十話
「そもそも、お前の心配は不要だ。王都……もっと大きい町では、ディスハラークの力が一番強くなっているはずだし」
「ああ、しばらく前に大きめの信仰心が固まっているのを感じましたわね。愛に満ちた、素晴らしい賛歌でしたわ。ディハラーク様もちょっと懐かしそうでした。以前に加護を授けた人間がいたのかもですわ」
サラ……だけではないかもしれないが。やはり覚えているんだな。
「そういう訳だから、妙な対抗心を燃やすな」
「でも……。うーん、うーん」
まだ素直にはうなずけない様子で、しかし理は認めている様子でリリエラは唸る。
そして彼女が出した結論は、感情に沿ったものとなった。
「やっぱり嫌ですわっ。ねえフォルトルナー。この地にディスハラーク様の信仰を根付かせるためには、どうしたら良いかしら」
「自分で考えてくれ。俺は今の属性値に然程不満を持っていない」
偏ってはいるから、アカデミアの敷地内はどうにかしたいと考えているが。
「意地悪禁止ですわー!」
理不尽な文句を言いつつ、再び肩をぽこぽこ叩いてくる。
「俺はこれから別の用事がある。付き合ってはやれない」
そろそろ領主館を訪ねても問題のない時間になった。
イルミナに会いに行かなくては。きっと不安にさせている。
「用ってなんですの?」
「お前には関係ない。大体、お前は偵察任務に来たんだろう。任務を果たしに行かなくていいのか」
戦況を見るなら移動必須だぞ。
「偵察任務は、ヴェルガハーラ様の奇跡の確認のついでですわ。物凄く劣勢であれば急ぎ神界に帰ってご報告しますけれど、今度の戦はすでにヴェルガハーラ様が指揮されています。横槍は無礼ですもの」
見方によっては、信用していないとなりかねないからな。
まして闘神でもあるヴェルガハーラは、戦いに関しては誇り高い部分もあるし。
「ですので! 急務なのはディスハラーク様の信仰がヴェルガハーラ様に負けているこの町の状況です!」
「知らん」
どうでもいい。
「放置も禁止ですわー!」
これ以上付き合う意義が見いだせなかったので、俺は踵を返して北へ向かう。町の中心部にある、領主館に向かうためだ。
そしてなぜか、リリエラも付いてきた。
「なぜ付いてくる」
「心細いからですわ」
「一人でも、任務を与えられて行動することぐらいあるだろう」
今が正に、その状況だと言える。
まさか、これまで一人で任務に当たったことがないわけでもなかろうに。
見た目は人間で言えば十五、六の少女のようだが、神界で生じる生き物は大概完全な形を得て生まれてくるもの。年月での変化は起こらない。
「ありますけどー。一人はあんまり嬉しくないのですわ。寂しいですし。珍しい精霊種だ――とか言って、追い掛け回されたり捕らえられたりもするんですもの」
「……否定できんな」
専属精霊どころか、神人、神々の存在だって遠い世界だ。神界の住人だとは認識されまい。訴えたところで信じてもらえるはずもなし。
「けれどあら不思議。現地人と共にいることで、厄介な事態の七割は防げるのです。ということで、しばしご一緒させてくださいな。ご心配なく、付いていくだけですから」
十分うっとうしい。
「……まあ、何が何でも追い払わなくてはならない理由があるわけじゃないから妥協するが。手伝わないからな?」
俺には俺の目的がある。
ルーやユーリへの協力は世界に生きる者として当然だと思っているから別枠だが、神々の意地の張り合いに用はない。
「んんー。確かに、これはただ、わたくしの我がままですし……。分かりましたわ。わたくし一人で考えてみます」
「そうしろ」
そして願わくば、面倒ごとを持ってきてくれるな。
妥協を重ねた結果、リリエラを肩に乗せたまま領主館へ向かうことで同意。
境界で止められることはなかったが、やはりいつもの門番の姿はなかった。
たまたま会わないだけだろうか?
近況が若干気になるが、名前さえ知らない間柄だ。訪ねることさえできない。
こういう時にしみじみ思う。名前とは大切だなと。
それで思い出した。
「リリエラ」
「何ですの?」
「俺にも名前が付いた。これからはニアと呼べ」
正式にセェイラに命名されたので、正真正銘の俺の名前だ。
「まあ、それは神々が残念がりますわねー」
「残念がる?」
「貴方に似合う名前をと、皆様熱く議論していらっしゃいましたのに」
……気に入ったペットの名前を決める会、みたいなものか?
「けれど、現地で与えられた名を蔑ろにするとこもありませんから、ご心配なく。もちろん、改名したいのならばその限りではありませんが」
「まったく心配していない」
名前が必要になるほど、神々と深く長い付き合いをするつもりはない。
俺は地上種として、地上で生を全うする。
「未来は誰にも分かりませんわよ? 神々でさえもです。予知や予言で見通す方はいらっしゃいますが、あえてやりません。やっても無駄なので。そうして移ろうのが未来というものですもの」
「……」
言われてみればそうだ。予知、予言ができる者同士で互いの不利益を覆すための行動をし続けたら、やっぱり予知も予言もあったものじゃない。
そして未来とは、誰か一人の些細な行動で大きく変わるものでもある。
そう考えると、時の流れというものがこの世で一番の謎なのかもしれないな。
「ともかく、承知しましたわ。ニア、ですわね」
「そうだ」
リリエラが理解を示してうなずいたところで、領主館に到着……する直前に、魔法で姿を隠した。光を操作して眩ます形式だ。
門衛に挨拶をして、領主館の中へ。
「――すまない、少しいいか」
建物に入ってすぐ、最初に出会ったメイドに声を掛けた。
メイドはピタリと足を止めて、洗練された動きで振り向く。
「はい。何なりとお申し付けください」
深く一礼をして、再び上げられた顔にある、こちらを見る瞳の意思が薄弱だ。思考が別のものに絡めとられているのが一目で分かる。
しまった。このメイド、魔力への抵抗力がかなり低い。
「ちょっと、ニア。悪質ですわよ」
「わざとではないが、同意する」
自覚はあるから気を付けてはいるんだが……。こっちも急務になってきた。普段はそれでも、マナを扱う人間としか概ね接さないからな……。




