしたい。
話は終わった。さて、帰るか。
「うぅ……。そう、ですよね……」
自分でも無茶苦茶を言っている自覚はあったのか、少女は恥じ入った様子で俯いた。
面倒な手合いではなさそうだ。それだけはよかった。
「あの……一応、今のお話をもう一人の錬金術士の方にしてみましょうか?」
項垂れた少女を哀れに思ったのか、応対していたギルド職員からそう提案される。
「直接ご紹介はできません。あくまでもそういうお話があったという打診をするだけですし、やはりお断りされる可能性が高いかと思いますが……」
「いえ、お願いします」
個人で商売なんかをしていると、面倒事が起こることも少なくない。まして希少職業であれば尚更だ。
錬金術士もそれに入る。ゆえに作り手を護るため、基本的にギルドを通してしか依頼はできない。指名依頼から徐々に互いの信用を得て、個人受注を受ける者もいるというが……俺には縁のない話だ。
「お名前をよろしいですか?」
「リージェ・シェートです。二級王宮錬金術士の資格を持っています」
「まあ」
受付員が驚いた顔をする。俺も驚いた。
王宮錬金術士とは、呼んで字のごとし、国の試験を通った際に与えられる資格である。特級から五等級まであり、五等級の資格を得るのもかなり難しいと聞く。
資格があれば色々と融通措置がもらえるのも知っている。が、俺に取得予定はない。あまり国家権力に近付きたくない身だから仕方ないのだ。残念だが。
ダンジョンができたこのときに、王宮錬金術士の来訪は町にとって嬉しいことだろう。知らずに来たとは思えないが……。
「じゃあ、貴女が派遣されてきた方ですか? それなら工房の用意が――」
「ち、違います! わたしはその、ただの有志です!」
慌ててリージェは首を大きく横に振る。
ただの有志……。彼女もイルミナと同種の人間か。町にしたらありがたいだろうな。