小碓武VS美夜受麗衣(3)
ガードを叩きこじ開けてから肘打ちのコンビネーションは、かつて「日本人キラー」「切り裂き魔」の異名を持ち主に日本で活躍したムエタイ戦士、ワンロップ・ウィラサレックが得意とした技だ。
ルールの制限があるアマチュアキックボクシングの経験しかないはずの麗衣が何故これ程的確に肘を打てるのだろうか?
驚くべきはそれだけではない。
眉間をカットして流血で視界を塞ぎ、左ハイキックを俺が躱した後、間髪入れず後ろ回し蹴りにつなげる。
恐らく初めから左ハイキックを躱すことを想定しており、油断したところを後ろ回し蹴りを当てるつもりだったのだろう。
俺が今まで経験したルールでは回転系の蹴りは禁止されている為、初めて見る攻撃に対応できず成す術もなく喰らってしまった。
ムエタイでも充分通用しそうな技術を持つ麗衣がアマチュアキックボクシングをボクシングキックと揶揄する理由がよく分かる。
「セブン……エイト!」
俺はカウント8でなんとか立ち上がった。
「ストップ! 傷を見せて」
立ち上がった俺の傷を見て恵は心配そうに声を掛けてきた。
「結構出血しているね……周佐さん。悪いけれど応急処置の道具持ってきてくれる?」
「もう準備しているわよ。私に見せてみなさい」
恐らくスパーリング開始前から応急処置の準備をしていたのであろう。
勝子は脱脂綿で俺の眉間を拭き、傷口を見た。
「2センチぐらい切れているわね。傷は浅いけれど、2ラウンド合わせてダウン3回目だし止めるのが無難よ」
恵にそんな事を言い出した勝子を遮る様に俺は強い口調で言った。
「いいや。まだやれる!」
「馬鹿ね! また同じ所に当たったら傷口が広がるわよ!」
勝子が俺のシャツの襟首を掴むと、麗衣は俺達の間に割り込んだ。
「良いじゃねぇか勝子。この位、もし試合だったら続けられるだろ?」
「それはプロの試合だったらの話だよ。それに、下手したら傷痕が残っちゃうよ?」
俺の襟首から手を離した勝子は珍しく麗衣に反論していた。
「何だかんだと言って、お前は武に対して過保護だよな……この位で止めて武が納得すると思うか?」
「試合でも納得する負け方なんて誰も無いと思うけれど?」
「そりゃそうだけどよぉ……これはあたしの我儘でもあるんだけれど」
麗衣は苦笑いをしながら続けた。
「お前の言う事の方が多分正しいんだろうけど、まだ武が出し切ってねーんなら、あたしとしても見てみたいんだよ。それがリーダーの義務のような気がするしな」
「……で、でもぉ……」
「私も見てみたいな。現時点で武君がどれぐらいなのか凄く興味あるよ」
尚も食い下がろうとする勝子に対して恵はそう言うと、勝子はため息を付きながら言った。
「はぁ……分かったよ……でも、次出血したら直ぐに止めるからね。それで良い?」
「ああ。直ぐに終わらせてやるから問題ねーよ」
イキり小僧のような表情を浮かべる麗衣に俺は言い返した。
「俺も次は貰わないし、終わらせてやるから大丈夫」
「言いやがるな……良いぜ。可愛い過ぎるその顔を少しは男前にしてやるぜ」
「俺は麗衣の綺麗な顔を傷つけないで倒すよ」
口喧嘩に発展しそうなところ、恵が間に入った。
「喧嘩はそれぐらいにして。二人ともスパーリング再開するよ」
俺と麗衣は一旦距離を空けると、恵は両手を交錯させながら「ファイト」と言った。
スパーリング再開直後、麗衣はいきなり左ミドルを放ってきた。
モーションが大きく分かり易かったので、スウェーバックで上体と体を引いて躱す。
だが、それは誘いだった。
左ミドルは空振りした場合、本来であれば振りぬかれるが、空中で止まり、左前蹴りに切り替えて放たれた。
それがスウェーバックの反動で上体が戻ってくる俺の腹にカウンター気味に決まり、後ろへ突き放された。
「クソっ!」
左ミドルと見せかけてローキックやハイキックを打つだけでなく、前蹴りまで繋げて放つとは。
蹴りの技術では俺は圧倒的に劣っていると言わざるを得なかった。
これでは俺が有利なパンチの間合いに近付けてすらくれない。
だが、俺には麗衣よりも遠い距離から打てる蹴りが一つだけある。
俺は上体を捻りながら左膝を素早く斜めの角度に引き上げて、腕を肘からリードしながら勢いよく斜めに振り下ろし、膝を前蹴りの要領で引き付けると、麗衣の肘に向かって中足で蹴り込んだ。
「つうっ! 三日月か!」
蹴りを当てられた瞬時、顔を顰めた麗衣はバックステップして距離を空けた。
「効いているのが表情に出るんじゃまだまだじゃないか?」
「野郎……下僕の癖に生意気な事言うじゃねーか」
挑発された麗衣は再度蹴りの間合いに入ると、スイッチして右のハイキックを打ってきた。
何時もの左ではないのは意表を突いたつもりなのかも知れないが、右のハイキックならばそこまで威力が無いはずだ。
俺は勇気を奮い起こして半歩踏み込み、インパクトを外し、蹴り足を外側に払った。
「なっ!」
麗衣は俺に蹴りが防がれた事が意外だったのか、短く驚いたような声を上げていたが、本当に驚くのはこれからだ。
俺は麗衣の軸足の太腿に体重を乗せながら膝をぶつけ、膝が当たった瞬間、更に押し込むように脛を蹴り込んだ。
「つうっ!」
麗衣の表情がはっきりと苦痛で歪んだ。
「これって、麗衣ちゃんの得意技じゃ!」
勝子が驚いたような声を上げる。
テツ・クルン・ケーン・クルン・カウ
ケーン(スネ)とカウ(膝)をクルン(等分)に使ったテツ(脛で蹴る)という意味であり、廻し蹴りと膝蹴りの中間の技である。
簡単に言えば、膝でまずダメージを与え、更にそのままスナップを効かせ脛を叩きつける技で、一瞬の内に二度蹴りを入れる技だ。
麗衣はボディを打つ時に膝からミドルキックにつなげるが、俺は太腿に打ち、膝からローキックへつなぐ、どちらかと言えばフルコンタクト空手での使われ方に近い。
ハイキックを打った直後、軸足に体重が乗っていた為にダメージが大きいだろう。
麗衣は接近戦を嫌ったのか、バックステップで真っすぐ下がった。
チャンスだ!
俺は左手と右手をほぼ同じ位置に並べると、軽くジャブを打つ。
攻撃が届くには一歩離れており、パンチが届く距離ではなく、これはフェイントだ。
ジャブを引き終わる前に右ストレートを打つ。
ここからパンチを打っても届くはずが無い。
麗衣はそう思っていただろう。
「なっ!」
バックステップで体重が後ろにかかっていた麗衣の顎に俺のパンチが命中し、大きく跳ね上がった。
俺が得意とする魔裟斗の使っていた右ストレートは距離が伸びるうえにノーモーションのパンチの為、相手が反応しづらいのだ。
原理を説明すると、教科書通りのパンチの打ち方だと普通は足を回して、腰が回って、体が回って、最後に手が出る。
下半身から上半身の力を伝えるのには良いが、肩を動かして体を回すとモーションとなり、相手にパンチを打つ事が悟られやすい。
それではノーモーションで右ストレートを打つにはどうすれば良いのか?
肩が先に動く前に、前足に体重を乗せるのだ。
縦の動き、前足に体重をのっけて最後に横の動きをいれるとノーモーションでパンチが打てるようになる。
そうする事によって初動が少ないから相手が反応しづらくなるし、体重が前にかかり後ろ足が前に出る事によりパンチの距離が伸びるのだ。
只、この打ち方だと後ろ足が前に出てしまうし体勢が崩れやすいというデメリットにもなる。
魔裟斗は左フックのようなショートパンチに繋げており、俺も真似していたが、環先輩にはカウンターを合わせられてしまった。
ショートパンチへ繋ぐのが一瞬でも遅れれば至近距離にいる事で反撃を喰らいやすい。
俺は環先輩に敗れて以来、ノーモーションの右ストレートからショートパンチへスムーズに連携する練習を続けてきたが、磨いてきたのはそれだけじゃない。
俺は前に出た勢いで左手で麗衣の腕を取り、右腕で麗衣の首を巻き込む様にして引き付け、麗衣に組み付いた。
普通の右ストレートの打ち方だと足を返すために打った後に組み付くのは難しいが、右足が前に出て接近していれば組易い。
これはキックボクシングではなく、MMAで使われるパンチから組み付きへのつなぎ方であり、麗衣が参加していないMMAスパーリングクラスで練習していたコンビネーションだ。
その事を知らないはずの麗衣は俺から組み付いて来ることは想定していなかったのだろう、対応が遅れた。
麗衣に組み付いた俺は右足を軸にし、勢いをつけてジャンプすると左足の膝を曲げて、麗衣の顔面に向かって跳び上がった。
額のあたりに膝をぶつけた麗衣は後ろに吹き飛ばされ、尻餅を着いた。
「麗衣ちゃん!」
「麗衣さん!」
勝子と恵は心配したように声を上げた。
「来るな! カウントを始めろ!」
意識がハッキリしているのか?
麗衣に言われ、恵は弾かれる様にしてカウントを始めた
「わっ……ワン! ……ツー! ……」
少しでも休んでいたのか?
麗衣はカウント6で立ち上がり、カウント8でファイティングポーズを取った。
直後、2ラウンド終了を告げるアラーム音が鳴り響いた。




