八話
まるで「これでなくてはならない」とでも言いたげな行動だ。
……意外と、事実そういう種なのかもしれない。
世の中には様々な趣向の持ち主がいるものだ。一つの花の蜜だけしか食べたがらない偏食家の蜂がいたとして、驚くことでもないんだろう。
「あまり虫が寄り付かない花だと図鑑には載っていたのですけれど。世の中、例外というものはいくらでも発生するのですね……」
呟きながら、王女は再びテーブルに戻ってきて腰を下ろす。リージェとトリーシアもだ。
「あの花は素材として買い求めたのではないのか?」
飾って消費してしまっていいんだろうか。
俺の疑問に、王女は少しばかり気まずげな表情を浮かべた。
「その、実は各地から取り寄せていまして。素材にして使う以上に、充分な在庫があるのです。わたくしの部屋は、しばらく星咲の花以外を飾る予定がありません」
そんなにか。
まあ、グラージェスでの件を見る限り一ヶ所で買い占めたりはしていないようだから、問題はないんだろうが。
「けれどあの蜂が餌場として認識していたら危険ですわ。殿下、しばらくお部屋に花を飾るのは控えておいた方がよろしいかと」
「そうですわね。わたくしも、あのように怖い思いはしたくありません」
トリーシアの進言に、王女はうなずく。
あれが恐ろしいとは、王女の暮らしとは一体どのようなものなのか。とりあえず、危険という危険をできる限り排除しようと試みているのだけは分かる。
「それにしても、貴方は大変剛胆でいらっしゃるのですね。頼もしく思いますわ」
「それは良かったな。おそらく世界の七割ぐらいの人間は、お前にとって頼もしいことだろう」
男でも虫が苦手な奴はいるし、女でも何とも思わない奴もいるから、そんなところだと思う。
この部屋に揃った人間は皆慄いていたが、イルミナなら動じていない。絶対だ。
「まあ」
俺の言葉に含まった呆れの雰囲気もしっかり感じ取り、王女は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
ただ、声に宿る感情は表情と一致していない。自分に対する遠慮のない物言いを楽しんでいる気配だ。
「さて。大分長居をしてしまったから、そろそろ帰らせてもらおう」
王女が気を遣って口にした錬金術の話は一切できていないが、必要があっての提案ではないので問題ない。
蜂騒動のおかげで部屋の空気は落ち着かないものになっているし、丁度いいだろう。
「そうですか……。分かりました。お引き留めしてごめんなさい。アンリエット、皆様をお送りして」
「かしこまりました。では皆様、こちらへどうぞ」
トリーシアはともかく、俺とリージェは確実に屋敷の中で迷う。ありがたく侍女の先導に付いて行くことにした。
しかし領主館に滞在しているトリーシアは、俺たちと行き先が別。部屋を出たところで侍女に頭を下げる。
「では、アンリエット様。わたくしはこちらで失礼いたします」
「ええ、トリーシア様、ごきげんよう。また後程」
「はい。――ニア、貴方にはわたくしから話があるわ。明日アトリエに行くから、そのつもりでいなさい」
「また断れない話か?」
トリーシアも貴族なので、人間社会的にはこちらも俺に断る権利はないんだろう。
うんざりした息をつきつつ確認すれば、トリーシアはぐ、と喉に空気を詰まらせたような音を出した。ややうろたえたように、瞳も頼りなげにさまよう。
しかし、それはほんの数瞬。握り拳を作って、トリーシアは堂々とした瞳で俺を見返してきた。
「ええ、そうよ」
音に対して敏感な己の能力が、近頃酷く厄介だと思うことがある。
傲慢な態度を取り繕いつつも、トリーシアがこちらに対して申し訳なさを感じているのが分かってしまう。
相手が望んでいない要求を断れない状況でするのが非情であり、卑怯だと思っているのだ。
それでも要求してくるのは、トリーシアが貴族だから。仕えている主である王族の望みを、可能な限り叶えるためにそうしている。
それは臣下としての忠義心かもしれないし、自分自身の立場のためかもしれないが、少なくとも役目として感じているから果たそうとしているのだ。
「分かった。ただ、午後からにしてくれ」
「よろしくてよ」
受け入れた後の要求は、あっさりと通った。然程抵抗せずに受け入れたことで、ホッとした気配がある。
「では、ニア、リージェ。ごきげんよう」
優美に挨拶をすると、トリーシアはそのまま去っていく。
「それでは、わたし共も参りましょう」
「はい。お願いします」
トリーシアのような優雅さはないが、リージェは真摯に、丁寧に頭を下げて感謝を表す。
挨拶一つでも、立場や個性が出るものだ。
「ただいま、我が家よー」
「突っ込み待ちなんだろうから付き合ってやるが、ここは俺の家だ」
それとも、暗にそのうち自分の帰る場所にするとでも言いたいのか?
と、邪推すればできるが、リージェにその意識はまったくない。指摘しても気まずくなるだけだから俺も流すが、この迂闊さは本当にどうなんだ。
「ひと月ぐらい経つとさ、新居でも大体慣れるよね」
「否定はしない」
俺もそれぐらいで自分の家感が出てきた気がするので。
「カルティエラ姫が大らかな人で良かった。見てるこっちはハラハラしっ放しだったから」
「トリーシアにも言ったが、王族、貴族だから敬うというのはどうにも理解できん。あれは何もできないただの子どもだ」
そして現状、間違いなく何もしていない。将来性は分からないが。
「それ、外で口にしないでね……」
「ああ」
大概の人間がその地位をありがたく思っているのは、王女が町を訪れたときの様子で充分知れる。
いちいち口にして目くじらを立てられるのは面倒だし、そうと分かっていて口にする程の拘りはない。
「トリーシア様、明日来るって言ってたけど。ニアの申告信じてないみたいね?」
「結界作成のときから疑っていたようだからな」
「何も言われなくても聞かなくても分かるんだから、トリーシア様って本当に一級なのよね……。分かってたけど」
「今ならお前も気付けそうだが」
むしろトリーシアより精密に測れるのでは。
「わたしはニアに指導してもらってるから。でもトリーシア様は独力だもの。そういう知識がない中で出来てたってことが、やっぱり凄い人だったんだなってしみじみしたというか」
「ふむ」
確かに、リージェと同じ修練を積めばトリーシアの方が上達が早いかもしれない。詳しく魔力を見ていないから断言はできないが。
「皆がこうやって魔力操作をより精密にしていければ、錬金術はまた新しく一歩進めると思う。上手くできるか分からないけど、王宮に帰ったら皆と練習してみるつもりなんだけど……いい?」
「好きにすればいいだろう。ただ、俺の名前は出すなよ」
「親切な魔導士に教えてもらったことにするわ。錬金術士じゃなければそんなに興味引かないと思う」
それなら、まあ。
「で、さ。明日トリーシア様には何て答ええぇぇぇっ!?」
「?」
言葉の途中で奇声を上げて、リージェは大きく仰け反った。
視線の先を追ってみれば、そこには二匹の蜂が。王女の部屋に入って来たのと同じ灰色の奴だ。
蜂は明確な目的を持って部屋を探し、縦横無尽に飛び回る。
やはり、星咲の花か?
研究のために出していたこともあるから、鋭敏な感覚を持つ存在なら残り香を感じ取るかもしれない。だが今は劣化を防ぐため、時を凍らせる神呪がかかったコンテナの中。まず見つかるまい。
リージェがそろそろとポシェットの中に手を入れ、攻撃用と思われる道具を取り出した。
「止めろ。家が荒れる」
「わ、分かってる。向かって来たときだけだから……」
リージェの攻撃的な気配に、蜂は一瞬反応した。
しかし積極的なものではないと判断すると探索に戻り、ややあって諦めたように出て行った。
「びっくりしたあぁー……」
蜂の姿が見えなくなってしばし、リージェは長く息を吐いて肩を落とす。
「この辺りではあまり見ない種だと思ったが、そうでもないのか?」
「新しく生まれた種だったりして。近くにできたダンジョン産とか」
「いや、近くにダンジョンは生まれていないはずだ」
ダンジョンの核を生むほどの濃度は、ノーウィット周辺には存在していない。そもそも討伐したばかりだ。
「だが、ダンジョン産の固有種というのはあり得る」
世に新種の何かが現れるときは、大抵ダンジョンからだ。マスターが原初の魔物と呼ばれる所以である。
彼らは世界の原始を生み出す。
「どこかで新しく生まれたのかもしれないし、ダンジョンから溢れたやつが一般化したのかもしれないが、俺たちには然程関係はないだろう」
幸い、攻撃性も高くないようだし。
「そうかも。でもこうも積極的に狙われるんじゃあ、たとえできたとしてもフレデリカ様に星咲の花の香りを贈るのは止めた方がいい気がする」
「確かに」
フレデリカ王女が無類の蜂好きでなければ、避けた方がいい。喜ばせたいのに恐怖を与えることになれば、カルティエラ王女も居た堪れないだろう。
「さっき、トリーシア様が訪ねてきたらどうするの? って聞こうと思ってたけど」
「蜂の話をすれば、自然と止める流れになって必要なくなりそうだな」
角も立たなくて、俺としてはいっそありがたい。
「虫寄せの香りを贈ろうとは思わないもんねえ……」
しみじみとリージェは呟く。物凄く避けていた人間の言うことには説得力があるな。
窓に近寄り、蜂が飛び去っていた方角を眺める。――と、空に陽光を不自然に反射させた灰色のきらめきが見えた。
「……」
さっきの蜂の一団……に、見える。ただ、一匹一匹がもう少し大きい。色も灰色よりも、硬質な銀に近付いている気がする。
王女の部屋や俺の部屋に入って来たのが最下層の働き蜂とするなら、今見た連中は兵隊蜂とでも言うべき気配だ。
「ニア? どうしたの?」
「大したことじゃない。さっきの蜂が集団で餌集めに出かけているのが見えただけだ」
「また? 随分活発じゃない?」
さすがに不気味に感じてきたか、リージェは俺の隣に立って空を眺める。飛び去って行ったあとなので、そこにはもう何もいない。
「でも、こっちには来なかったんだ。花はないって知らせがいったのかな?」
「いや、入れなかっただけだろう。結界に弾かれるからな。それぐらいの力はありそうだった」
灰色の蜂が入って来れているのは、魔力が低いからだ。
俺からすれば明確に違うが、弱い種の中には、魔力や神気を持たない普通の動物や虫と勘違いされている奴もそこそこいる。
そして稀に、魔物であっても希少種だと愛玩用に人が飼ったりする例もある。俺たちフォニア種とか。
あとは召喚士の使役魔獣など、人間にとって無害、有用な魔物もいるのだ。そういった魔物を排除すると、不都合が生じる。
そのため結界には、魔石に封じられている程度の魔力には反応させない下限値が設けられていた。
これは王国内共通なのだと思われる。リージェも納得した顔をしているし、思い返してみれば俺がまだフォニアであった頃、リージェの祖母の家のある町に入り込めていたのもそのためだ。
「新種なんだったら、調べてもらった方がよくない? もしかしたら危ないかもしれないし」
「必要があれば国がやるだろう」
リージェはどうか分からないが、俺にはそんなことを提案する権限もない。
話ができるとしたらイルミナか? 却下だ。わざわざ危険なことをさせようとは思わない。
「だと思うけど、そのためにも報告だけでもしておこうかなって」
「どこにだ」
「やっぱり錬金術協会? 星咲の花を研究していたらこんなことがありました的な」
間違っていないし、無難だ。
「それなら良さそうだな。判断も上に委ねられる」
「うん。じゃあ早速っと」
言った通りの内容を、ある程度体裁を整えて書き直し、リージェはギルドカードに記憶させて送信した。
王宮錬金術士が持つ組織カードも『ギルド』と称するのかは分からないが、用途は同じだ。今のところ不都合はない。
しかしそれはそれとして、蜂が星咲の花に拘っていた様子なのが気にかかる。
ただの偏食ならそれでよし。そうでないなら理由を把握しておきたい。
星咲の花を、もう少し精密に調べてみるか。
今日はもう精神力も削って来たから、明日からでも。




