二話
ぽたり、ぽたりと、不純物を漉されて落ちてくる薄青い液体が瓶に溜まるのを待ちながら、俺は研究結果を書き止めていく。
「エンドルフィアの葉の下処理は水属性二、風属性一、火属性一・六が最適か。これ以上は今のところ思いつかないな。ヒールポーションはここまでにしよう」
今作った物は乾燥時の魔力調整を火属性一・七でやって品質が落ちたので、レシピの差し替えはなしだ。
水音が止まって隣を振り向けば、すっかり落ちきったらしい。きっちり七分目まで溜まった瓶に蓋をする。
「そろそろ、在庫整理をしないとな」
より高品質のヒールポーションを作るため、配合を変えて作った物が地下にざっと百本ぐらい溜まってしまった。そのうち三割は町のギルドに納品すればいいが、残り七割がまずい。
効果がランクA相当のヒールポーションがいくつもある。そんなものを納品したら目立つ。俺は目立つわけにはいかないのだ。
なぜなら、俺が魔物だから。
下級種であったときに出会った錬金術に惹かれたものの、俺はすぐに絶望した。鳥型の魔物であった俺に、繊細な調合は難しかったのである。
しかし俺は諦めなかった。魔物には『進化』という手段が残されていたからだ。
鳥系の魔物は、あまり人化適性がない。ほとんど人型だが腕だけ翼とか、そういう中途半端な姿になってしまう。手がない人化なんか俺にとっては意味がないので、そちらの進化先は早々に捨てた。
可能性があったのはただ一つ。フォニアの純進化先、ウィル・エル・フォルトルナー。これであれば努力と才能次第で人化の術が手に入る。
あれから六年。ようやく俺は念願の人化の術を習得し、魔物避け結界が存在しないような寂れた町で、錬金術士をやっている。
ウィル・エル・フォルトルナーの特性として、神々さえ魅了する天上の歌声がどうのとか奏でる曲で祝福や呪いがどうのとかがあるが、そんなものはどうでもいい。人化の術によって完全なる人間の手が得られることが重要だ。
選択肢がなかったから仕方ないが、この種族特性は厄介だった。何しろ普通に喋るだけで周りが妙な顔をする。
そのため俺は、自分の声が持つ力を抑えることにした。要は軽く封印状態にするのだ。
これはまあ上手くいって、大分緩和された。しかしいちいち魔力操作が必要で面倒くさい。さらには変化が苦手な鳥型だけあって人化の術も不完全で、どうあっても耳の部分に翼が残る。
結果、人と会うときはフード付きコートを常に身に付けて顔を隠し、極力喋らない――と、正直言ってかなり陰気な人間になっている。
移り住んだ当初は遠巻きにされていたが、とりあえず無害であることは認識されたらしく、買い物ぐらいは普通にさせてもらえるようになった。
つくづく、多くの魔物にとって縁のない技術であることが惜しまれる。魔物にとってもっと手を出しやすい分野であれば、こんな便利な技術、研究しない訳がなかっただろうに。そうすれば人間の町に隠れ住んで研究する必要などなく、俺ももっと快適だったはずだ。
種族の違いはとにかく研究の足を引っ張る。最新の研究がすぐ耳に入ってくる王都へ行きたくとも、魔物には叶わない夢。
王都の結界はこんな片田舎の寂れた町とは比べ物にならない。すぐさま正体が露見し、冒険者や騎士たちに殺されるに決まっている。
……欲張り過ぎはよくない。とりあえず、俺は研究できるだけの環境を手に入れたんだ。それで満足しておこう。
息をついて立ち上がり、地下へと向かう。在庫整理のためだ。
とりあえず売って問題ないものを袋に詰め、商業ギルドへ向かう。今日売るのはヒールポーションだけだから、薬品部へ行けばいい。
辿り着いた商業ギルドは、妙に販売店の方が混んでいた。俺は納品だから関係ないが。
扉を開け、中に入ると。
「あ、ニアさん!」
職員の一人が明るい調子で声を掛けてきた。ちなみにニアが俺の名前だ。
生まれてからずっと一人だった俺に名前なんてものはなかったが、登録に必要だったからその場で付けた。種族名のフォニアから。
「ポーション納品ですか? ですよね?」
期待に満ちた問いにこくりとうなずく。はい、いいえで通じる会話のときに俺が喋らないのは常。相手も最早気にしはしない。
しかし妙に歓迎されてるのが不思議だ。
俺が納品するのは難度レベル一に分類される簡単な物のみ。しかも品質のランクはEからD。効果は低いが使いやすい低価格で、荒事に関わる職業の人間たちには相応の需要がある。
だからそれしか作れない、あまり才能のない錬金術士であっても嫌がられたりはしないのだ。ありがたいことに。
だがそれにしてもずいぶん切羽詰まった感じだ。何かあったのか?
袋を台に乗せて中のヒールポーションを出す。そして職員の女性がそれらの品々を慣れた様子で魔術具にかけていく。品質を計るための装置だ。
作業をする手を止めることなく、彼女は俺が不思議に思った状況を説明してくれた。
「町の近くにゴブリンの群れが確認されたそうなんです。中級種のウォリアーやメイジもいたみたいで、おそらくダンジョンが発生したのだろうということになって……。今は探索部隊兼討伐部隊の救援が王都へ要請されています」
ダンジョンか……。確かにそろそろできてもおかしくない頃合いだったな。
魔物の誕生方法は二つある。一つは交配。もう一つはダンジョンからの発生だ。
周辺魔力が一定濃度を越えると核が形成され、そこを中心にダンジョンが出来上がる。核は魔物を生み、ダンジョンを複雑に構築し続け、そこから魔物が地上に溢れ出てくるのだ。かく言う俺もダンジョン生まれである。
今までいなかった所にいきなり魔物が増えたら、ダンジョンができたと思って間違いない。放置すると手に負えなくなるので、人間たちはすぐに討伐隊を出して核を駆逐する。
「そんなわけで、ポーション系はいくらあっても足りないんです。在庫とかお持ちじゃないですか?」
あるが、出せるものじゃない。俺は首を横に振る。
広い意味で言えば魔物は俺の同族だが、生まれてからずっと一人で生きてきた俺に仲間意識はない。勿論、潜在的な敵である人間にも。
だからどちらがどうなってもどうでもいい。町が壊れたら引っ越しが面倒だなと思うが、それだけだ。同じ条件の町は探せばあるだろう。
「そうですか……。いえ、でも助かりました! しばらく需要過多になると思いますので、よろしくお願いしますね」
鑑定の結果、俺が持ち込んたヒールポーションはきちんとEとD。換金を終えて商業ギルドを後にする。
せっかく外に出たから、外での用事は一括して済ませてしまおう。具体的には食糧の買い出しだ。
錬金術の素材を町で買うことはほぼない。採取に行った方が質のいいものが取れるし、買えば金がかかる。低ランク品しか扱わない俺では、そんなに金銭の余裕はないのだ。
安く済ませられる食事を考えながら市場へ向かう途中で、不意に腕を取られた。
「?」
「よう、あんた錬金術士なんだろう。仕事の依頼がある」
内容だけなら多少粗野なだけと言えなくないが、人の腕を掴んで拘束しながらでは脅迫と同義だ。
俺の恰好は目立つので、商業ギルドに出入りしている錬金術士であることは大勢が知っている。別に隠してもいない。
「Bランク以上のヒールポーションとマジックポーション、それに守護者の札が欲しい。金は相場の一・二倍出す。ギルドじゃなく、俺に売ってくれ」
どうも今は品薄のようだから、金額を増しても手に入れたいというのは分かる。しかしこうした路上交渉は国の法律で禁止のはずだ。理由は厄介事に発展しやすいから。
俺が断るために首を振るより早く、第三者の声が割り込んだ。
「強引な路上交渉はどこででも犯罪ですよ。今すぐ彼を離してください。でなければ貴方を摘発することになります」
「あぁ?」
威嚇を含んだ低い声音を発して、男は声のした方を振り返った。しかしそこでビタリと動きを止める。
声をかけてきたのは長い金髪を背中で緩やかに編み込みにした十八、九ほどの女性。青の瞳は理知的な光を宿し、己よりはるかに体格のいい男に対して注意喚起を行うことへの恐れは微塵もない。
それも当然。彼女と目の前にいる男とでは、体に宿る力が比べ物にならない。それは身体能力を看破するのが苦手な人間でも理解できるだろう。
彼女の纏う、王宮騎士の制服によって。
「いや、そんな……。強引になんてやってませんぜ」
男はへらりと阿るように笑い、早々に立ち去る。
代わりに近付いてきた女性は、心配そうに俺を見上げてきた。なので、身を引く。
フードの奥を覗き込まれたら、白髪から毛先だけが青く染まるという人間にしては奇妙な配色の頭髪や、耳の代わりに付いている翼が見えるかもしれないから。目の色が赤なのは問題ない……はずだ。
「ああ、すみません、不躾に。大丈夫でしたか?」
彼女が純粋に心配しているだけなのは伝わった。なので、こくりとうなずく。それに対し、女性は瞳にさらなる気がかりの色を浮かべる。
「……もしかして、喋れないのですか?」
「……そうじゃない。面倒なだけだ」
一拍空けたのは、自分の声に宿る力を制御するため。そして答えた内容に彼女は戸惑った顔をしつつ、うなずいた。
「それならいいんですが。――何にしろ、災難でしたね。商業ギルドから出てきたということは、用事を済ませたところでしょう? 帰宅するのですか?」
それには首を横に振る。俺には食材の買い出しという面倒事が待っていた。
「では、わたしもお付き合いしましょうか。ダンジョン討伐で人が集まっていますから、ああいった輩が出ないとは限りません。もし身を護る術が心許ないのなら、錬金術士である貴方が一人で出歩くのは危険ですし」
「……」
確かに、俺はそう力が強い魔物じゃない。いや、いくら何でもさっき絡んできたような相手に負けるほど弱くはないが。弱小種とはいえ、一応上級種にまで昇ってはいるんだ。
だが強い人間相手には、おそらく勝てない。だから彼女の提案は的外れとは言えないだろう。……ただ、その理由は分からない。俺が危険だから、それがどうした?
厳しい選抜を潜り抜けた王宮騎士である彼女がこんな片田舎にいるのは、間違いなくダンジョン討伐に関わるからだろうが、それはそれで忙しいだろう。油を売っていていいんだろうか。
俺が首を傾げると、彼女は少し困った感じの微笑を浮かべる。
「お邪魔でしょうか」
邪魔かどうかで言えば、邪魔だ。自分のペースが乱れるし。
とはいえ、提案の利点は理解できる。
魔物ゆえの不快な何かを感じるのか、それとも人から見て御しやすいと思われる要素があるのか、俺は絡まれることが多い。その程度の対応ぐらいはできるが、避けられる面倒なら避けたい。
しかしなぜ、彼女は俺に利のある、かつ自分には利のない提案をしているのだろうか。
少し考えてから、彼女は一度うなずく。
「邪魔だというのなら仕方ありませんね。では、先程助けたお礼をいただけないでしょうか? 貴方が帰るついででいいので、町を案内してほしいのです。何分今日ノーウィットに着いたばかりで土地勘がないもので」
それは言い方を変えただけで、取る行動は同じだ。
だが助けられたのは事実だし、礼として寄越せというのなら構わない。
うなずいて了承すると、彼女はにっこりと笑った。
「わたしはイルミナ・スティレシアといいます。貴方のお名前は?」
家名持ちか。いや、王宮騎士なら当然だな。立ち居振る舞いからして、いっそ貴族かもしれない。
魔物社会もそうだが、人間社会でも上流、中流、下流階級ははっきり分かれている。
上流階級の中でも最上段に位置するのが言わずと知れた国王。次点で貴族。中流と言われるのが豪商など、家格はないが金や人脈など力のある者たち。そして下流は労働者全般。俺はここに入る。
一流の錬金術士として国が認める王宮錬金術士の資格を得れば扱いが上流並みになるらしいが、縁のない話だな。
「ニアだ」
「ニアさんですね。よろしくお願いします」
家に帰るまでの同行人と、よろしくする必要があるのだろうか?
人間はどうもよく分からない。
目的通り市場を巡って食材を買い揃えていき、イルミナはそれに黙って付いてくる。割と興味深げに品々を見ていたから、意外と退屈はしていなさそうだが。
買い出しを終えて家に戻るまでにかかったのは、数十分といったところだろうか。
「では、ここで。外出時はどうぞお気を付けください」
しっかり家までついてきてから、イルミナは去って行った。
……さて。当てができたことだし、残り七割の在庫ポーションを片付けてしまおう。