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十話

 紙に魔法陣を記すインクも、全属性を宿した自作のものだ。これ自体はただの補助線。描き上がったら香が通過しやすいように細かな穴を開け、線をなぞってインクが途切れた部分にも神力による魔方陣を定着させる。魔方陣を通過しないと効果が薄れる。


 コツコツと針で穴を開け、途切れた部分にインクと同様の配合で神力を通す。

 物が細かいだけに、自然と難度が増す。これが腕に一抱えもありそうな巨大香炉に設置するものならもっと楽だろうに。


 一瞬、オブジェに見立ててそれぐらいのサイズを用意しようかとも思ったが――やめた。

 戦場に近い場所に置くんだ。壊れる可能性が上がるだけだろう。無駄になる。


 三分の一ほどを終えたあたりで、昼を回った。

 ……休憩にするか。


 体力はともかく、集中力がいかんともしがたい。

 未だ余っている安らぎのアロマを取り出し、作業机の端に置く。


 せっかくだ。休んでいる間に何か食べるとしよう。

 作業から離れるための休憩なので、時間はある。調理もするか。


 卵と牛乳と水を解いて、小麦粉を投入。混ぜ合わせる。適度な硬さになった所で平たい円形に成形。

 その上にバターを塗り、切り分けたリンゴをセット。オーブンで焼いて完成だ。

 アップルパイモドキだな。


 食べやすい大きさに切り分けた――ところに、人の気配が近づいてくるのが分かった。しかも二人分。

 一人は問題ない。だがあともう一人が……。トリーシアに用があってきたのか?


 むしろそうであってくれと言う俺の願いは、虚しくも叶わなかった。来訪者二人はトリーシアのアトリエを素通りして、俺のアトリエの扉を叩く。


 無視をするわけにもいかないだろう。息をついて立ち上がり、迎えに出る。

 扉を開くと、イルミナとフレデリカ王女が驚いた表情で固まった。


「何の用だ?」

「その前に。――ニアさん、相手を確かめずに開けるのは危ないから、今後はやらないで?」


 イルミナの心配はもっともだろう。俺が本当に相手を知らずに開けていれば、だが。


「お前とフレデリカ王女だと分かっていた。魔力質に覚えがあったからな」

「そ、そう、なの?」

「ははッ。それは凄い」


 イルミナは申し訳なさそうに眉を下げ、隣でフレデリカ王女が快活に笑った。


「錬金術士のみならず、魔術士としても活躍できそうじゃないか。多才な民が我が国にいるのは頼もしいことだな」

「今のところ、錬金術以外に興味はないがな」


 自衛のためと、魔力、神力への理解を深めるために多少かじってはいるが、それ以上ではない。


 そもそも俺の場合、魔法を使うよりも魔力や神力を直接操った方が、体内魔力の消費も少ないし威力減退もないし、効率的である。


 人間として振舞うために必要だから、人間の技術を使っているだけだ。


「それは残念。私が推薦状を書いてもよかったのに」

「結構だ」


 推薦状の類をもらうなら、トリーシアから王宮錬金術士の道に進むものだけで充分だ。


「では改めて聞くが、何の用だ?」


 結局答えていないぞ。


「ディスハラーク神への奉納品を担当する錬金術士に会おうと言うのは奇妙ではあるまい?」

「その用向きなら納得する」


 そもそも、むしろよく通ったなと思っていた。


「ディスハラーク神への直接の奉納品を用立てているのは、君の他にあと二人いる。誰か、あるいは全員が、彼の神の御心に適う品を持ってきてくれるよう、切に願っているよ」


 多すぎても見栄えはしない。重要な部分だ。妥当なところだろう。


「君の枠は本来トリーシアのものだったのだが――。いや、立ち話には長い話だな。アトリエの中に入れてくれると嬉しいのだが」

「……分かった」


 少し考えてから、特に不都合なものはなかったはずなので承諾した。

 一歩脇に引いて道を空け、二人を室内に招き入れてから扉を閉める。


「何やらいい香りが……。ん、これから昼食だったか? それは悪いことをしたな」


 机の上に置いたままのアップルパイモドキを見付け、フレデリカ王女はそう言った。軽めではあるが、一応言葉通りの謝意もある。


「そのつもりだった。悪いが話は食べながら聞くぞ」

「ああ、構わん」


 食べ終わったらまた作業に戻るつもりだったのだ。予定をずらすつもりはない。


「パンの香りだけじゃないな。まだ他にも……これか」


 安らぎのアロマだな。仄かなハーブの香りなので、食事の邪魔になる程じゃない。


「作業場にも香で優雅さを与えるとは。いい趣味じゃないか。気に入った」

「褒めてもらって否定するのもなんだが、趣味という訳じゃない。余り物だったのを集中力の維持のために使っているだけだ」


 事実ではない情報で好感を得続けるよりはマシだろう。


「神経を使う仕事だものな。だがそれでも、選ぶ方法の趣味は良いと思うぞ」


 そうまで好意的に受け止めてくれるのなら、もう言うまい。躍起になって否定する話でもないし。


 部屋の隅に適当に押しやられていた椅子を引っ張り出してきて、フレデリカ王女は席に座る。イルミナは立ったままだ。


 が、フレデリカ王女はそれに気付いて苦笑し、二脚めを取りに立ち上がる。

 自分のために用意された椅子にも断りそうな素振りを見せるイルミナだが、二度勧められて諦めたように席に着いた。


「さっきの話――。俺の枠がトリーシアのものだったと言うことだが。よく通ったな?」

「『トリーシアの枠』だからな。その彼女がどのような手段で品を用意してくるかまでは言及されていない。まさか彼女が、自分の評価をかけて他人に委ねるとは思わなかったが」


 普通はそうだろうな。


 実力が認められて選ばれるのだろうから。国の命令に全力を尽くさない貴族はいないんだろう。後が面倒になるだけだと思われる。


 そもそも、やる気のない奴が勅命を受けるとは思い難い。少なくとも俺なら選ばない。どれだけ家格が高かろうと、優秀であろうとだ。


「つまりトリーシアは、自分よりも君が作る方が最善だと考えているわけだ」


 一歩間違えばトリーシアの実力を疑うような発言になりかねないので、貴族でもあるあいつに直接そのままの問いをぶつける奴は早々いまい。


 ためらわずに言ってのけるあたりは、さすがに王女か。貴族は王族の臣下だからか、遠慮がない。


「君が星咲の花の香水を作り上げた錬金術士だということは聞いた。どうやら、かなり難度の高い調合らしいな?」


 それを知っている、ということは。


「挑戦した奇特な奴がいたのか」


 星咲の花の香水の作成難度を知っているのは、カルティエラから頼まれた俺たちだけだったはず。


「王が君に褒賞を与えただろう。その時に『香水ごときで功績などとは言えない』と反対した者がいてね。お抱えの錬金術士に作らせようとしたんだ。うん、まあ、結果は分かるだろう」


 報奨金、功績の対価として貰っているからな。


「勝手に挑戦して勝手に自滅しただけではあるが、その貴族と錬金術士は君に恥をかかされたと感じたようだ。一応、注意しておいた方がいいかもしれない」

「何だそれは」


 預かり知らぬところで起こっていた事態に、呆れて何も言えん。考え方が無茶苦茶だ。理屈の『り』の字もない。


「とは言っても、君がイルミナやトリーシアと懇意であることは少し身辺を探れば分かる。今のところは、そこまで過剰な心配は要らないと思うけれどね」


『今のところは』、な。


 その傾向で行くと、カルティエラの『兄』であることはどう影響するのか。


 盾になるか、火に油を注ぐことになるか……。微妙だ。知られない方が無難な気がする。

 幸いカルティエラはしばらくノーウィットに滞在するように指示されている身。今すぐ広まりはしないはず。


 そのあとは……。今は考えずにおく。面倒くさい。


「わざわざ王女殿下が足を運んだのは、そいつらへの牽制の一環か?」

「それもある。私としても君には期待しているんだ、ニア。我がアストライトの発展のためにも」

「魔物と人間のハーフを有効活用しようという話か」

「言い方に棘があるな。だが悪いばかりではないだろう? 成果が出れば、生まれのみで苦境にある者たちの地位が向上する」

「どうだかな」


 フレデリカ王女も、少々認識が甘そうだ。


 人間たち、特に貴族周りを見ていると、能力が高くて権利のない存在など、いいように使い潰されるだけのような気がする。

 いっそ無視されていた方が楽かもしれんぞ。


 切り分けたアップルパイモドキを口に運びつつ、フレデリカ王女とそんな話をする。


 リージェあたりなら二人にも勧めそうな気がするが、これはどう考えても人間の味覚的に美味くない。勧められて口にするだけ苦行だろう。


「まあ、国の施策に興味はない。それより訊きたいことがある」

「何だ?」

「儀式の日程は決まったか?」


 リーズロットに伝えなきゃならん。俺の方でも合わせて予定を組む必要があるし。


「正確にはまだだ。決まった祭日という訳ではないから、準備の事情が優先される。色々、突発で進めている件だしな……」


 地下に巨大なダンジョンがある――と知って、慌てた感じか。


「ともかく君はまず、君の仕事を完成させてほしい。出来栄え如何によっては外れてもらうこともある」

「当然だな」


 俺の作品が認められないだけなら、特に問題はない。


 しかしこの流れだと、俺を推薦したトリーシアの面目も潰すことになるんだろう。依頼をする前に説明をしてほしかった。


 ただ、言わなかった理由は分かる。俺に重圧をかけないためだ。そして自分よりも俺の方が優れた品を作ると確信して、最善のつもりで任せてきた。叶わなくとも、責は自分で負う覚悟で。


 ……。俺自身が認められないのはどうでもいいとか言えない気配だ。


「じゃあ、私はこれで失礼する」

「あ……」


 用向きを済ませて退出を口にしたフレデリカ王女に、イルミナは小さく声を上げる。その声には離れがたさが感じ取れた。


 フレデリカ王女に付いてきただけで、イルミナとはまだロクに話もしていない。なので。


「イルミナ。少し時間を取れないか」


 こちらから聞いてみる。


「時間は大丈夫なんだけど、でも、殿下の護衛だから」


 駄目か。


「ああ、気にするな。なんと言ってもここは城だ。滅多なことも起こるまいよ。起こったとしても、誰かが駆けつけて来るまでは自分の身ぐらい自分で護るさ」


 ニヤリと笑って、自信に満ちた断言をする。


「殿下の腕前は存じております。しかし、そういうことでは……」

「そもそも、だ!」


 びしりと指を突き付け、フレデリカ王女はイルミナの言葉を遮る。上役にそうされたら黙るしかない。


「ニアに会いに行こうというお前に便乗したのが私だ。私の用件は済んだから、これ以上お前の邪魔をするのも本意ではない」


 フレデリカ王女が俺に会おうとしたからイルミナがついてきたのではなく、イルミナが俺に会おうとしたのが先か。


 ……そうか。


「何なら巡回中の騎士を捕まえるさ。ではな!」

「あ」


 言うなり身を翻し、フレデリカ王女は出て行った。追おうか迷って足を踏み出したイルミナににこりと笑って、扉を閉める。


「まあ、大丈夫なんじゃないか」

「うん。実質的には大丈夫だと思う」


 実質が駄目だったら、当人がどう言おうとイルミナは追って行ったんだろう。


「だから、ご厚意に甘えようかな。久し振り、ニアさん。元気そうでよかった」

「ああ、お前も」


 応じて答えながら、思う。

 互いの近況すら満足に確かめ合えないのが今の俺とイルミナの距離だ。


 イルミナも同様に感じたのかもしれない。浮かべた笑みが少しぎこちなくなる。


「一つ、聞きたいことがある」

「うん。わたしで分かることなら」

「例えば、俺が王宮錬金術士の資格を得たとして。お前と自由に会えるようになるものか?」

「――……」


 俺の問いにイルミナは目を見開いて息を飲み、固まった。

 それからゆっくりと瞬きをして、動揺を抑え込む。


「言葉通りに会うだけなら、ずっと楽になると思う。名誉の部分がどうなるかは分からないけど、ニアさんの実力を惜しまない人はいないだろうから」


 イルミナの答えには含みがある。


「それ以上を求めるなら?」


 最終的には伴侶として、イルミナに不都合なく関係を結べるのかどうか。


「……それも多分、大丈夫。でもきっと、ニアさんは凄く嫌な思いをすることになる」

「お前が貴族だからか」


 それもトリーシアの話では、相当位が高いらしいが。


「あのね、わたし自身はアストライト王国の侯爵家の人間なんだけど、わたしの母がハルトラウム帝国の皇女なの」

「……そのハルトラウムとアストライトの関係から頼む」


 見聞きしてきた情報から薄々察せられるが、正確には知らない。齟齬を生まないように正しく知っておきたいところだ。


 一般人ならば常識なのだろう事柄を聞かれたイルミナは、さすがに戸惑った顔をする。しかし追及はしてこなかった。


 一般人が貴族の常識に縁がないのと同様に、貴族も一般市民の常識を知らない。庶民の認識においては常識ではないのかもしれないと考えたのだろう。


「わたしたちが暮らしている大陸の七割ほどを傘下に治めてる、宗主国だよ。アストライトも帝国領なの」

「アストライトは中堅程度の国だと言っていなかったか? よくそんな国の侯爵家程度に皇女が嫁いできたな」

「うん、本当に。お母様、言い出したら聞かないところがあるから」


 甘やかされて育った者にありがちな性質だな。


「お母様が妻になったから、お父様は沢山大変な思いをしたわ。属国の貴族が帝室のお茶会に呼ばれてしまったりとかね」


 さぞかし居辛かったことだろう。


 規模と位が大分違うが、カルティエラの歓迎会に呼ばれたノーウィットの町の名士たちのような状態だと思われる。

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