六話
「あら。それではわたくし、リージェに追いついたということでいいのかしら」
こっちはこっちで錬金術とは別の部分で喜びを感じたようだ。
「総合的には上だ。ただし、マナの効率的な使用に関してはリージェが数歩先にいる」
鍛錬を始めた時期の差だな。
「早くわたくしにも教えなさいっ」
張れる見栄を取り戻す希望が生まれた途端に、これだ。
貴族の体面と言うものも少しは理解するつもりでいるが、あまり好ましい言動とは言えない気がするぞ。
「体内保有マナが回復したらな。それで、どうだ。理解は得られそうか」
「ええ。実際に感覚を得られるのが大きいわ。……それにしても。魔法の中で最も容易とされていた命属性魔法こそが、まさか実際には最も難しいものだったなんて」
一属性でも発動するから、発動だけで満足してしまうと永遠に気付かないだろう。
「本格的な開校前に、教師を育てていく必要もあるでしょう。始めに募集する生徒は、むしろ未来の教師に限定するべきよ」
「複数人に伝えていくなら、ある程度実力の差は近しい方が教えやすくもある。それがいいかもな」
そして、学んだ者が次の者たちへと知を繋ぐ。
正に技術・知識の継承だ。
俺一人では絶対に叶わないこと。それを成す扉が目の前にある。
遠い未来、俺たちが始めたことを継いで研鑽を重ね、学問が発展してゆく――そんな姿を思い描くと、自然と心が高揚を覚えた。
「きっと、今回は成功するわ」
同じ想像をしたか、トリーシアの口元が綻んだ。
「ニア。きっと貴方にも選考の権利が与えられるでしょうから、あらかじめ言っておくわ。わたくしを一期生に推薦しなさい。この事業で最も貴方の力になれるのは、間違いなくわたくしよ」
「いいのか?」
「教師の職は、いずれ王宮錬金術士の務めの一つとなるでしょう。いえ、そうするべきなの。だから始めから前例を作るのよ」
教師が王宮錬金術士に限定されるべきかどうかはともかく……。開始当初に貴族との折衝は無視できない。
そういう点で、トリーシアが適任なのは当人の言う通りだ。能力的にも、俺の態度に耐性がある点でも。
「話し合うのに不便だから、仮にでも学校名が欲しいわね。素直にアルケミア・アカデミアということにしておきましょうか?」
正式な名前はやはりカルティエラが決めるのだろう。俺たちの間で通じる呼称としては分かりやすければ問題ない。
「構わない。では、それで」
「これまでも多くの施設がこの名前を冠しようとしてきたわ。けれど、いずれも叶わなかった。わたくしたちは世界で初めての偉業を成し遂げることでしょう!」
改めて言葉にすることで気持ちも盛り上がってきたのか、トリーシアの瞳が熱を帯びて輝く。
「こうしてはいられないわね。わたくし、早速家に連絡を付けてみるわ。建築、彫刻、庭師……。妥協のないよう、最高の人材を選出しなくては!」
「そういう話なら、わたしも力になれるかも。トリーシアさん、わたしも協力させてもらっていい?」
「勿論。歓迎しますわ」
すっくと立ちあがり、優雅に、しかし逸る心を抑えきれない様子でトリーシアはアトリエを出て行った。
「それじゃあ、ニアさん。また後で――ね?」
「……ああ」
最後に付け加えられた笑顔には、得も言われぬ強い要請を感じた。
マリーエルザの件の釈明が必要だ。
トリーシアとイルミナが去って行った後のアトリエに、沈黙が落ちる。
その中で最も早く口を開いたのは、自身の進退にも関りが深いと踏んだマリーエルザ。
「ニア様? 説明していただけますわよね? 貴方とイルミナ様のご関係は?」
「結婚を目標に付き合っている、というところだ」
一瞬誤魔化そうかとも思ったが、イルミナも直情的な所があるし、根が素直だ。存分に捻くれたマリーエルザには、彼女の嘘は通じない気がする。
下手な曲解を生む前に、認めてしまった方がいいだろうと判断する。
「結婚って……。お待ちくださいな。では、リージェは?」
「伴侶を複数持つことは、アストライトでは違法ではないはずだが」
「そ、そうかもしれませんが。イルミナ様はご承知なの?」
「当然だ」
リージェの方を確認するように見てされた質問に、即答する。
「……わたくしは、あまり勧めませんけれど。本当に良いの、リージェ。身分から考えても、立場が弱くなるのは貴女と、貴女の子どもよ」
「はい。でもわたし、ニアのこと信じてますから」
「……そう」
マリーエルザは抵抗感が消えない顔をしていたが、それ以上否を唱えることもしなかった。
自分には関わりのない話、と言い聞かせた気配がある。
「と、言う訳だ。イルミナにも俺とお前が共謀関係にある事は話すが、受け入れるかは分からない。そしてもしイルミナが受け入れなかったら、俺からの協力はあまり期待しないでくれ」
本来なら、マリーエルザとの共謀が長引くことになった時点でイルミナにも伝えておくべきだったんだよな。失念していた。
リージェと同様、イルミナの感情を傷付けてまでやるほどの価値はない。俺にとっては。
「よろしいわ。スティレシア家を敵にするつもりはありませんもの。では、友人としての好意は勝ち取ったというあたりまでは協力してくださいませ」
「友人なら」
問題ない。
全くの他人よりも親近感を抱いているのは嘘でもないしな。
「トリーシア様にも言った以上、わたくしは友人以上の好意がある設定を続けますけれど。……まあ、友人でも親しさがあるならば一応、納得と期待はさせられるかしら……」
俺の失態を演出するのに、不可能な距離ではない。
「お前の家……というか派閥から、指示は来ていないのか」
「今の所は。現在ノーウィットにはヴァレリウス殿下がいらっしゃることもあるので腰が引けていて、あまり手を出したくないのですわ」
「成程」
実際には居たり居なかったりだが、正確な情報を齟齬なく手に入れられる者は少ない。
というか、大概の者が把握できないようにするために、こうして伝わる情報を操作しているのだ。
「では、その町の安全を強化する話に移ろう。柵の様子はどうだ?」
「さあ? わたくしには分かりかねますわ。リージェ、説明をお願い」
「は、はい!」
潔い丸投げっぷりだ。前回同様、下書きされた板を彫るだけの協力だな、これは。
それが出来る者も限られるので、十分ありがたい協力ではあるんだが。
「完成品はこっちにあるの。検分してくれる? あと媒介と核の追加をお願い……」
「分かった、作っておこう。……ふむ」
さすがに一枚一枚の精査はできない。だが数枚の品質を見れば、求める性能を作り上げられる力があるかどうかは分かる。
仕事として任されて、リージェが手を抜いたり誤魔化したりするとも思っていない。




