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その未来

作者: 役立 愚弐他

 あれから私は、一度も家を出ていない。


 両親と相談し、大学は退学した。

 一人暮らししていた部屋も引き払い、今では実家の引きこもり。


 これではいけないのだと、そうは思う。思うのだけれど、まだ他の誰かには会いたくなかった。

 陰鬱とした気分のまま、私は布団に潜り込む。



 ふいに目を覚ますと、カーテンからオレンジ色が零れていた。

 目をこすっても、そのオレンジが朝焼けなのか夕焼けなのか、それすら私にはわからない。


 ここまで時間の感覚を失くしたかと自嘲して、デジタル時計の表示を見やる。

 数字の横にはPMの表示。どうやら夕方らしい。


 喉、乾いたな。

 私は気怠い体を起こし、のそのそと部屋を出てリビングへ向かった。


 リビングへの扉を開けると、向こう側でお母さんが料理をしていた。コンソメの香りがふうわりと漂う。

 扉の開く音に気付いたのか、お母さんはこちらを見やり微笑んだ。


「起きたのね。もうすぐ晩御飯できるわよ。食べるでしょ?」


 私は頷いて、それから冷蔵庫へと近づいた。お母さんはそれを見て言う。


「あぁ、飲み物なら麦茶があるわ。あとはお父さん用のビール。まぁ、飲まないでしょうけど」


 笑うお母さんを見て、私はなんだか、いらっとして。

 冷蔵庫内のビールを手に取り、一気に呷った。


「え、ばか! あんたお酒弱いでしょうが!」


 お母さんが怒るけれど、気にしない。今は飲んでやるとそう思ったのだ。


 すぐに顔が熱くなり、頭がふわっとする。

 この感覚は嫌いじゃない。自分がお酒に極端に弱いことは解っているし、失敗したこともある。

 けれど、何かを忘れるのにはちょうどいい。

 たまには、いいじゃん。


「もう……大丈夫? すぐにご飯運ぶから、座ってなさい」


 お母さんは水を私に差し出してそう言った。



――ふわふわ。私はここにいる。この閉ざされた、自ら閉ざした世界に。


――ふわふわ。私はここにいる。ここにいる私は、望んだ私じゃない。


――ふわふわ。私は、もっと、私は――


「はい、ポトフよ。食べなさいな。……弱いんだから飲んじゃだめじゃない」


 ふわふわしたまま、料理はテーブルに運ばれた。

 私は胸の前で手を合わせてから、置かれたスプーンを手に取る。

 器に転がるじゃがいもにそれをあてた。

 ほっくりと割れるじゃがいも。少し冷ましながら、口に運ぶ。噛むとすぐにほぐれて、スープの染みた味が口に広がった。


 おいしい。

 お母さんの料理の味。

 あぁ私たった一本でほんと酔ってるのかな。

 すごく、おいしいや。


「おいしい? あんた飲んだらすぐ酔うから、あてにならないけど……その顔なら、そう思ってくれているるのよね。良かったわ」


 お母さんの言葉になけなしの笑顔で答える。


「……もう少し規則正しくしてくれたら、ちゃんと用意できるんだけどね」


――お母さんの言うことはもっともで、どんな顔をしていいかわからなくなる。目線を料理に落としながら、それでも「おいしいよ、お母さん」と心の中で呟いた。


「ふふ、ゆっくり食べなさい。お母さん、片付けしてるからね」


 そう言ってお母さんはシンクに向かう。

 私はウィンナーをスプーンですくって、どうにも危なっかし気に口に運んだ。歯を入れるとパキっと皮が弾けて、熱い肉汁が溢れる。

 ……これは多分、子供の頃から好きな銘柄だ。ちょっと高めなお値段だから、一人暮らしの頃には買うことがなかった。だからこれは、その銘柄で間違いないと思う。

 私が好きだと言って、それから何かある度食卓に上がるようになったもの。

――お母さん、だなぁ。


 シンクで片づけをするお母さんの背中を見ながら、特製のポトフを平らげる。

 未だにふわふわした感覚は抜けないけれど、なんだか嬉しくなって、たまには手伝わないと、なんてことを思った。

 私は空になったスープ皿を手に取って席を立つ。

 お母さんは食器を水で流していた。

 私が近づいたその時、ふいにお母さんが振り返る。そして、その手が私の手にあたり、スープ皿は床に落ちた。


 割れる食器。驚くお母さん。


「あっ、ごめん、ごめんね、気付かなかったわ。怪我はしてない?」


 お母さんは慌てながら私に訊いた。……怪我はない。私は頷く。


「そう、ならいいの。片付けておくわ」


 お母さんはほっとした表情でそう言った。

 私は何も言えないまま、振り返ってとぼとぼとその場を離れる。


「あっ、お風呂入っちゃいなさい。さっき沸かしたとこだから、一番風呂よ?」


 ことさら明るくお母さんが言った。

 応えないまま、お風呂に向かう。


 脱衣所で服を脱ぎ、洗面台に向かい立つ。

 前よりも痩せた顔、体。髪は伸びてぼさぼさ。私は、私は――



 一番風呂の熱いお湯が、肌にちくちくと刺激を与える。そのおかげか、酔いはすっとなくなっていた。


 数カ月前のことだ。

 体に異常を感じた私は、病院に行き、診察を受けた。

 すぐに親を呼ぶように言われ、それに応じて。

 私は両親と共に病名を聞いた。早急に手術を受けるようにと、そう言われた。

 ショックだった。どうしようもないくらいに、ショックだった。

 私には夢があった。ずっと昔からの夢。それが、確実に閉ざされる。拒んだとしても、夢が叶うよりも早く、命は尽きるのだ。

 選択肢は、用意されていなかった。


 今の私が引きこもっていることを両親が許しているのは、夢を知っていて、応援してくれていたからだろう。

 それはそれで、居心地の良いものではないのだけれど。


 ともかく、私は夢と引き換えに、命を危ぶませるそれを、切り離した。



 お風呂を出て、適当に髪を乾かしてから部屋に向かった。

 扉を開けると、ベッドの横には弦の錆びたギターが仰向けに倒れている。

 ベッドに座り、ギターを手に取った。

 手入れも何もしていなかったせいで、チューニングはずれまくり。コードを鳴らそうとしても不協和音でしかなかった。


 その音色が、まるで今の私のようで。


 ギターを寝かせ、私は、私を見たくなった。

 今の私ではない、私を。


 パソコンを起動させ、フォルダを開く。

 そこには、映研の友人とその先輩に頼みこんで作ってもらった、ミュージックビデオがある。

 ダブルクリック、再生。


 映像は山道を走る暗い車内から始まる。

 頬杖をついて窓の外を見やる私。今よりもずっと短い髪。好きなアーティストを真似てそうしていた。


 ふいに私が撮影に気付いて、照れ笑いをした。そしてカメラのレンズを手で塞ぐ。その瞬間に、音楽が流れだす。


 最初に見た時には、この映像が使われていることに驚いて、やっぱり少し恥ずかしくて、でも嬉しくて……笑った。


 流れる音はギターの音色。Aadd9、綺麗で、しゃらしゃらした音。好んで使っていたコードだ。

 前奏を弾きながら、太陽に照らされる私。

 逆光で顔は見えないけれど、多分、笑っていたと思う。


 前奏が終わると、唄いながら林の中をとことこと歩く私。

 さすが素人撮影って感じで、画角がおかしかったり、がたがた揺れたりもしているけれど、それも味だろうなんて思う。


 Aメロが終わると、私の姿はふっと消える。

 Bメロが流れながら、そこかしこの木の裏から顔を出す私。

 そうだ、この時は本当に恥ずかしくて。私の顔はどこか赤い。

 そして、Bメロが終わり、クッションを挟んで、サビだ。


 林を抜けた先にある、小高い丘。

 夜景が有名で、夜ともなればいくつかのカップルがうっとりとしている。けれど、朝方にはその姿も見られなくなって、撮影にはもってこいだった。


 ギターをかき鳴らし、私は唄う。

 私を軸にカメラは回り、三百六十度の私の姿を映す。

――なんて、楽しそうなんだろう。


 そして私のアップが映る。


――太陽はまた昇るから――


 そんな歌詞を唄っている。


 幸せそうな、楽しそうな私。


――ねぇ、あなたの未来は私だよ?



 映像が終わると、暗い画面には今の私の顔が反射していた。


 瞼を腫らし、頬を涙が伝っている。

 それでも、声は出なかった。どれだけ嗚咽のたれ流そうとも、ただただ空気が漏れ出るだけ。


 これが、今の私。ここが、今の私の世界。


 画面の中の私、あなたを待ち受けるのは、そんな未来。


 ねぇ、私の世界に、太陽はまた昇るって、それでも唄ってくれるかな。

 朝焼けも夕焼けも判らないこの部屋に、太陽はまた昇ってくれるのかな。


 夢は潰えて、私にできることはもう何もない。したいことも、それを考える頭も停滞している。でも、なぜだろう。


 それでも私は。それでも私は、悔しいくらいに――


 ――生きている。

別の所で上げた話を少し改稿して上げました。


ミステリを書きたい心はやはり強いのですけれど、結局書けないままこんな話を書いたりしています。

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