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十話

「やっ!」

「はぁッ!」


 俺たちの一番外側に位置するイルミナとイザークが、閉じようとするセェイラの体の檻の末端に、剣を横向きにして隙間を作る。


 神力によって切り裂かれるセェイラの体は、その一部分だけ閉じられない。ドームの完成を阻害する。


 イルミナとイザークの時間稼ぎを信じ、ヴァレリウスはしっかりと三重の魔方陣を構築した。十全にマナを行き渡らせて、俺を見る。


「ニア!」

「分かった」


 注ぎ込まれたヴァレリウスの神力に、周囲から集めたマナをさらに融合、純化させていく。濃密に練り上げられた魔方陣の輝きは、端から見ても美しい。


「うっ……!?」


 俺たちを閉じ込めようとしていたセェイラの動きが、ためらう様子を見せて止まった。

 退くか、先に飲み込める方に賭けるか。


 一瞬逡巡を見せたが、セェイラの性格からして答えは分かり切っている。

 全力を傾け、体を閉じようとしてきた。


 ――それをするなら、一瞬たりとも迷うべきではなかったな。


「逃げずにいてくれてよかった。――さあ、一足先に世界の終わりを見て来るといい。銀雪の(ホワイトエンド)終焉(・ゼロ)!」


 魔方陣に描かれた術式が、世界のマナの形を変える。


 バキバキバキバキッ!


 周囲から熱という熱が奪い去られ、凍り付き、脆く崩れ去っていく。


「あっ、あっ、あっ!」


 標的であるセェイラは、当然その影響の只中だ。

 まずは体表から。凍り付き剥がれ落ち、奥へ奥へと冷気がセェイラを削り取る。


「――……!!」


 全体が大きく震え、その振動だけでも末端が崩壊するほど、セェイラの体はすでに脆い。冷気が全身に染み渡り、動くことさえ適わなくなった次の瞬間。


 澄んだ音を立てて、セェイラは砕け散った。

 細かな欠片は風によって運ばれ、戻ってきた太陽の暖かな熱にさえ耐えられず、溶け消える。


「……倒したか?」

「おそらく……」


 周囲を警戒しつつ、ヴァレリウスは二本目のマジックポーションを喉に流し込む。

 上は……どうなった?


 余裕もなかったし、セェイラによって物理的に視界が閉ざされていたので、飛空艇の様子は途中からさっぱり分からなくなっている。


 船の姿は、すでに上空にはない。

 ただ町に被害が出た様子もないから、きっと上手く不時着させたんだろう。


「ニアさんとリージェちゃんは、大丈夫?」

「火傷だけだ。お前が護ってくれたおかげで」

「――うん。良かった」


 自分でも目視して俺の言葉が嘘偽りないと分かったイルミナは、安堵したように笑った。

 リージェも自分でヒールポーションを取り出して飲み、火傷を治している。


「代わりに一番傷付いたのはお前とイザークだろう」

「掠り傷だけどね」

「そうであってもだ」


 俺たちを護るために犠牲になったのに違いはない。


 そもそも、本当の意味で掠り傷と呼べるほど浅くはない。

 遠慮をして引き下がらないようにイルミナの手を取って捕らえ、治癒を施す。


 幸いにして、申告通り重症ではなかった。


「ニア。君は実に器用だな。どうだ、いっそユーリたちと同行しては。僕としても心強い」

「いえ。俺に勇者の旅についていけるような戦闘能力はありませんので」

「そうだろうか? 魔法の増幅というのは、どのような場面にあっても相当有益な能力だと思うが」


 多少の使いどころはあるだろう。今のように。

 しかしそれでも断言できる。


「常には足手まといです。それに貴方自身が俺の力など必要としないぐらいに卓越した魔術士になります。必ず」


 ルーが見込んだ人材だからな。


「……そうか。君を知っているルーハーラ様が誘わなかったのだから、きっと君の言い分は正しいのだろう」


 やや残念そうに、しかし頑なに断る俺にヴァレリウスは諦めた様子でうなずいた。

 その辺りでイルミナの治療を終え、魔法を切り上げる。


「このままイーストシティにいても、邪魔になるよね? 帝都に戻る?」


 タイミングを見計らっていたリージェから、そう問われた。


「そうした方がいいだろうな」


 もはや公演など望めまい。やっていたらむしろ驚く。


「部外者がいては騎士も神官も動き難いだけでしょうから、俺たちは戻ります。――ユーリとルーの事、お願いします」


 今後も含めて。


「分かっている。安心するといい。僕ほど同行者として有益な者も早々いないよ」


 実力的にも、世の権力的にも、間違いない。


 出生で足を引っ張られそうだったユーリにとって、大変にありがたい存在だと言えるだろう。俺も心配の種が一つ減った。


「それでは、殿下。失礼いたします」

「うん、君もゆっくり休んでくれ、イルミナ」

「はい。お心遣いに感謝いたします」


 腰を折って頭を下げ、俺たちは来た道を戻っていく。その途中で現場に向かう騎士と神官たちとすれ違った。


「大怪我した人とか、いないといいね」

「まったくだ」


 誰であろうと、傷付くのにいいことなどないのだから。




 やはりと言うべきか、混乱の中で馬車の運行も一時止まっていた。


 が、一時間もすると動き出した。通常通りとはいかないようだったが、さすが帝都。

 おかげで、まだかろうじて空が青い時間帯に宿までたどり着けた。


 飛空艇の事故というのは帝都において相当の大事件らしく、町を歩いているだけで人々に落ち着きがないのが分かる。


 それだけ、普段は安全に運用されているということだ。


「あぁ、大変な日だったー」

「うん。でも、大きな被害を出さなくて良かった。偶然だけど、殿下やわたしたちが居合わせた幸運……って言ってもいいよね?」

「……そうだな」


 イルミナの言葉に相槌を打ちつつ、ふと引っ掛かりを覚えた。

 何だ? 何に引っかかった?


「ニアさん?」

「いや、俺も上手く説明できないんだが……」


 どこかに違和感を覚えていることを、二人とも共有しようとする。違う視点から見れば答えが出てくるかもしれない。


 そう思って顔をしっかり上げてイルミナを見たとき、こちらに近付いて来る人物に気が付いた。

 見覚えがある。いつも受付を担っている女性だ。


 ただ――違う! 『彼女』ではない!


「申し訳ありません、イルミナ様。少しよろしいでしょうか」

「え? はい――?」


 戸惑いつつ振り向くイルミナは気が付いていない。脳が命を下して体が走り出すまでの時間を、これほどもどかしく感じるときが来るとは思っていなかった。


 声を出すことさえ、まるで枷が付いているかのように遅く感じる。


「離れろイルミナ!」

「!!」


 イルミナは迷わず、俺の警告に従った。すでに向き直りかけていた体の動きを強引に止めて、女性から離れるために大きく跳んで下がる。


 そのイルミナの体を抱え、半回転しつつさらに自分の後ろへと送り出す。代わりに、イルミナを追って来ていた触手とでも呼ぶべき部位が俺を掴む。


「ニアさん!」

「ニア!! えっ!?」


 すぐさま体勢を整えて振り返ったイルミナと、リージェの声が重なる。二人の表情は驚きと動揺で固まった。


「不思議だなあ。どうして分かったの」


 玉虫色の触手を腕やら足やらから生やしつつの――今はセェイラの姿をした元受付女性が首を傾げる。


「表情が同じだ」


 マスターとも、シンディともな。

 魔力で見分けがつかなくても、意外と分かるものだと初めて知った。


「うーん。じゃ仕方ないね。だってボクは一人なんだもの。そりゃあ同じにもなるさ」

「ど、どうして……。だって、さっき……」

「世界にボクは結構いるよ? いちいち移動するより便利だからね」


 震えながら切れ切れに疑問を口にしたリージェに、セェイラはこともなげに恐ろしいことを言った。


「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。大切なのは、ボクが君を迎えに来てあげたってことだよ、ニア」

「っ……」


 名前でも何でもない『それ』を口にされた瞬間に、全身が慄いた。


 きっと俺がダンジョン産の魔物で、相手が逆らえない相手だと――……相手になると、分からせられたからだ。


「ボクの邪魔をしたのは、正直言って腹が立つ。だけど邪魔ができた実力は素晴らしいよ。よく成長してくれた。マスターとして凄く嬉しいし、有益だ」


 お前に育てられたわけじゃないけどな。


「さあ、帰ろう。ニア。名前付き(ネームド)にしてあげる。そうすればきちんと支配下に置けるだろうから」

「させな――」

「ん? じゃあここでニアが死ぬの、見たい?」


 剣を構えたイルミナを牽制するために、そしてもし彼女が動けば本当に殺る気で、セェイラは俺の首に鋭く尖らせた爪を押し当てる。


「ブスっといっちゃう?」

「……っ」


 セェイラが俺を殺すのは一瞬だ。少なくとも、イルミナが距離を詰めて切りかかるだけの時間はない。


「……イルミナ。リージェ」


 息を吐き、二人の名を呼ぶ。

 別れを告げるために。


「ニア、さん……!」

「今まで共に過ごせて、楽しかった。ありがとう。――だから、忘れてくれ」

「うっ」


 最後の一言に、明確に魔力を込めて発した。自身への影響に危機感を覚えた抵抗力が強く反発したか、イルミナがふらつく。


 リージェの方はとりあえず、効いた。茫洋とした表情になって二、三度瞬きをし、目の前の光景に戸惑った顔をした。


「あれ? えっと……」

「じゃ、帰ろう」


 そんな二人の様子に興味を示さず、セェイラは指を弾く。同時に彼女の中で何かが壊れた音がして、一瞬にして景色が変わった。


 転移魔法、か?


「ここは、ダンジョンなのか?」


 転移魔法は高度な技術だ。というか、本当の意味で自在に扱えるのは空間を捻じ曲げて移動できるヴェルガハーラとバズゼナ、体の構成を光に変えて光速移動するディスハラークとスィーヴァぐらいだと言っていいだろう。


 神呪を与えられた神子なら、可能かもしれない。

 ただそもそも人間業ではないし、失敗すると色々取り返しがつかないので使用は勧めないが。


 その中でダンジョンの機能は、また特異と言えるだろう。リーズロットのダンジョン内にも転移装置が普通にあったし。


「そうだよ。緊急帰還用にね、マスターは転移石ってアイテムが創造できるのさ。所有は一個、作成コストも高いけどね。役には立つ。今みたいに」


 保険だな。俺でも作っておくだろう。

 壊れた音がセェイラの体の中からしたから、件のアイテムは腹の中にあったのか。


 ……スライムならでは、というかなんというか。


「では改めて。ようこそ、ニア。ここがボクのダンジョン。通称『儚き雪の城(スノウキャッスル)』さ」

「見た目と名前が随分ちぐはぐなのでは?」


 セェイラが両手を広げて紹介したこの部屋は、床に溶岩の川が流れ、炎の柱が風で渦巻き立ち上り、黒い硬質な岩肌が剥き出しの壁で囲われた、円形の造りをしていた。


 部屋の中央に一つだけ、巨大な椅子が置いてある。形は椅子だが、三人ぐらいは余裕で座れそうだ。


「いいや、名前の通りだよ?」


 俺から離れて、セェイラは椅子に腰かけ足を組む。小柄な体は完全にクッションに埋もれた。

 その姿を見て、何となく想像が付いた。この椅子のサイズ、スライム時合わせなんじゃないだろうか。


「ボクのダンジョンに入った連中は、皆淡雪のように消えるってね」

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