二話
「落ち着いたか? 離すが、急に動くなよ」
「落ち着いたけど……って、ニア、近い近い!」
どの辺が落ち着いたとのたまえるのか。
「落ち着け」
「無理無理! この体勢で落ち着くのは無理だから、ちょっと離して! 大丈夫だからっ」
本当か?
甚だ疑問な動揺っぷりだが、リージェは無闇に動こうとはしていない。そっと手を離すと、リージェは力尽きたかのように床にへたり込んだ。
「……大丈夫か?」
妙に顔が赤い。体温も上がっていそうな気配もある。
そんな気配は直前までなかったが……風邪か?
「あああ、あのね、ニア。わたし一応、女の子だから」
「見れば分かるが」
人間はわりと男女差が分かりやすい種だし、俺も見分けるのが苦手というわけじゃない。
「分かってない。絶対分かってない……」
分かっていると言っているのに、なぜかリージェが否定する。その声にはどことなく不満が感じ取れた。
「なぜ俺の理解力をお前が否定する」
「明らかだから。あのね、ニア。わたしはこれでも自分が女の子だって自覚あるし、ニアのことも男の人だって思ってるから」
「事実だな」
それがどうした。
肯定すると、リージェはがっくりと肩を落とした。何なんだ。
それから勢いよく顔を上げる。少し涙目でさえあった。
「だからっ。男の人に抱き止められれば緊張するし恥ずかしいし、落ち着くとか無理!」
「……は?」
リージェの主張を理解して、唖然となった俺は悪くないはずだ。
「俺は魔物だぞ」
「ほとんど人だし」
いや、魔法で無理に姿を変えているだけだからな? 俺は百パーセント鳥型の魔物だ。人間要素など欠片もない。
……うん?
今のリージェの言葉と、そこに乗った感情。二つを合わせて答えを導くと。
「成程。お前は俺と番になる可能性を意識していて、俺にも多少なりとその感情を期待しているわけか」
俺がリージェを『異性』として認識していなかったことを、悔しく、恥ずかしく思うぐらいには。
「…………。うわわわわわッ!」
元から赤くなっていた顔をさらに赤くして、リージェは焦った声を上げる。
「べ、別に! そこまでじゃなくて、一般論!」
「いや……」
一般論も何も、今のはリージェ自身の言葉に乗った感情が伝えてきた事実だ。
それを指摘しようとして、留まった。
リージェに異性として意識していることを認めさせたからといって、どうなる? やりずらくなるだけだ。
リージェの認識もイルミナ同様、俺を人間だと誤解しているところから生じている。そして俺にそれを正す気はない。
ただそんなことはあり得ないと、突っ撥ねればいいんだろうか。
「――……」
選択として正しい、と思う。
しばらくは気まずいだろうしリージェは直後悲しくもなるかもしれないが、それだけだ。
リージェの気持ちはまだ淡い。そう深くは傷つかないだろう。むしろ今、関係を進めないように留まる方が優しい気がする。
なのにそうすることを、俺がためらった。
待て、正気か? リージェは人間だぞ。
「分かった!? というか、分かって!」
「わ、分かった」
必死の形相のリージェに押し切られて、気付いたらうなずいていた。
半ば以上ただ勢いに押されただけだが、それでもリージェはほっと肩から力を抜く。
「だってわたし、泥沼とかギスギスするのとか嫌だし……。悲しまれるのとか見たくないし、自分が原因とか重過ぎて耐えられない……」
「――?」
想像だけで気分を落ち込ませているリージェの言葉の意味が、よく分からない。
たとえ俺とリージェの関係が恋人や伴侶になったとして、なぜギスギスして誰が悲しむ。イルミナか?
もしイルミナのことを考えているのなら、リージェ自身が序列を譲ればいいのでは。リージェやイルミナが自分たちで序列を定めたいというなら、今のところ俺に拘りはない。
……ん?
いや、待て。人間の伴侶は一対一が大勢を占めていたか?
貴族や王族などの上流階級は妻を複数持つ者がいたはずだが、町の市民たちではまず見かけない。
魔物の群れだと、強い個体が複数の妻、夫を持つのは普通だから失念していた。
もし俺がフォニアで群れを形成したら、十中八、九、俺が長だ。フォルトルナーを進化先に選ぶフォニアは稀だから間違いない。
まあ、そもそもがイルミナもリージェも、俺が魔物だと知らないがゆえの感情だ。今はあまり手を付けたい問題じゃないな。
だがさっき、俺がリージェを拒絶するのをためらった理由が、俺自身もリージェを伴侶の候補として考えているせいなのだとしたら。
……やはり、もう少し時間が欲しい。そう思うぐらいには、ノーウィットの生活も惜しいと思っている。
「ごめんね、変な話しちゃって。ご飯にしようか」
「そうするか」
不自然な勢いで笑顔を作り、リージェは無理矢理話を変えた。そして俺もそれに便乗する。
今は、まだ。
翌日。昼を少し過ぎたあたりの時間に来客が訪れた。
俺のアトリエに用がある者など限られる。おそらくイルミナだろう。
リージェもそう思っているらしく、気負いなく扉へと向かった。一応下がって、フード付きのコートを取りに行く。
「はーい。どちら様でしょうー」
「トリーシアよ」
「ひえっ!?」
違った。
リージェは露骨に怯えた声を上げ、俺は部屋に戻る足を速める。
しかしなぜトリーシアが俺のアトリエに。
ダンジョン討伐から少し経った頃に何度か姿を見せていたが、ここ最近の訪れはなかったので油断していた。おそらくリージェもそうなのだろう。
「……どういう声なの、それは」
どう聞いても歓迎していないリージェの反応に、トリーシアの声が低くなる。
読み解けない人間には不機嫌そうに聞こえるだけだろうが、その実、トリーシアの声に宿っている感情はショックと悲しみだ。
人から否定的な感情を向けられて喜ぶ奴の方が希有だからな。当然と言える。
「すすすっ、すみませんっ」
慌てて開錠し、リージェはトリーシアを招き入れる。俺もコートを取って戻って来た。扉の先のトリーシアは、むっとした表情を作っている。
家の主である俺の方へと顔を向け、訪ねてきた。
「……上がってもよろしくて?」
「ああ、構わない」
遠慮したいところだが、拒んだところでトリーシアは譲らないしまた傷付くだろう。それが分かっていたから、余計なことは言わずに招き入れることにした。
「えーと、わたし、お茶を入れてきます」
逃げたな。
客人を迎え入れたときの対応として間違っているわけではないが、避けたいという感情がダダ漏れなせいで、歓待の気配は皆無。
そして残念なことに、当人であるトリーシアにも伝わっている。
「リージェが戻って来るまで、少しかかるだろう。話を先に進めてもらえるか」
トリーシアの滞在時間如何によっては、戻って来ない可能性もある。
「そうさせていただくわ。ええと……」
上がったものの、トリーシアはためらって動きを止めている。
以前来たときも、直生活空間である俺の家で、どこに身を置けばいいのかに迷っていた。貴族の屋敷のルールとは大分違うのだと窺える。
「生活空間で悪いが、適当に座れ」
「では、失礼するわ」
俺が勧めると、トリーシアはテーブルを囲う椅子に腰を下ろした。俺はその正面に改めて座る。
「それでまた急に、何の用だ?」
「急ということはないでしょう? きちんと手紙は出したわよ。確かに返事は受け取らなかったけれど、行くのを前提にした話で拒否もしなかったのだから、了承したということでしょう」
……手紙?
「確認もしてないな」
来ることがほとんどないので、郵便受けを確認をする習慣がない。たとえ来ていたとしても概ね俺には用のない内容なので、知るのが遅くなろうと問題ないのだ。
「……」
俺の答えに、トリーシアは愕然とした顔をした。そんなに驚くことか?
「貴方に会う約束を取り付けるときは、どうしたらいいのかしらね」
「大して機会がないから、考える必要性を感じない。それで、用件は何だ?」
「……先日市民にも通達されたのだけれど、カルティエラ王女殿下がノーウィットの領主になられた件は知っていて?」
「ああ」
つい昨日、リージェから。
トリーシアはほっとした顔をしてうなずいた。
「さすがにそこまで無関心ではないようね。安心したわ」
「……」
関心はない。
ただ、わざわざ言うこともないだろう。話を躓かせるだけだ。
「その歓迎式典に、貴方も参列してもらうことになったわ」
「……冗談、ではないな?」
「もちろんよ」
トリーシアの声に偽りはない。そんな嘘をついたところで意味もないので当然か。
「断りたいんだが」
「拒否権はないわ。というより、拒否をする人なんかいないから、その対応自体想定されていないわね。諦めて」
やはりか。
トリーシアの言い方は、始めから決定事項を告げるものだった。
ここアストライトは、王国。国王、王族、貴族の命令に平民は逆らう権利がない。
だからトリーシアの言う通り、王族に来いと言われて嫌だという平民は、そもそもいないのだ。
「なぜ俺が参加することになった?」
「結界を作って、町を救った功労者の一人だからよ。もちろん、リージェにも参列資格があるわ」
断れない強制の資格がな。
「俺がしていたのは器具洗浄だが?」
「……馬鹿にしないで」
悔しそうに声を震わせて、トリーシアは俺を睨み付けてきた。
「わたくしは自分の力量を知らないほど愚かではないわ」
「だが成功の目は元々あったんだろう。それがたまたま一回目で起きたというだけの話だ」
「……そうね。証拠はない。あるのはわたくしの感覚だけ」
手の平を広げて、当時のことを思い出すかのようにトリーシアは呟く。
「だから、貴方にも参列してもらわないと、わたくしの気が済まないの」
「要はお前のせいか」
元々は参加者に入っていなかったと見た。何て迷惑な。
「あら、心外ね。わたくしは正当な進言をしただけよ。事実に基づいてね」
腕を組んで言い切った。
俺がやったことを認めれば絶対に呼ばれるのだからと、正しいことをしている自信が窺える。
「もう一人の錬金術士の方はどうなんだ。結界制作の功労者になら入るだろう」
公的には。
台座に填め込む宝玉を作ったのは、俺とリージェともう一人、町に住んでいる錬金術士の男ということになっているからな。実際に作ったのは俺とリージェだけだが。
「そうね。余程の厚顔の持ち主であれば、一言言ってくるかもしれないわね」
実際には何もしていないのを、トリーシアは確信しているようだ。
まあ、ノーウィットで流通している商品を見れば、魔力操作ができない彼が作れる品でないことは明らかではある。
逆に言えば、トリーシアなら俺が納品している品々を見て魔力操作を見抜くかもしれない。
諸々を考えれば、トリーシアやリージェには何も言わないだろう。しかし公的には器具洗浄だけで参列する俺に対しては、どう思うか微妙なところだ。
権威に興味がないのを祈るばかりだな。
「わたくしの用件は以上よ。そうそう、当然だけれど式典は正装だから、きちんと準備しておいてちょうだい」
「……正装、だと……?」
無理だ。
一言呟いて絶句した俺に、トリーシアは眉を寄せる。
「まさか、正装に使える服を一着も持っていないということはないでしょう」
「持っているわけがない」
知らないのか。服は高いんだ。




