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二十三話

 敵の懐深くに入り込むのにも恐れがある。それでも、攻めることを選んだ。何としても成し遂げねばならない、という意気込みも感じる。


 この状況を作り出すために自国民を囮にしたことや、民意の失望。王命。一つだけでも失敗できない理由足り得るのに、三つも重なっている。


 感じている重圧はただ事ではあるまい。


「……攻め込みそうだね」


 地上で動き出した集団を見て、イルミナが呟く。


「ああ。進軍の命令を下した」


 この様子なら、森に入ってから仕掛けてくるか? だが挟撃を仕掛けるための軍勢が見当たらない。

 まさかドレアー一人で襲うつもりか。混乱させるぐらいなら、できないとは言わないが……。


 そうこうしているうちに、ラズィーフ軍は森へと入って行った。木々に覆われて、しばらく空中からでは地上の様子を窺えそうにない。


 頼りは聴覚のみ。集中して音を探るが、進軍する足音しか聞こえてこない。


 人間とは、そう長く集中し続けられない生き物だ。気を緩めてなどいないつもりでも、時間は確実に集中力を奪う。


 一時間ほど経っただろうか。十分に森の中に入り込んだと言えるぐらいには進んだ頃。そこで不意に、足音が乱れた。続いて交戦する音。


「ニアさん? あ……ッ」


 剣劇などの音は、イルミナの耳には届かなかった様子だ。しかし魔法によって生じた火や水、荒れた風が事態を教えてくれる。


 次いで急激に、濃霧が森を覆い始めた。膨大な魔力を含んだ霧は場の属性値をさらに高める。霧そのものも攻撃性が高そうだ。触れれば容赦なく体温を奪われる冷気を感じる。


 そういう援護か! 確かにこれなら人員は必要としない。


「本隊の方はユーリさんたちがいるだろうから大丈夫……だよね?」

「……いや。おそらく。もう壊滅は避けられない」


 戦闘の発生は唐突だった。そして今も魔物の気配はない。


「同士討ちを仕掛けられているんだ。ラーフラームは精神を操る術を使う。霧も視界を悪くする。現場では混乱極まる様相だろう」


 ここに進軍するまでに、ラズィーフ軍は何日かを掛けているはず。その間に己が操りやすい人物を見繕って、術を仕掛けるのは不可能ではないだろう。


「ラズィーフ軍の援護へ行くべきか、ドレアーを倒して退路を確保するべきか……」

「もしくは、ラーフラームを討ちに行ってみるか、だね」


 奴を討てれば支配は解けるはず。目的も達成する。採るべきはその三択ではないだろうか。

 だが――何を選ぶべきだ。


 ラズィーフ軍に合流すれば、目先の被害は押さえられるかもしれん。だが長期戦は確実。根本的な解決に辿り着くのは難しい。


 ドレアーを倒せば退避ができる。仕切り直せるだろうが、ラズィーフ軍の混乱をしばらく放置することになる。ユーリたちのことも気がかりだ。


 手早く討てるならラーフラームに直接突撃するのも悪くないが、俺とイルミナで可能かどうかは微妙だ。

 最善に迷う。


「じゃあ、わたしがラズィーフ軍の所に行く。人が相手なら、上手く無力化できると思うから」


 自分『が』という言い方に、つい、イルミナの肩を掴んだ足に力が入る。


「ニアさんは霧をお願い。もしかしたら殿下が一人で戦っているかもしれないから、援護がいると思うの」


 ユーリたちがこの場にいることを前提にしたときの割り振りは、イルミナも俺と同じ想像をしていたらしい。

 確かに、今一番危険なのはヴァレリウスか。


「ここで離してくれて大丈夫」

「……分かった」


 イルミナが提示した以上に被害を抑える有効な手段も思いつかなくて、うなずくしかなかった。そして決めたのなら行動を始めるべきだ。


「全力で向かう。それまで頼む」

「うん。わたしも」


 ああ、イルミナの方が先に片付けて合流することもあり得るか。


 頼もしいことだ、と思ったら少し気が楽になった。危険性が変わったわけではないから気が抜けたのとはまた違うが、無意味な気負いが軽くなった感じだ。


 そう。別に、俺が全てを背負ってどうにかしなければいけないわけではない。

 任せろと言ってくれる人がいて、任せられると信じられる人がいる。


「よし、離すぞ」

「いつでも大丈夫。――行って来るね」

「ああ」


 応じて、イルミナから足を離す。イルミナは落下しながら剣を抜き、緑の光を纏わせて風を操った。

 確かに大丈夫そうだ。何なら霧も姿を隠してくれてるしな。


 さあ。俺もドレアーを探さなくては。


 ざっくりとした魔力探査から、精度を上げてドレアーのマナ質を探す。巨大すぎて隠しきれていないドレアーの魔力は、いっそ見付けやすかった。


 やや南寄りの、南東の方角。隠しきれなかったのは魔法を継続して使っているせいもあるかもしれない。


 近付くにつれ、ドレアーの近くで発動している魔法が一つではないことが分かった。主に赤と青が煌めいていて、神力と魔力の応酬がされている。

 すでにヴァレリウスが接触しているようだ。


 目視できるあたりまで近付くと、状況もよりはっきり分かる。


 斬りかかるイザークの剣を、ドレアーは手の平に集めた魔力の障壁で受け止め、受け流す。その合間にヴァレリウスが放つ魔法は、ほぼ一瞬で構築する魔法で迎撃。


 二人を相手にしながらも、頭上で輝く魔法陣の力強さに変化はない。おそらくあれが霧を発生させている物。


「何という……! これが魔人の力だというのか」

「恐れるならば、退いてください。貴方がただけの力では、わたくしを倒すことは出来ません。わたくしにも攻勢に回るだけの余裕はありませんが、それで戦術的にどちらの勝利となるかは明らかです」

「だからこそ、退くわけにはいかないのだよ!」


 全員が相対している敵に集中している今なら、一手目は確実に不意打ちが決まる。


 とはいえ、マナを使った大きな攻撃だとそれでも察知されてしまうだろう。ドレアーもヴァレリウスも、マナの扱いに長けている。


 いっそ気付いたときには逃げられないぐらい、大規模に行くか。そして使うマナはなるべく少ない方がいい。


 周囲のマナに命じて、大気を微かに振動させる。隣の空気と擦れ合った空気は熱を生み、振動は伝播していく。

 かつてマスターが俺の救出に来たとき。野営していたエイディの陣営に対して行った攻撃方法だ。


 辺りの空気が霧で冷えているから、生じ始めた熱に皆中々気付かない。好都合だ。その間に、空気の振動を広げていく。


 チリ。チ。ジ。


 微かに、焼ける音が響き始める。応じて水の粒が蒸発を始め、熱気が肌にも伝わるようになってきた、そんな頃合い。

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