十六話
「何だと?」
心の底からの侮蔑を載せて言ってやれば、アトラフィフィは見事に反応した。声に本気度の増した怒気が宿る。
彼女にフォルトルナーと同じ能力は備わっていないと思うが、俺が真実そう見ていると理解した様子だ。
「妾を侮辱するか! 命がいらんと見えるな!」
「暴力による統制など、非効率的だ。たとえ俺がここで死んだとしても、お前を崇めなかった事実は変わらない」
「むう……っ」
アトラフィフィは、自分を崇めない者なら滅ぼし尽くせばそれでいい――という考え方をしなかった様子だ。
「なぜ、貴様は妾の力を崇めぬ」
「俺は、暴力などというものに然程の価値を見出していない」
武勇に優れることは、確かに一つの才である。特に現状、敵対している存在が隣にいる場合は重用されるのも分かる。
相手が暴力に訴えてきた場合、己を護るのもまた暴力しかないからだ。
だがそれでも。俺が才だけに心酔することはないだろう。
そして尊敬するべきものに、飛び抜けた才覚など求めてもいない。
たとえば、そう。リージェは俺よりはるかに弱い。あらゆる意味で。
しかし俺は彼女の心映えを尊敬している。様々なことを教えてもらったし、今も多くのものを与えてもらっている。
俺を想って心を砕く、その誠実さ、優しさ、愛情が、俺にとっては無二の宝。それを体現できるのも、一つの才能。
そこに優れた力は必要ない。心があればそれでいい。
ただ、愛している。それだけだ。
そして敬意とは、相手を愛してこそ生まれる気持ちではないのか。
恐怖による統制に、愛はない。
「あり得ん」
アトラフィフィは戸惑い、理解ができない者を目の当たりしたときそのままの顔をした。
「力こそ、至高にして揺らがぬ理よ。力なくして何ができよう? 力のある者ならば多くを自在に支配できるというのに」
「だから、幼稚だと言っている」
支配の先になど、何もない。
「……」
しばし、アトラフィフィは無言で俺を見下ろす。
「……面白いではないか」
そしてややあってから、ぽつりと呟く。
「これまで、妾の言葉に異を唱えた者などいなかった。当然である。神の娘たる妾の言葉以上の真理など、この世にはない」
言葉だけなら酷く傲慢だが。
「お前の境遇は、哀れだな」
物言いに覚えた感情は憐憫だった。
「不遜なり。言葉を慎め」
憐れまれたのは余程気にくわなかったらしい。俺の頭を鷲掴む手に力が入った。頭蓋が軋む。
「妾の理に、貴様は従わなかった。従わぬ者がいる理は、不完全だ。それでは世界の理を正しく支配したとは言えぬ」
「大体の奴は従っていないと思うぞ。実際の所」
意思を曲げても恐怖ゆえに従わざるを得ないのを、承知の上ならば反してはいないんだろうが。
「少なくとも、妾が出会った中で力の理に従わなかったのは貴様だけだ」
同時に、アトラフィフィの断言が嘘ではないのも納得できる。
彼女が生きているのは魔物の社会。心の内はどうあれ、己より強いと分かっている相手に逆らおうとする奴はほぼいまい。
そして極稀にはいると思われる我の強い奴とは、これまで会う機会はなかったということだ。おそらく自身の地位ゆえに。
「貴様が力の理の哲学を真に知らぬだけなのか、それとも貴様の言う通り妾が未だ知らぬ真理があるのか。確かめねばならん」
「どうやってだ」
「決まっている。貴様が真に力の理に従わぬかどうかを、その身に問うてやるのよ」
「!」
アトラフィフィの瞳から、迷いの一切が消える。
「爪を剥ぎ、皮を剥ぎ、目玉をくり抜き四肢を潰す。それでも妾に屈服せなんだら、もう一度考えてやろう」
言いながら屈みこんだアトラフィフィは、地面に置かれたままの俺の手へと自らの手を伸ばした。
人間よりは多分痛みへの耐性が強いのだと思うが。今アトラフィフィが口にした内容を実行されたら、おそらく皮を剥がれる頃には屈服している。
アトラフィフィの主張を認めて、謝罪をし、この場をやり過ごすべきか。正に、彼女の言う力の理に従うことになるが。
一瞬、そんな考えが頭に過る。だが。
――駄目だ。
やりたくない。認めたくない。それはイルミナが残したいと願った心に、真っ向から相反する思想。
イルミナの理想を、裏切る真似をしたくない。
アトラフィフィの指先が自分の爪に掛かるのを見ながら、歯を食いしばる。苦痛への怖れが意志を覆すのを阻むために。
本来護られるべき肉から、無理矢理爪が剥がされる感触を味わいつつ――
「!」
不意に、押さえ付ける力のすべてから解放された。同時に頭上で空を切る音がする。
「……?」
何だ、どうした――と顔を上げれば、すぐそこに見知った姿があった。
「おっと、惜しい。取れなかったね、首」
「いや、あんま惜しくねー感じだった。強そうだぞ」
ルーとユーリだ。姿は見えないが、ヴァレリウスのマナも感じる。帰ってきたのか。
「ヴェルガハーラの神人か。では、貴様が妾を倒すべく選ばれた勇者だと?」
飛びのいたときに乱れたドレスの裾を整えつつ、アトラフィフィはルーとユーリを見て不愉快そうに顔をしかめた。
「何と、つまらぬ! ただの人間ではないか!」
「そういう君は、ただの地上種ではなさそうだ」
「ほう? さすがに分かるか。褒めてやろう」
できればアトラフィフィの思い込みか、こちらを動揺させる虚言であってほしかったんだが。
ルーが認めたということは、アトラフィフィは本当に普通の地上種ではないんだな。
「スィーヴァの魔力が結晶化して地上種に宿り、生物として誕生したってところだろう。神の力との親和性は格段に高い」
……何だ。力の具現の問題か。
少し拍子抜けして、同時に安堵した。
逆にアトラフィフィはむっとした顔をする。
「貴様の目は大分節穴のようだな、神人。確かに妾と神に血の繋がりはない。しかし、偶然生じたかのような物言いは止めよ。妾は母、スィーヴァの意思のもとに、力を与えられて誕生したのだ」
「成程? ま、偶然よりはまあもう一手間だね」
さも些細な違いであるかのような軽口は挑発でしかない。そこに宿る感情は警戒が強いのが感じ取れる。
実際、構えて相対したままルーもユーリも仕掛けない。




