十一話
「殿下、ご好意、ありがたく存じます。ニアが作成したリストは、後程わたくしが清書をしてお届けに上がりましょう。ですので今日は、この辺りでお暇したく存じます」
「殿下、トリーシア様ならば安心でございましょう。仰る通りにいたしましょう?」
「わざわざ、第三者の手を煩わせることもありません。さあ、ニア、こちらに。手早く作ってしまいましょう!」
言うなり立ち上がって、王女は俺の腕を引く。
一番手早くて間違いがないのは、間に人を挟まないことに違いはない。
「分かった。済ませてしまおう。紙とペンはあるか?」
少なくとも今いる部屋の中には見当たらない。
「それならばこちらに」
王女が指したのは、廊下側とは別の扉。部屋のさらに奥に続く扉だ。
「殿下! なんとはしたない!」
「国のためにしていただく調合の材料を教えていただくだけです。なにもいかがわしいことをしているわけではありません」
そういう問題でいいのか?
とはいえ、所詮隣の部屋に移るだけの話である。大したことではない。
侍女を始めとした周囲の人間の反応を見るにおそらく相当の禁忌なのだと思われるが、俺はそこまでの問題行動とは感じなかった。
駄目だと言われると分かっていて実行しようとしているんだから、王女にも理由があるのだろうし。
「扉は開けておきますから、大丈夫です」
……うん?
「待て。さっきから駄目だと騒いでいる理由は、まさか俺が王女に手を出すことを懸念されているのか」
リージェぐらいになれば、伴侶の候補に入る。しかし王女は子どもである。俺にとって、まだ番としての候補に入っていない。
俺がした問いに返ってきたのは気まずい沈黙。肯定だ。
「心外だ。子どもは次代のために護り育てるものであって、欲の対象には入らない。入れる奴がいたら頭がおかしいし、種として滅びに向かっているとさえ言える」
そんな風に見られているのなら、大層な侮辱だ。即刻、認識を改めてもらいたい。
「……ニア。感性には同意したいところだけど、貴族間で言うならば貴方と殿下ぐらいの年の差であれば、充分あり得る話よ」
「貴族の頭の中はどうなっている」
正気か?
「ニア! 言い過ぎ言い過ぎ! ここ、貴族しかいないから!」
お前も結構なこと言っているぞ、リージェ。
「ええとその、貴族の場合は家の関係が優先される面もあって……」
「だったら俺には関係ないな。俺に家などという背景はないし、個人的にも王女と繋がりを持つ理由はない。王女にしたところで同じだ」
貴族同士であれば問題視されるのは分かった。しかしその理由ならばやはり俺には関わりない。
「いいえ。王女に手を出して、それを材料に脅すような外道は身分を問わず存在するわ」
「……ふむ」
トリーシアからの否定は、それならばと納得できるものが来た。
確かにそれなら、俺個人がどう思っているかは関係ない。可能性が優先される。
欲は欲でも権力や財の方か。
「姫様、姫様」
「紙とペン、持ってきた」
「あ……」
こちらがグダグダしている間に、双子がそれぞれ紙とペンを持って来て差し出してきた。この場合、気が利くのか利かないのか、どちらだと判断するべきなのか。
「助かった。貸してもらえるか」
「もちろん」
「そのために持ってきた」
双子から筆記具を受け取り、王女が口実にしようとした内容を書き記して行く。
こんなところか。
ざっと見直して抜けがないのを確かめてから、テーブルの上で王女へ向けて紙を差し出す。
「物を直接確認したいから、揃ったら連絡をしろ」
どうしても話したい何かがあるなら、そのときに聞く。
この場で人の目と耳を排除しようとするよりは、可能性があるだろう。
王女にその状況を作り出すことができなかったら……もう知らん。俺からは働きかけようもないし。
「分かりました。では後日、お願いします」
明言したわけではないが、王女は俺の意図をきちんと読みとった。
期待に輝いた瞳で大きくうなずく。そんな分かりやすい態度でいたら、また止められるんじゃないか?
……駄目かもしれないな。
「分かってたけど。ニアってやっぱり人がいいよね」
数日後。王女から連絡が来て、領主館に向かう準備をしていた俺にリージェがそんなことを言ってくる。
準備と言っても上にコートを羽織るだけだが。
「そうか?」
「うん。面倒だとか言いながら、やっぱり王都に来てくれるし。カルティエラ殿下の要望を汲もうとしてるし」
「感情を足蹴にするほど、俺に損があるわけではないからな」
むしろ相手に不快な思いをさせることへのためらいを俺に教えたのは、お前とイルミナだからな?
「まあ、そういうニアだからわたしも今ここにいるんだけど」
「あの日お前が野宿しようとしていたのを見送っていれば、確かにこうはなっていないな」
「うん。感謝してる」
「……そうか」
だったら甲斐はあった。それは断言できる。
「ね、せっかくだしさ。このまま王都に移り住んじゃえば? 王宮錬金術士になれば色々便利だし。風当たりは強いかもしれないけど、ニアは気にしない図太さも持ってる気がする」
「しないだろうな」
煩わしいかもしれないが、悪意に興味はないのでどうでもいい。
だが、俺への悪感情から探りを入れられると困る。そちらは実害が発生するので問題だ。
「ね? だから……」
「止めておく。俺は俺のやりたい研究をしたい。権利が増えれば義務も増える。然程魅力に感じない」
「……そっか」
俺がきっぱり断るとリージェは残念そうに言い、無理に押してきたりはしなかった。
「じゃあ、俺は領主館に行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
リージェに家の留守を任せ、俺は連絡のあった材料を取りに行く。
必要ではあるが、半分以上は口実だ。物を受け取るだけなら、直接家に送ってもらった方が効率的である。
そしてどうでもいいが、貴族街との境目にある階段で警備をしている兵士が俺を見る度にそわそわし始めた。対応も軟化している。
どうも俺が貴族に上手く取り入ったと思って、これまでの応対に危機感を覚えているらしい。
……本当にどうでもいい変化だった。
領主館へ入ると、話は通っているのかすぐに侍女に案内される。
行き先は資材倉庫らしい。妥当だ。
しかし倉庫に王女が足を運ぶのは難しいだろう。彼女が俺にしたかった話を聞く機会はなさそうだ――と思っていると。
「ようこそいらっしゃいました。待っていましたよ、ニア」
そうでもなかった。
にこにこと満面の笑みで、王女が資材倉庫らしき扉の手前で待っていた。
さすがに一人ではない。年若い侍女と一緒だ。
「ああ。材料を受け取りに来た」
「はい。ではどうぞ、ご確認ください」
侍女が扉を開けて、俺と王女を中へと通す。
奥の方は大分埃が積もっているようだが、俺が用のあるのはすぐ手前。木箱に『防臭素材』と書かれたものだろう。
蓋を開いて中を見る。ざっと種類を言うなら木材と草と布と石。充分だ。
「確認した。では、これは持ち帰っても構わないんだな?」
「はい。よろしくお願いします」
流通に乗って店舗に並んでいる物は、品質がいまいちだったりするんだが……。思っていたよりも状態がいい。王女の名前で発注するとそうなるのか。
「ニア。もうお分かりだと思いますので、手短にお伝えしますね」
「ああ」
俺の側に屈み込んだ王女がそっと囁いてくる。一人だけ付いて来た侍女は、扉の手前から動いていない。
そのために、年若い侍女に付き添いを頼んだんだろう。
「貴方に応援されたり、励まされたりしたとき。わたくし、とても嬉しくてふわふわした気持ちになりました。貴方の言葉には、内容以上の裏を感じなかったから」
王女の感覚は正しい。俺は別に取り入ろうとしたわけでも阿ろうとしたわけでもない。
彼女の周りには、彼女自身よりも地位を重視する人間が多いのかもしれないな。
「だからどうしても、お伝えしたかったの。――お兄様」
言って王女は、大切な秘密を共有したような楽しげな笑みを見せる。
たかがごっこ遊びではある。が、彼女が俺に抱いている親近感と期待は本物。
「……ところかまわず呼ぶのは止めろよ、カルティエラ」
「はい。ニアお兄様」
子どもの気持ちを無意味に無碍にすることもないだろう。
……厄介な種が増えたような気もするが、もう考えないことにする。
ノーウィットから王都サーファンまでは、馬車で半月強、といったところだ。
リージェが同行しているので選択の余地がなかったが、さすがに時間がもったいなく感じた。翼で飛べば一日、せいぜい二日の距離だ。
カルティエラから星咲の花を譲り受けるのに専用の防臭箱を作成していたので、イルミナたちより少々出遅れている。
幸いにして先行したイルミナ達からの連絡はないまま、王都にまで無事辿り着いた。
「ただいま、王都ー。無事でよかったあー」
「まったくだな」
こうも落ち着かない移動は生まれて初めてだ。
それにしても。
「ここが、王都か」
四方を壁に囲んだ中に町を作っているのはノーウィットと同じだが、規模が違う。ぱっと見で分かるぐらい、グラージェスよりもさらに大きい。高い。ついでに、装飾性まである。
そしてこちらは予想通りだが、町に入るための検問に長蛇の列ができている。そしてときどき、脇を抜けていく身形のいい者がいる。
ここでも身分によって便宜が図られているんだな。
「じゃあ行こうか、ニア。こっち」
「あの列に並ばないのか?」
リージェが指したのは身形のいい者たちが向かっていく方だった。
「王宮勤めだから、王宮錬金術士は身の証がはっきりしてるってことで免除されるの。ニアは別の意味で特例処置になるから」
「一般用の列に並ぶのは、むしろ迷惑か」
「そういうこと」
俺としても万が一にも顔を覚えられて、あいつが魔物だったとか囁かれたくはない。大人しくリージェの後に付いて行く。
一般用の入り口よりは小さいが、それでも四頭立ての馬車が余裕で通れる、少し離れた門へと向かう。
こちらを使用する人間の身分を考えればそうなるか。
「そこでお待ちください。こちらは特別な方々専用の門となっております」
立ち塞がった門衛も、向こうで一般人の対応に当たっている兵士より上等な恰好をしている。徹底していることだ。
ここまで来ると、いっそ道化に感じるのは俺だけか?
「王宮錬金術士のリージェ・シェートです。こちらはニア。イルミナ様かトリーシア様から連絡が来ていると思います」
「確かに、命は受け取っております。インペリアルカードを確認させていただいてよろしいですか」
「どうぞ」
まずはリージェが、それから俺が、それぞれ身分証でもあるギルドカードを提示する。
というか、リージェが持つのはインペリアルカードと言うらしい。やはり名称が違った。
「――確かに」
魔道具で情報を読み取った門衛はうなずき、道を空けて俺とリージェを通す。
「魔物の貴方は、こちらをお持ちください。結界内部では決して手放さぬように。もし紛失して結界が反応した場合は、民の安寧のために即座に処分させていただきますので」
「覚えておく」
人間から見たらそんなものだろう。
「ちょっと。正式に許可を得ている人にまで、そんな言い方しなくてもいいんじゃないですか」
「規則ですので。そもそも、魔物が人の町に入れること自体が危険だと考えております」
「さっきから魔物魔物って、人でもあるのに――」
「リージェ、行くぞ」
食って掛かるのを止めないリージェを遮り、切り上げさせようとする。
ここでどんな文句をつけようが、彼らの意識が変わることはない。時間の無駄だ。
「……っ、分かった」
当人である俺が促したので、まだ言い足りない文句を飲み込んでリージェは大股で歩み寄って来る。
王都の結界の例外処置用の魔道具はブレスレット型。空間拡張用の腕輪とは逆の右手に付けておく。
門を抜けて、町に出てからしばし。リージェは憤まんやるかたない様子で息を吐いた。
「久し振りだと、失礼具合への耐性が減ってるから腹立たしさが増すわね。ニアのこと誘っておいてなんだけど、わたしが王宮錬金術士を辞めてノーウィットに住もうかな」
「止めはしないが、戻って魔力操作を伝えるとか言っていなかったか」
錬金術という分野を躍進させるために。
自分でやらない俺が要求できることではない。しかしリージェがそれを広めて錬金術を進めてくれることは、楽しみではあった。少し残念ではある。
「う。そ、そうだけど……。いっそノーウィットを錬金術中興の都市! って言われるように頑張ってみるとか?」
「止めはしないが、俺は巻き込むなよ」




