十三話
「神殿に祝福を喚んでくれたの、貴方だよね? フォニアは神々に寵愛された種だって聞くから……。あんなに強力な祝福、人間の祈りじゃ与えてもらえない」
「そうなのか?」
「そうなの」
フォニア下級種の頃から、頑張れば声は届いた。中級種になればある程度簡単に力を貸してもらえた。今は請われることさえある。
神はずっと身近だったから、どうも想像がつかん。
「ありがとう」
「――……」
心から安堵した、イルミナの微笑。
憔悴したイルミナを見るのが落ち着かなくて、それが嫌だったから原因を取り除くことにした。彼女が浮かべた笑みは、俺の行いが目的に叶っていたことの証明である。
しかし今俺が抱いたのは、満足感ではなくむず痒さだ。
これはこれで、不快だ。何だこれは?
「……俺がやったとは言ってないだろう」
イルミナの眼差しから逃げたくて、つい、否定的な言葉を口にする。
「そうだね。でも、こんな時にこんな所で、神の寵を受ける存在が都合よく沢山いるとも思えない。それに」
自信ありげににこりと笑って。
「今、わたしがお礼を言ったとき、照れたでしょう? 無関係ならそんな反応しないよね」
「……照れた?」
「違う?」
俺が? あの何とも言えないむず痒い感覚が『照れる』というものなのか?
初体験なので、そうだとも違うとも言えない。
「分からん。しかしこれが照れるということなら、そうかもしれんと納得できるぐらいの説得力はある」
「自分で分からない?」
「分かるわけがない」
他人の名前を覚えるほどに関わり合ったのすら初めてだ。感情が動くのも……どれぐらいぶりだろうか。
「そっか」
どういう対応をすべきかも分からなくて、突き放したような口調になった。だというのに、イルミナは気にした風もなくくすくすと笑う。
「可愛い」
「はァ?」
「貴方は無垢なんだね。魔物であることの方が不思議な感じさえするよ」
正真正銘ダンジョン生まれの魔物だし、無垢って何だ。同族も人も殺したことがある俺が無垢? 笑わせるな。
「馬鹿にしているように聞こえるが」
「褒めてるよ。もしくは、愛でてる?」
「いい加減にしろ」
何にしたって腹が立つ。
「ん、ごめん。多分少し、ほっとして……気が抜けたのかな。わたしの力じゃあ、足りなかったから。沢山の人が亡くなってしまうんだろうなって、思ってたから。助けてくれて、ありがとう」
「だったら、さっさと帰って休め」
お前が休まないと、俺がそうした理由がなくなるだろうが。
「うん。貴方のおかげで力が残ってるから、周辺の魔物を倒してから戻って休むよ。……あ、ニアさんにお礼言わないで出て来ちゃったな……。謝らないと」
「!」
いきなり自分の名前が出てきて、びくりとする。
「どうしたの?」
「……虫が羽に留まっただけだ」
「ああ、顔とかに留まられるとびっくりするよね、あれ」
咄嗟に適当なことを言ってみたが、共感された。誤魔化せたようだからよしとする。
「ねえ。貴方から見て、ノーウィットが生き延びるにはどうすればいいと思う?」
「まずは町の結界を作り上げること。そして迅速なダンジョン討伐だ。どこの町でも同じだと思うが?」
可能か不可能かで言えば限りなく不可能だと思っているが、生き残りたいならそれしかない。
外からの増援を期待できない現状、町の戦力だけでダンジョン討伐を果たす必要がある。それはつまり、町の防衛から手練れを抜くということ。
その状態で町を守るなら結界は必須。それも大氾濫に耐えられるような強力な奴だ。
「町の結界装置か……作るのはすごく難しいって聞いたことがある。でも、ニアさんならできる気がするんだけどな」
作れる。作れるが――なぜ俺だ?
「……王宮錬金術士がいるんだったな」
「知ってるの?」
「聞こえてきただけだ」
「そっか。皆トリーシアさんに期待してるもんね。一人で抱えるにはきっと重たくて、心細い気持ちでいるかも。あとでトリーシアさんの様子も見てこよう」
他人に弱味を見せるタイプには見えなかったが、だからこそイルミナの来訪を拒みはしないだろう。適任かもしれないな。
「でも、さっき言ったのはトリーシアさんのことじゃないんだ。この町にいる、錬金術士の男の人。多分、とても高い技術を持ってる」
イルミナの口調は確信を持ったもの。それが分かるだけの錬金術の知識がこいつにもあるか。
仕方がない。これは王都の――人間のレベルを正しく計れていなかった俺の失敗だ。基準としていたあの老女が、歴代最高の人物だと知っていれば……。
いや、しかし、そう考えると俺はかなり運がよかった。もし出会ったのが彼女でなければ、俺は錬金術の魅力に気付けなかったかもしれないのだから。
「フォルトルナー?」
「!」
「急に意識が他所に向いたみたいだけど。気になることでもあるの?」
「いや、何も」
「そう?」
イルミナは深く突っ込んでは来なかったが、妙な反応を見せてしまったのは俺自身の話題で二回目だ。三回目は気を付けないと、怪しまれる気がする。
……まあ、イルミナは俺を討伐しようとはしないだろうが。それでも不自由にはなる気がする。フォルトルナーとニアを繋げさせるべきではない。
「結界ができるなら、俺もそろそろ他の所へ行くか。魔物大氾濫に巻き込まれるのも御免だしな」
「ああ、そっか。貴方も魔物だもんね。結界に例外処理はできるって聞いたことあるけど……トリーシアさんやリージェちゃんじゃ難しそうかな。……ニアさんなら、どうだろう」
「ずいぶん買ってるんだな」
「え。うーん、そうかも。それに、放っておけない感じがして、どうしても始めに思い浮かべちゃうんだよね」
お前もか! リージェといい、こいつらは俺のどこを見てそう思っているんだ?
丁度いい。聞いてやる。
「お前が町に来たのはダンジョン討伐のためで、出会ったのは最近だろう? そう気に掛けるような付き合いはないはずだ」
「そんなことないよ。目の前に気に掛けるべき人がいたら、声を掛けて、相手が求めるなら手を貸すのは当然でしょう? ましてニアさんは、自分が優しいことに無自覚そうだったから。その上人慣れもしてないから、気付かないまま無理しちゃいそう」
「それはお前だろうが」
「わたしは自覚して、ちょっとだけの無理をしているの。だから大丈夫」
それは大丈夫というのか?
……いや、違うな。こいつの『大丈夫』は『死なない』と同義だ。本当の意味で大丈夫という言葉を使っているわけじゃない。
「あとは……ふふ。フォルトルナーに言うのもどうかと思うけど……。いや、フォルトルナーにだからこそ、言っても構わないのかな。実は、わたしのためにわたしの意思を無視した人って、初めてだったんだ」
「?」
「誰かの役に立つことをしようとしているとき、わたしを止める人は誰もいなかった。それももちろん感謝してる。でも……正しいことよりわたしを大事にしてもらったのって、初めて、だったなと思って。それが結構、嬉しかったんだなって」
ほんのりと頬を染め、やや俯きがちにそんなことを言う。
ちょっと……待て。イルミナの声に、俺に対する好意が窺えるぞ。恋情の類の。
し、正気か? イルミナが言っているのはおそらく薬を持って強制的に休ませた件だろうが、むしろリージェには怒って見せたんだろう? 俺も不快になるだろうと思ってやった。なのに、なぜだ。
「でも、ここを発つのなら貴方と会うのは最後になるのかな。と言っても、貴方に危険が訪れたときは可能な限り駆けつけるけど」
「要らん心配だ。俺はお前たち人間と違って、わざわざ危険に飛び込むような真似はしない」
しない……はず。していないはずだ。
結界の作成も神殿での加護も、危険が及ぶようなものじゃない。
「……ふふ。どうかな」
小さく笑って、イルミナは微笑ましそうに俺を見上げる。
「何だか貴方はニアさんに似ている気がするな。貴方が人間っぽいのか、ニアさんが俗世離れしているのか……両方、かな」
に、似るのまでは仕方ない。似るというか、俺だし。
「元気でね、フォルトルナー。どこへ行くのでも、貴方が健やかであることを願ってる」
「……ああ。お前もな」
イルミナとの会話という、余計な時間をくったせいでかなり危うかったが――何とか、リージェが戻ってくる前に用を済ませることができた。
「ということで! じゃじゃーん。レシピです!」
胸を張り、書き写してきたレシピを突きつけつつ、リージェは自慢げに言ってくる。
成果を考えれば、リージェの態度は分からなくはない。俺が行っていたら軽く倍の時間がかかっていただろう。
おそらくそうなる、とは思っていたが、予想通り、彼女は必要最低限――説明と書き写す時間しかかけていない。
ならば素直に称賛するべきだろう。
「見事だな」
「でしょう?」
さすが、人間。
「ところでニア。どうしてまた頑なにフードなの。もう隠さなくていいでしょ? わたしには」
「いつ来客があるとも知れないだろう」
「出てあげるわよ、それぐらい。ずっとフード被ってたら頭も蒸れるよ。……ハゲたくなくない?」
俺の頭髪は――もとい毛は、そこまで弱くはないと思うが。
しかしずっとフードを被っている格好が快適か? と聞かれれば、はっきり否と答える。慣れはしたが、それと不快感は別ものだ。
「なら甘えさせてもらうが――何が楽しい」
フードを取り払い、普段は目立たない様できる限り縮こまらせて閉じている翼を、清々しい解放感と共に広げると、にまにまと笑われた。
はっきり言って気持ち悪い。
「可愛いなー、と思って」
「……翼が?」
「うん」
「理解不能だ」
とはいえ、人間の中には獣の特徴を持った魔物を溺愛する思考の持ち主がいることは知っている。リージェはその鳥版なのだろう。
考えてみれば、俺たちフォニアもその手の被害が多い種だったか。まったく、迷惑な話だ。
「ニアの方はどう? 進んでる?」
「そこそこだな。とりあえず、使う材料の特性を調べるところからやっている。――折角だ、お前もやってみろ。あとで答え合わせをしてやる」
修練にもなるし、丁度いい。
「面白そうね! もしかしてニアが見落としてる性質なんかを発見しちゃったりとか」
「ああ。それぐらいの意気でやれ」
俺も取り扱うのが初めての材料ばかりだ。リージェの視点で気付かされることがあるかもしれない。
……まあ、実力的にほぼないとは思っているが。
しかしリージェは鼻歌まで出して嬉しそうである。やる気が上がるのはいいことだ。
「そういえば、錬金術協会に連絡はしたのか?」
「したわ。ちょちょいっと。でも――」
一旦言葉を切り、リージェはもの凄く不満そうに唇を尖らせた。
「後日対処を伝えるって、酷くない!?」
「成程」
錬金術協会上層部の体質が俺には分からないので断言はできないが、もし、普段リージェの訴えのようなものをきちんと取り扱うような所であるならば。
「この町を――住民を、今ここに居る者たちを見捨てたということだな」
「え……っ」
短絡的に憤っていたリージェは、拳を固めたまま静止する。
「この町が滅ぶなら、訴えた方も訴えられた方もすぐに死ぬんだ。無駄になると分かっている話に、わざわざ時間を割くか?」
「え……いや、え!?」
「ついでに言うと、それが錬金術協会のみの判断なのか、国もそうなのかが気になるところだ」
もし国の判断も同じなら、増援として来るはずのダンジョン討伐要員さえ来ないかもしれない。




