十九話
ダンジョンの核と融合していようと、相手も命ある者。その生は刈り取れる。
クゥア!
高らかに鳴き、魔力に命じる。
――押し潰せ!
「ぐッ」
かかった負荷に、エルダーゴブリンは膝を着く。
「迷宮創造・柱!」
場の魔力そのものに重圧をかけられたマスターゴブリンは、迷宮の主としての力を使ってきた。俺の頭上――天井から、唐突に創造された柱が伸びてくる。
羽ばたき、その場を移動して回避――した先に、また別の柱が作り出される。進行方向を妨げつつ、誘導して囲おうとしている。
捕まったら終わりだ。岩か何かを創造されて、今度は俺が物理的に押し潰される。
仕方なく、エルダーゴブリンに向けていた魔力の一部を目の前の障害物の破壊に使う。石柱を砕いたその先に、金属の光が存在を主張した。
「っ」
慌てて旋回したすぐ横を、エルダーゴブリンの剣が薙ぐ。浅く掠っただけで、容易く肉を裂いてくれた。
圧力を解いたわけではない。事実、その一突きで俺を仕留めそこなったエルダーゴブリンは、肩を下げて大きく息をつく。立ってはいるが辛そうだし、絶好の機会に追撃も仕掛けてこない。
……しかし、立っている。その事実に慄然とする。
まずい。この様子だと――
「見切ったぞ、フォニア」
決して愚かではないエルダーゴブリンは、億劫そうに大剣を構え直しつつ、ニィ、と勝機を掴んだ歓喜の笑みを浮かべた。
「時を経るごとに、俺にかかる圧は軽くなっている。何のことはない。つまり、この場の魔力を一時的にせよ使い果たしてしまえばいいのだろう」
魔力そのものが生む力に限界はない。だが、場の魔力量は変化する。この地に神力が届かない様に。
「迷宮創造・部屋!」
普通なら、どれだけ魔力を使おうと世界から枯渇するようなことはない。多少薄くはなっても、すぐにどこからでも流れ込んでくる。
しかし、ここはダンジョン。限定された異空間が、自然界では起こり得ない事態を可能とする。
「部屋! 部屋! 部屋! ――これで限界か」
見えている部分に変化はないが、周囲が異様にやかましかった。おそらくだが、ダンジョンの部屋を適当に造ったのだろう。
どうやらダンジョンとは場の魔力を己の魔力を持って変質させ、造り出すものらしい。ダンジョン内限定の力なのだろうが、使い方としては俺たちにも近い。
……しかしこれは、どうする。
場の力を減らすために行った迷宮創造で、エルダーゴブリン自身体内魔力を多く使った……はずだ。消費の度合いで行けば、おそらく俺より余程多い。
だが、そんなことは問題ではない。
「さァて、と!」
気合い一閃、エルダーゴブリンは先程大量に作った柱に剣を叩きつけた。大小様々に割れて石片と化したそれを、今度は俺に向かって剣の腹で叩き、打ち上げてくる。
「はっはっはっはァッ!」
間断なく打ち込まれてくる瓦礫を、俺はひたすら移動することで避けた。一つ二つなら、叩き返せない訳じゃない。しかしこの数は無理だ。魔法を構築している間に間違いなくくらう。
それに魔法を使って凌げば、俺自身の属性値に当たりを付けられることになる。今の俺に奴の肉体を傷付ける術がないことを知れば、エルダーゴブリンは防御を捨てて全力で留めを刺しに来るだろう。
だが逃げ続けていても結果は同じだ。反撃しないことそのものが答えになる。
焦って考えごとをしていたせいか、小さめの瓦礫を一つ見逃した。
「くっ」
高速で打ち付けられた瓦礫の弾丸は、俺の翼を容易く貫通する。速さが落ちたその一瞬で間合いを詰めたエルダーゴブリンに、ついに尾羽を掴まれた。
「捕まえたぞ!」
力の限り、容赦なく振り回されて視界が揺れる。遠心力の勢いを加え、床に叩きつけられた。
「か、は」
硬い床材に衝撃を和らげる要素などなく、跳ね返ってきた勢いに全身を強打される。零れた呻き声と共に空気を吐き出すだけで、肺に響く。
視界の明滅が収まるのを待ってくれるはずもなく、俺の体によってできた窪みから引きずり出される。
再度振り上げられ、また叩きつけるつもりかと、必死に羽と足をばたつかせるが――俺の力でどうにかなるほど、エルダーゴブリンの腕力は弱くない。
「そぉらァ!」
「――ッ!」
衝撃を覚悟して息を詰める。だが痛みの代わりに俺を受け止めたのは、記憶にある柔らかさだった。
続いてガン、と重く腹に響く金属の衝突音。
「大丈夫?」
エルダーゴブリンが振り下ろした大剣を盾で防いだイルミナが、片手で支えた俺を心配そうに見ながらそう訊ねてきた。
「お前、何で」
「貴方が危ない目にあったら分かるようにするって言ったでしょう?」
言われてようやく、腹に刻まれた魔法陣が発動しているのに気が付く。そうか、この繋がりがあったから、迷わず俺の魔力を追って来れたのか。
「貴方だけで原初の魔物を倒すのとか、無茶だと思うよ?」
「……」
勝算はあったんだ。でなければ俺だってやらない。しかし現実がこの体たらくなので、反論は出来なかった。
「ふっ!」
イルミナが僅かに腕の角度を変えると、それだけでエルダーゴブリンの大剣から支点が狂う。そこを逃さず、微かに引いて隙間を空けたあと、今度は力を込めて強打。剣の切っ先を完全に逸らす。同時に右手の剣を突き出すが、こちらはエルダーゴブリンの薄皮を裂いたに過ぎなかった。
肉にすら届いていない。やはりイルミナは物の硬度を上げるのは得意だが、鋭く研ぎ澄ませるのは苦手らしい。
だがその瞳に諦めの色はない。雨水が月日をかけて石を砕くことがあるように、加えられた力は必ず影響を与えていく。そして少なくとも、イルミナの刃は水滴よりも力がある。
援軍が来ないと理解した時に覚悟をしていたのだろう、持久戦の構えだ。
同じ展望を見たのか、エルダーゴブリンは舌打ちをする。苛立ちは認められるが、余裕も窺えた。己の敗北を考えていない。
俺が見たところ、エルダーゴブリンはイルミナの剣で倒しきるのは難しいが、奴がイルミナを倒すのも同様だろう。膠着状態の中、奴が持っている余裕の正体は何だ?
時間が解決するもの――……ああ、あったな、一つだけ。今エルダーゴブリンが待ち望むものが。
奴はきっと、大氾濫を待っている。
原初の魔物は、その迷宮で生み出した魔物が他者を喰らって力を得るとき、その一部が己に流れ込むという性質を持つ。大氾濫で魔物が町一つを滅せば、エルダーゴブリンは確実に力を増すだろう。拮抗が崩れるほどに。
だが生憎、すでに結界は完成している。エルダーゴブリンが見込んだだけの力が手に入ることはない。
これは、好機だ。ここはダンジョンができるような――魔力が元々多い土地。エルダーゴブリンが外の成果に気を散らせているのなら、場の魔力の回復具合を計り損ねるかもしれない。
「イルミナ、奴の気を引け。時間を稼げば何とかできそうだ」
「それは得意だから構わないけど、向こうも企んでる目をしてる。狙いが気になるところだね」
「奴の目論見が叶うことはない。それに不信を抱いた瞬間が好機になる」
「分かった」
イルミナは詳しく問うことをしなかった。代わりに俺から手を離し、盾を構えつつ立ち上がる。そして剣を持つ腕を引き、駆けた。
「ふん」
イルミナの剣に己が致命傷を負うことなどないと、高を括ったエルダーゴブリンは迎え撃つべく大剣を両手で握りしめる。鋭さを補うためか、イルミナは大きく右手を振りかぶり、勢いを稼ごうとした。
待て。盾があるとはいえ、それは隙が――
「はッ!」
できなかった。エルダーゴブリンの視線を嘲笑と共に引き付けた右手は、寸前まで振り抜く構えを見せておきながら、実際にイルミナが力を込めて突き出したのは盾の方。硬いもの同士がぶつかる、重い音がした。
「っ……」
ダメージそのものは大したことはなさそうだが、結構な衝撃ではあったらしい。頭を振って一歩後退したところを、今度は本当にイルミナの剣が薙ぐ。だが、やはり浅い。深くは斬り込めないのだ。
あまり効くとは思えないが、俺もエルダーゴブリンへと上空から魔法を放つ。攻撃の体を取っていれば、いい目晦ましにもなるだろう。
火を放ち、氷を降らせ、風刃で斬る。が、どれも効果的という訳ではなさそうだ。得意な属性も不得手な属性もないタイプらしい。
魔法を放ちながら、余剰魔力を振りまく。体内魔力をあえて、白い――源素魔力へと変換して。俺とイルミナでこいつの肉体を貫こうと思ったら、これしかない。
エルダーゴブリンは鬱陶しそうに顔を歪ませたが、俺の魔法は脅威になり得ないと判断したのだろう。無視し始めた。
直接的なダメージにはならなかろうと、これには別の価値がある。イルミナの邪魔にならないよう気を付けつつ、魔法を使い続けた。
そしてイルミナの盾が崩せないことに、エルダーゴブリンは焦れ始めた。然程の深手は受けない、しかし少しずつ確実に出血を強いてくる剣へと、イルミナが突きを出した瞬間に自ら深く踏み込む。
「!」
慌ててイルミナは剣を引こうとするが、遅い。自身の肉体を使い、左肩に深々と突き刺さった剣は、その頑健な筋肉によって捕らえられた。
武器に重きを置いていないのも幸いし、イルミナはすぐ様剣を手放す。同時に体勢を立て直すために後ろに引こうとするが、エルダーゴブリンは狙って行動に移している。そのまま、イルミナへと体当たりを強行した。
「くっ」
剣を手放した一瞬、無防備になった右手側から間合いを殺され、姿勢が崩れる。共に倒れ込み、イルミナに馬乗りとなったエルダーゴブリンは、彼女の首に手を掛けた。
「っ……!!」
腕を掴み、爪を立てるが――単純な力比べでは、肉体を鍛えた魔物に分があった。せめて注意を僅かにでも引ければと魔法を叩き込むが、エルダーゴブリンは最早こちらには目もくれない。
体内の魔力量は三割を切り、向こうは完全に俺を無力と判断した。絶好の機会。
――これで駄目なら、打つ手はない。
「ァ……」
ゴブリン種には雄しかおらず、異種族の雌と交配して種を繁栄させようという本能がある。抵抗する力を失いつつあるイルミナに、欲望がもたげるのが感じ取れた。
勝利の予感が思考を散らす。エルダーゴブリンはふと、眉を寄せた。待ち望んでいる力の流入が未だ訪れないことに、違和感を覚えたのかもしれない。
ここは奴の支配下にあるダンジョン。手間取るのは許されない。残った魔力を使い、場に回復し始めた魔力を含めて一斉に命を下し、その力を長く鋭いものへと変える。
エルダーゴブリンは人型。脳を、心臓を――急所を貫けば絶命する。
場の魔力の変質に、エルダーゴブリンはすぐに反応した。こちらを振り向いたその口は、笑みの形に歪んでいる。読まれていたか。
「迷宮創造、部屋!」
「貫けッ!!」
エルダーゴブリンは再び部屋を創り出して魔力を消費し、同時に、俺が命じた魔力の槍が奴を脳天から足元まで一気に貫いた。
「なん……だと……?」
近くで、今までよりもずっと小さな異音が響く。造り出せたのはせいぜい小部屋か。
「魔力操作の正確性には自信がある。残念だったな」
枯渇させたつもりの場の魔力が、なぜ自分を貫くほどに残ったのか。理解しないままエルダーゴブリンはその生を止める。
グラリと体が傾ぎ、床に倒れる。その肉体は見る間にダンジョンの核たる結晶のように硬質化し、砕けて消えた。
「なにを……したの?」
咳き込みつつも、手を支えにして半身を起こしたイルミナは、不思議そうに俺を見上げる。天井近くから降りて翼を畳み、イルミナの元へと歩み寄った。
「自分の魔力を源素魔力に戻して使っただけだ」
使う直前までは『俺』の魔力質を残しておいたけどな。
念のためにとやったことだったが、用心しておいてよかった。始めから完全な源素魔力にしていたら、エルダーゴブリンに使われて終わっていただろう。
自身の魔力を使いきったと見せかけて、この一瞬の詰めをきちんと考えていた。奴の敗因は錬金術士が可能とする魔力操作の幅を見誤ったことだ。
「フォルトルナーって、器用なんだね。錬金術士みたい」
「お前たち人間が雑すぎるだけだ」
イルミナの指摘は正しかったが、俺の言葉も間違いなく本気だ。
「そっか。……ねえ、抱き着いていい? 凄く安らぎたい気持ち」
「断る」
「残念。サラサラの手触り、好きなのに」
俺はベタベタ触られるのは嫌いだ。鬱陶しい以外にない。




