二話
払った金額よりも若干多めの食材を抱えて帰路に付く。その途中。
「追いついた」
進路を塞ぐように、少女二人が立ち塞がる。
羊の角を生やしたカルティエラ付きの双子、シェルマとリェフマだ。
「俺を追って来たのか? カルティエラの護衛はいいのか」
「ノーウィット、平和。姫様ものびのび」
「少しなら離れても大丈夫。他の人もいるし。多分」
まあ、物騒な話はあまり聞かない町ではある。
「ニアが帰って来たの、気配で分かった」
「姫様に伝えた。姫様会いたがった。兄なら、妹に帰郷の挨拶ぐらいしてもいい」
気が早すぎないか。戻ってきて一日と経っていないぞ。
平和でのびのび過ごしているのは本当だろうが、退屈もしていると見た。
だがリェフマの言にも一理ある。挨拶ぐらいはしてもいいだろう。
ただ肝心なところだが、カルティエラが慕って呼び名が変わっただけで、俺と彼女との間に血縁は欠片もない。
「今から訪ねても仕方ないだろう。明日会いに行くと伝えておけ」
「明日。分かった」
「明日。必ず」
念押しまでされた。
双子はとりあえず俺の答えに納得した様子で揃ってうなずき、その場で跳躍して近くの人家の屋根に上ると、領主館の方角へ駆け去って行った。
民家の屋根を道にするのは、王女付きの護衛としてどうなんだ。
しかし、カルティエラか。
出掛けていた兄が帰って妹を訪ねるなら、土産の一つも持参するべきなんだろうか。
……明日までに、何か作るか。
「――ようこそお出でくださいました、お兄様!」
通された私室で俺を迎えたカルティエラは頬を紅潮させ、満面の笑みでそう言った。
後ろでは前回もカルティエラに苦言を呈していた中年の侍女が厳しい顔をしたが、言葉にはしなかった。
確か、アンリエットだったか。最早諦めた気配が漂っている。
「昨日帰ってきた。王都の物ではないが、土産だ」
言ってカルティエラの手に乗せたのは薔薇の香水。自作だが、効能は特になし。
「まあ! ありがとうございます。大切に使いますね」
受け取ったカルティエラの声は弾んでいる。少なくともがっかりはさせなかったようなので、良しとしよう。
「さあ、どうぞお掛けになって。王都の様子はどうでしたか?」
「賑やかだった。それと、すでに報告を受け取っているかもしれないが、蜂の件は無事に片付いたぞ」
「はい、連絡が来ました。ニアお兄様が蜂を誘き寄せる香水を作って、一網打尽にしたのですよね!」
やった功績が増えてないか?
「実際に一網打尽にしたのは、お前の姉と王宮騎士だぞ」
「存じています。けれどお兄様が香水を作らなければ、作戦そのものが成り立たなかったのです。第一勲功はお兄様であるべきですわ!」
「成り立たないのは実行した騎士たちがいなかった場合も同じだ。危険性が高い分、そちらを優遇するべきだ」
でなければそのうち、現場に立つ人間がいなくなるぞ?
カルティエラは俺への好意から、どうも贔屓目が強い。
人の上に立つことが約束されている子どもだ。実を伴う発言力を得る前に矯正しておくべきだろう。
「それは、そうかもしれませんが……」
こちらの言い分は認めたが、不満そうではある。自分の気持ちまで否定された気分になっているせいだ。
「まあ、お前の気持ちは嬉しかった」
「……はいっ」
なのでその部分を肯定すると、持ち直した。やれやれ。
「あと、こちらは非公式ですが――蜂の討伐に協力してくれた魔物がいたようなのです。本来ならば、そちらにも褒賞を与えるべきなのでしょうね」
「ずいぶん詳しく知っているな。非公式なのに」
そんな緩さでは普通に広まっていきそうだが、いいのか?
「そちらの話は公式の報告とは別に、お姉様からお手紙が来たのです」
緊急の連絡などにはカードを使うことが多いが、長文のやり取りには手紙を使うのが一般的。
カードは時間のロスがなくて便利だが、どうしたって面積が少ないから読みにくくなる。
ついでに機密の面でも手紙は優秀だ。関わる者が少ないほど、漏洩の危険度は下がる。物理的に手にしなければ手出しできないのが現物のいいところだ。
「姉、か。フレデリカ王女か? 勇ましい姫だったな」
今更だが、カルティエラがしようとしていた贈り物に疑問を感じる。あの女傑が香水など使うのだろうか。
「まあ、お姉様とお会いしたのですか?」
「遠目に見ただけだ」
という設定になっている。
「そうでしたか。確かにお姉様には勇ましいところもありますが、繊細で、美しいものや可愛らしいものを愛する方でもあるのです」
「そうか」
あまり想像できないが、身内であるカルティエラが言うならそうなんだろう。
「お姉様のお話では、たいそう神秘的な鳥であったのだとか。フォニアの歌声は神々でさえ聞き惚れると言いますが、かの魔鳥の歌声は正に話に違わぬ美しさだったそうです。……ふふ。ニアお兄様と同じですね」
「……俺と同じ?」
後半、聞き流せない見解に眉を寄せる。
「お兄様のお声も、大変魅力的でいらっしゃいますわ。こう……いつまでも聞いていたい心地になるのです」
声が持つ力は抑えてあるはずだが……。
ここしばらく魔物と戦った経験を経て、若干力は上がった気はする。そのせいか、もしくは単純にカルティエラが俺に好意的であるためか。
近いうちに確認したいところだ。面倒ごとを避けるためにも。
「他には何か言われなかったか?」
「まだしばらくノーウィットに留まるようにと言われましたわ。お兄様、蜂の件は片付いたと仰いましたが、まだ脅威は残っているのでしょうか」
帰ってくるなと言われれば、察しも付こうというものだな。
「調査中だろう。だが何もないという結果に終わることはまずないと思っていい」
「……そうですか」
カルティエラは俯き、膝の上に置いていた手で拳を握る。
「わたくしには、何ができるでしょう。わたくしもこの国の姫として、民の力になりたいのです」
「前にも言ったが、今のお前にできることは何もない。そもそも、お前はどのように民の力になりたいんだ」
「ど、どのように、ですか?」
方向性が決まらなければ、努力のしようもないというもの。
「例えばお前の姉は、武力によって国難を切り開く道を選んだわけだろう」
フレデリカがその道を定めたのがいつかは分からないが、成果を出すためにずっと努力を重ねてきていたはず。
そしてそれはきっと、今のカルティエラの年よりも前だろう。
「わたくし……。わたくしは……。それなら、お兄様のようになりたいです!」
「は?」
待て。嫌な予感がする。
「わたくし、子どもの頃から格好いいお姉様が大好きでした。けれどお父様もお母様も周囲の皆も、わたくしに武術を習わせてはくれなかったのです」
「当然でございます」
アンリエットから厳しい声が飛んだ。
……どうも、フレデリカ王女が予想以上に才覚を発揮し武の道を突き進んだせいで、妹には初めからその道に触れさせまいとした気配がある。
「でも、錬金術は禁止されていません!」
「……待て。俺が言うのもなんだが、その能力は臣下に求められるものだろう」
組織の長に最も求められる才覚は、個人の才能ではない。組織を活かす才覚だ。
組織の長に個の働きなど、誰も期待しない。それよりもやるべきことがあるからだ。
人間社会は魔物の群れよりさらに複雑だが、王族という支配者階級にあるカルティエラには、立場に相応しい采配を振るう場があるはずだ。
「わたくしは王の臣下ですわ、お兄様」
「それはそうだろうが」
いいのか? という視線を教育係も兼ねているらしいアンリエットへと送る。
アンリエットはしばらく考える間を開けてから、なんとうなずいた。
「才能次第では、よろしいかと存じます。淑女の趣味としては望ましくありませんが、一流の才覚を持つ姫君となれば帝国内のどの国からも歓迎されましょう」
また帝国か。
しかし今のアンリエットの言い方からすると、アストライトはその『帝国』の一部。傘下にある国なのかもしれない。
「どうでしょうか、お兄様。わたくしには錬金術士としての才能があると思われますか?」
「調べてみないと何とも言えん。だがそんなことは俺ではなく、自国が抱える王宮錬金術士に尋ねるべきだ」
「ニアの言う通りにございます、姫様。お望みであれば、しかるべき教師を招くべきです」
「……わたくしは、お兄様がいいです」
カルティエラはなおも俺に拘った。
その声の響きは、俺の錬金術士としての実力を純粋に買ったものではない。共に過ごせる時間を増やしたいという、感情面の要求による割合が多い。
道理だ。カルティエラに錬金術の才を計る力などないのだから。
俺に対する評価も、ダンジョン討伐や蜂退治に貢献していることから『おそらくそこそこの力はちゃんとあるのだろう』という程度の気配がする。
だから、という訳ではないが。
「駄目だ」
これはアンリエットより先に俺が止めた。
「どうしてですか? わたくし……邪魔ですか?」
邪魔であるのも否定しないが。
それだけならまあ、『兄』を許容した時点で飲み込んでやらなくもない。だが今回はむしろ『兄』であればこそ諫めるべき案件だ。
「主の一人であるお前が、臣下の働きを軽んじる真似をするな」
アストライトには国が認めた王宮錬金術士という資格がある。その彼らを王族が軽視しては、資格の意義も失われようというもの。
「!」
はっとした様子で目を見開き、それからカルティエラは顔を赤くしてうなずいた。
「お兄様の仰る通りです……。わたくし自身の欲望に負けて、あまりに浅慮を申し上げましたわ」
素直なのは、美点なんだがな。
どうもカルティエラは年齢以上に考え方が幼い。権力者の娘として、甘やかされて育っているせいか?
不幸なことだ。
正しく成長する機を奪われたせいで、カルティエラはこうして、俺の前で恥をかいている。
「では、錬金術士の教師を招くのは取りやめますか?」
「いいえ。わたくし、やっぱり錬金術は学びたいです。お兄様のようになりたいですし、国に貢献できる力を得たい気持ちは嘘ではありません」
「承知いたしました。手配いたしましょう」
あまり歓迎はしていないが、アンリエットは了承することにしたようだ。カルティエラの表情が新たな刺激への期待にきらきらと輝く。
「やる気があるのはいいが、無茶はするなよ」
「はいっ」
返ってきたのは、やる気に満ち溢れた答え。
一程度落ち着くまで、無理かもしれん。
「まあ、そんなところだ。俺はそろそろ――」
ちょうどカップの中身も空になったので、去るにはいい頃合いだろう。
話を切り上げようとした俺に、カルティエラはわざとらしく驚いた顔をした。
「あら! わたくしとしたことが、気付かずに申し訳ありません。お兄様のカップが空ですわね」
カルティエラが言うなり、別の侍女が進み出てカップに追加の紅茶を注いできた。おそらく適温。
客がいつ飲み干すかも知れないのに、準備しておくのか……。
侍女たちの苦労への驚愕と、無駄になったのだろう茶葉を思うと落ち着かない。
よし。次のカルティエラへの贈り物は、時間を凍結させるマジックバックの類だな。
「お兄様、わたくし、王都でのお話が聞きたいです」
一点の曇りのないにこにこ笑顔。
これはもう、中座を切り出せる空気じゃない。
覚悟を決めて、満足するまで付き合うか。共いることだけを純粋に喜ぶカルティエラの声も不快じゃないからな。
一日ぐらい、いいだろう。
ギルドとカルティエラへの挨拶さえ終わってしまえば、あとは平和だった。
とりあえず要望が多いというヒールポーション等、普段納品している品々を作っていく。
表面上は平たんな日々が戻ってきたと言えるだろう。
ただ、本当に表面上だ。何かが起こっていると分かっている以上、落ち着きはしない。
残って、一緒に調べるのに参加するべきだったのか。そういう考えが過ることもある。
いや、残ったとしても今度は借金を気にして一度戻ればよかったとか考えるに決まっているんだが。
そのときの時間軸に己が取れる行動は一つで、『もしも』は現実にはない。
だから、どちらでも後悔するんだろうしな。
蜂が偵察に時間をかけていたことからしても、すぐにどうこうという話ではない、はずだ。期待込みだが。
――などとうだうだ考えていると、ギルドカードが通知を告げてきた。
引っ張り出して見てみると、送り主の名前の後に馴染みのない印章が捺されている。
「アストライト錬金術士協会……?」
リージェが所属していると言っていた、国営機関か?




