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パラレルA.D.2250

偽薬

作者: 仁司方


 山の上に仙人が住んでいるという話は初耳だった。


 そもそも仙人なんて、吸血鬼やドラゴン同様、単語としての存在以上の意味はないとしか思えない。それでも山を登ることになったのは、薬が必要になったからで、使いにぼくが選ばれた理由は、重要な仕事を任されてはおらず、それでも山登りするだけの体力はあると見込まれたからだった。ようするに、パシリとして都合がよかったということだ。

 パシリあつかいは癪にさわったけど、躍起になって反抗するほどではなかったので、ぼくはおとなしくお使いをすることにした。仙人が本当に実在するなら見てみたいと思ったからでもある。


 弁当と塩、高分子樹脂パネルを持たされて、ぼくは村を出発した。弁当は自分のぶん、塩と樹脂パネルは、薬の対価だ。ハンダ跡のこびりついていない新品同様の樹脂パネルは貴重品だけど、どうせ村ではそんなに精密な機械は作れないので再利用品で間に合うのだそうだ。しかし、機械いじりが得意な仙人、というのは、なんかイメージと違う。


 村の東にある山に登ったことはなかった。麓から頂上まで七百メートルあるのだから、平地が海面から五百メートルほどのところにあると考えれば、結構高い山ということになる。

 高い山だけど日の出が遅くなって村が午前中を暗くすごす、ということはなかった。いまや太陽は東から昇らない。太陽が昇る方向を東だというのなら、村の南東にある山、といいかえるべきなのかもしれない。


 山を登るにつれて、遠くまで見渡せるようになってきた。地震と津波ですっかり掃除された大地が広がっている。それでも、人間が一世紀以上に渡って育て続けた都市は、しぶとく残骸をさらしていた。


 ぼくにとっては感慨深い光景じゃなかった。物心ついたときにはすでに世界はこうなっていた。ひっくり返る前の地球はほとんど人間のものだったらしいけど、ひっくり返ったあとの地球はだれのものでもなくなっただけだった。


 月基地から地上を観察しているコンピュータによれば、生物の七割がたが滅びたそうだ。今回の大災害直前を基準として七割だから、ここ二世紀少々での絶滅率は九割を超えているということになる。ある程度以上のサイズの哺乳動物で生き残ったのは、人間と犬と猫だけらしい。

 愛玩用でない飼育動物で残ったのは鶏だけ。広大な空き地に残存の野生動植物が流れ込んで拡散適応するには、短く見積もって二万年かかるということで、それより先に何百年かすれば人間がまた地上にはびこるだろう。


 ぼくがこれらの知識を仕入れたインパーソナルコンピュータをこしらえたのも、この山の仙人なのだという。コンピュータは月基地と、地上の生き残り集落どうしをリンクしている。生きている通信回路は衛星経由だけだったが、人間が築いた世界規模のネットワークで形をとどめているのはこれだけだ。

 地球上の設備はいわずもがな、衛星も、低軌道のやつはデブリでほとんど全滅してしまった。新しく打ち上げることが絶望的な現状では、残っている衛星も、寿命が尽きたらそれまでだ。


 ぼくは基本的に考えながら歩くくせがあったが、鳥の鳴き声が聞こえたので、足元から視線を上げて周囲を見渡した。木の枝に止まってヤマガラが鳴いているのを見つけた。うっそうと茂っているわけではなかったが、この山には緑が多い。奇跡的だ。これも、仙人のおかげだとしたら、名前負けはしていない、大したものだと思った。同時に、山なんかにこもってないで復興を手伝えよ、と腹立たしくなってきた。それじゃ仙人とは呼ばないだろうけど。


 仙人は中腹の草庵にいなければ山の頂上にいるだろう、と聞かされていた。できれば頂上までは行きたくなかった。陽はすっかり高くなっていて、木陰を歩いているぶんには問題なかったけど、そうでないと暑くてきつかった。山の上のほうは木がはえていないようだった。


 けもの道というにもたよりない、細い小径を進んでいくうちに、周囲より密度の濃い木立の中に、ビルの残骸コンクリを積み上げた石段が見えてきた。その奥に、同じく廃材を寄せ集めて造られたのだろう道観――仙人が住む寺院をこう呼ぶということを前もって調べておいた――があった。

 苔に覆われた屋根と風化した灰色の壁は、あたかも数百年来ここに建っているかのような風合を持っていた。実際には、せいぜい五十年だろう。


「老師、おいででしょうか」


 石段を上ったところで、ぼくは道観の中へ向かって呼ばわった。庵の入口に扉はなかったけど、虎を描いたついたてがあって、回り込まないと奥へは行けないようになっていた。


「麓の村の者です。老師にお願いがあってまいりました」


 応答はなかった。山頂まで行かなければならないのかと気が滅入ったが、念のために中をのぞいてみることにした。


 ついたての裏へ行くと、すぐに長方形の部屋があった。窓はなく、部屋の中央にある正方形の祭壇の上に立っている燭台でロウソクが燃えているだけだった。祭壇の手前には大きな坐像が鎮座していた。

 部屋の左右の壁には何帖か掛け軸がかかっていて、部屋の一番奥には立像が三体あって、その左右にも一帖ずつ掛け軸があった。薄暗くて、掛け軸に何が描かれているのか、像がなにでできていてどんな表情をしているのかはわからない。もっとも、よく見たところでなんという神様の像なのか、そういうことがわかる自信はなかった。とりあえず、奥の立像は剣や矛を持っているようだ。手前の坐像はこちらに背を向けている。


 どうやら仙人は留守のようだ。ぼくはあきらめて山頂に行くことにした。でも、その前に腹ごしらえをしておこう。

 石段に座って弁当を食べようと思って表へ出ようとしたところ、


「うん? どちらさんかな?」


 いきなり声がした。うしろから。部屋の中からだ。


「……老師?」

「それはわしのことなのか?」

「そうです」

「老師か。むふほほ、わしもずいぶん仰々しい呼び方をされるようになったの」


 ぼくはついたてをもう一度回り込んで部屋に戻ったけど、なにも変わっていなかった。仙人が煙のように湧いて出たのかと期待したのに。


「老師……?」

「ご用向きはなにかな?」

「村の者がかれこれ十日も腹痛で苦しんでいます。村にあった薬は全部効果がありませんでした。老師がよい薬をお持ちだと聞いて、ぼくが使いにまいった次第です」


 そういってから、ぼくは部屋の中央の坐像を注視した。声はこの像から聞こえてきているわけではない。声が響いている間も、像は微動だにしなかった。

 しかし、ほかにはなにもない。奥の立像は等身大よりちいさなものがふたつと、明らかに大きなのがひとつだった。


「ふむ」


 果たして、像が動いた。

 灰色でだぶだぶの袖口がついた長服、頭頂に丸い房のついた頭巾、口髭は見事に天に向かって反り返っており、あご髭は紐で束ねられていた。なるほど、見るからに仙人だ。


「どうして最初に返事をしてくれなかったんです」

「瞑想からはそうそうすぐに眼が醒めんよ」


 と、ぼくの非難がましい声に対して仙人は答えると、立ちあがった。腰は曲がっておらずしゃんとしている。仙人は実在するということを、ぼくは確認させられた気分になった。


「薬をいただけるんですね」


 山頂まで行く手間がはぶけて、ぼくはちょっとほっとしていたのだけれど、


「下にある以上の薬はない」


 そう、仙人はあっさりといって、庵から表に出た。ぼくはあわてて追いかける。


「そんな」

「下にあったのも、半分くらいはわしが調合した薬のはずだが。それとも、切れてしまっていたか?」

「いいえ」

「では薬はいま下にある分で全部じゃ」

「老師はもっといい薬を作れるのじゃないですか」


 仙人はずんずんと木立の中を進んでいく。あばら屋があった。木と草だけでできている。どうやらこちらが住居のようだ。


「まあ、はいれ」

「失礼します」


 あばら屋の中は狭かった。囲炉裡で火にかかっている鍋があって、壁際の棚に壺が並んでいた。ほら、いかにも薬を調合できそうではないか。


「わしは飯にしようと思うが、あんたはどうするかね?」

「お気遣いありがとうございます。弁当は持たせてもらってきました」

「それはよかった。なにせひとり分しか準備しておらなんだからな」


 そういって仙人は火から鍋を下ろした。粥のようなものが入っていたが、ひとり分なんてものじゃない。四分の一人前もないように見えた。仙人だから足りるのだろうか。


 仙人は棚から薬缶を取ると、大瓶から水を汲んで鍋の代わりに火にかける。仙人が粥をすすりはじめたので、ぼくも弁当を食べることにした。

 コーンブレッドと豆の煮物、それに蛇の開きだ。ぼくは魚を食べたことがない。干物といえば蛇だ。大昔にも恐竜の巻き添えを食って滅びなかっただけあって、蛇はしぶといようだった。それでも滅多に食べられない。こんなことでもなければ、祝い事の予定もない今年中には口にできなかっただろう。


 食べ終わったのはほとんど同時だった。ぼくが早かったのか、仙人が遅かったのか。仙人はお茶を淹れてくれた。ありがたい。

 湯呑を手に取って、ぼくはあらためて念押しした。


「いい薬を調合してもらえますよね」

「病人はマルキのやつじゃないかね?」


 仙人はこちらの質問を無視したけど、たしかに腹痛で七転八倒しているのはマルキさんだったので、ぼくはうなずいた。


「やはりな。では同じ薬をいくら飲ませても無駄じゃ」

「そりゃそうですよ。もっといい薬じゃなきゃ。ぼくはそれをいただきにきたんです」

「わしの話を聞いてなかったのか。いま下にあるものと、同じ薬しか作れん」

「なにかとっておきはないんですか?」

「考えればわかるじゃろ。新しい薬の材料が手に入ると思うか? わしはもう十年も前に山中の薬草を調べつくしておる。化学調剤はいまの世界に製造しているところはない。在庫が残っとるものもあるが、種類は下と同じのしかない。まともな保存状態を維持するだけでも難儀じゃがな」


 仙人のいうことはもっともだった。ぼくは気分が落ち込むのを感じる。


「じゃあ、マルキさんは……」

「薬を飲むだけじゃ治るまい。しかし本当に死病かはわからん。放っておいても治る程度かもしれぬ」

「とても軽いようには見えなかった。村の医者も、そう判断したから老師に助けを求めるようにと……」

「あやつは大げさなんじゃ」


 仙人の口ぶりは、はっきりとマルキさんのことを知っているようだった。お茶をひと口飲んで、続ける。


「実際は大したことのない傷や病気でも、自分は不運で恵まれていないから苦しむ、と思い込んでおれば本当に重症になる。プラシーボ効果というのは知っとるかね。病は気からというのをひっくり返せばそうなる」

「思い込めば単なる小麦粉が風邪薬になるってやつですか。でも、風邪だと思っていたのが重病で、命を落とすっていうこともけっこうあるじゃないですか」

「重病なのに風邪だと思い込んでは、身体が風邪に対応する程度の防衛策しか採らん。そりゃあ病魔に押し切られるさ。風邪を重病だと思い込んでいるぶんには、治りは遅いが滅多に死なない。身体は厳重に構えておるからの。風邪は万病の元だというのは、風邪を軽視してつけ入る隙を与えるからじゃ」


 どうも詭弁臭いと思ったが、仙人の話はますます跳躍する一方のようだ。


「ところで、どうして世界はこうなってしまったと思う?」

「天災のせいでしょう。地軸がずれて、大地震が起きて――順番は逆かもしれないけど。とにかく、それから大津波」

「トドメはそうかもしれんがね。結局は人間自身が招いた災いじゃ。人災というやつだな」

「人間の傲慢が地球の怒りに触れて大災害が起きた、といいたいわけですか、老師? それとも、あの災害がなくてもどのみち人間はジリ貧だった、ということでしょうか」

「ふうむ、賢い坊主をよこしてくれたものじゃ。ナシュのやつもまだ耄碌してはおらんようだな。……そういえば名前を聞いておらんかったの」

「イルムです。老師のお考えを聞かせてください」


 たしかに、ぼくをお使い役に選んだのはナシュさんだった。ナシュさんは仙人に勉強を教わったことがあるといっていた。ぼくに仙人の話し相手をさせるつもりだったのかもしれない。

 それに、ぼくも仙人の見解を知りたくなっていた。こんなところで座禅を組んで、復興に手を貸さないでいることにどうやら関係がありそうだったから。


「あの大災害が起きる以前から、世界はいろいろな問題に苛まれて、手詰まりになりつつあった。しかし、技術的には解決策が皆無だったわけではない。だが実行はできんかった。月基地すらコンピュータしか配備されなかった。月や火星に有人プラントがあれば、もし大災害が起きていても計画的に復興できたろうに。現状ではそれぞれが手作業でやるしかない。通信だけはできても、直接接触はできないわけじゃからな」

「そういえば、村のインパーソナルコンピュータを作ったのは老師だそうですね。ここにはないんですか? コンピュータと通信アンテナ」


 ここにコンピュータがあるなら、老師専用だから、インはつかない、パーソナルコンピュータだろう、そう思ったけど老師は首を横に振った。


「個人で貴重なネットワークユニットを一台占有してしまうわけにはいかん」

「なら村に降りてくればいいでしょう」

「それではわしはなにも作れなくなるよ。効く薬も、コンピュータも」

「どうして?」


 ところがまたしても仙人はぼくの質問に答えなかった。本筋に戻ろう、といって。どっちが脱線しているのやら。


「理論的には問題を解決する方法はあった。だが人類はそれを採用することを拒んだ。なぜだと思う?」

「現実的じゃなかったからでしょう。生産や消費、個人的才能の振り向け先を社会主義的に管理して、地球環境改善や宇宙進出のための技術開発にマンパワーや資源を注ぐというのは」


 仙人は目を瞠ってこちらを見た。驚くようなことではないだろうとぼくは思った。

 人間全員が理想主義者で、ズルをしないのであれば、社会主義システムほど効率的なものはない。二十世紀のうちに人間は月と火星に基地を築いていただろうし、世界人口は三十億以上に増えはしなかっただろう。二十一世紀が終わるまでに太陽系全域まで人類社会は拡大されていたに違いない。二十三世紀半ばのいまなら、超光速航法と多次元転移システム、タイムマシンが実用化に向けた実験を行っていたことだろう。


 しかしそんなのは無理な話だ。自分以外の人類全員が真面目に働いているのなら、自分は怠けておこぼれにあずかっているほうがいい。あるいは優秀な人間が割り当てられた仕事をこなしている隙に、自分だけひそかに課外研究を行って全人類を征服する方法を編み出すか。

 あとは自分の能力との相談だ。プラス方向にせよマイナス方向にせよ、周りがみんな全体奉仕のための仕事をしているなら、出し抜くのは簡単だ。


 そういう、やった者勝ち、ひとり抜け、を防ぐには、それこそアリやハチのように本能レベルで社会主義システムを埋め込んでしまうしかない。だが、そんなことをすれば人間という種そのものが死ぬことは明らかだ。エゴなくして競争はない、活力も。


 仙人はこうしたぼくの考えがわかるようだった。ぼくが歴史や思想史を学んだコンピュータは仙人自身が作ったものであるのだから、当然かもしれない。ひょっとしたらぼくのこの考え自体、仙人に誘導されたものなのかも。


 仙人はお茶をもう一杯飲むかと訊いてきた。ぼくはうなずいた。出涸らしだったけど、茶葉自体が貴重品だ。


「人間、できると信じてもできるとは限らないが、できないと思い込めばできない、そういうものじゃ」

「そんなに単純なことじゃないでしょう」


 ぼくは冷めた声でそういったが、仙人の意見は違うらしい。


「飛行への執念、信念なくして飛行機は発明されなかっただろう。月面への執着、自由主義陣営の信念なくして月へロケットは飛ばなかった。人間というのは自らの意志で進化できるようになった初めての生物だよ。進化というのは肉体の構造だけの話ではない」

「人間は進化をあきらめていたというんですか?」

「おぬしは、イルムよ、進化というのはそもそもなんだと思う?」

「基本的には、適応だと思います」

「適応、そうじゃな。魚が空気中から酸素を取り入れる術を得て、両生類となった。恐竜の一部は空中を移動するために鳥となった。人間はまあ、裸一貫で空を飛ぶことはできんし、水中呼吸もできまい。そもそも、地球上の生物では、宇宙空間を移動することも真空中で呼吸することも不可能じゃろう。人間は、そういう構造上の限界を乗り越える手段を得た。しかし、その手段を向上させることをあきらめてしまっていたとしたら、それはどういうことだったのかのう」


 両生類が生じたのは、隔離された水場だったという説がある。地殻変動で外部と切り離され、だんだんと縮小していく生命の場。

 乾燥した死の大地と水の狭間には、泥濘があっただろう。生き残るために魚たちは水への依存を下げる方向を模索していく。完全に乾燥してしまえば魚が両生類になった程度ではけっきょく全滅してしまう。気象条件かなにかで、不定期にしろある程度の水は供給されていたのだと想像できる。果たして、生き延びられるだけの適応を遂げたのは何万分の一だったのだろうか。


 かつて人間が置かれていた状況も、似たようなものだったのかもしれない。百億もの人間が地球というひとつの星にしがみつき続けることは不可能だった。宇宙がフロンティアであるという保証はないが、魚にとっての陸上も保証のない新境地だっただろう。


 だが、人間はお互いに足を引っ張り合う珍しい生き物だ。


「もし魚に人間並みの意思があったら、仲間が両生類になろうとするのを邪魔しようとしたかもしれませんね」

「あの災害がなければ、人類の宇宙進出は実現できたと思うかね、イルム」

「それはわかりません。宇宙開発に振り向けるリソースが足りない気がする。ただ、もし災害がもっと小規模で、人間の数が半減する程度におさまっていたら、うまくいったかも」

「ありえるな。だからこそ、あの災害はあれだけの規模にされたのじゃろう」

「……え?」

「人間というのは、やはり全体でひとつのアリ・ハチ型生物の一種なのじゃよ。不幸のはじまりは、百億もの人間がひとつのコロニーにまとまってしまったことだ。集団が大きすぎて全体意志が統合できなくなった。それ以前から全体意志はまとまらなくなっていたが、汎人類統合がなされるまでは集団同士の反発やいがみあいというものがあったから、ぎりぎりのところで破局を免れていた。いわゆる『エリート』たちは、全体意志がまとまらなくても構わないと思っていた。使えない『凡人』が淘汰されて集団の規模が落ち着いて、全体意志がまとめられるようになってからでも間に合うと踏んでいた。実際その通りになるはずだった。しかし切り捨てられるほうは黙っていなかった。死なば諸共というわけだ。あの災害は、捨てられることに気づいた大多数の『凡人』の怨念が引き起こしたものだ」

「だとしたら、アリ・ハチ型生物としては失格ではないでしょうか」

「そうじゃろうな。だが、まともだ。『人間的』に考えれば」


 十人のうちの特定のひとりを助けるために残りの九人が犠牲に供されるのは納得できないが、十人のうちのだれかひとりが生き残ることに作為が介在しないのなら、状況次第でほかの九人は犠牲になることを受け入れる――そういうことらしかった。

 人間、不幸は耐えられても不公平には耐えられない、ということだろうか。


 雑談を終えると仙人はぼくが持ってきた樹脂パネルを受け取って、これでもう一台コンピュータが作れるかもしれないといってあばら屋の裏のガラクタの山を見せてくれた。

 塩も喜んで受け取ってくれたが、仙人はそのうちのひとつまみを囲炉裡の灰と混ぜてから、丁重に紙に包んでぼくに持たせた。


 麓の村に帰り、ぼくはそれを「新薬」だといってマルキさんに飲ませ、彼は見事に恢復した。


 すこしだけ、ぼくは仙人の力を手に入れたのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「人間、不幸は耐えられても不公平には耐えられない」 素晴らしい名言だと思います。
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