二十四話
握り拳を固めて瞳を大きく開き、熱に潤んだ視線に耐え難いものを覚えて、急ぎ用件を修正することにした。
「悪いが、会計を頼めるか」
「あっ、は、はい! 失礼しました!」
差し出した融解紙を魔道具に通して値段を確認し、ギルドカードで支払いを済ませる。
商品を受け取って、商業ギルドを後にした。扉を潜る間際、「ニア様と話した。超幸せ……」とか背中から聞こえてきたが、聞こえなかったことにする。
向こうも聞かせるつもりのない声量での呟きだったし。
……販売部の方には、あまり近付かないようにしよう。
スライム解析で集中力とマナを大きく消耗したのに加え、更に妙な疲労を感じる。早く家に帰りたい。
辿り着いて扉を開けたときには、心からほっとした。
「あ、お帰り、ニア」
そして清々しいリージェの笑顔に出迎えられる。
確信した。リージェは癒しだ。
「リージェ」
「どうしたの? 凄く疲れてる?」
「結構疲れている。少しいいか」
「何?」
手招きをすると、素直に間を詰めてくれた。ので、腕を伸ばしてその体を抱き締める。
「なっ、何!? なになになに!?」
びくっ、と大きく震えてうろたえた声を上げるが、逃げようとはしない。ややあってぎこちなく腕を持ち上げ、そうと抱き返してきた。
「大丈夫?」
「大したことじゃない。異様に疲れたというだけで」
リージェと触れ合っているうちに、大分落ち着いてきた。
手を離して開放するが、リージェはまだ離れようとしない。至近距離から様子を窺って、じっと見上げてくる。
「何があったの? ニアがそんなに動揺するなんて珍しい」
「……何でもない」
どう説明するべきか迷って、結局誤魔化した。
好意の熱量に怯んだなどと言っても、リージェに気を揉ませるだけだろう。
「ニアが話したくないなら、それでもいいけど」
言って少し名残惜しそうに、俺の背に回していた腕を解く。
「あ、そうだ。イルミナさんから手紙来てるよ」
適切な距離を空けつつ、リージェがそう言ってテーブルを示す。
「分かった。ありがとう」
人形士関連の報告だろう。上手く運んでくれるといいが、と願いつつ封を切って中身を確認。
朗報だった。
幸い人形士はまだ近郊の村にいて、すぐに戻ってこられるとのこと。そして納品した人形の予備でいいなら、そのまま売ってもらえるそうだ。
小柄な女性型の人形を使えば、目的に十分叶う。
彼女が慎重な性格をしていて助かった。
「いい知らせ?」
「ああ」
「そっか、良かった。こっちが上手く先手を取れるといいね」
「これ以上後手に回ると増々大変になるからな」
こっちは何の準備もしていなかったに等しいので、大慌てだった。というか、準備の途中だったんだ。だからこそ仕掛けてきたのだろうが。
「そっちはどうだ」
「うーん。一応順調。多分」
リージェの返事はやや頼りない。
自分でもあんまりだと思ったのか、焦った様子で付け加える。
「出来てるとは思うの。でもやっぱり、やってみるまで自信がなくて。というか、神力だけを通す媒体の錬成はニアにしてもらわないとだから……」
「それも急ぎだな」
とはいえ、一日の時間は限られる。急ぎの中では後回しになる件だ。
「ニアの方はどう? 今あんまり一緒にいられてないから、わたしが知ってる対策からはまた少し変わってるかもしれないけど」
「今はスライムの特性を利用して俺の偽物を仕立てて、ヴァレリウスを誤魔化そうとしている」
目的の中には他の市民たちも入るが、一番誤魔化しておきたいのはヴァレリウスだ。
いずれはバレるかもしれないが、今は隠しておきたい。
「偉い人に知られたら危険そうなことしてるわね……」
「だから秘密だ。俺とお前とイルミナだけが正確に知っている」
俺がスライム狩りに行ったことをユーリは知っているが、錬金術に詳しくないあいつなら何に使うかまでは分からないだろう。
そうでなくとも、個人的な隠し事をあえて暴こうとする奴でもない。
「わたしたちだけの秘密かあ」
深刻になるほど重いわけではない秘密だから、リージェは少し、共有を楽しんでいるような色を覗かせた。
「そうだ。適度に守れよ? 命や尊厳と引き換えにするほどのものじゃないが」
そんな危機に陥った場合は、即座にばらしてくれて構わない。
「ニアが嫌な思いをするのは、わたしだって嫌だもの。もちろん守るわ」
「知っている」
その気持ちを俺に教えたのもリージェだ。
「じゃあ、手が必要なら声かけてね」
「俺は問題ない。それより、お前もきちんと休め」
「うん、ありがと。ちゃんと休む」
明日に迫った緊急事態のために、やむを得ず無理をすることはあるだろう。
しかし本来、無理などするべきではない。まして猶予があるのなら、一日二日無理をするよりも、きっちり休んで万全の態勢で臨むべきだ。
当然、俺自身にも当てはまる。
あとの時間はゆっくり過ごそう。
一晩寝てすっきりしたところで、改めて偽装役に取りかかることにした。
名前がないと不便なので、スライムスキンとでも名付けようか。どうせ俺以外に使う者などいない品になるので、自分が管理しやすければ何でもいい。
まずは汲んできた山の水から、不純物を取り除く。用途的には家にある水導魔道具からの水でも問題ないんだが、『俺』の皮を作るには神力が強すぎる。
属性の中和や除去は、やや面倒だ。加える方が楽な作業である。
ろ過と煮沸を行い、真水にした水適量を準備。こちらは核に使う。
次に俺の情報を溶かし込むため、指先を針で突いて血を一滴落とした。情報を流し込むなら、肉体の一部を使うのが一番楽だ。
そしていよいよ、山に出向いた真の成果を使う。
スライムの特性を書き写したノートを広げ、買ってきた融解紙に構成の命令式を書き込む。この式の通りに水質を変化させれば、スライムスキンの核が出来上がるはず。
慎重に書き上げたそれを、先に作った水に投入。融解紙自体は溶け消え、そこに宿った核と同じ属性値を持つ命令式だけが残る。
反応は顕著だった。水が見る間に粘性を帯び、渦を巻きながら量を減らしていく。正確には圧縮されていく。
三十分ほど変化を続けていただろうか。最終的には緑色をした半透明の結晶が出来上がった。
スライムの魔核によく似ている。解析を掛けると、ほぼ同じ構成になっているのが確認できた。
これを適度に親和性のある水に浸せば、俺の姿を形作ってくれる……はずだ。あとは形を維持するために消費するマナの量を、本番前に把握したい。
きちんと形作れるか、今すぐにでも試したいところだが。俺と同じだけの体積の水を変化させるのは効率が悪いし、作用が切れたときの始末が大変だ。
かと言って、外では実験したくない。
人形士の到着待ちだな。
せっかくだ。新たに広げるための柵に使う経路と核の媒体も作ってしまおう。
今いる人口に適切な空間を提供するために、必要だというのに異論はない。ただ、個人的には町が賑わうのをあまり歓迎したくない。
身勝手な意見だとは分かっているが、な。




