十二話
「俺は少し出かけてくる。イルミナについていてやれ」
「いいけど、どうするの?」
「所用を思い出しただけだ」
詳しく話すのは面倒だったので、問いを誤魔化す形でそう答えた。
さして親しくもない関係だ。リージェも重ねて問いかけては来なかった。ついでに、この部屋からさっさと離れたいのも嘘じゃない。
外に出て――向かう場所は神殿。負傷者が集められているとイルミナが言っていた場所だ。
そいつらがどうなろうと、俺の知ったことではない。他者の生き死になど真実他人事だ。
他人事……ではあるんだが。
起きたイルミナはおそらく、そいつらを気にするだろう。ほんの少しばかり休んで回復させた力も、すべてそいつらの治療に使い果たすに決まっている。
勿論、そんなことはイルミナの自由だ。好きにすればいい。当然、俺にも関係ない。
……なのに、それを想像すると落ち着かない。この気持ちの悪さは何だ?
憔悴したイルミナは、見ていて気持ちのいいものではなかった。それを解消する一番の方法は、彼女が力を使う原因を取り除いてしまうことだ。
神殿の近くまで来て適当な物陰に身を潜め、服を脱ぐ。それから人化の術を解き、神殿の屋根まで飛び上がった。
設置されている巨大な鐘の側に降り立ち、身を隠す。魔物に戻っても俺の体積はあまり変わらないからな。騒がれるのは面倒くさい。
息を吸い――そして、唄う。
求めるのは神の加護。癒しを司る水神と、活力を司る火神と、心身を安らかにする闇神の、三柱へと希う。
ややあって願いを聞き届けた神々の力が神殿を中心に広がり、加護を与えていく。
まあ、これぐらいでいいだろう。
人々が気付いて集まってくる前にと、俺は神殿から下りて再び人化。手早く服を身に付けて神殿を後にする。
「おい、何だ今の巨大な神気は……!? 神様でも降り立ったのか!」
「きっとそうだ! 見ろよ、俺の体。傷一つ残っちゃないぜ」
「二度と戦いたくないって思ったけど……わたし、今ならもう一回戦える気がするわ!」
にわかに騒がしくなった神殿を後にして、商店街へと向かう。リージェに言った所用を満たすため、軽く食材を買っていくつもりだ。
買い出しはつい最近したばかりで、必要はないんだが。リージェはうちの在庫を知らないはずだから、これで通じるはず。
……ついでに果物でも買っていくか。疲れているときにも食べやすいようなやつを。
そんな、自分でも意味不明な思考を実行に移した数十分前の俺は、本当に愚かだ。
家に戻るとイルミナはとっくに起きていなくなっていて、リージェが消沈した様子でダイニングの椅子に座っているのみだった。
「うぅ……。イルミナさんに怒られた……」
「だろうな」
「だろうなって! だろうなってねえ! 貴方! ってか、薬盛ったって本当!?」
「ああ」
さすがにイルミナ自身は気付いたか。
別に隠そうとも思っていないので肯定すると、リージェは更にがっくり肩を落とした。
「もうちょっと他の方法を取っても……」
「言って聞くようには見えなかった」
「それは、わたしもそう思うけど」
「俺は後悔していない」
イルミナにとって不本意であることなど、見れば分かる。だから彼女が怒るのは当然。それでも俺は彼女を休ませたかった。それだけだ。
「……わたし、も……。次、もし分かってても、止めないかも」
「そうか」
知らなかった混乱から立ち直ったリージェは、考えつつそう言った。
「何にしろ、イルミナがいないなら仕方ない。お前、リンゴは好きか?」
「普通に好き。って、まさかリンゴ買いに行ったの? イルミナさんのために?」
「いや。食材の買い出しのついでだ」
予想された問いには即座に用意していた答えを返す。……しかし、それが嘘だと俺自身が分かっているからだろうか、言ってて妙に気恥ずかしい。
「ふーん。へーえ?」
先程の深刻な様子はどこへやら。リージェは急ににまにまと癇に障る妙な笑いを顔に貼りつけた。
「……追い出されたいか?」
「うわ! ちょっとからかわれたぐらいで心狭っ」
「不快なことを我慢するのは、心が広いと同義ではない」
「分かった。もうその点については触れません」
「ならいい」
俺とて、本気でリージェを追い出しにかかろうというわけじゃない。一番効果がありそうな文句だったから使っただけだ。そんなことぐらいで知識を得る機会を蹴ろうとは思わない。
いつまでもリンゴが手元にあるのが妙に腹立たしいので、さっさと腹に納めてしまうことにする。
「ねえ、ニア。これからどうする?」
ざっと水で洗って皮を剥き始めた俺の背に、リージェの声がかかる。
「協会とやらに連絡して、言われた通り結界の部品を作るんだろう?」
「わたしはそうするけど、貴方は?」
その問いに、俺は即答ができなかった。
この町からどさくさで逃げ出すなら、町は壊滅してくれた方が好都合。
だがそのとき、リージェやイルミナは無事ではないんだろうなと、過ってしまった。
彼女たちだけの話ではないことに、今更気付いた。ギルドの受付職員も、俺が買い物にすら難儀していたときに迷わず客として扱ってくれた肉屋の男も、家の内装の注文の多さにげんなりしつつもきっちり付き合って、最後には満足気ですらあった大工も、皆そうだろう。
……いや、だが、それがどうしたというんだ。俺自身に関わりのあることじゃない。
なのになぜ、引っかかる。
「ねえ、ニア。貴方なら結界作れるんじゃない?」
「……作るだけならできるだろう。完成度はともかく」
属性配分が丸ごと抜けている――というか、おそらくそもそもその域に達していない人物が書いたレシピである。完成度など期待できない。
「やっぱり!」
だがそれをすれば、俺も結界の対象に引っかかって町にいられなく……いや、待て?
「リージェ」
「なに?」
「お前が担当する分の部品も、俺が作って構わないか?」
「わ、わたしは構わないけど、どうしたの、急に」
「この結界が完成したら、俺はこの町にはいられない」
「あ」
俺がためらう理由にようやく合点が言ったらしく、リージェは間の抜けた声を出す。
「一つ確認したいんだが、トリーシアは完成した結界を精査することができると思うか?」
「無理だと思うわ。部品だけでこれだけの難度だもの。むしろ、完成させられるかも微妙じゃないかしら」
これがそんなに難しいのか、そうか……。人間、実は錬金術に向かない種なんじゃないのか?
まあ、できないのなら都合がいい。
「この部品に、俺が対象外となる細工をする」
魔物避けの結界が発動している町の中にいれば、それこそ魔物とは疑われまい。これはむしろ、俺にとっていい機会でさえあるかもしれないぞ。
「そんなことできるの!?」
「多分な」
人間の体に流れる魔力の波長と、魔物に流れる波長は大分違う。この装置はそれを大雑把に区分けして判断する仕組みになっているようだ。
しかし厳密には、人も魔物も同じ波長など誰一人存在しない。俺という個体の情報を加え、例外処理させるのは不可能じゃない。
「一つでもできるかもしれないが、事情を知るお前がいる。思った通りの効果を出してもらうためには、細工は多い方がいい」
「だったらいっそ、もう一人の人の分も作っちゃえば?」
「何?」
「だってこんなの無理だって言ってたし。きっと喜んで協力してくれるわよ」
命と財産がかかっている。確かに、協力を仰げる可能性はあるな。
「なら、その交渉はお前に任せてもいいか?」
「え、どうして。同じ町の人でしょ? ニアが行った方がよくない?」
「同じ町に住んで同じ生業をしているというだけで、接点などない」
むしろ自分よりも低ランク品しか納めていない俺のことを、向こうは見下している感がある。そんな俺が自分にできないことをやるなどと、信じるわけもない。
「それより、お前の王宮錬金術士の称号の方が効くだろう」
「……え。もしかしてわたしが作った感じになるの?」
「公的にはそれぞれが作ったことになる。もう一人の錬金術士の中ではお前が作ったことになる。別にいいだろう。作れないわけではないんだから」
事が収まったあと、似たような依頼が来ても問題ない。
「えぇ……。でも絶対わたしじゃ作れない出来栄えになるし、後からだったらニアが作ったって正直に言っても……」
「重ねて言うが、俺は目立ちたくない。理由は理解しているな?」
「……まあ、そうね。これを作ったってなったら、絶対王宮に呼ばれるわね……」
国に目を付けられるなど、断固御免だ。
「分かった。わたしが作ったことにしてあげる。でもこれも貸しよ?」
嘘をつくのは相当不本意らしく、唇を尖らせリージェは言う。貸しになるのは仕方がない。
「なら、さっさと始めるか。お前は事情を話してレシピを写してきてくれ」
「うん」
うなずき、リージェは立ち上がる。彼女が出ていくのを見送ってから、俺は資料室へと向かった。
時間が惜しい。できれば一度の錬成で望みの性能を持つ部品を完成させたい。
素材自体も扱ったことのない品ばかり。まずはこれらの特性を把握するところから始めなくては。
――いや、待て。
その前に、先にやっておかなくてはならない件があった。
新素材を前にした好奇心にうっかりしていたが、誰に見られても構わないことに取りかかる前に、部品に組み込む『俺』の素材を用意した方がいいだろう。
望ましいのは魔力が溜まりやすい風切り羽根の辺り。つまり、それを回収するには元の姿に戻る必要がある。
元の姿に戻るなら、リージェがいない今が絶好の機会。
だが、もし何らかの理由で急に戻ってきて、魔物の姿を見られたら? ハーフは見逃しても、純粋な魔物を見逃すかは分からない。
……外に出るか。
事情を話して、レシピを書き写してくるんだ。それなりの時間がかかるはず。急げば間に合う……だろう。多分。
魔物大氾濫には波がある。一波が終わったあと、二波が来るまでには数時間から数日間の間隔が空く。
要は魔物が生成されている期間ということだが。この長さでそのダンジョンの魔物生成力が分かるというもの。
そんな状態である。時間が経てば警備は確実に厳重になる。町の外にこっそり出るなら、怪我人の対処に追われ、波が終わった直後で警戒が薄い今しかない。
とりあえず重要機密扱いのレシピだけ鍵のかかる引き出しに仕舞い、俺は外へと出た。まったくもって忙しない日だ。日常が恋しい。
目指すはダンジョンがあるのとは逆方向の町の果て。こちらにいるのはせいぜいあぶれた魔物ぐらいだろう。思った通り、処置にあたる人間も少ない。
魔物化して町の外壁を越え、適当な木を見繕って留まる。
抜きやすそうな羽はどれだろうか――と選別していると。
「フォルトルナー?」
「!」
下から聞き知った声が聞こえ、ぎょっとして見下ろした。そこにいたのは予想通り、イルミナだ。
こいつ、神殿に行ったんじゃないのか?
「あ、やっぱり。ダンジョンで会ったの、貴方だよね?」
「……フォルトルナーにまで到達する個体はそういないだろうから、お前が他に会っていないなら、俺だな」
「うん。会ってない」
そうだろうとも。
「ねえ。もしかして、少し疲れてる?」
「お前程じゃない」
「やっぱり。前に会ったときより、感じる魔力量が少ないものね」
こんな所を何フラフラしているんだと、責めるつもりで言ったセリフはあっさり無視され、結果的にイルミナの言葉への肯定になってしまった部分だけを拾ってきた。
俺自身、多少疲れているのは否定できない。人に化けたり解いたり、神に祝福を請うために唄を捧げたりしたからな。
「貴方、神殿に来たよね?」
「なぜそう思う?」
「羽が落ちてたから」
イルミナが取り出して見せたのは、青い鳥類の羽。確かに俺のものだ。しかし、魔力質は悪い。自然に抜け落ちた羽ならそんなものか。調合の目的には適いそうにない。




