二十七話
俺が自身の支配権を完璧に取り戻す、その刹那。
「馬鹿、な……?」
儚く消えゆく小精霊たちに混ざって、ラーフラームの声が聞こえた気がした。
同時に、集っていた緑の光が一気に弾ける。命令していた核が失われたため、不自然な濃度が解消されようとしているのだ。
森に戻れたのは一部だけで、残りは自らの形さえ失い、散り散りになっていく。
周囲と差があり過ぎる状態を自浄しようとするかのように、外から一陣の風が吹き抜ける。
ただでさえ薄弱な意思をラーフラームの支配によって塗り替えられ、そして塗り替えた当人が消えた今。より自我は薄くなっていることだろう。
ながら行く風に逆らわず、多くの小精霊たちはこの地を離れ、旅に出た。
いずれどこかで、形を得る日が来るんだろう。
「……ニアさん。大丈夫?」
まだ立ち上がる気力は湧かなくて、地面に座ったまま俺とイルミナは寄り添い合う。
戦うための武器である剣は地面に置き、イルミナは俺の首に手を伸ばし、そっと触れる。
「俺は問題ない。お前は?」
「わたしも……多分、大丈夫。ラーフラームの意思が消えたから、わたしのマナに同化したみたい。少し過剰に保有気味だけど、そのうち解消されると思う。ニアさんは?」
「俺も似たようなものだ」
体のだるさはマナの過剰摂取のせいもあるだろう。
「ラーフラームは、倒せたの、かな」
「分からん。俺が把握できないぐらいに存在が希薄になったのは間違いないが」
なにせあいつには肉体がない。生命活動が止まったかどうかが分かり難いので、確信がない。
「じゃあ、まだいるかもとは思っていた方がいいんだね」
「いない相手を不必要に警戒し過ぎるとそちらも危険だが、基本は考えていた方がいいだろうな」
だが、まあ。
「今は、俺たちが生き延びたから良しとしよう」
「うん」
ラズィーフ軍も助けられる分は助けたと思うし。ユーリたちも無事だろう。目的は果たした。
まだしばらく動きたくない気分だが、残念なことにそうは言っていられなさそうな気配がしている。
「イルミナ。ユーリたちが来る」
「ラーフラームの魔力もここに留まってたし、戦ってたのも分かると思うし、色々派手だったし、見に来るよね、やっぱり」
「お前がいないのも気付いているだろうしな」
多分だが。ルーとユーリは撤退するラズィーフ軍に付いて行って、イルミナだけが俺とラーフラームの交戦を察して駆け付けてくれたのだ。
ドレアーを退けてからヴァレリウスたちもユーリと合流を目指して動いて、今こちらに向かっている――という感じではないだろうか。
フォルトルナーの姿でも敵対はしていないが、便利に使われたくはない。折角『ニア』とは別の存在であると思い込ませた直後でもあるし。
「俺は先にブランに戻る。無理はしなくていいから、後で合流してくれ」
「分かった。なるべく急ぐね」
イルミナが来ないと人化できん。服がないから騒ぎになる。
いよいよルーたちのマナが近付いてきたので、イルミナから離れて空へと飛び立つ。そしてそのまま高度を上げ、南へと向かった。
もしラーフラームを討てていれば、ラズィーフの治安は少なからず回復するだろう。北に近いノーウィットとしても安全が増すのは喜ばしい。
……ただ、純粋に勝利に沸き立つというような気持ちはない。
命を奪い、傷付けている。そこに喜びがあるはずもないんだ。ひたすら気分が落ち込むだけである。
それでも、黙って支配を受け入れる選択はないけどな。
ラズィーフの治安は、アストライトよりも格段に悪い。
空を飛んできた俺には然程の影響はなかったが、地上を行くイルミナの到着にはしばらく時間がかかるだろう。
それを見越して、俺はブラン鉱山で過ごすことにした。
事故もあったわけだし、また魔物に襲われる可能性も考えて、再会には時間ががかるはず。
と、思ったのだが。すでに人の気配がある。
ブラン鉱山で崩落から鉱員たちを救出してから、まだ二日経ったかどうかだ。
まさか稼働はしてないだろうと高を括っていたから、無防備に近付いてしまった。そのせいで、鉱員の誰かとばちりと目が合う。
どころか、俺の接近に気付いた者がさらに数名。俺を指さしてちょっとした騒ぎが起こる。
あまり敵対的な感じではないが、近付くのは危険だろう。旋回して、山の中に降りることにした。
この辺りは開発が進んでいないから、人が足を踏み入れるのは難しい。むやみな接触は避けられるはずだ。
しかし。あれだけの惨事が起こったというのにもう鉱山を再開させているとは。運び出されていた鉱物を見るに、見付けたミスリル鉱脈を重点的に掘っているようだ。
すぐに枯渇するほど細い鉱脈ではなかったとは思うが。人手も勢いも中々のものだった。少し心配になる。
俺のラズィーフ入国の目的はラーフラーム討伐ではなく、ミスリルの入手だ。ここまで来て成果無しではあまりに虚しい。
俺も早く、再びの採掘権を買って掘りに行きたい。
鉱脈を見付けたのは俺なのだし、まさか否とは言わないだろう。
気持ちは急くが、イルミナが来るまでは動き難い。正直、疲れてもいる。
今日は食べ物を探して、早めに休むか。
幸いここは緑も豊かな山中で、虫にも動物にも植物にも事欠かない。食べる物はいくらでもある。
そう思って、今度は食料を探すべく耳を澄ませた。
量の問題もある。小動物を仕留めたいところだ。
――見付けた。
おそらく、野兎。まずは接近するために相手が警戒し難いだろう空中へと移動した。少し離れた木の上で待機。息を潜める。
間もなく、駆けて来る野兎が見えた。その前方に風刃を作り出せば仕留められるだろう。
実行しようとして、ふと頭に雑念が過る。
――内臓をどうやって切り分けようか? とか。
――血抜きをしないとまずいのでは? とか。
――そもそも味付けをどうする? とか。
仕留めた後の処理を考えているうちに、野兎は通り過ぎてしまった。
「……あ」
確実に仕留められただろう獲物を逃した後悔は、あまり無かった。
自分でも今分かって少し驚いたが、俺はそのままの生肉を食べることを考えなかった。ごく当然のように調理した形を思い浮かべたのだ。
火を通すことは可能だが、逆に言うとそれしかできない。
いや、しかし。食わないわけにはいかないぞ。一日二日ならまだしも、イルミナが来るまで飲まず食わずではいられない。




