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十六話

「可能性が一番高いのは否定しないし、そもそもお前の行動を制限する権利など俺にはない。止めはしないが、少し待て」

「何を待つの?」

「俺たちが結界を完成させるのを。ダンジョンに入るのは二度目の氾濫が起こった直後が望ましいだろう」


 中の魔物が少しでも減った頃合いを見計らうのだ。


 正確には平時通りというだけだが、溢れるほどに大量の魔物が闊歩している中を突っ切るよりは、確実にマシだ。


「必ず完成させる。だから、待て」

「――」

「信じろ」

「必ずって、言えるんだね? ニアさんは」

「ああ」


 それは今まで守ってきた『普通の錬金術士』の範囲を超えることになる答えだが、構わない。それよりも今はイルミナを殺させたくない。


「分かった。信じる」


 実際、部品である結晶の方はもうほぼ完成しているんだ。

 最後の問題は――


「イルミナ。お前、交渉は得意か?」

「ええと……そうでもないかな」

「そうか」


 聞いた俺が愚かだった。


「では、トリーシアとの交渉を頼む」

「今の答えでそうなるんだ?」


 少し困ったように笑うイルミナに、俺ははっきりとうなずく。


「それでもお前が一番適任に違いない」


 因縁のない相手ならリージェも同程度なのかもしれないが、トリーシアでは心情的にも難しいだろう。隣でリージェが何度も首を縦に振っている。


 そんな俺とリージェを見て、イルミナはため息をつく。


「分かった。頑張ってみるけど……。トリーシアさんに何を頼みたいの?」

「結界のレシピをリージェに見せたい」

「それで、ニアさんが作るんだね?」

「そうなる。ただし、公式には製作者はリージェということにしてもらいたい」

「どうして?」

「……目立ちたくないからだ」


 その理由をリージェは知っているから了承してくれたが、イルミナは知らない。果たして、普通に考えれば栄誉であるそれを拒むことを、イルミナは理解するだろうか。


「……あんまり、よくないことだと思うよ?」


 やはりイルミナは否定的な意見を述べた。

 そしてつい、ともう一人、確実に共犯となるリージェへと目を向ける。


「リージェちゃんはどう思ってるの?」

「ニアの状況なら仕方ないかなと思っています。えっと、詳しく説明はできないんですけど……」


 リージェ自身、良く思っていないのはイルミナにも伝わっただろう。それでも俺の案に同意している、ということも。


「……そう。わたしには、その理由は教えてもらえない?」

「無理だ」


 即座にきっぱり拒否すると、イルミナの瞳に寂しさと、少し傷付いたような色が浮かぶ。好意を抱いている相手から除け者にされれば、そういう感情も湧くだろう。


 俺自身にも落ち着かない、ざわざわとした不快感が生まれた。が、再考の余地はない。俺はノーウィットでの平穏な生活を護りたいんだ。


「分かった。二人がそう言うなら、信じる」

「幸いだ」


 話した以上、イルミナにも納得してもらわないと面倒なことになるからな。


「レシピはリージェちゃんに見せればいいんだよね? わたしが書き写させて――って言うより、リージェちゃんに直接見てもらった方がいいかも」

「はい」


 イルミナは専門外だ。できるのであれば、その方がいいだろう。


「じゃあ、お手伝いに行こうか」

「それは願ったり叶ったりですけど、トリーシア様、受け入れてくれますかね……」

「んー……。大分疲れてたから、話の持って行き方次第、かな? 大丈夫だよ、多分」


 大丈夫なのか……。

 俺にはこちらを見下していた彼女に受け入れさせる手段など思いもつかない。流石だ。


「なら、急いだ方がいいよね? 次の大氾濫までどれぐらい時間があるか分からないし」

「ああ」


 少なくとも、悠長にしていられるほどの余裕はないだろう。


「えーっと、イルミナさん。ちなみに、ニアを連れていくのは無理でしょうか」

「ニアさんはトリーシアさんとほとんど面識ないから、話してみないと分からないな。でもこちらの作業は大丈夫なの?」

「一段落着いている。問題ない」


 固まるのを待っているだけだ。行けるのであれば俺もトリーシアの方に行きたい。


「そう? だったら行ってみようか」

「はい!」


 元気良くうなずいたリージェの隣で、俺も首肯する。


 もしかしたら、ほんの少しトリーシアに手を貸すだけで、後々の面倒が少なくなるかもしれない。労力の先払いだと思えば安いものだ。




 トリーシアに与えられている工房は、領主館の中にある。と言ってもノーウィットは領都ではないので、滞在していないときは空の屋敷だ。


 まったく。外壁のせいで町の面積が限られているというのに、とんだ無駄をするものだ。権力者が己の快適さしか求めないのは人間ならではだな。


 そしてどうやら、イルミナの地位は領主相手にも通じることが判明。領主自らが歓迎姿勢を見せたあと、トリーシアの工房まで案内された。


「トリーシア様、お客様がいらしております」

「客? 誰です?」


 扉の奥から応じたトリーシアの声は硬い。憤り七割、怖れ三割という感じだ。少なくとも、歓迎の感情は欠片もない。


「イルミナ様にございます」


 執事は俺とリージェの存在をないものとして扱った。都合がいいから何も言う気はないが、面白くもない。隣でリージェが露骨に機嫌を損ねた顔をしている。


「……お通ししてください」


 拒絶の間を一拍明けながらも、トリーシアは招き入れることを選ぶ。すぐに扉が開かれた。

 扉を開けたのはトリーシア本人。それはそうだろう。工房に他人を入れるわけもない。


「……っ!?」


 しかして、視界の先に俺とリージェという予想外の姿を見たトリーシアは、そのままの姿勢で硬直する。平民を数と数えない貴族の悪習、裏目に出たな。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 状況的に、トリーシアにはゆっくりしている時間はないはずだが。定型句とはいえ、他の言い方を探せなかったのか。


「工房に入ってもいいかな?」

「いえ、こちらは、その、散らかっておりますので。失礼ながら、奥の控えの間にてお話を伺いますわ」


 工房の方をちらりと見やったトリーシアは、そう言ってイルミナを――俺たちを私室の手前にある、来客を一時待たせておくための部屋へと導く。


「申し訳ありません、このような所で」


 客に対する扱いとして不本意なのか、トリーシアの声には本物の謝意が感じ取れる。招かれざる客人であっても、礼節が優先される性質らしい。


「昨日の今日だもの。こちらこそごめんなさい」

「本日はどのようなご用向きでしょう? お分かりでしょうが、今は立て込んでおりますので。あまり長時間のお相手はできかねますわ」

「うん、だからね。トリーシアさんの作業を二人にも手伝ってもらおうと思って」

「……手伝う?」


 イルミナの提案にトリーシアは呆けた声を上げてこちらを見ると、すぐに眦を吊り上げる。


「ご冗談でしょう。そんな暇があるなら、さっさと自分の役割を果たすべきだわ」

「そ、それは大丈夫です。今は成形して固まるのを待っている状態で、明日にはこちらにお持ちできます」


 レベル一の品をD・Eランクでしか納めない俺では説得力皆無なので、この辺もリージェの担当だ。始めからリージェに制作者になってもらうつもりだったので、丁度いいとも言う。


 しかしそのリージェの言葉は、トリーシアには衝撃だったらしい。


「な……何ですって……!?」


 ギルドでのやり取りしかり、トリーシアはリージェを下に見ている。まあ、リージェ自身も同じだから無理もない関係だと言えるが。


 ともかく、そんな相手から自分より早く役目を終えたと聞かされて、相当動揺しているようだ。傲慢だが。


 だってそうだろう。修練は身になる。昨日できなかったことが今日できるようになる可能性を持つのが、努力という力だ。それによって力の差が縮まることも埋まることも逆転することがあっても、驚くに値しない。


「ええとその、こっちはわたしでも何とかなったというか……」

「……そう」


 作っている物が違うので、それでは己との力量差はそもそも計れないと思い直したらしい。トリーシアの態度に若干の冷静さが戻った。


 相手が自分より下である理屈に納得できほっとするって、どうなんだ? 自己の危うい奴だな。


「調合はともかく、他の作業は手伝えると思うんです。わたしもこの町にいるんだから、結界が完成してくれないと困るし……」


 リージェの言葉にトリーシアはぐっと唇を噛んだ。部品が完成していないならともかく、出来上がっているのだ。これで結界が完成しなかったら、すべてがトリーシアの責任となる。更なる重圧を感じたことだろう。


 数秒迷ったあと、トリーシアはぎこちなく、首を縦に動かした。


「いいわ。なら、手伝ってちょうだい」

「ありがとうございます!」

「そちらの彼も一緒に? リージェはともかく、彼が役に立つとは思えないのだけど」

「雑用ぐらいならできる。洗い物や片付けに時間を割かれるより、作業に集中してもらった方が効率的だろう」


 たかが洗い物。たかが片付け。


 しかしどの業種でもそうだと思うが、使う道具の手入れ・保管方法は、使う人間でないと分からない、細かな常識があるものなのだ。錬金術とて同じ。携わらない人間には、片付け一つ任せられない。


「……そうね」


 そしてやはり時間が惜しい意識はあるのか、トリーシアはうなずいた。


「それならリージェには調合を、貴方には片付けを手伝ってもらうわ」

「はい」

「よろしく頼む」


 こちらから頼んだ立場なので、俺もリージェも低姿勢だ。


「じゃあ、わたしはこれで。二人とも、頑張ってね」

「お前は少し休め」


 大氾濫が起きてからこちら、イルミナが満足に休んでいる形跡がない。


「第二波までそう時間はないぞ」


 イルミナは単独でのダンジョン討伐を決めている。周辺にたむろしている魔物を相手に疲労を蓄積させるのは得策ではない。本人も分かっているまずだ。


 今町の外にたむろしている魔物など、結界が完成すれば町までは侵入できない。その対処には少しの余裕がある。


 俺が言わなければやはり外に出る気だったのか、イルミナは少し気まずそうに微笑した。


「……うん、そうだね」


 そして、うなずく。

 意外だ。もっと強固に譲らないかと思っていた。


「万全にしておくよ。休んでおけば、なんて後悔したくないから」

「そうしろ」


 見張っていることもできないので、イルミナがきちんと納得したのは幸いだ。納得していなければ、うなずいておきながらさらっと町の外に出ているだろうからな、こいつは。


 彼女を送り出し、扉を閉める。そして俺は洗い場に放置された使用済みの器具の洗浄に取りかかった。


 後で纏めてやるつもりだったのか、一日以上放置されているのが確実な、汚れがこびりついているものが結構ある。


 というか、これだけの量を使いっぱなしで次の作業に行けるとは。ざっと壁の棚を見てみれば、そちらにもまだ未使用なものが沢山ある。資金力が垣間見えるな。


 しかし揃え方が雑だ。すべての器具を一律で同じ個数揃えている感がある。この工房、使い難そうだな。何も知らず、何も考えない者が用意した工房ならこんなものか。


 リージェたちの方を見てみれば、丁度レシピを確認しているところだった。これで最悪、ここでこれ以上の何もできなかったとしても、結界装置を作ることはできるだろう。


 至高の一品を作るのならともかく、錬金術において、代替品のない素材など殆ど存在しない。どうとでもなる。


 見たところ、トリーシアの魔力経路はリージェやイルミナに比べてやや整っている。おそらく多少なら属性を意識した魔力操作ができるだろう。

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