小碓武VS美夜受麗衣(2)
「……スリー! ……フォー!」
勝子がカウントを数えている。
何でカウントを数えているんだ?
俺が少し身を起こすと、麗衣はコーナーポストに見立てたサンドバッグに寄りかかりながら俺を見降ろしている。
……そうだ!
麗衣とスパーリング中だった!
カウント7に至り、思い出した俺は慌てて立ち上がった。
「まだ続けられる?」
勝子は心配そうに俺の目を見て言った。
数秒間記憶が無かった俺は頷くと、タイムウオッチが鳴り響き、ラウンド終了を告げた。
「恵! お前が勝子とレフェリー代わってやれ。勝子! お前は武のセコンドをしてやれ! あたしを倒す気でアドバイスしてやって良いぜ」
麗衣は二人に命じると、コーナーポスト代わりのサンドバッグまで戻った。
「うっ……うん! 分かったよ」
麗衣に言われ、勝子が俺に近付いてきた。
「勝子……今、俺何をやられたんだ?」
記憶が無い俺は勝子に訊ねた。
「アンタの顔が正面に向いた時、麗衣ちゃんが飛び膝蹴りを打ったのよ」
「マジ? 首相撲で跳び膝かよ?」
「普通は体勢を崩して、相手の顔を落としてから膝蹴りを打つんだけどね」
「クソっ! Aクラスの試合じゃ首相撲使えないのに如何してあんなに上手いんだ?」
「何時もプロで王者の妃美さんやプロのランカー相手に練習をしているからね。麗衣ちゃんは首相撲も膝もプロレベルだと思っていいわよ」
やはり首相撲では勝負にならないという事だろう。
「あと勝子の必殺も封じられたな。これじゃあオーバーハンドライトに繋げても不発だろうな」
「そもそも麗衣ちゃんは私の喧嘩で何回も見ているからね。多分私がやっても当たらないよ。それにね、あの距離はボクサーの距離だから、これからはムエタイの距離で突き放して近づけてくれないと思う」
両足ステップで距離を潰す作戦も次は通用しないだろう。
「勝子。お前の立場からすれば言いづらいかも知れないけれど、どうすれば俺は麗衣に勝てると思う?」
「無いわね。まだまだ、麗衣ちゃんにはほど遠いよ」
「あっさりと言うな」
「麗衣ちゃんに喧嘩売ったのはアンタなんだから自分で考えなさい」
まぁ、当然の反応だよな。
「只、アンタがパンチに頼り過ぎだって事だけは言えるわよね。アンタが今まで培ってきたのはパンチだけじゃないでしょ?」
「でも、麗衣相手に蹴りじゃあ敵わないだろ?」
「馬鹿。だから麗衣ちゃんがボクシングキックって揶揄しているのよ。所詮はCクラスだから気付かなくても仕方ないかもね」
呆れている勝子を横目に恵はこちらに寄って来た。
「そろそろ2ラウンド目始めるよ」
「ああ。分かった」
「じゃあ、二人ともコーナーに立って」
コーナーポスト等ありはしないが、俺は壁際に、麗衣はサンドバッグの近くに立った。
「ラウンド2……ファイト!」
ラウンド開始と共に今度は俺から仕掛けていこうとすると、麗衣はスキップするように左足で地面を蹴り、その反動でそのまま前足も強く踏んで蹴り足にパワーを乗せ、大きく左手を振り上げ弓のようなカラダのしなりを作り、まるで矢が放たれるような超高速の左ミドルキックが俺の右手首を目掛けて飛んできた。
「ぐうっ!」
俺は突進が止められただけでなく、身体の上半身を蹴られたことによって重心が後ろにずれ、身体がのけぞる事でパンチが打てなくなった。
更に麗衣は二発、三発と腕に目掛けて蹴りを放つ。
かつて麗衣が赤銅先輩との喧嘩でパンチを封じたように俺の腕を潰すつもりでミドルを打ってきているのか?
ミドルキックと言っても首に近い場所に構えた手首まで届く蹴りはほぼハイキックに近い軌道だ。
この位の高さになると膝でカットするのは難しいから腕で防がざるを得ないが、このままでは本気で腕が破壊される。
麗衣が同じ構えで蹴りを打とうとしたので、上半身を反らして避けようとした。
だが、麗衣の左足から放たれた蹴りはスウェーで躱そうとした俺を嘲笑うかのように、身体を反らすことで前に残った左足の内股に鞭の様に絡みついた。
「つうっ!」
鞭でもこんなに痛いのだろうか?
しかも、上半身に意識を集中していたところを完全に裏をかかれたローキックの痛みで俺は涙を流しそうになった。
更に麗衣は視線を下に向けながら更にローキックを畳みかけようとしてきた。
俺は左足の膝を張り出すようにして上げ、左肘を左足太ももの上に置き、左足の指先を下に向ける、ムエタイで言うヨック・バンと言う防御でローキックをカットしようとするが、ローキックかと思われた蹴りはアッパースウィングして、俺のグローブの上からでも構わず、首を刈らんばかりの勢いで飛んできた。
ゴスッ!
防御していたにもかかわらず、片腕では防ぎきれずナックル部分がテンプルに当たると俺の脳を激しく揺らし、俺は後ろに尻餅を着いていた。
「ダウン! ワン! ツー……」
ヤバいな。
キックが全部ミドルの軌道に見える。
麗衣がブラジリアンキックを嘲笑う意味がよく分かる。
目のフェイントや勢い、身体のフォームなどでローなのかミドルなのかハイなのか分かりづらい。
踏み込みと女子とは思えないプレッシャーと早さがあるから何処から来るか分からない。
マススパーリングで麗衣とは何回も手合わせした経験はあるとは言え、ガチになった麗衣の強さは俺の想像をはるかに超えていた。
タイ人とやるとしたらこんな感じなのかも知れない。
ハッキリ言ってアマチュアのレベルを超越していた。
こんな化け物相手なら、半年前の俺だったらすぐに心が折れていただろう。
だが、ここで俺は諦める訳にはいかない。
「シックス……セブン……エイト!」
俺はきっちりカウント8で立ち上がり、ファイティングポーズを取った。
「まだやれる?」
「ああ。試合続行だ」
俺が頷きながら言うと、恵は両手を交錯させながら「ファイト!」と言った。
「どうした武? あたしが蹴りを使いだしたら急に元気がなくなったなぁ~良いぜ。蹴り無しで相手してやろうか?」
そう言って麗衣は挑発してきた。
罠かも知れないが、俺が麗衣に勝つにはパンチを打つしかない。
俺はあと半歩でパンチが届く距離まで接近するが、本当に麗衣は蹴りを打ってこない。
良いぜ、俺を舐めた事を後悔させてやる。
左ジャブを打つべく、更に踏み込んだその時だった。
麗衣は不意に俺のガードを内側から巻き込む様にして直角に叩き、素早く水平に腰を回転させると、俺の右眉間に鋭利な刃で切られた様な痛みが走る。
「なっ!」
俺の右の視界が赤く染まると麗衣の姿が消えた。
ヤバイ!
見えない位置から攻撃を仕掛けて来るであろう事を予測した俺は咄嗟にスウェー・バックで身を引くと、先程まで頭があった位置に左のハイキックが振り下ろされていた。
蹴りは使わないんじゃないのか?
そんな抗議をする暇さえなかった。
麗衣は後ろ向きで左の蹴り足を着地させると、膝から下をしならせながら内側から外側に円を描く様にして、右の後ろ回し蹴りが飛んできた。
咄嗟に右腕でガードを上げるが間に合わず、硬い踵が俺のこめかみに直撃すると一瞬焦点がずれた。
スローモーションのようにゆっくりとマットレスが敷かれた床が近づいてくるが俺の腕は動かず、両手をつく事も出来ない。
ドサッ。
平衡感覚を無くした俺は気付くと地面に鼻頭を直撃させていた。




