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四話

「大変そうだが、頑張ってくれ。宿はあそこだ」

「おお、これはこれは……。ご親切にありがとうございます」


 丁度良く、目的地にも辿り着いた。


「じゃあ、サラ。今日はこの町で休憩しよう」

「うん」


 普通に話しているし普通に歩いているので、ディランももう必要以上にはサラを心配してはいない。

だが体調が悪かったという言い訳は未だ疑っていないし、時間も時間だ。移動は早々に諦めた様子だ。


「余計な世話ついでに。ノーウィットには一応、国営馬車があるぞ。それで王都まで行ける」


 旅慣れない人間には便利な制度だと思う。


「そうなのですね。教えていただけて助かります」

「国営馬車? って、何?」


 ディランは安堵で顔を明るくしたが、サラはきょとんとしている。


 アストライトはそれなりに国民生活の利便性に力を入れているように感じられるが、行き届いてはいないらしい。


 使い手のいないサービスを維持するのは難しい面もあるのだろうな。それでも、必要なものはあると思うが。


 宿に入っていくディランとサラを見送って、俺も自宅へ帰る。

 夜は魔物の時間。今から町の外に出るのは少々不自然だ。門番に見咎められる可能性が高い。


 それに、想像がついたという理由もある。

 俺の想像が正しければ、されている要求に応えるのは相当の難題だぞ……。




 家に帰ると、手紙が届いていた。トリーシアからだ。

 中身は氷樹は神気で作るようにという追記だった。こちらにはちゃんと使用目的も記されている。


 この時間差からして、決まって即座にカードで知らせを送り、詳細もその日のうちに手紙で出したんだろう。


 虹の氷樹の使用目的は、俺が昼間サラと出会って予想した通りのもの。


 王都の結界の主要部を構成する、光の聖神ディスハラークへの奉納品だ。結界を広げるために必要としているらしい。


「よりによって、奉納品か」


 つい、ぼやかずにはいられない。

 神々の性格はまちまちだが、その中でもディスハラークは面倒な性格をしている方だと思う。


 強者が好きで、儚さを愛していて、美しいもの、純粋なものを愛でる。


 ――強くて儚い時点で、難度が高い。


 だがそういう意味で、虹の氷樹は確かにディスハラークの好みに合うだろう。何なら彼の神に捧げるに望ましい品として、人の間では情報が共有されているかもしれない。


 サラが王都に呼ばれているのも、本人の予想通りだろう。


 神に認められた過去を持つ人材として、期待されているのだ。まったく自信がなさそうだったけどな。

 そしてサラの自己評価は正しい。彼女の周りに神の気配はない。


 過去、彼女の何がどの神の関心を引いたのかは分からないが……。正直、俺もそれどころじゃない。

 トリーシアの手紙では完成を疑う気配さえないが、期待に沿う品質の氷樹を果たして俺が作れるか?


 午前中に作った氷樹へと視線を向け、溜め息をつく。間違いなく、ディスハラークはこんなものでは心を動かさない。


 いっそ、歌った方が可能性あるぞ……。王都の中心でそれをやるのはあまりに危険だが、事と次第によってはやむなしか……?


 などと考えていたら、ふと耳に歌声が届く。


 これは、サラの声か? 歌の内容は人間が神殿などでよく口にするものだ。確か、賛美歌とかいう名前だった。


 神を称え、感謝を伝える詩が乗っている。


 サラとディランはともに聖職者だと言っていたから、自然な選曲と言えばそうだろう。

 しかし唐突ではある。まるで急いで、何かを確かめているような。


 ……まさか、これなのか?


 思い至ると同時に、歌声がピタリと止まった。

 なんだ、どうした。随分半端なところでいきなり途切れたぞ。


 聞こえてきた声の様子からして、サラがいるのは町の中。ただし、外壁に近い際のあたりだ。

 夜だからな。時間を気にしたんだろう。


「――……」


 少し待ってみたが、歌声が再度聞こえてくることはなかった。


 切り上げただけかもしれないし、自分で気になる部分を見つけて改善のための思考中かもしれない。平和な理由だっていくらでもあるだろう。


 だがもし、そうではなかったら。


「くそっ。面倒な」


 サラがどれだけ重要な役目を期待されているかが分からない。放置はできん。


 ……それに、そうではなくても。


 サラに何かがあれば、ディランが大いに悲しむだろうことは想像に容易い。悲しみの感情など、誰のものであっても楽しくなどない。むしろ、こちらまで気持ちが沈む。


 立ち上がってフードの位置をしっかり整えてから、外に出た。


 錬金術が発展して、町には街灯という明かりが一定の間隔で立ち並ぶようになった。人であっても、夜でもどうにか視界が確保できるぐらいの光量はあるだろう。


 俺の目は人よりはマシなはずだが、もの凄くいい訳でもない。まあ、闇ぐらいで不便を感じるほどじゃないけどな。魔物だし。


 ノーウィットの町の街灯は、間隔がわりと広い。大通りであれば明かりが届かないような場所がほぼなかった王都と比べると、結構な差がある。

 設備投資も安くないということか。


 そのため、夜間に外出する者などほぼいない。元々人間は夜に寝る生き物でもあるし。


 誰に見咎められることもなく、俺は歌声の発生場所と思われる辺りにまでたどり着いた。――いた。


 外壁のどこかから崩れたらしい少し大きめの石の塊の上に腰掛けたサラが、考え込んでいる様子が見える。


 とりあえず、無事ではあったな。

 何よりだ。だが、このまま朝まで無事でいるとは限らない。


「おい」

「うわっ!?」


 帰るように促すために声をかければ、サラは全身を跳ねさせて驚いたときの声を上げた。俺の接近に全く気付いていなかった様子だ。


「だ、誰!?」


「昼間、お前とディランを宿に案内した町の住民だ。そういえば名乗っていなかったか。ニアだ」


 これも人と関わるようになって実感したことだな。名前とは便利な記号だ。むしろないとややこしくてかなわん。


 近付いたことでサラの目でも俺を視認できたらしく、なぜか体から少し力を抜いた。


「なぜ警戒を解く。お前を襲うつもりだったらどうするんだ」


 近付いてきているんだぞ? 余計危ないだろうが。


「襲う気なの!?」

「襲わないが。それと、襲うつもりでもそうとは言わないと思うぞ」

「人を襲うとか、意味分かんないんだけど! 本当に都会って物騒ね」


 都会……。ノーウィットがか……。

 飛び出してきた一言があまりに予想外だったので、一瞬言葉に詰まってしまう。


 しかしサラやディランの口振りからして、彼らが普段生活している場所は相当人口が少ない。町の体を成している分、ノーウィットは充分都会なのかもしれない。


「何よ?」

「いや、何でもない」


 ノーウィットが都会かどうかはともかく、人を襲う輩が皆無とは言わない。小さい町だが町人全員が顔見知りという訳ではないし、旅人も一応来る。概ね通過するだけだが。


「ともかく、物騒なのが予想できているのなら夜に出歩くな。大体、どうして夜なんだ」


 昼でもいいだろう。


「歌の練習をしようと思ったの。でも、ディラン様にはあまり見られたくなくて」


 同行者に秘密か。まあ、それなら納得できなくはない。


「きっと、心配させちゃうから」

「呼び出しの期待に応えられる気がしないと言っていた件だな。つまりお前は、以前歌の奉納で祝福を得たのか?」


 どうにも信じ難い。


 サラの歌は技巧も声もごく普通だ。練習であったことを差し引いても、神々がサラの歌に心を惹かれる可能性は俺が作った虹の氷樹といい勝負だろう。


「そうよ。十年ぐらい前かな」


 しかしサラは肯定した。声は嘘をついていない。


「この辺りで、不作の年があってね。知らない?」

「いや、俺はここの生まれじゃあないから」


 十年前というと、ダンジョンが討伐されて外の世界に放り出され、色々彷徨っていた頃だ。地図にも疎かったから確信はないが、多分この辺りではない。


 リージェがいたからアストライトであることは間違いないと思うが、故郷の場所を俺は把握していない。用もないし。


「そっか。まあ、この辺りはそうだったのよ」

「それで?」

「皆で飢えてて、凄く苦しかった。子どもやお年寄りはもちろん、ちょっと体力のない人は年の冬を越せないかもってぐらい」

「飢えが苦しいのは、分かる」


 俺も食料の保存をしないで冬を迎えて、酷く後悔した経験がある。


 ダンジョンは別空間に存在しているから、外の影響は受けないものだが……。マスターが奇矯な人物だったのだろう。俺がいたダンジョンには四季があった。


 俺の口調と表情で、感覚が全く通じないわけではないとサラも理解したらしい。沈痛な表情でうなずいた。


「アタシね、これでも村の中じゃ歌が上手い子どもだったの。心を込めて歌えば、神様にだって届くかもって言ってくれた大人までいたわ」


 それは難しいだろう。


 大人が子どもを褒めただけなのか、本気だったのか。場面を見ていない俺には判断できん。

 俺の否定的な空気を悟ったのだろう。サラも苦笑した。


「分かってる。それはね、大げさに誉めてくれただけだって」


 そっちか。


「でも当時子どもだったアタシは、結構真に受けてて。大きくなったら王都に行って聖楽隊に入ろうー、とかって考えてたわけ。だから毎日練習もしたわ」


 言っては悪いが、それでもサラには神に捧げるだけの実力が身に付いていない。


 俺たちフォニア種のように天性の才が備わっていれば別だろうが、普通は独力で物を極めるのは難しい。

 俺の錬金術の研究の進みが遅々としているようにな。


 だが人が夢を叶えるための第一歩は、正にそこからなんだろう。サラは間違いなく、希望を与えられて夢を描き、努力を始めたのだから。


「そしてあの年。冗談抜きの不作でどうしようもなくなって、アタシ思ったの。今こそ必死で歌うべきでしょうって。……と言っても、それまでも歌って奇跡なんて起きたことないから、本気でどうなるって思ってたわけじゃないわ」

「だが、どうにかなってほしいとは本気で思っていたんだろう?」

「もちろんよ」


 藁にも縋る思い、というやつだ。


「アタシ、必死で歌ったわ。多分その後を含めたアタシの人生の中で、あんなに真剣に歌ったことないと思う。どうか皆を、アタシを、助けてくださいって」

「そして奇跡は起きた、と」

「そういうこと」


 経緯は理解した。


 おそらくそれは、本当に偶然が招いた奇跡だったんだろう。サラが必死に歌っているそのときに、たまたまこの地に目を向けた神がいた。


 そして彼女の純粋な願いは、神の心を動かしたのだ。動かしそうな幾柱かに心当たりもある。


「ディスハラークだったのか?」

「えっと、多分目を留めてくださったのがディスハラーク神で、実際に奇跡の力を貸してくださったのは地神ダグラヴィアだと思うの。地面がこう、バーッて光って、植えた植物が何でもすくすく育ったから」


 耳には止めたものの、サラの願いが自分の門外だったからダグラヴィアに話を通したのか。


「おかげで、誰も死ななかったわ。近隣の町や村にも食料を配れたぐらいよ」

「それは結構、大きな話になったんじゃないのか」

「どうなんだろ。一度王都から来たっていう偉そうな爺様が来たけど、アタシを見て鼻で笑って帰っていったから。そのときには、土地も普通に戻ってたしね」


 サラが呼んだ奇跡を信じなかったんだな。

 肩を竦めたサラには少しの反発心が見えたが、それ以上ではなかった。むしろ安堵の方が大きそうだ。


「良かったじゃないか」

「そうね。あんな爺様がウジャウジャいるような所に連れていかれたら、三日で逃げ出すわ」


 同時に、サラの王都の聖楽隊入隊の夢もそこで消えたかもしれんな。


「でも、いいの。別に国の偉い人に認められなくたって、アタシたちは助かったんだから。それが一番重要よ」


 そう思える心性でなければ、歌声に乗った願いにディスハラークも心を打たれはしなかっただろう。


「ウチの村の神殿ってシャーレクアレを祀る水の神殿なんだけど、勝手に光神と地神も加えさせてもらったわ。ご神体、村の器用自慢のお兄ちゃん作だからそんなに立派じゃないけど」

「問題ないだろう」


 宿った気持ちが本物だ。それを見抜かないほど、神々の目は節穴ではない。

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