七話
しかしだからと言って、忠誠心に厚かったわけじゃない。侵入者が来ても、一度も迎撃に向かったことさえない。
個別の命令が来なかったから出来たことと言える。マスターも俺の存在を忘れていたか、向かわせても意味がないと思っていたかのどちらかだ。
正しいと思う。何せ、当時の俺は最下級種のフォニアだ。力らしい力などない。
「お前は名前付きか?」
お気に入りや、重要な位置に配置する魔物には、マスターが名前を付けることがある。
個体識別のためだけじゃない。名前という器に力を注がれて、名無しと比べて一回り以上強大な力を持つようになる。
どの程度の力を得るかは、マスターが注ぐ力次第だ。
「まさか。わたしはただの偵察兼、伝令役よ」
一目で一般的なハーピィより強力に進化していると分かるのだが、ただの偵察か。そうか……。
「名前ももらっていないのに、そんな忠誠心が芽生えるものか?」
「他所は知らないけど、わたしはマスターが主で満足してる。それだけよ」
「いい主なんだな」
「そうね。そう言うべきなのかも」
一括りにダンジョンと言っても、千差万別だな。
「まあ、不快に感じたのなら謝ろう。だがお前が偵察と伝令を任じられているのなら、なおさら俺のことは主に伝えるべきだと思うが」
偵察や伝令の仕事は、起こる事象を漏らさず見て把握することと、正確に、確実に伝えることに尽きる。
このハーピィが、そこに己の判断を差し挟むのを許されているかどうかは分からんが。
「大した自信ね。自分の存在には伝える価値があると、そう言うのね?」
「ああ」
断言した俺にハーピィは懐疑的だが、言った通りに自信がある。
「ふぅん……」
こちらを値踏みして、しかし結局判断は付けられなかったようで、ハーピィは迷った声を出す。しばしじっと俺を見つめていたが、やがて決心した様子でうなずいた。
「いいわ。伝えてあげる」
言うなりハーピィは座っていた水晶柱に手のひらを当てる。流された魔力に反応して水晶柱が輝き、ハーピィの姿が消えた。
転移魔方陣か? いや、それだけにしては大掛かりだ。きっとまだ仕掛けはある。
もっとも、この大広間に何が仕込まれていようと、今は敵対していない俺に使われるものでもないだろう。特に気にする必要はない。
待つこと数分。再び水晶柱が輝き、ハーピィが戻ってきた。
「お会いになるそうよ。わたしが座っている水晶柱に触れてちょうだい」
「こうか?」
転移の前、ハーピィがやったように手の平の全面を水晶柱の表面に付ける。
「ええ。それで大丈夫」
ハーピィが再び、魔法を発動させる。吸い込まれて吐き出されるような感覚のあと、景色は一変。明らかに建築物の中に移動していた。
ここはダンジョンだから、そういう風に設計されている、というだけだが。
縁に飾り彫りのある材質不明のタイルの床。壁にも装飾性の高い窓。見える景色からして、かなりの高所。なにせ窓の外に見えるのが空だけだ。
正面の壁には何かの物語を繋げて綴ったタペストリまである。
貴族の館と神殿がごっちゃになった気配だな。独特の美的感覚だと言えるだろう。
「ようこそ~。招かれざるゲスト様~。歓迎しますわ~」
そして真正面にテーブルを挟んだ位置にいた少女が、間延びした口調で挨拶をしてきた。
「歓迎されているのかされていないのか、分かりにくい歓待の言葉だな」
外見は、人間でいうところの十三、四といったところ。細かく波打つ白銀の髪に、レースがふんだんに飾り付けられた黒のヘッドドレス。
服装も黒を基調にされていて、フリルとリボンに埋もれそうだ。
かなりのボリュームのあるスカート部分を摘まんで、彼女は優雅に礼をして見せた。
「まあ~。もちろん、歓迎していますわ~。でも招いてはいませんから、正しいでしょう~?」
それから両手で頬を挟むように添えて、さも心外だと言うように小首を傾げる。
だがその声には微塵もブレがない。何とも思っていない証だ。
「まずは、自己紹介をいたしますわね~。リズは~、リーズロットといいますの~。お気軽にリズと呼んでくださいね~」
「ニアだ。ここから少し離れた人間の町で、錬金術士をやっている」
「まあ~。それは素敵ですわね~」
部下とは反応が違った。意外だ。
「素敵か?」
「もちろん、素敵ですわ~。リズの恰好をご覧になっても、信じていただけません~?」
確かに。リーズロットが身に着けているのは布地で作られた衣服だ。服自体にも魔力による強化を感じる。装備品に価値を見出しているために他なるまい。
「では~、本題に入りましょうか~。リズのダンジョンデュエルに興味がおありとか~?」
協力、とは言わなかったな。まずは理由を話せと言うことか。
「ああ、ごめんなさい~。どうぞ、おかけになって~?」
「なら、遠慮なく」
まず俺が進められた通りに席に着き、次にリーズロットが正面に座った。
客人だからというよりも、何かしら行動しようとしたときに初動が遅れる態勢を先に取らせた、という気配がする。
「貴方は~、見掛けによらず、豪胆ですのね~」
俺が意図を察しつつも従ったことに、リズは感嘆の息をつく。
「敵対しに来ているわけじゃないからな」
「そこがすでに、豪胆ですの~。後ろからグサッ、とされてしまうかもしれませんのに~」
「お前にそのつもりはないはずだ」
一言でも喋らせれば確実だ。そうでなくとも、体が立てる様々な音を注意深く聞けば分かるが。
「自信があるんですのね~? 能力由来かしら~。実際、リズは今貴方を害そうとは思っていませんけれど~。一瞬後には気が変わるかもしれませんから、『今』を信じすぎるのは危険ですわ~?」
「留意しよう」
どうも本心からの忠告のようだし。
善良とまでは言えないのだろうが、良心的ではある人柄のようだ。
そんな無駄話を差し挟んでいる間に、ティーセットが運ばれてきた。
花の絵付けがされた白磁の陶器。徹底しているな。
「どうして、リズのダンジョンデュエルに興味がおありなのかしら~」
「この地に人間に敵対的な奴が住み着くと困る」
「本当に、それだけですの~?」
「外に出たことのないお前に察せと言うのは難しいだろうが、人の町に継続して住み続けられるよう侵入するのは骨だ。何度も同じことはしたくない」
一応、人間社会での身分を手に入れているから一番初めよりは楽だろうが、次も上手く溶け込めるとは限らん。
もちろん、一番大きな理由はそれではない。だがイルミナたちの件を口にする気はなかった。
なぜわざわざ、自分の弱所を晒すような真似をしなくてはならないのか。
「何を厄介で面倒だと感じるかは、人それぞれですものね~」
当然だが、リーズロットは実感のある納得の仕方をしなかった。しかし否定でもない。充分だ。
「では具体的に~。どのような協力をしていただけるんですの~?」
「今すぐ提供できるのは簡単なアイテムのみになるが、それよりも有益な情報がある」
「情報とは、何でしょう~」
「上の町では今、結界を拡張する準備が進められている」
俺の言葉に、リーズロットはかっと目を見開いた。
そして天井を振り仰ぎ、両手で顔を覆って大袈裟に嘆く。
……いや、大袈裟ではないのか。こいつにとっては安全に外に出ることが最大の悲願なのだし。
「ようやくここまで広げたのに……。まだまだお預けですのね~」
「肝心なのはそこではなく。この町の結界は、聖神の力に依存している」
ノーウィットの結界とは構想からして別物だ。やはり王都だからか、それとも別の理由があったのかは分からんが。
「存じていますわ~。だから、触れたら一瞬でバレてしまいますもの~。もう争いになるのも覚悟した方がいい気がしてきましたわ~」
「待て」
それはそれで困る。
「お前の目的に関しても、とりあえず横に置いておいてくれ。ダンジョンデュエルに負けて支配されるのは、お前も避けたいところだろう」
直近の問題はそちらのはずだ。
「俺が提案したいのは、その結界拡張もダンジョンデュエルに使えないかという部分だ」
「ええっと~。つまり、魔王軍を結界の影響範囲内に誘い込め、と~?」
「そうだ」
魔王軍は魔神を強く信仰しているから、例外なく魔力寄り。聖神由来の結界とは相性が悪い。
対してリーズロットのダンジョンは、混成になっている気配がある。原初の魔物であるリーズロット自身は完全に魔力寄りだが。
「お前のダンジョンには、影響の少ない奴がいるだろう」
「いますわね~」
入り口にいたハーピィも、両属性に親和性のある様子だった。しかしそれでも半分は引っかかるから、完全に聖神寄りの聖獣タイプが望ましい。
「なるほど~。それはちょっと、楽になりそうですわ~」
「そうだろう」
「理想は~、誘い込んで弱体化と動揺を引き起こすことですけれど~。結界拡張の日程は分かっているんですの~?」
「訊ける伝手はある」
イルミナでもトリーシアでもサラでも、儀式の日付は分かるだろう。
「お前の方は合わせられるか?」
「難しいですわ~。宣告されてから一月後と決まっているんですの~。丁度半月後に開始ですわね~」
準備の期間は一応与えられるが、余裕までは早々ない、といったところか。
「こっちの予定は確認しないと分からないな。そこまで悠長にはしていないと思うが」
「多少であれば、防衛に専念してしのぐのも手だとは思いますの~。けれど最善ではなくても、絶対に通過しなくてはならない構造にすれば痛手になるので、後よりは先に広がっていただけるとありがたいですわね~」
どれぐらい使えるかは儀式の予定次第になるわけだな。
当然か。明確に決まっていない事象を策に弄するわけにはいかない。
「分かった。なら確認したらまた来る。ついでに役立ちそうな道具のいくつかも提供しよう」
「それは助かりますわ~」
「特に欲しいものはあるか?」
ダンジョンの構成を知らない俺よりも、すべてを把握しているリーズロットの方が効果的な道具を想定できるだろう。
「回復薬の類が、使い勝手がいいかしら~。アイテムもコスト制限がかかるので~、何でも大量に、という訳にはいきませんの~」
「装備品もか?」
「そちらは、ユニットコストに含まれますわね~」
人員と道具が別カテゴリーで、装備品は人員に含まれるのか。分からなくはない。
「ではとりあえず、回復薬を中心にそろえよう」
結界が使えるかどうか次第で、渡そうと思っている道具もあるが。
「よろしくですわ~。リズのダンジョンに上手く道具を作り出す能力のある魔物はいないので~。アイテムコストは大分空いていますの~」
うん?
リーズロットの発言に引っ掛かって、首を傾げる。
「そう言えば、その服はどうしたんだ」
結構凝った作成物だと思うが。
「お友達になった原初の魔物から、プレゼントしていただきましたの~。リズのダンジョンは~、生じた場所が少し厄介なので外に出られていませんけど、どこのダンジョンもそう、という訳ではありませんもの~」
原初の魔物同士でコミュニティを作ることがあるのか。
いや、まあ魔王軍もそうと言えばそうだと言える。向こうは基本、隷属関係だから友人とは呼べんが。
「ああ……。リズも早く、思う存分外でお散歩したりお買い物したりしてみたいですわ~」
買い物……。町に入る気なのか? リーズロットぐらいの実力があれば、自身の属性の擬態ぐらいは容易いのか。
どうするのかは少し疑問に思ったが、追及するような部分ではない。能力に抵触するかもしれんし。
知ることも知られることもためらう程度の間柄だ。あえて触れまい。
「叶うといいな」
「もちろん、叶えますわ~」
目を細めて、笑顔で断言。確固とした意志を感じる。
積極的に人間を害するつもりはなくても、いつまで我慢が持つか怪しいところだ。リーズロットの望みについても考える必要がある。
人間だろうが魔物だろうが、個人でなら上手くやれる者たちはいるだろう。敵対する意思のない者たちが、皆思う通りに平穏な間柄を築ければ一番いいはずだが。
難しいんだろうなというのは、分かる。




