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十五話

「濃い味は駄目なのよね? 他に苦手なものはある?」

「ない」

「じゃ、適当に買い出し言ってくるわねー」


 言うリージェの声は、心なしか弾んでいる。


 そういえば、一晩の礼にと菓子を作ってたな。リージェは料理が好きなのか?


 素材を活かし、己の求める完成形に仕上げる作業、という意味では俺も別に嫌いじゃないが、正直食べられさえすればいいとも思っているので、それほど意欲は湧かない。


 ……さて。


 俺の方の作業はこの一昼夜で完成するわけだが、トリーシアの方はどうだろうか。装置の壊れ具合にもよるが、できる限り早く結界を発動させてしまいたい。


 明日、完成したらイルミナを訊ねてみるか。


 彼女は相当人が好いので、おそらくすぐにもトリーシアの様子を窺いに行ったはず。そのときに進捗も大体は分かるだろう。イルミナと会えば、多少なりと情報を得られる。


 もしトリーシアの本体生成が絶望的であれば、リージェに協力させる、という体で乗り込むか。

 もしこの町を救うなら……第二派が来る前に、急いで完成させなくてはならないんだ。




 微細な調整を続ける、大切だがやや単調で退屈な作業を終えたのは、予測通り翌日の昼。あとは型に流し込んで成形するだけなので、固まるまでの数時間、寝ておくことにした。


 寝て起きて、アトリエに寄ればきちんとでき上がっていた。これでノルマ達成だ。


「あ、おはよー、ニア。ご飯温めれば食べられるよ。どうする?」

「いただく。その間、お前に予定はあるか?」

「自学習以外はないわね。やることがあるの?」

「イルミナの元に行って、トリーシアの様子を見るよう頼んでもらいたい。直接お前が行ってもいいが……」


 間に入る人間が増えるほど、情報の正確性は失われていく。なので俺としてはより少なく、リージェに行ってもらった方がありがたくはあるんだが……。


「分かった! イルミナさんに頼んでくる!」


 リージェとトリーシアの関係性を鑑みれば、そうなるだろう。


 とはいえ実のところ、イルミナがトリーシアの様子を見に行こうと思っていたことを俺は知っている。リージェがイルミナに会えれば、答えはその場で得られるだろう。


「じゃあ、先にご飯の用意しちゃうね」

「助かる」


 支度をリージェに任せ、俺は席についてぼうっと待つ。ずっと精神を使っていたせいだろう、この一時一時がひどく安らかに感じる――と、満喫していたところに。


 コン、コン。


「!!」


 ノックが響いた。


 リージェの提案を受け、今日も俺はフードを付けていない。慌てて立ち上がり、リージェに目配せをしつつ奥へとさがった。


 急な来客には対応すると自分で言っていた通り、少しわたわたしつつもリージェは玄関に向かう。


「は、はぁーい。どなたでしょうー」


 用が玄関先で話を聞いて済むならいいが、片付かなかった場合のために一度コートを取りに自室へ戻る。一体誰だ?


 町の状況が状況だけに、心当たりが多すぎる。

 フードをしっかと被ってリビングへ戻ると、そこにはイルミナが増えていた。なぜ。


「こんにちは、ニアさん。お邪魔します」

「えっと、イルミナさんならいいかなーって思って、上がってもらっちゃったんだけど……」


 個人依頼を受ける想定などしていなかったので、俺の家はアトリエ以外はすべて生活空間である。多少抵抗はあるが……確かに、追い返す理由は思いつかない。


「……そうだな。丁度いいと言えばそうだしな」

「丁度いいって、わたしに用があったの?」


 首を僅かに傾けつつ訊ねてきたイルミナの声には、少しの喜色が読み取れる。『俺』が用があった――頼ろうとした、ということに対するものだ。


 ……そういえば、イルミナは俺に、好意があるんだった……な。


 物好きな、としか言いようがない。会って数日、身元も不明。顔さえろくに知らない相手だぞ。彼女の危機管理能力は、もっと仕事をするべきだ。


「ニアさん?」

「い、いや」


 余計なことを考えたせいで、不自然な間を空けてしまった。そんなことはどうでもいいんだ。大体、俺は魔物で、イルミナのそれは俺の正体を知らないがゆえに抱いてしまった、いわば気の迷いでしかないのだから。


「お前にトリーシアの様子を見てきてもらいたいと思っていた」

「トリーシアさん? ……どうして? 気になるの?」


 ぐっ。


 言葉にやんわりと、しかししっかりと含まれた棘に、背筋が少し寒くなる。明確な敵意という訳でもないのに、この産毛を逆なでられるような怖気は何だ。


「結界の本体だ。気にしない方がおかしいと思うが」

「ああ、そっか。そっちか」


 何がイルミナを落ち着かせたかは分からないが、言葉から棘が抜ける。……ほっとした。


「ええとね、わたしも少しトリーシアさんのことが気になったから、様子を見に行ったの。調合の方は……あんまり上手くいってないみたい。本人も焦ってる」


 やはり駄目か。


 期待薄ではあったが、トリーシアが問題なく作れる方がありがたかった。覚悟はしていたが、落胆の気持ちが湧くのは止められない。


「ニアさんの方は、どう?」

「まだ制作中だ。何とも言えない」


 ここまで来たら失敗する要素の方が少ないが、あえてそう言っておく。


 イルミナは錬金術士ではないから、調合にどれだけの時間がかかるかの想像さえできないはず。今は適当に誤魔化しておけば充分だ。


 結界を完成させるのは俺じゃない。リージェである。


「そう……」


 魔物避け結界の完成を心待ちにしているのはイルミナも同じなのだろう。俺の答えに、イルミナは沈んだ声音でそう言った。それにリージェが申し訳なさそうな顔をする。


 今すぐやめろ。イルミナに不審がられるだろうが。


「お前の用件はそれだけか?」

「ううん、あと一つ。お礼を言いに来たの」

「礼?」

「昨日、わたしを休ませてくれてありがとう。でも、もし次があってもやらないでね? きっとわたし、後悔するから」


 昨日は俺が神殿の負傷者を癒すよう神に願い、神はそれを聞き届けた。ゆえにイルミナは後悔しなかった。


 犠牲者が出ていたら、悔やんだんだろう。分かっている。だから祝福を願ったのだし。

 イルミナは俺が彼女を止めたことを喜んでいた。それでも次は止めるなと言う。本気で。


 ……複雑だ。


 一つの事柄に対する、並び立たない気持ち。それなのに両方ともが真実だ。


 俺は、どうだろうか。


 イルミナが悔やむと分かっていて、もし俺の力ではどうにもならない状況に飛び込むと知ってしまったら?


「……分からんな」


 考えてみたが、答えは出なかった。だから仕方なく、そのまま答える。

 イルミナはきょとんとして、次に困ったような微笑を浮かべた。


「そう答えるんだね、ニアさんは」

「俺は? なら一般回答はどうなるんだ?」

「うーん。大体はこちらの意思を汲んでうなずいてくれるか、もしくはきっぱり断る感じじゃないかなあ」


 そういうものなのか。


「あいにくだが、俺は、俺がお前が倒れる姿を見たくないと思ったからやったんだ。お前がどう思うかは関係ない」


 怒る可能性を思いついていてもやったぐらいだ。


「どうして?」

「どうして、とは?」

「どうして、わたしが倒れるのを見たくなかったのかな、……って」


 その言葉には、口にすることへの多大な照れが含まっているのが俺には分かった。同調して頬には朱が差しているし、声も最後の方は聞き取るのが難しい程の尻すぼみだ。


 イルミナの問いに、俺は――返すべき答えを持たなかった。


 なぜ、そうしたのか?

 嫌だと思ったからだ。それは間違いない。だがイルミナの質問は更にその先、なぜそう思ったのか、だ。


 ……それは、分からない。


 実行したときは、感情が先だって考えもしなかった。それはいい。だが今冷静になって考えてみても答えが思いつかないのは、なぜだ?


 自分の心だ。答えがない訳が……。


「その顔は、分かっていない感じ?」

「……ああ」


 己で己の抱いた感情の由来が分からず戸惑う俺に対して、イルミナの問いは的確だった。もしや人間はこういった感覚に多くの者が覚えがあったりするのだろうか。


「うん、だったらいいや」

「……そうか」


 イルミナが答えを諦めたのはありがたかったが、だからといって放置はできない案件だ。何しろ自身のことだからな。しっかり把握する必要がある。


「ニアさんは多分、真面目に考えてくれる人だから」

「……」


 なぜ、たった今思ったことが分かる?


「答えが分かったら、教えてほしいな」

「お前にも関わることだ。いいだろう」


 再度イルミナに得も言われぬ空恐ろしさを感じつつ、道理だとは思ったのでうなずく。するとイルミナは期待を宿した瞳を和ませ、柔らかく微笑んだ。


「うん。お願いね」

「用はそれだけか?」

「そうだね」

「なら帰ってもらえるか。分かっているだろうが、今俺たちにはやることがある」

「あ……うん。今更だけど、ごめんね。いきなり来て」

「それは別に構わん」


 予定を聞くにしても、一度は予告なしでの訪問をする必要がある状況であるし。


「ありがとう。それじゃあ、結界の作成、頑張ってね」

「お前は無理をするなよ」

「無理って、たとえば?」

「一人でダンジョン討伐を行おうとする、とかだ」


 言いながら、ふとイルミナはこの町が国から半ば諦められている状況なのを知っているのかどうかが気になった。


 イルミナは有能だ。それは彼女の職業が証明している。そして懸命だ。魔物大氾濫が起こって、増援の要請をすでにしたかもしれない。


 だとすればおそらく、国はリージェにしたのと似た返答をしただろう。ならイルミナはおそらく、ノーウィットが国から見捨てられたのを悟ったはず。


 だがリージェと同じように、イルミナはまず諦めない。逆にその情報を得てしまえば、一人で行動を起こす腹を決めてしまうんじゃないか?


 懸念を口に出して問えば、イルミナは丸々一呼吸分、沈黙した。

 これは、行く気だったな。


「ええと、でもね、ニアさん。それが最善で、後になればなるほど悪化するのが分かっているのなら、やっぱり行動した方がいいと思わない?」


 図星を指された反応を取った自覚があるらしく、イルミナは誤魔化そうとはしてこなかった。


「え!? だ、駄目ですよイルミナさん! そんなの危険すぎます!」

「危険が大きいのは分かってるけど……。でも、国の対応を待っていたらノーウィットは助からない」

「……」


 リージェも、イルミナの言葉の正しさが分かっている。言葉を詰まらせ目線を落としたその反応で、イルミナもリージェが分かっていることを理解した。


「もちろん本当に放置する気はないだろうけど、大氾濫に対応する軍隊、ダンジョン討伐のための精鋭、この二つを揃えて実行するのは何ヶ月か後になるよ」


 特に軍隊が遅いだろう。行軍の足は個人の移動とはわけが違うというからな。


「だから、行くよ」


 イルミナの声には、覆せないだろうと思わせる強さがあった。そして国を待っていたら助からないのは同意する。

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