一話
ダンジョン討伐を終えて周辺の魔物も駆逐され、ノーウィットもようやく、日常の空気に戻りつつある。ダンジョン目当てに集まって来ていた冒険者連中が去ったのも大きい。
ヒールポーションの研究に一区切りつけた俺は今、安らぎのアロマに取りかかっている。
焚くと気分を安らがせる日用品の類だ。使うと俺自身の集中力の維持にもなるので、役立っている。
常備するのも悪くない。
今度の配合はどうするか。そう言えば、ギルド受付の女性――エミリアが、香りのバリエーションがあるとより売れるかも、という話をしていたか。
香木で試すか、花から抽出するか、もしくは癖があるが動物素材も悪くない。
俺が候補をメモしていると、玄関の扉が開いて閉まる音がした。リージェだろう。
しかし、どうにも足音が慌ただしい――と思っていると。
「ちょ、ちょっ、ちょっ、ニア、いる!? いまちょっといい!?」
かなりのハイスピードでノックを繰り返しつつ、入室を求めてきた。
「構わないが」
今日は随分と落ち着きがないな。……割といつもか?
扉を開けて入ってきたリージェは、膝に手をついて大きく呼吸。それから勢いよく顔を上げる。
「ノーウィットの新しい領主が決まったって!」
「領主? 罷免されていたのか?」
「知らなかったの!?」
知らなかったが。どうでもいい方に分類される情報だったので。
俺が特に何とも思っていないことが伝わったのだろう。リージェはがっくりと項垂れた。
「ニア……。せめてもう少し、世情に関心持とうよ。領主がどんな人かは生活に直結するしさあ……」
「そうなのか」
「そうなの! 裁判とかは領主の裁量だし、違法だけど、税金の中抜きしてその分を課税してくる悪徳領主までいるし!」
「凄くやっていそうな奴だったな」
町の存亡の危機にあってまで、金を搾り取ることを考えていた奴だ。日常、平穏なときにやっていないはずがない。
「やっぱりそう思う? 本当にやってたらしくて、そのせいもあって一発だったみたい」
錬金術教会にリージェが出した苦情が、芋蔓式に不正を暴いたわけか。身から出た錆、というやつだ。
「だったら、少しは税が軽くなるのか?」
だとしたらありがたい。
「多分なると思う。今度の領主、第三王女のカルティエラ様だって」
「……は?」
王女?
「分かる。そうなるよね。普通、王族の直轄地って言ったら、もっと条件のいい場所を賜るじゃない?」
景観の良い避暑地とか、経済が活発で税収の良い土地とかだな。
はっきり言って、ノーウィットには何もない。
そろそろ愛着も出てきた場所だし、俺にとっては悪くない町だが、第三者に訊かれれば特徴を挙げることさえ難しい小規模な町だ。
「次の領主が決まるまでの繋ぎなんだろうけど。自分の住んでる町が王族の直轄地とか、結構なニュースじゃない?」
「そういうものか? お前、王都で暮らしてるんだろう」
「王都はまた別じゃない。……違うのかなあ。ニアと話してたら、段々自信なくなってきた……」
「今のはお前の感想だろう。お前にとって事実なら、否定する理由はないと思うが」
他人――この場合は俺がどう思うかなど無関係だ。
「そうかも。ニアってなんていうか……。ブレないよね」
「そうでもない」
特に、イルミナやリージェと会ってからは。
「むう。そんなことないと思う」
「お前は影響されすぎだ」
「うぐっ。さり気に気にしてることを!」
気にしてたのか。
「と言っても、根は頑丈だがな、お前の場合」
誰に何を言われようと、リージェは自分の中の一番大切にしているものを間違えない。
その点で言えば、本当に俺の方がふらついている。
俺は、錬金術の研究をするためにここにいる。そのためには目立つような真似をするべきじゃない。魔物と知られれば、この暮らしは続けられないのだから。
分かっては、いるんだがな。
自分の思考で勝手に気分が沈んだ俺と対照的に、リージェは嬉しそうに、無邪気な笑顔になった。
「そうかな。そう言ってもらえると嬉しい」
「そうか」
「うん。自分の心の大切なものに、正直でいたいなって気持ちにさせてくれる」
ああ、それは分かる。俺も錬金術には真摯に向き合いたい。
「まあ、それはともかく。そういう訳で、近々カルティエラ姫が町を視察に来るんだって」
「――何!?」
ちょっと待て。
町が直轄地になったとかより、そちらの方が重大だぞ。
当たり前だが、王女が一人で来るわけがない。腕利きの護衛で固めてくるに決まっている。
「ど、どうしたの急に」
「町に来て、王女は何をするんだ? 町民に関わりのある可能性はあるか?」
「断定はできないけど、ほぼないと思う。直轄地って言っても、次の領主が決まるまでの穴埋めだろうし。魔物大氾濫で大変だったノーウィットへの慰撫とか、そういう感じじゃないかな」
王族が直接姿を見せることで、人心を宥めるという試みだな。
確かに、大将に近い地位にある者からの声掛けは効果がある。魔物でもだ。
「だから、演説とかを聞きに行きたければ行ける、ってぐらいじゃない? もしそうだとしたら、ニアは……?」
「近寄るわけがない」
「だよねー」
即答した俺に、リージェも深くうなずく。
「王女様が来るってことで、イルミナさんもトリーシア様も、もうしばらくノーウィットに留まるみたい。道具はまだもう少しお預けかな……」
ノーウィットに来てから、リージェはずっと魔力操作の訓練だけをしている。そろそろ調合がしたくなっても無理はない。
むしろ、よく耐えられていると感心している。
もし俺だったら、耐えられていないかもしれん。
しかしリージェと器具の共有は難しい。いや、だが物によっては妥協しても……。
「あ、ご、ごめんね。気にしないで」
俺が考え込んだのに聡く気付いて、リージェは慌てたようにそう言った。
「今やってるのだって、錬金術のための努力だもの。つまり、錬金術の一端。試してみたい気はするけど、どうしてもって訳じゃないから」
「そうか」
リージェの言葉は、俺への気遣いと本気とが半々だった。
「お前が耐えられそうにないなら一度試してみるかと言うつもりだったが。それなら問題ないな」
「ちょっと待ったあ!」
うなずき、話を切り上げようとした俺の肩を、がっしとリージェが掴んできた。
「ぜひ! やりたい!」
……おかしい。リージェの声が、百パーセント本気になっている。余計なことを言って火を点けたか……。
無いと分かっていれば、意外と衝動はやり過ごせるもの。だが手が伸ばせると分かっていて耐えるのは、より難しいということだな。
火を点けたのは俺であるし、元々提案しようとしていたところだ。
「いいぞ。ヒールポーションから始めるのが丁度いいだろう」
「はい、師匠!」
師匠……。教えているのは事実だし、そうなるのか。
なぜだろうか。着々と関係性が深くなっていっている気がする。
リージェのことは嫌いじゃない。むしろ好ましく思っている。そうでなければ己の住処に置き続けたりしない。
しかし、あまり深く関わるのは……。今更と言えばそうだが、それでも、もう少し線引きを考えた方がいいんじゃないだろうか。
「どうしたの? 師匠呼びは嫌だった? 先生の方がいい? あ、年齢的にはむしろ先輩とかの方が自然?」
「どうでもいい」
心の底から。
「じゃあ、何を考え込んでたの?」
「……何でもない」
もう少し距離を空けたいと言ったら、リージェはどういう反応を見せるだろうか。
少なくともいい気分にはならないだろう。もし俺がそう言われたら、多少なりと動揺する気がする。こちらにも利があるので飲み込むとは思うが。
「困りごととかじゃない?」
「ない。最近の生活が至って平穏なのはお前も分かっているだろう」
一緒に暮らしているんだし。
俺の言葉に強く意識した様子で、リージェは頬を赤くしつつうなずく。
「そ、そう、ね。うん」
「では、始めるぞ。お前がどれぐらい魔力操作ができるようになったか見ておきたい」
「はい、師匠!」
それで、結局師匠なのか。
リージェが改めて作ったヒールポーションは、効果B+、といったところだった。
素材の力を最大限引き出すともう少し上まで行けるはずだが、今のリージェならこれぐらいが妥当だろう。
それよりも。
「これだと、雑味が残るな……」
「いやいやいや! 材料の優秀さに頼らないでここまでできたら拍手喝采よ!? っていうか、ニア。それ本気で言ってる……よね?」
「本気ではない部分はないが、何のことだ」
俺の疑問に、リージェはがっくりと肩を落とした。
「雑味を生むような余計な成分を取り除くのも、魔力操作が必要ってこと」
「あ」
リージェが言わんとしていることに、ようやく気付けた。
「……選んでいる材料が良かったんだな。この辺りのギルド管理区画はきちんと手入れされているし」
その手入れに、俺も参加している。ギルドの一員としての義務だ。
「うん。その言い訳、通じるといいね……」
駄目か。
「しかし別にこれまで騒がれもしなかったぞ。問題ないんじゃないか」
「それは多分――ちょっと嫌味な言い方になるけど、どれだけ凄いことをニアがしているかっていうのを理解できる人がいなかっただけだと思う」
一理ある。
ある程度その分野への造詣が深くないと、理解できないことは多々ある。
たとえば俺が一流の料理人と自炊でこなれただけの人間の料理を並べられても、味の好みだけでしか良し悪しの判断ができない。
たとえそこに栄養を逃がさないための工夫が凝らされていて、物としてそちらが優秀であったとしても。技術を持つ者にしか作り上げられない稀有さが存在していたとしても。おそらく俺は理解しない。
まあ、使う分にはそれで充分とも言える。別に最高の一品を望んでいるわけでもなし、日々の糧になるだけの力があれば用途は果たしているのだから。
何より、最重要は味の好みだ。どれだけ秀逸であろうとも、味が好きではない食事に手を出そうとは思わん。
「では、これからは雑味も残すべきか? しかしそれだと、正確なデータが取り難いな」
「ううーん……。言っておいてなんだけど、それは使う側の町の人にも嬉しくないと思う。品質が落ちるってことだから。だから、今まで通りでいいんじゃない?」
「そうだな」
この先面倒が起こる可能性より、研究の精度を落とす方が気になる。
「万が一ばれても、問題は起こらない気がするんだけど。風当たりは強いと思うけど、ニアの才能だったらそっちの方が惜しまれるし」
「変に注目されるだけで鬱陶しそうだ。遠慮する」
「まあ、ニアならそうよね。というか、ニアを見てたらわたしの視野って凄く狭かったんだなー、ってしみじみするわ……」
「俺も広くはないぞ」
これまで錬金術を研究することだけを至上にしてきたので、あらゆるものへの知識が浅い。研究と生活に困らなければ、それ以外は必要ないとさえ思って来た。
「うん、それは分かってるけど」
「おい」
自覚はあるが、他人から言われると面白くない気持ちが湧くな。いっそ自覚があるからか?
「じゃなくて、錬金術に関しての話。わたし、王宮錬金術士になることが一流の道だと思ってたから。でも、そうじゃないのよね。実力と肩書は別物」
実力がなければ肩書は手に入らないだろうが、肩書がないから実力がないとはイコールではない。それは確かだ。
「やろうと思えば肩書なんてなくたって、いつだってどこでだってできるのよね」
「それはそうだな」
その点で言えば、俺とリージェは真逆だな。俺はともかく目立たないことしか考えていなかった。
だが、リージェの判断は間違っていないだろう。王宮錬金術士になり、国から援助を受けた方が研究が捗るのは確実だ。
俺には必要のないものだが、名誉であるのも間違いない。偉大な錬金術士の孫、という名札が付いて回るリージェには、あった方が息がしやすいはずだ。
「ようっし、頑張ろ。これからこれから!」
「あ、おいッ」
大きく伸びをしたリージェの手が、そこそこの勢いで壁の本棚にぶつかる。
本棚本体はともかくとして、上に乗せていた本とノートが落ちた。のを、手を伸ばして空中で確保。ついでに、予想外の衝撃に驚いてよろけたリージェも、二次被害を生まないよう確保。よし。
「ごごご、ごめんなさいっ」
「前も似たようなことをやっていたが。お前、かなりそそっかしいな?」
「空間の把握は苦手なのかもしれない……。足の小指も、よく椅子にぶつけるし……」
自分の体の大きさぐらいは把握して動け。俺は椅子に足の小指をぶつけるとかしたことないぞ。




