二十三話
「………………」
このスライムは言葉を理解できるほどの進化をまだ遂げていない。しかしフォルトルナーの特性をもってすれば、こちらの意図を伝えることはできる。
怯えたスライムは小刻みに震えているが、こちらの意図を知って逃げようとはしなくなった。
「解析」
大人しくなったので、ゆっくり調べさせてもらう。
しかし、すぐに察した。通常の解析では精度が足りない。もっと強力な力がいる。
マナ保有量はともかく、俺の魔力や神力、属性値は高くない。叶うかどうかは分からないが、試すだけ試してみよう。
一度解析を解き、改めて魔方陣を構築する。そして作り上げた魔方陣に、術式を乱さないよう更に魔力を注ぎ込む。
「っ……」
自分で挑戦するのは初めてだ。マナの操作にはそれなりに自信があるが、均一に増幅させるのは神経を使った。
正直、ヴァレリウスの魔法を強化したときの方がやりやすかったぐらいだ。
それだけあいつの魔方陣は歪みなく美しく、すでに更に多くのマナを受け入れる器ができていたということだな。
どうにか魔方陣を壊さずに魔力を行き渡らせるのに成功し、円が二重に浮かび上がった。
作った自分で言うのもなんだが、不安定で不格好だ。いつまで維持できるかも怪しい。さっさと発動させてしまおう。
「解析」
再び、スライムの構成を調べてみる。
今度は、視えた。
ノートを開いておけばよかったと後悔するが、遅い。ノートどころか紙もペンも持っていない状態だ。
清書は後でするとして、スライムの構成を地面に書いていく。
描き終えてから二度確認して、うなずく。これで間違っていないはずだ。
解析の魔法を止め、スライムを解放する。俺の気が変わるのを恐れるように、スライムは大急ぎで逃げて行った。
終わったと認識して力を抜いた途端、どっと疲れが出た。
魔力も無駄に消耗した気がする。これは、あれだ。出会った当初、リージェが無駄にマナを使っていたのに近い。
精進しよう。
立っているのが億劫になって、手頃な岩を見付けて腰掛ける。そして倉庫として使っている空間につなげた腕輪から、研究用のノートを取り出した。
以前盗まれてから、防犯のために隠し持つことにしただけだったんだが。意外な所で役に立った。
地面に描いた構成式を、そのまま書き写していく。
スライムの特性はこれである程度再現できるはずだが、ではスライムを誕生させられるかと言えば不可能である。
そもそも、解析できたのは特性だけ。それだって全てが視えたという確証はない。『命』という神秘のそのものには触れられてもいない。
出来たとしても、俺の手には余る。手を出すべき領域ではない。
錬金術は素晴らしい技術だ。その気持ちは一切変わりない。新しく知ることが増えれば増える程、強くなっていくと言っていい。
しかし同時に思う。
この技術には、進めてはならない一線があるだろうと。
もし踏み越えることが可能になったとき。俺は留まることができるだろうか?
ためらいはある。しかし深奥を求めずにもいられない。
いっそ、永久に力が及ばない方が心の平穏のためにはいいのではないか。
そんな風にさえ思ってしまう。
追求し尽くしたい気持ちもあるから、正に矛盾だな。
しばし休んで、ついでに周辺の素材も採集してからノーウィットへと戻った。
そして家に帰る前に、まずは商業ギルドの販売部へ。
商業ギルドには世話になっているが、販売部へはめったに入らない。使い慣れないゆえの戸惑いで、落ち着かない心地になる。
しかし目的は明確なので、真っ直ぐ陳列棚へと向かう。
一般的とは言い切れない品なので、取り扱いがあるだろうか――と棚を順に見ていくと、見付けた。
融解紙と呼ばれる、水や熱によって解ける紙だ。
質は……ぎりぎりCランクといったところか。正直不満だが、これ以上は望めまい。用途は果たしてくれそうだから妥協しよう。
これは製作に時間を要する。今の俺に自作している余裕はない。こうして購える施設が存在していることをありがたく思う。
しかしまさか。調合中間素材を買い求めることになろうとは。
自分で作れば労働力と値段以外はタダ、という気持ちが捨てきれずに、カウンターへの足取りは重くなる。
いや、落ち着け。必要なときに必要な分使うのが金と言うものの存在理由だ。そして一ヶ所に貯め込まれていても意味のない物でもある。
しばらく生活に困らないだけの蓄えはある。よし、行くぞ。
「こちらの品を頼む」
「いらっしゃいませ。ご利用ありがとう――ニ、ニア様!」
様?
元気よく定型句で迎えかけた販売員の少女が、いきなり名前を呼んで固まった。
一体なんだ、様とは。
客に対して無難な敬称として使うことはあるが、彼女の言葉にはそれ以上の感情があった。
しかし俺は身分的に様付けされる立場にない。少なくとも、商業ギルドでは初めての呼ばれ方だ。
「あ、え、えっと。すみません。それで、あの、えっと、あ、ありがとうございました!」
「何がだ」
完全に混乱して意味のない言葉を重ねた後の、いきなりの謝礼。
記憶違いでなければ、彼女とは初対面のはずだが。
「あの、父。わたしの父が、以前魔物が攻めて来たときに防衛に参加してまして」
ラーフラームが攻めて来たときか。
「それは、勇敢な人物を父に持ったな。今も無事か?」
「はい。大怪我をして神殿に運ばれて、貴方が作ったポーションで回復しました」
「……そうか」
ちゃんと、使うべき者の所にも渡ったんだな。それだけでも甲斐はあった。
ラーフラームを町へ誘導したのは俺だから、責任もある。一人でも助かってくれたのなら、本当に良かった。
「防衛線でも凄かったって、父が王宮騎士様とニア様の活躍を話してくれましたっ。わたし、ノーウィットに住んでいて良かったです!」
「……」
魔物に襲われる経験をしてもそう言えるとは。喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、中々の胆力を持つ人物のようだ。
あと、過剰な尊敬とそこから生じた好意が痛いほど突き刺さってくる。
間違いなく好意だが、これは苦手だ。そこはかとなく恐怖まで感じる。




