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十一話

「ねえ、ニア。さっき言ったことを繰り返すけど、結界は完成させないと町が危ないのよ?」

「そうだな」


 とはいえ、結界を完成させようができまいがノーウィットは壊滅すると俺は踏んでいる。


 魔物大氾濫に耐えつつダンジョン討伐を早急に行う力が、この町にはない。そして魔物大氾濫が起こったということは、町一つで孤立したということでもある。


 ダンジョン討伐はその造りの複雑さから少数精鋭が鉄則だが、大氾濫による防衛戦には人数が必要だ。国が送ろうとしているのも少数精鋭のダンジョン討伐部隊。今から大規模な援軍を編成して到着まで、ノーウィットが持ちこたえるとはとても思えない。


 今町が魔物に蹂躙されていないのは、町の外にあぶれた冒険者たちがいるからだ。


 その実力にはばらつきがあるだろう。弱い奴らは間違いなく負傷する。そして負傷者は町の在庫のポーション類を一気に減らす要因となり、補充は難しい。せいぜいグラージュスから届いた材料分。


 上が判断できる奴なら冷静な対応を取って消費を最小限に抑えるだろうが、この期に及んで金のことを考えているような輩だ。期待はできない。


 ゆえに、ノーウィットはおそらく陥落する。俺はそのどさくさに紛れて逃げ出せばいい。探すのは面倒だが、似たような条件の町はあるだろう。


「まるで他人事なのね」

「紛うことなく他人事だが」

「え」

「別に、町はここだけじゃないからな」

「……町が壊れても生き残れる自信があるの?」

「ああ」


 魔物が最優先で狙うのは人間だ。はぐれ魔物一匹、戦場から逃げようと気にするような奴はいない。


「どんな方法!?」

「人間には無理だぞ」


 種族の違いによる差なんだから。


「魔物の特殊能力、とか?」

「そんなところだ」

「……そっか」


 根本的に不可能なのを理解して、リージェは諦めた息をつく。そうこうしているうちに自宅が見えてきた。


「あ……っ?」


 不意に、隣でリージェが声を上げる。その理由にはすぐに気付いた。いつかと同じように、イルミナが俺の家の前で佇んでいたからだ。


「あ……。リージェちゃん。よかった。無事だったんだね」

「わ、わたしのことより、イルミナさんの方が! え、ど、どうしよう? 神殿? ここの神殿どこだっけ!?」


 イルミナは防衛戦に参加していたらしい。身を包む衣服のうち、結構な面積を赤黒く染めている。治っていない、真新しい傷と血の臭いもするが、そこまで慌てるほど濃いものじゃない。


 が、それが分からないらしいリージェは顔面を蒼白にして駆け寄った。


 信仰を捧げ、神の力を受け取りやすいスポットを人間は意図的に作って神殿と呼ぶ。どこの町にも大抵一つはあるものだ。多い町なら全神柱分あったりする。ノーウィットでは水の神殿一つだったはずだな。


「神殿は今、わたしより酷い負傷者でいっぱいだから、わたしは大丈夫。それより、ねえ、ニアさん。回復薬の在庫有ったりしない?」

「在庫はない」


 すべてギルドに納めている。


「……そっか。そうだよね」


 消沈するその様子から察するに、ある分はすでに使い切ったか? 魔物大氾濫は二波、三波と規模が大きくなっていくんだぞ。……これは、堪えられないな。


 配れるような在庫はない。しかし。


「だが、お前一人分ならある」

「あるの!?」


 驚いた声を上げたのは、イルミナではなくリージェ。いや、なぜお前が驚く?


「昨日実験したやつがあるだろう」

「あ!」


 思い出したらしい。


「とりあえず、入れ。椅子ぐらいは提供する。立っているよりかはマシだろう」

「えっと……大丈夫。貰ったらすぐに神殿に戻るから、今座っちゃうと立てない気がする」


 そう見えたから言ったんだ。

 それだけの疲労、自覚があるのに休まないのか? どういうつもりだ。


「イルミナさん。ニアのヒールポーション、多分魔力も少し回復するので、イルミナさんが使った方がいいと思うんです」

「マナポーションなの?」

「いえ、ヒールポーションです」


 主成分はそちらなので、品名としてはヒールポーションで間違っていないはず。


 ……が、違いがあるのは否定しない。別の名前を付けるべきなのか? まあ、流通する物ではないので気にする必要もないか。


「?」


「とにかく! そういうヒールポーションのはずなので、イルミナさんが使ってください」


 怪我だけではなく魔力も回復するなら、その魔力を使って回復魔法が使える。より多くの相手を救いたいのなら、こちらを選ぶべきだ。


 同じ結論に落ち着いたのか、イルミナは少し迷ったあと、うなずいた。


「分かった。魔力が回復するならわたしが貰うね」

「はい!」

「決まったなら入れ。茶の一杯ぐらいは淹れてやる」

「うん。そうさせてもらおうかな」


 魔法を使うのなら、集中力も取り戻したいはず。無理矢理意識を覚醒させる類の薬品もあるが、今のノーウィットには存在しないだろう。つまり、自己治癒しかない。


 イルミナがようやくうなずいたことに、俺はほっとした。


 ……なぜだ?


 イルミナはおそらく、湯を沸かすような時間は待たないだろう。なので振る舞うのは果実と砂糖と冷水で割ったジュースだ。ついでに少量、緊張緩和のハーブと睡眠薬を加える。


 ……何をやっているんだろうな、俺も。


 丁度リージェが瓶に移し終えたヒールポーションを持って来て、イルミナが一気に喉に流し込むところだった。


「本当に魔力も回復してる……。傷……も、治ってる。ヒール効果はざっとCからB相当……?」


 余計な判定はいらん。


「ニアさん、今のポーションって」

「リージェと作ったものだ」


 丁度よく押しつけられる相手がいたので、出来の良さの謎はすべてリージェに持って行ってもらうことにする。今のリージェで再現するのは難しいだろうが、理屈は分かっているんだ。問題ないだろう。


 即座に擦り付けた俺にリージェは一瞬じとりとした目を向けたものの、渋々うなずいた。

 リージェは俺が表舞台に立ちたくない理由を知っている。誤解を含んだままだが、些細だ。


「ニアと話して、思いついた実験をやってみました」

「そうなの……。って、二人ともずいぶん親しい……?」

「え、えーっと。話しているうちに意気投合しました、的な」


 嘘ではないが、その説明にはおそらくイルミナが欲している情報が入っていないぞ。

 実際、イルミナの表情から疑問符は一切消えていない。


「一体いつ?」

「昨日、こいつが泊まる宿もなくさまよっている所を拾って、話しているうちにそうなった」

「ちょっ、ニア!」

「別に構わないだろう。これからしばらく同居になるんだ。居所を誤魔化しても面倒が増えるだけじゃないのか?」

「そ、そうだけど、物事には説明の順序ってものがあるの!」


 順序も何も。これで全部だろうが。

 顔を赤くして慌てるリージェに、イルミナははちりと目を瞬かせる。


「ええとつまり、ニアさんの家に泊まったの?」

「はい……」


 ほら。誰が話しても一言で片付く。


「で、でも、わたしとニアの名誉のために言っておきますけど、もちろん何もありませんから!」

「うん。それは今のポーションで分かるよ」


 イルミナ。さり気にヒールの部分を無くしたな。彼女の中ではあれはヒールポーションではないようだ。やはり名前を考えるべきか。


 初の試みには相応の時間が取られるもので、それをイルミナは理解しているようだ。彼女の声には偽りがない。


 それは声の真偽を見抜けるわけではないリージェにも伝わる程度に分かりやすかったらしく、彼女は誤解を受けなかったことに大きく安堵の息をつく。


「……でも、それなら。……ふぁ……」


 薬が効いてきたようだ。イルミナは落ちてくる目蓋と込み上げてくる欠伸と戦い始める。だが陥落は時間の問題だろう。そもそも彼女の体は休息を欲している。


「ごめんなさい、ええと……。そうだ、わたしを……頼ってくれて、も……」


 最後まで言い切ることさえできず、イルミナはついに目を閉じた。安らかな寝顔で寝息をたてはじめる。


「イ、イルミナさん? 寝ちゃった? ……そうだよね。凄く疲れてたんだろうし……」


 おい。今のが自然に寝入ったように見えたのか、お前には。

 リージェの平和脳に若干驚きつつ、訂正する必要も感じなかったので、俺は別の言葉を口にする。


「お前に貸した部屋に連れて行ってやれ」

「うん、そうする。手伝ってくれる?」


 ……ああ、そうか。リージェに自身と同じぐらいの体格であるイルミナを運べというのは、無茶か。意識を失った人間の体はさらに重いし。


 仕方がない。俺が運ぶか。

 息をつき、イルミナの椅子の前で背を向けて屈む。


「乗せろ」

「そこは横抱きとかじゃないんだ……」

「俺にそんな力があるように見えるか?」


 実際にはあるぞ? これでも上位種の魔物だ。人間一人ぐらい運べる程度の力は持っている。だが。


「ううん。見えない」


 そうだろう。

 リージェの答えは予想通り。だからそうするんだ。


「でもそこは意表をついて、ひょいって軽く運ぶ姿を期待するものなのよ……」

「期待してる時点で意表はついていないんじゃないか? どうでもいいから早くしろ」

「はぁい」


 ちょっと拗ねたような声で返事をして、リージェは「んしょ」と掛け声を出しつつイルミナを浮かし、俺の背に預けた。


「扉を開けるまでが役目だぞ」

「寝具を整える所までセットでね! ――わたしちょっと先行くわね」

「ああ」


 行ってすぐ下ろせる状態になってくれた方が俺としてもありがたい。


 ぱたぱた、とリージェは早足で客室へと戻り、扉を開けっ放しにして中に入った。俺はその後を心もちゆっくりとした足取りで追う。


 リージェが広げたのは寝袋ではなく敷物と毛布だった。野宿のときもそのスタイルなのか? まあ、テントの中なら問題ないのか……。


 ああ、くそ。それにしても魔除けの香が鬱陶しい。周囲の香りを散らそうと、翼が無意識にぱたぱたと動く。


「あ、そうか。レビナが嫌なのね」


 イルミナを横たえたところでリージェも気付いた。遅い。


「出ていくときは匂いも取ってもらうからな。後、その部屋以外に漏らすなよ」

「気を付けるわ」


 軽く請け負ったリージェの顔は、どうにも締まりがない。その視線の先は……羽か?


「何だ?」

「ニアの羽って綺麗よね。ちょっと触ってみたいなー、とか」

「意味が分からん。断る」


 弱小種の習性ゆえか、俺は他人に近付かれるのがそもそもあまり好きじゃない。まして人間。断る以外の答えなどない。

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