四話
無事に工房まで戻ってきた俺は、半日ほど休んでから研究を再開した。
昨夜イルミナに斬られて感じたのは、やはり体の脆弱さだ。
フォルトルナーに進化してからは錬金術士としての活動しかしていないから、正直に言うと能力的には進化前より劣っている。
町中で人間として暮らしていれば、危険は少ない。そのため鍛える必要性を感じていなかったが……やはり少しは身を護る術を持っていた方がいいのかもしれない。
魔物と戦って鍛えるのもいいが、ダンジョン討伐に沸く現状、それは取るべき手段ではない。人化の最中は魔力波長も変えてより人らしい擬態をしているが、擬態したままでは大した魔法は使えず、本来の魔力を使えば擬態が解ける。気付く奴はいるはずだ。
ならばせっかく身に付けた技術だ。錬金術を使おう。
とはいえ錬金術は人のための技術なので、鳥型である俺には使いにくいものも多い。今まではよりよいレシピを追及するだけだったが、そろそろアレンジを加えて制作してもいいかもしれない。
俺の脆弱な能力を底上げしたところで、強者には勝てない。それよりも始めから相手に認識されないような、隠密系の品がいいだろう。採集にも役立つこと請け合いだ。
材料は何が適当だろうか? 俺が身に付けるのだから、ネックレスか足用のリングが現実的だろう。重量はなければないだけいい。布系も悪くないが、とりあえず成形しやすい金属でやってみるか。
思考しながらの一からの創作。悪くない。そうだな、まずはデザインを考えるのが先か。それによって必要な材料も変わるのだし。
そうして紙とペンを引っ張り出したところで、ギルドカードが服の内側で振動した。
ギルドカードは所属ギルドにおける身分証だ。手の平に収まるサイズの、くすんだ銀色をした長方形のカード。
通常であれば商業ギルドの紋章が描かれているのだが、今は『ギルド依頼通知。ギルド内にて要確認』と文章が浮かび上がっていた。緊急連絡にもこうして使われたりする。
所属ギルドの依頼は余程の事情がない限り拒否できない。向こうも『どうしてもやってもらわなくては困る』という依頼だけを出してくるからだ。
それでも拒否した場合、除名処分もあり得る。とはいえ送られてくる依頼は過去実績に基づいて判別されるので、できない仕事は回ってこない。
低ランク品しか納めない俺にギルド依頼が来るなど、相当である。少し難しいやつはこの町のもう一人の錬金術士の方へ行く。かなりの高齢だが、その分腕はある、らしい。
とにかく、除名は困る。ギルドに行って内容を確認してこよう。
外に出ると、前日と比べて随分雰囲気が変わっていた。町全体がピリピリしている。
産毛がチリチリするような落ち着かない町中を抜け、商業ギルドに辿り着く。そして確認しろと言われたクエストボードへ直行。ギルド依頼も通常依頼と同様、こちらに張り出されるのだ。
依頼をしていなくてもやれる人はやってくれということだろう。
内容は……各種回復薬の生成。最低納品数はそれぞれ十。強制分ではないが中位薬の名前も並んでいる所を見るに、俺への配慮だと思われる。
先日同じような内容を頼まれているが、改めて組織からの命令になったらしい。
ちなみに上限はなかった。依頼が取り下げられるまで――ダンジョン討伐が終了するまで作り続けろということか。
昨日で危機感を覚えたから装備を作りたかったんだが、仕方ない。除名は困る。
「あ、ニアさん。ギルド通知届いたんですね。よろしくお願いします」
受付職員に声を掛けられ、こくりとうなずく。最低本数は必ず納品しなくては。
そしてこういう場合、依頼を受けた多くの者がもっと余分に納品するのを俺は知っている。人間らしく、傾向に倣うつもりだ。
しかしそうなると、素材が足りない。
俺が作る回復系の素材は近場の林で十分なんだが、ノーウィットには他に錬金術士が一人、薬師が三人いる。全員が素材採取に行ったら、すぐに採りつくされてしまうだろう。
「王都から通達があって、隣町のグラージュスから各種薬や道具の現品と素材、両方が届く予定になっています。到着は十一日後です」
ノーウィットから一番近い、そこそこの規模と活気を持つ都市がグラージュスだ。妥当だろう。
しかしどうせその素材は購入しないと使えない。作らせるための素材納入なので良心価格にはなると思うが、タダで手に入る物を買う余裕は俺にはない。そちらは俺以外の人間の方が喜ぶだろう。
なにせ、彼らは俺より戦闘能力がない。採取にも出かけず、基本、素材は買っていたはずだ。
「素材を買うつもりはないが」
常日頃からそうしていることをこの職員は知っている。だというのに、彼女は今日に限ってぎょっと目を剥いた。
「まさか採取に行く気ですか!? 無茶です!」
「?」
これまでは特に何も言われなかった。今更無茶とはどういうことだ?
「あぁ……。ニアさん情報に疎いですもんね……。えっと、昨夜王宮騎士様によってダンジョンの正確な位置が判明したんですけど、脅威度Bに設定されました」
人間の付けるこの脅威度、最大のSは青天井なので何とも言えないが、Bというのは中級まで進化した竜種クラスほどである。
竜種は総じて強大な力を持ち、中級まで進化すればその鱗の強靭さは生半可な金属では歯が立たず、まともな効果を期待するなら魔法は上級呪文から、といったところ。
フォニアの上級種である俺が竜の中級種と正面から戦えば、一瞬で俺が食われて終わる。そういう相手だ。
「町の近辺にも、ゴブリン系や虫系、獣系、植物系の中級種が確認されています。なので、町の外での採取は推奨できません。手持ちに素材がなければ、グラージュスの物資を待って、買っていただくのが一番かと……」
「……そうか」
挙げられた種族の中級種ぐらいまでなら、成長度合いにもよるが何とかなりそうな気がする。しかしそれをしてしまえば怪しまれるのは確実。
俺の目的は錬金術の研究。住民に埋没できない特異性は排除するべきだ。
生活費は……在庫整理で補充したばかりだし、節約すれば何とかなるだろう。
依頼内容は確認したし、現状では何もできないと分かった。家に戻ろう。
しかしこれは、自衛装備品の開発は一旦諦めた方がよさそうだ。
やる気になっていたところに水を差され、息をつく。値段との兼ね合いで外周に近い位置にある自身の工房まで戻って来て――つい、顔をしかめる。
滅多にいない来客が来ていたのだ。一人静かな研究生活を送りたい俺にとって、来客など不要。だが家の前に陣取られている以上、無視もできない。
難しい顔をして壁に背を預けていたイルミナは、急に顔を上げてこちらを見た。まだ橋一つ以上先であるのに、だ。気配察知もかなりの精度だ。
……あまり近付きたくない相手だな。
昨夜の件から考えても、イルミナは俺よりも強い。彼女がその気になれば、俺の隠蔽など容易く看破するだろう。ただの人間だと思っているからやらないだけで。
近付きたくないが、俺の家の前にいるのだから、用があるのだろう。そもそもすでに向こうに見つかっている状態で、背を向けるのは怪しい。
仕方なしに歩み寄ると、イルミナはほっとした顔をしていた。
「訪ねたら留守だったから、緊張した。もしかして外に行ったのかなって」
「止められたし、危険は冒さない」
この言い方からするに、イルミナは商業ギルドから出た依頼を知っていそうだ。
「うん、よかった」
危険度Bを設定したぐらいだ。回復薬は一つでも多く欲しいだろうに、イルミナはそうとは言わない。
一人の人間が危険を冒さなかったことを、純粋に『よかった』と言う。
なぜだろうか。イルミナが本気でそう思っていることに、落ち着かない気持ちになる。低ランク品しか作れない上、それすら最低限の協力しかしない無能と罵られるより、余程罪悪感がある。
……というか、今のは訊ねてきた理由ではなかったな。話がずれた。
「よかった、って言っておいてなんだけど、王宮騎士として、貴方に依頼があります」
今度は王宮騎士依頼か。こちらも個人に断る権利はほぼない。人間社会は稀に権力が面倒くさいな。
「あまり、大したことはできない」
「無理なら、断ってくれても大丈夫」
眉を寄せた俺に、イルミナは実に良心的なことを言ってくれる。
「依頼内容は薬草の採取。護衛にわたしが付きます」
意外な依頼だった。
「本当はわたし一人で行ければいいんだけど、薬草の知識がなくて。専門家の力がいるわ」
「グラージュスからの物資を待てないのか?」
「町の薬品系在庫がもうないらしいの。今不測の事態が起こったら、通常より大きな被害が出る可能性がある……」
そんなに大量に売れるわけでもなし、ノーウィットの商業ギルドが抱えていた在庫量などたかが知れている。ダンジョン討伐で集まった冒険者が買い求めたら、あっさり底をつくのは想像に難くない。
成程。確かに今、その状態で十日強待て、というのは心許ない。納得した。
「この町にいる錬金術士は貴方とご老人の男性だけ。薬士は三人で、親子二人と女性が一人。薬士のお二人には昨日付き合ってもらったわ」
親子で薬師をやっている所は、子どもがまだ十歳ぐらいだった。ノーウィットのもう一人の錬金術士は近頃足腰が弱ってきたと愚痴を言っているのを見かけたことがある。
……なるほど。動けそうな人材はあと俺だけか。
「できれば、力を貸してほしい。人の命を護るために」
イルミナが真剣なのは伝わってきた。もし俺が人であれば、心に響くのだろうか。
だが俺にはイルミナがなぜそう深刻に、真剣になれるのか理解できないし、そもそも人の命がどうなろうとどうでもいい。魔物も同様だが。
だが素材が届くまで暇なのは確か。どうせやれることもないのだし、構わないと言えばそうだ。むしろ少し余分に採って、自身の研究材料として使うのもいい。
「薬草以外の採取もして構わないか?」
「ええ、問題ないわ」
「引き受けよう」
「ありがとう」
礼を言った彼女の笑顔は、つい先日の――魔物の俺に向けたのと同じものだった。それが意外で、何度か目を瞬く。
「どうかした?」
訊ねられ、何でもないと首を横に振る。一つとはいえ、魔物に同族と同じ感情を向ける人間に驚いたなどと言えない。
「すぐに行くのか?」
「そうしたいと思ってるけど」
「籠を持ってくる」
「うん、お願い」
一人で採取に行くなら水神と闇神の力を込めて作った空間拡張・劣化防止の収納道具『簡易軽倉庫』を使うんだが、人目に晒すのは良くないのは分かっている。
人間たちはどうも、神々との距離が遠い。神の力を宿した創造物は、あまり存在しないらしいのだ。
歌や曲を奉納すれば、わりと快く力を貸してくれるんだが……気付いていないようだ。
俺は魔物だからどうかと思ったが、魔神以外の神々も力を貸してくれた。フォニアは神力も使える種だから構わない、とのことだ。
ともあれ、外で人と会っても怪しまれないよう、俺は普通の籠も持っている。今日の採取は草だけだから、中型の、背負うのではなく手に持てる程度の大きさでいいだろう。
籠を持って再び表に出る。家に鍵をかけてイルミナにうなずいた。
「じゃあ、行きましょう」
イルミナと一緒に行けば、門番もあっさり通してくれた。俺一人なら顔をしかめて止められるところだったろう。
街道から少し逸れれば、疎らに木の生えた林がある。簡単な回復薬の素材ならここで充分だ。
しかし昨日も採取に来たわりには、ずいぶん手つかずで残っているな。観察眼を持ち合わせていないと見える。後発の俺としては探し回る手間が省けていいが。
木の根元に群生を見つけ、さっさと採取をしていく。
キュアリーフ、エンドルフィア、リッセ、ハージエ。
「ま、待って。それ全部薬草なの?」
何を当たり前のことを聞いてくるのか。使えないものを採ってどうする? 一部毒草も混ざっているが、きちんと薬にもなるので間違っていない。
うなずく俺に、イルミナは戸惑った顔をする。
「でも、前の二人はそんなには……」
「当然だ」
なぜ自明のことを不思議がるのか。採取に連れてきたのは薬士だと、彼女自身が言っていたというのに。
「彼らは魔力や神力が視られない」
薬士とは、錬金術の行使に届かない魔力、神力の持ち主が選ぶ職業だ。たとえその先で医術にこそ可能性を見出した医士になるとしても、調合だけはできる限り錬金術で行うべきなのだから。
何らかの力を秘めた物質には、必ず魔力か神力が宿っている。これらの構成を無視した調合は、素材の力を殺すだけの行いだ。
だが人間は魔力を持たない者も少なくないし、繊細な調整ができない者も多い。魔力を持つ者の中で錬金術士の才を持つ者が更に絞られるのはそういう理由だ。
幸いにして、俺は調整が得意だ。魔力量、神力量は多いから調合に不都合もない。
「力が視られないのが、どう関係あるの?」
知らないのか? 専門でなければそういうものだろうか。採取に付き合っているのだから気付いてもいいだろうに。
「素材に力が宿っているだろう。それを探せば済む」
「え……っ。いや、そうだけど……。そんな微細な力、感知できないでしょう?」
「感知できないでどうやって調合するんだ」
実際に調合するときには、もっと細かな調整が必要だというのに。