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十四話

 いつも露天市場を使うのが主なので、店舗を構えた店に入った経験は少ない。


 印象としては、ブランの町で泊まっていた宿一階の食堂と大差ない。木の壁と床に、間隔を空けて置かれたテーブルと椅子。壁には小さめの風景画が額に入って飾られていて、橙がかった明りの空間には温かみがある。


 客は……結構入っている。ぱっと見て空いている席を探すのが難しいぐらいだ。


「あ、いらっしゃいませー。お好きな席にどうぞー」


 忙しく働く給仕の従業員は、そう声を掛けつつ風のように通り過ぎて行った。

 適当に座れということらしい。


 しかし、適当……適当……?

 どこに座るのが適当なのか。空いている席ならどこでもいいのか?


「突っ立っていたら、客にも店の人間にも邪魔だ。行く当てがないならここに座っとれ」


 迷った俺を見かねてか、壁際のテーブル席に座った初老の男が声を掛けてくれた。然程の親交はないが、知人の誼か。


「じゃあ、ありがたく邪魔をする」

「ふん」


 歓迎の素振りを見せずに、ベックは自分のジョッキを掴んでごくりと一口。大きく喉が上下する。


 不機嫌そうだが、多分、実際にはそれほどでもない。さっき俺に掛けてきた声にも親切心以外の感情はなかった。


「どうした。酒場に顔を出すとは珍しい」

「それが分かるということは、お前は結構な常連なんだな」

「酒を飲まずに明日の朝日が拝めるわけなかろうが」


 想像以上の入りびたり具合だった。


「程々にな」

「余計な世話だ。自分が気持ちよく飲める量ぐらい心得ておるわ」


 ベックは自信たっぷりに答えたが、それが真実かどうかは分からん。本人が言うんだから信じておこう。


「それで、お前はどうした。ついに酒に逃げたくなったか」

「期待に沿えなくて悪いが、何となく飲んでみたくなっただけだ」

「ふん。詰まらん」


 今のは本心も入っていたな。


 あまり趣味がいいとは言えない感情だが、俺に対しては色々思うところもあるんだろう。態度は大分軟化したと思う。


「せっかくだ。潰れていけ」

「いや、断る」


 なぜ自ら失態を犯す道を突き進まねばならないのか。

 メニュー表を見て、一番安価だったのでエールを頼んだ。麦から作る酒らしい。


「……どうだ、最近は。しばらく町にいなかったようだが」

「よく気付いたな」


 大した親交があるわけでもないのに。


「ギルドの品揃えを見れば分からんはずがなかろう」


 ややむっとした様子でベックは言う。ギルドの陳列棚に、俺の興味が薄いのに少々苛立ちを感じた様子だ。


「欲しい素材があったから、少し遠出していた」

「素材か。近郊で手に入らん素材を使うような錬成など、挑戦したのもはるか昔よな。……まあ、さすがにこの年になって新しいことを始めようとは思わんが」

「そういうものか」

「そういうものだ」


 興味が湧いたのならいつからでもやればいいと思うが、加齢が気力を奪うのはそうだろうと思う。統計的にも。


 ベックの体年齢に達していない俺が、無責任にどうこう言える部分ではない。


「町はどうだ?」

「どうもこうも。変化が目まぐるしくて付いていけん。お前が来てから、ノーウィットは一気に年を重ね始めたようだ」

「俺じゃなくても、いずれはそうなったと思うぞ」


 時は進むものだ。一見変化がないように見えても、そこでは必ず『何か』が起こり続けている。その積み重ねが、世界を動かす。


 たまたま、俺がその時その場にいて、影響を与えたことは否定しないが。


「お前の言う通りなのだろうよ。儂も、もっと真剣に研鑽を積めばよかったのか……。いや、変わらんな」


 今からでも遅くはない――と言おうとして、止めた。

 俺がわざわざ言わなくても、ベックとて分かっている。彼の志を妨げるものなど何もない。


 何より、知った後でどうするかを決められるのは本人だけだ。

 会話が途切れる――と、ベックが一つ身震いをした。


「……今年の冬は、冷えるかもしれんな」

「兆候があるのか?」

「ここらはそうでもないが。北はすでに大分寒いらしい。『寒い』と凍えるには早い時期だからな」


 俺の感覚でも同じだ。日没後はさすがに肌寒さを感じるものの、日中や晴れの日は涼しくて丁度いい――というのが今の時期だと思う。


 だが、まあ。


「そんな年もあるか……?」

「何年かにいっぺんぐらいはあるものだ」


 俺よりはるかに長くノーウィットで暮らしてきているベックは、早めに降りてきつつある寒気を異常だとは思っていない様子だった。


 ただ、過ごすには辛い気温の時間が長引きそうな予感に嫌そうな顔をしているだけだ。


「せっかく温まった体を夜風で冷やすのも馬鹿馬鹿しい。儂は先に帰る」

「ああ、気を付けてな」

「心配されるほど酔っとらん」


 悪態を突きつつ、しかし心配に対しては満更でもなさそうな様子でベックは席を立つ。そして勘定を済ませて出て行った。


 なるほど、そういう流れか。

 一人になった席で、丁度届いたエールを口に運ぶ。


 ……ふむ。


 液体が通り抜ける際に、喉に刺激を感じた。滑り落ちて腹に溜まると、熱を感じる。ついでに気分もふわふわしてきた。


 よく聞く話だが、確かにこれは過ぎた摂取は危険な気がする。

 慣れていないせいもあるだろうが、もしかしたら俺にはあまり耐性がないかもしれない。鍛えれば備わるだろうか?


 ――と、違う。元々の目的を忘れかけていた。


 俺の外出理由は酒を飲むことではなく、腹を満たすこと。店が目に入った段階で目的の一つにはなっていたが、一番は空腹を癒すことだ。


 軽食を頼んで腹を満たし、酒場を後にした頃にはすっかり夜も更けていた。ただ、悪い気分ではない。

 今でも味が濃いものは苦手だが、食べられないという程ではなくなっている。


 この分なら、リージェやイルミナに食事の面での不便を掛けることを避けられるかもしれない。

 今後は積極的に舌を育てていくことにしよう。


 全体的に気分は高揚していて、前向きな気持ちになっている。

 これも、あれだ。酒の効果だな?


 酒場が必要とされる理由が分かった気がするぞ……。

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